帰り道

 適当に朝市をブラつけば、後は宿に帰るだけだ。

 呼び込みの声が響く帰り道を、カナメとイリスはゆっくりと歩く。

 天気はとても良く、風も程良く吹いていて。何処となく安心した様子の人々はカナメにもイリスにも気付かずに談笑しながら通り過ぎていく。

 人は「記号」で物を見るからちょっと変えるだけで気づかないとはイリスの談だが、まさにそれを体現するかのようだった。

 銀狐の眉毛亭のある工房地区の辺りに来ると人気もなくなってくるが、二人は気にせず歩き続ける。


「いいリンゴも手に入りましたし、お土産もバッチリですね」

「普通のああいう商人さんもちゃんといるんですね」


 リンゴを満足気に見るイリスにカナメがそう言うと、イリスは「それはそうですよ」と答える。


「むしろ、そっちの方が普通なんですよ? 今の朝市が特殊なだけです」

「普段はどんな感じなんですか?」

「日によりますし、場所によりますね。この辺りだと行商人の持ち込んできたものを売ったりするのが主でしょうけど、地元の野菜や狩ったばかりの肉を売る所の方が多いですかね?」


 唇に人差し指を当てて「んー」と思い出すように言うイリスにカナメはへえ、と楽しそうな声をあげる。


「そういうのも見てみたいなあ……」

「ふふ、カナメさんは結構世間知らずなんですね?」

「え。あ、あはは。すみません、不勉強で」


 引きつった笑みを浮かべて適当に誤魔化そうとすると、イリスはクスクスと笑う。


「いいえ、いいんですよ。私、分かってるつもりですから」

「わ、分かってるって……」

「貴方の使った力は、間違いなくレクスオールの力です。その意味が分からない程、私の目は曇っていないつもりですから」


 ピタリと立ち止まったカナメと全く同じタイミングでイリスは立ち止まる。

 冷や汗を流すカナメに、イリスは先程と全く変わらぬ柔らかい笑顔で微笑みかける。


「ど、どういう……意味、ですか」

「英雄王トゥーロの物語はご存知ですか?」


 知っている。何度もその名前は耳にしている。

 ジパン連合国を建国した、伝説の人物。

 ひょっとしたらとカナメが何度か思った、そんな見知らぬ誰か。


「聖国の一部の人間には、その真実が伝えられています」


 風の音すら消えたように錯覚する中で、イリスの声だけがカナメの耳に届く。


「彼は、無限回廊の先から来たと。今ではトゥーロと伝えられる彼の真実の名は、タロウ。そして彼が奮った力は間違いなくアルハザールのものであったと。ならばカナメさん、貴方もまた「そう」であると推測する事は容易です」

「そ、れは」

「だから私、戸惑っているんです」


 緊張した空気を壊すように、イリスはそう言ってふうと溜息をつく。


「カナメさんが伝説のトゥーロ王のように自分を正義の基準に好き放題暴れて手当たり次第に女の子に手を出していくような人でしたら、身命を賭してお諫めする覚悟でしたのに」

