夜の散歩2

「う……くっ!」


 カナメの人生の中で、窓から飛び降りた経験など無い。

 昨日のは跳躍ジャンプで窓から飛び出しただけだし、今は魔法を使ってもいない。

 本能の警告による恐怖はしかし、着地のズンという音とは真逆の軽い感触で打ち消される。


「え、あれ?」


 もっと体全体に響くような衝撃を覚悟していたのだが、そんなものはない。

 音だけはかなりのものだったが……痺れも無ければ、痛みもない。

 アリサと比べれば大分無様な跳び方ではあるが、感覚だけはプロの忍者か何かにでもなった気分だ。


「ほら、出来た」

「いや、確かに出来たけど……なんか色々変なような」

「変じゃないよ。カナメの魔力が身体を瞬間的に強化しただけ。跳躍ジャンプの魔法が使えるなら、自然と身につくオマケみたいなものだよ」


 元々、跳躍ジャンプとは魔力を足に集中することにより、足に瞬間的に爆発的な跳躍力を与える魔法だ。

 しかしただ単純に「跳躍力を与える」だけでは、ジャンプすると共に足に強い負担がかかってしまう。

 それを防ぐ為だろうか、足に溜めた魔力は身体が自動でその幾分かを「正常に保つ」為の魔力に回してしまうのだ。

 そして人間の身体とは便利なもので、跳躍ジャンプの魔法を使用するうちに「何かありそうな時には足に魔力による保護を回す」事を覚えるようになる。

 これは意図的なものではないので強化とも言えない程度の僅かなものだが……それでもカナメの魔力であれば、こういうことくらいは可能になるというわけだ。


「慣れれば、もう少し楽に降りられるようになるよ。そこはまあ、練習かな?」

「練習……すれば出来るのかな」

「出来るよ。信じられない?」


 悪戯っぽい顔でそう問いかけてくるアリサに、カナメは苦笑して。


「いや、信じてる」


 そう答える。アリサのようにカッコよく。そう願うならば、きっとこの程度は初歩なのだろうから。


「じゃあ、行こうか」

「ああ」


 頷きあった二人が足に魔力を込めようとしたその瞬間……二階の別の窓が開け放たれ、何かが地響きと共に降ってくる。


「昨日の今日で直接来るとは余程……! って、あら」

「い、イリスさん?」


 そこに居たのは魔法装具マギノギアをフル起動させたイリスであり……僅かではあるが着地点の地面が割れているのは何かの気のせいと思いたいところだが、それはさておき。


「カナメさんとアリサさんじゃないですか。お出かけですか?」


 言いながら、イリスは開けっ放しの窓を見上げる。

 どうやら先程の音はカナメのものだと理解したのだろう、穏やかな笑顔で魔法装具マギノギアを解除していく。


「あ、はい。ちょっとアリサと一緒に跳躍ジャンプの特訓を」

「そゆこと。カナメがいつの間にか使えるようになってるみたいだし、これを機に実戦レベルにしとこうかと」

「なるほど、良い事ですね。ですが気をつけてください。万が一ということがあります」


 そう言って心配そうな顔をするイリスに、アリサは軽い調子で笑う。


「大丈夫だって。跳躍ジャンプで跳び回る相手に人払いが意味あるってんなら話は別だけどさ」

「……それはまあ、確かに」


 昨日イリスが居た場所のようなスポット的な人払いは、相手が跳躍ジャンプで逃げ回れば即座に意味を消失する。

 あれは追い込み漁のようなもので、相手をその場に誘い込み固定できてこそ意味がある。


「ま、そんなわけで行ってくるから」

「はい、お気をつけて」


 イリスが頷くのを見ると、アリサはカナメに「じゃ、やるよ。まずはあそこ」と手近な屋根を指さす。


跳躍ジャンプ

「……跳躍ジャンプ!」


 アリサに続いて、カナメが跳躍ジャンプで飛翔する。

 ドン、ドン、と。屋根を蹴る音に続いて、更に跳躍していく影が二つ。

 本当はアレも屋根が傷むからあまり褒められた事ではないのだが……まあ、石造りの建物が多いこの街でならば大丈夫だろう。

 そんな事を考えていたイリスの横を、紫色の何かがシュッと駆け抜けていく。

 それが誰であるかは考えずとも分かる。


「……まあ、そうですよね。ついて行かないはずがない」


 跳躍ジャンプで追わないのは、主人の邪魔をしない従者の心得だろうか。

 ともかく、彼女がついて行くのであればイリスがこれ以上余計な気を回す必要もないだろう。

 今は、それよりも……バタバタと階段を駆け下りてくる「彼女」のフォローの方が先決だろうか。

 その「彼女」はドアを開けてイリスの居る場所へ駆け寄ってくると、辺りをキョロキョロと見回し始める。


「カナメさん達なら、先程出発されましたよ」


 恐らくはハインツが報告したのだろう、寝間着姿のエリーゼは「もう!」と手をぶんぶんと小さく上下に振って不満を示す。


「カナメ様ったら……魔法でしたら私がいくらでも教えて差し上げますのに!」

「ふふふ。カナメさんの跳躍ジャンプはアリサさんが師匠ですから仕方ないですよ」

「それは……そうかもしれませんけど」


 エリーゼも跳躍ジャンプの魔法を知ってはいるが、アリサ程上手くは使えない。

 エリーゼの場合は跳躍ジャンプ本来の「高く跳ぶ」使い方で、応用できてはいないのだ。

 それは熟練の差でもあり興味の差でもあるが……確かにその点においてはエリーゼはアリサに及ばない。


「それより、エリーゼさんはもう寝てしまった方がよろしいかと。明日こそは、何もないでしょう?」


 その言葉に、エリーゼはハッとしたように目を輝かせる。

 イリスの台詞が何を意味しているか、理解したのだ。


「そ、そうですわね! 万全の体調で迎えないといけませんわ!」


 慌てたように戻っていくエリーゼの様子にクスリと小さく笑うと、イリスは遠く……ミーズの方角へと視線を向ける。


「神官長……早くお戻りください。語られるべき希望は、ここにあるのです」


 その呟きは遠く、空へと吸い込まれて。

 イリスは踵を返すと、流れる棒切れ亭への中へと戻っていく。

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