夢だと分かる夢を、なんと呼ぶのだったか。

 それは思い出せないが、カナメは今自分が居るこの場所を夢だと判断していた。

 何しろ、自分はついさっきまでベッドで寝ていたはずなのだ。

 速やかに眠りについたのに全く寝息を立てていなかったり、何の前触れも前動作も無く目を覚まして何処かへ音も無く移動したり戻ってきたりするハインツを見ないようにして眠りについたのも、体感時間ではついさっきのことのはずだ。

 だというのにカナメは今、全く知らない場所に立っている。


 青い空。

 風に揺れる緑の草原。

 頬を撫でる風。

 その何もかもが、知らない景色で。


「……え?」


 その頬を撫でた風の感触に、カナメはゾクリとする。

 夢なのに、風を感じた。

 夢ならば、そういうものはないはず。

 反射的に腕を抓り、その痛みにカナメは思わず手を離す。

 やはり、感覚がある。

 これは、夢ではないのだろうか。

 ならば一体。

 無限回廊……ではない。何処を見ても、あの万華鏡のような光景はない。

 なら、此処は。


「……!」


 気付けば、走り出していた。

 此処が何処かは分からない。

 何が起こったのかも分からない。

 だが、だからといって「何もしない」だけでいることは出来なかったのだ。

 あてもないままに走って、走って。

 そうしてみると、僅かではあるが遠くに見えていた山が近くなった気がするのだ。

 それに……遠くにではあるが、何か建物のようなものが見えて。

 カナメはそこまで走ってみようと足に力を……魔力を込める。

 イメージは、アリサ。自分の想像するアリサの速さを、カナメはイメージして。

 カナメの魔力は、そのイメージを実現するべくカナメの足に集っていく。

 そのイメージを形にするべく、カナメはつい聞きなれた言葉を口にする。


跳躍ジャンプ!」


 そしてそれは、魔法理論的に言えば間違っていた。

「走る」イメージを描いたまま発動した跳躍ジャンプはカナメのイメージを実現するべく無理矢理にその効果を発動させ……地を蹴るカナメを、そのまま一直線に吹っ飛ばす。


「う、おおおおおあああああ!?」


 アリサが普段から移動に使っているからカナメが間違えるのも無理はないのだが、跳躍ジャンプは移動用の魔法ではない。

 脚力を強化して跳ぶ……言わば「物凄いジャンプ」の魔法であり、緊急回避用の魔法であると言ってもいい。

 応用的な使い方として崖を飛び越える……などといった使用法もあるが、跳躍ジャンプは常に全力発動なのであまり推奨されていない。

 ダンジョンで横移動しようとして壁に叩きつけられ、潰れたカエルのようになったという笑えない話もあるほどだ。

 つまり移動の為に気軽に使用しているアリサが変なのであり、使い慣れていないカナメが使えば当然吹っ飛ぶというわけだ。


「そ、そそそ……そうだ! アリサは確か……」


 アリサが跳躍ジャンプの魔法で方向転換や停止をしていた事を思い出し、カナメはそれをイメージしながら「跳躍ジャンプ!」と唱える。

 そしてそれは、魔法理論的には正しい。

 正しく跳ぶことをイメージし発動した跳躍ジャンプは先程よりも魔力を安定させ、確かなジャンプ力をカナメに約束する。


「っうああああああああ!?」


 空高く跳んだカナメは「ヤバい」と思いつつも、それをどうにか出来る手段が思い浮かばない。

 確かアリサは、と考えてもアリサは空高く舞い上がるなんていう青春真っ盛りな事をしたことはない。

 

「えーと、弓……弓……ってダメだ!」


 竜鱗騎士を呼ぼうにも、弓だけでは意味がない。

 風を材料に何かを作ろうにも、まさか竜巻で自分を吹っ飛ばすというわけにもいかない。

 なら、どうしたら。どうすれば。

 慌てるカナメの頭の中は真っ白で、何も浮かばなくて。

 落下していくカナメの身体は……突然、地面から湧き出てきた巨大な手にがっしりと掴まれる。


「んなっ……」


 強大な魔力を感じるそれは、どうやら土で出来ていて……カナメの竜鱗騎士と同質の何かであるらしいことが理解できた。

 つまりそれは、魔動人形ゴーレムということで……少しずつ地面に沈むように元に戻っていくそれの根元に、ほっとしたような顔で息を吐く誰かがいるのが見えた。

 まだ少し遠いが、少しぼさぼさな長い紫の髪。

 全体的に細めの身体に纏うのは、ゆったりとしたローブのような服。

 まるで寝巻のようにも見えるそれを着た人物は、どうやら男であるらしかった。


 やがて地面スレスレまで沈み込んだ「手」からカナメが降り立つと、その青年はふーっと息を吐き汗をぬぐう。


「あ、ありがとうございます。助かりました」

「はは、なあに。勝手に手を出したのはこっちさ。まあ、あんな魔法久々に使ったから握り潰しやしないかとドキドキはしたけどね」


 青年の言葉に、巨大な手に握り潰される自分を想像してカナメはうっと呻く。


「それにしても、ようやく来てくれたね」

「え? ようやくって……此処は……何処なんですか?」


 まるでカナメを知っているかのような青年に、カナメは聞き返して。

 そんなカナメの反応に、青年は少しだけ悲しそうな顔をする。


「……そうか。僕のことを知っているはずもない。分かってはいても、悲しいものだね」

「え……」

「いいんだ。初めまして、カナメ君」


 そう言って軽く一礼すると、青年は自分の胸に手を当てる。


「僕はヴィルデラルト。運命の神ヴィルデラルト……この世界に唯一生き残ってしまった、最後の神さ」

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