そこにいる

 大皿の上の唐揚げもなくなり、ダリアとハロが競うように次々とジョッキを空けた頃。

 あまり飲まずにいた……というよりはこうなるのが分かっていたのだろうルドガーが「そろそろお開きにしましょうか」と言い出した。

 カナメとしてもそれは賛成で、顔を真っ赤にしたダリアとハロはどう考えても回収対象だった。


「そうですね。あ、今日はごちそうさまでした」

「いえいえ。貴方と縁を作れただけでも今日の成果となるでしょう」


 差し出されたルドガーの手をカナメは握り、簡単な握手を交わす。

 だが手を離そうとしたカナメの手をルドガーは強く握り……小さな、本当に小さな声で囁く。


「これは独り言ですが、帝国とて完全に実力主義というわけではありません。まあ、言うまでもないことですがね」

「……そうですね」


 それはそうだろう。国という組織である以上派閥はあるし、権力を手放すまいとする者達も当然いる。

 そうした者達による「上に行こうとする者」を阻む分厚い壁があるだろうことは、想像するまでもない。


「でも、俺は偉い人になりたいわけじゃないですから」

「ならざるを得ない人もいます。貴方は計算高い方では無さそうですから、抱え上げ奉る「ご神体」を探す連中は常に何処にでもいるということだけは覚えておいてください」


 カナメが無言で頷くと、ルドガーはパッと手を離す。


「さ、ダリア。そろそろ戻りましょう。明日からが辛くなりますよ?」

「大丈夫よ、ルドガー。私はまだ呑めるわ」

「はいはい、分かりましたから」


 明らかに酔っているダリアの肩をポンと叩き立たせると、ダリアは赤い顔を軽く振りながら酒場の一点へと視線を向ける。

 吟遊詩人でも掴みあっている酔っ払いでもなく、特に何事もなさそうな場所へと視線を向けているダリアにルドガーは不思議そうな顔をするが、ハロを立たせようと苦戦しているカナメに手伝おうかと声をかけようとし……しかし、その先にあるものを見つけて首を傾げる。

 だがまあ、いいかと考えルドガーはダリアを連れていくべく肩に手をかけようとするが、ダリアはその手を掴み引っ張る。


「ちょっとダリア。どうしたんですか?」

「どうしたもこうしたもないわよ。見なさいよルドガー、悪趣味だわ。あんな恰好したのが紛れ込んでる」

「あんな恰好って……」


 ダリアの指す方には誰も居ないが……そこでルドガーは「まさか」と思い先程の方向に視線を向ける。

 だが、そこには先程ルドガーが見たはずのものは何もない。


「死の神の仮装だなんて、こんな雰囲気でもなければ許されないわよね」

「……!」


 ルドガーは周囲を見回すが、やはり其処には何もいない。

 何処にも、「大きな鎌を持つ黒い少女」の姿などない。

 ダリアが見つめ続ける場所にも、ルドガーはその姿を見つけることはできない。


「ダリア……それは」


 死が近づくと現れるという、死の神レヴェル。それを自分とダリアが見たというのだろうか。

 いや、自分が見たのは一瞬。ならば「今も見えている」ダリアは……と。そう考えて、ルドガーは顔を青ざめさせて。

 振り向いたテーブルの向こう側では、同じように顔を青ざめさせたハロが震えを誤魔化すように口の端に笑みを浮かべている。


「……どういう冗談かしら、これは。吟遊詩人の横でレヴェルが踊っていたように見えたのだけれども」


 酒場の喧騒を聞けば、時折「レヴェル」という単語が混ざっているのが分かる。

 そうと知ってからしか本気で耳が捉えないような、その言葉。

 それを見るという意味を悟り、三人は顔を見合わせ……黙ったままのもう一人、カナメへと自然に視線を向ける。

 だが、カナメもまた真剣な表情でテーブルの上を見つめている。

 まるで、そこに三人には見えない「何か」がいるかのような。

 そしてその想像通り……カナメの目には、レヴェルが見えていた。


「……また会ったわね、新たなる……いいえ、レクスオール。記憶が連続しているというのは反響でしかないはずの私には不思議な気分だけれども。ひょっとすると、貴方の死の運命は消えているわけでもなく連続して訪れているわけでもなく……遠い死の予兆が、貴方の魔力の強さゆえに「私」として現れているのかもしれないわね?」


 カナメは答えない。この「レヴェル」がカナメにしか見えないと分かっているからだ。

 だが、レヴェルは恐らくそれを理解した上でカナメへと話しかけてくる。


「とすると、今回も結局は私の杞憂で終わるのかしら。それとも、今度こそ貴方の死が近づいているということなのかしら。いずれ逃れ得ぬ死ではあるけれど、こんなパターンはたぶん初めてだわ」


 机の上に座ったレヴェルはそう言って楽しそうに笑い、しかしすぐに表情を引き締める。


「……いいかしら、レクスオール。死の運命は、「最後の時」を除けば回避可能よ。私は貴方を死なせたくなくて手伝ってきたけれど、今回もそうとは限らない。むしろ、こうして会話出来ていることさえ本来は有り得ない事なのだから」


 そう、確かにカナメはレヴェルに助けられてきた。

 クラートテルランの襲撃の時も、「侵攻」の時もだ。


「そっちの小さい女の方だけど「私が見えている時間」からすると、相当近く強い死が迫っているわ。一体何があるというのかしらね?」

「……!」


 カナメは机を回り込むと、ダリアの腕を掴む。


「ちょ、ちょっと! いきなり何!?」

「この後、どうするんですか?」

「どうするって……宿に戻るわよ。それが何?」


 ルドガーと同じ行動であろうことは明確。

 なら、ダリアとルドガーの違いは何処にあるのか。


「狙われてるんじゃないのかしら?」


 そんなレヴェルの言葉に「離しなさいよ」と言うダリアの腕をカナメは更に強く掴む。


「ちょ、いた……っ」

「カ、カナメさん?」


 止めようとするルドガーにカナメはハッとして手を放すが、このままではダリアが死ぬであろうことは間違いない。

 死ぬと分かっている人を放っておく。それも、すぐには連絡がつかないかもしれない相手。

 そうと分かっている相手が今、この場にいる。

 その事実がカナメの思考を激しく乱す。

 どうすればいい。どうするのが正解なのか。

「どういう事が起こるのか」と知ることができる無限回廊の助けは、今回は無い。

 どうやれば助けられるのか、カナメには全く分からない。

 カナメは必死で頭を動かし……混乱したままで、天啓のように閃いた言葉を口にする。


「今夜は帰しません」


 あれ、なんか違うぞ……と気づいたのと顔を真っ赤にしたダリアがカナメの腹に拳を突き入れたのは、ほぼ同時であった。

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