「えーと……流石に、それはちょっと……」


 自分にはそういう事は無理だなあ、と。

 エリーゼ一人の事でさえ保留にしてしまっているカナメは目をそらし、しかしイリスはそんなカナメを正面から見つめている。

 レクスオールの力を振るうカナメは、そう望むならばトゥーロ王と同じことが出来るだろうとイリスは考えている。

 いや、伝説にあるレクスオールの力をそのまま振るえるならば……それ以上の事すら可能かもしれない。

 少なくともイリスは、その片鱗を……伝説にすら語られていない翼持つ騎士達を見た。


「たぶん、貴方は優しい人です。ですが、そんな人が如何様にでも変わることも私は知っています」


 旅をする中で、そんな人間は幾らでも見てきた。

 たった一つの魔法装具マギノギアに心奪われた者達。

 金貨の輝きに惑わされた者達。

 恋に、愛に狂った者達。

 世界はそんな実例で満ちていて、「優しい人」程狂気に深く囚われる。

 たとえばイリスとて、シュルトに……兄に何かあればどう変わってしまうか分かったものではない。


「あの、俺は……」

「カナメさん」


 カナメの言葉を遮り、イリスは真剣な瞳でカナメに問いかける。


「貴方はその力で、何をしたいですか?」


 間違いなく世界を変えられる力。

 救うことも、滅ぼすことも。

 望むままに世界を変革させられるであろう力を向ける先を、イリスはカナメに問う。

 この地上に新たに降臨したレクスオールに……自分達が敬愛し崇めてやまない神の力を振るう者への問い。

 それにカナメは動揺したように……しかし、それでもイリスから視線を逸らさずに答える。


「……分かりません」

「分からない?」

「だって俺は、何も知らないんです」


 この世界に落とされて、まだ数日。

 状況に流されるままで、流れてきたままで……カナメは自分が自分の意志で踏み出しているかどうかさえ分からない。

 自分が何をするべきなのか。そんな事など、考える余裕すらなかった。

「アリサのように」と……そんな目標すら届いていないのだ。

 そこまで考えて。カナメは「ああ、そうか」と思い出す。


「……だから、えっと。あえて言うなら……アリサみたいにカッコよくなりたいな、と」

「アリサさんみたいに、ですか」


 毒気を抜かれたような顔をするイリスに、カナメは照れ臭そうに笑う。


「は、はい。まだ全然届かないんですけどね」


 そう言われても、イリスには「アリサがどういう人物か」を測る事はまだ難しい。

 ベテランの冒険者だということは分かるが、それくらいだ。

 だが「カナメが目標にするくらい信頼している」ということは分かるし……同時に、カナメが雛鳥のように素直な性格だという事も分かってしまう。

 そのアリサ次第で、カナメの染まり方は決まってしまうだろうし……それを座して見ているほど、イリスの信仰心は薄くもない。


「……分かりました」


 イリスはそう呟くと、カナメの前に膝をつく。

 突然のその行動にカナメはギョッとしたように後ずさりオロオロとする。


「え、あ、い、イリスさん!?」

「カナメさん。私も貴方の旅に……いいえ。貴方が立ち向かう全てに同道し、その盾に、拳に、槌に、矢になりましょう。この身と魂は、御身の為に。神官騎士イリスは、その名にかけて誓約を果たす事を誓います」

「え、え、ええ!?」

「安心してください。道が見えぬというならば、私が灯火となります。ドンと頼ってくださって結構です」


 その胸をドンと……ゆったりとした服でも分かる豊満な胸を叩いても鳴るはずもないが、イリスは胸を叩いてみせる。

 カナメはその光景から顔を赤くして目をそらしながらも、「ちょっと待ってください」と何とか言葉を絞り出す。


「その、突然すぎて意味が……」

「軽く言うなら旅に同行するという意味です。重く言うなら貴方に騎士として仕えるという意味です、カナメさん」

「仕えって……え、でもイリスさんは神様……に……あっ」


 その意味する所を悟って、カナメは顔をさあっと青くする。


「お望みなら「我が神よ」でも「我が主」でも好きな呼び方に変えますが。其方の方がお好みですか? あ、誓いの返品だけは受け付けておりませんので」

「……えっと。いや、呼び方は元のままでお願いします」

「承りました、カナメさん」


 じゃあ帰りましょうか、と。

 そう言って笑うイリスに……カナメは皆にどう説明したものかと悩むが、答えなど出るはずもない。

 そもそも、押し切られた時点でカナメの敗北は確定してしまっているのだ。

 うーん、と悩んだまま銀狐の眉毛亭の扉を開け……食堂代わりになっている其処に足を踏み入れ「ただいまー」などと呟いて。


「お帰りなさいませ。お待ちしておりました」


 響いたそんな声に、カナメは「は?」と間の抜けた声をあげた。

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