何処かの地下の光景

 カナメ達が冗談交じりの話をしていた、その頃。

 カナメ達がいる宿場町とは別の場所……とある何処かの地下を、二人の男達が歩いていた。

 薄暗いその場所には男達が手に持っているランタン以外の明かりはなく、まるで来る者を拒むかのような闇が満たしている。


「……随分と臭くなったものだ」

「そうか? 清浄の魔法は機能していると思うし……私には何も感じん」

「歪んだ魔力が漏れ出ている。よくもまあ、こんなに節操なくやったものだ」


 男達の会話は不穏そのものだが、ここにそれを指摘するような者は居ない。

 長い通路を進む二人の他に此処に人はなく、何らかの魔法がかけられているのか二人の言葉も響かない。

 男達の片方は、目深にローブを被った男。口元も覆面のようなもので覆われており、僅かに見える白い肌は何処か違和感がある。

 もう片方は、金糸を使った豪奢な服を纏った男。

 それなりに年がいっているのか、均整の取れた肉体には多少の衰えが見て取れる。

 角刈りの金髪は行動的な印象があり、ひょっとするとそういう荒事に慣れた職業であるのかもしれない。

 どちらかというと細身のローブの男と、この豪奢な服の男がどういう関係かは分からないが、ある程度気安い関係なのであろうことは確かだ。


「節操無しとは酷い言い草だな。技術を俺にくれたのはお前だろうに」

「確かに。だが、それとて世界の為だ。今更どうこうは言わんが、程々にしておくことだな」

「くくっ、なに。今更誰が何に気付いたところで、どうにも出来んよ」


 やがて辿り着いた場所……その地下道の果て。

 暗いその場所は大きな牢獄であり……そして独房であった。

 その部屋の大半を占有する巨大な檻の中には、一人の少女の姿があった。


「……あの子供か」

「流石だな。すぐに分かったか」


 ピクリとも動かないように見えるその少女を見て、ローブの男は軽い舌打ちをする。

 それは確かな嫌悪感を含んだもので、しかしもう一人の男は気にした様子もない。


「確かに若い方が適しているとは言ったが。お前、本当に人間か?」

「人間だからこそ、だ」


 そう答え、豪奢な服の男は「どうだ?」とローブの男へと問いかける。


「……恐らく、にはなるが。成功していると言えるだろう。だがこれ程のものは過去に例がない。いや、やろうとした者が居ないと言うべきか。だがもはや、私にも想像がつかん」

「そうか。苦労した甲斐があるというものだ」

「……」


 ローブの男は何も言わず、身を翻す。もはやこの場に居る意味も無いとでも言わんばかりのその様子に、豪奢な服の男が慌てたように声をかける。


「おいおい、何処へ行く。折角来たんだ。上で歓待の用意もさせている」

「不要だ。あまり私と一緒にいるところを見られるべきでもない」

「そうか? お前がそう言うならいいんだが」

「ああ。また用があれば呼べ」


 そう言い残して、ローブの男は長い通路へと戻る。

 ローブの男が豪奢な服の男に渡したのは、ああいう事をするための技術ではなかった。

 確かに呪われた技術であり、称賛されるものでもないが……「まとも」に使えば、理解されずとも最後には誰もが必要悪と認めるような、そんなものだったはずだ。

 それがどうして、ああなったのか。

 狂っていたのか。いや、あの男は人格者のはずだった。

 ならば、目の前の「可能性」に狂ったのか。いや、そんな浅い男だっただろうか?

 ……それとも。本当にあれが正しいと信じているのか。


「……いや、そもそも。正気と狂気の境界線は何処にあるのか。理解の範疇にない事を狂気と呼ぶのであれば、極論すれば己以外の全てが狂気であるということにもなる」


 それでは成り立たないから、「大勢」の意見が正気と狂気を分ける境界線となる。

 しかし、その「正気」と思っているものこそが真の狂気ではないと誰が証明できるのか。

 ひょっとするとあの男もまた、「理解できない正気」をその身に抱えているだけなのかもしれない。


「伝え聞く正気と狂気の二面神であれば、あるいは本当の答えを知っているのかもしれんが……まあ、いい。あの男は奴なりの理で行動している。そこに口出しはせんほうが良いだろう」


 そう呟き自己完結すると、男は歩いてきた通路を振り返る。

 その先にあるモノを再度見ようとは、男は思わない。

 アレは間違いなく男の信じる「正気」の外にあるものだ。


「……此処はいい場所だったが、潮時かもしれんな。今宵にでも「次」へ行くとしよう」


 そう言って、男は地下から出る。

 そこには何処かの部屋の中で、見張りらしき男と一人のローブ姿の女の視線が出て来た男のほうへと向く。


「お帰りなさいませ、ヴラズヴァルト様。もうよろしいのですか?」

「ああ。奴はまだしばらく奥にいるそうだ。歓待とやらも遠慮する旨は伝えておいた……帰るぞ」

「はい」


 お気をつけて、と言う見張りの声に会釈をし、ヴラズヴァルトは用意された別の地下道を通って外に出る。

 そこから繋がる小さな家を出たヴラズヴァルトは裏道を進み……近くに同じローブを纏う女以外居ない事を確認すると、振り向く。


「カラリエス」

「はい」

「他の者にも伝えるが、今宵のうちに子爵領を出る。此処はすでに、危険域と化した」


 ヴラズヴァルトの言葉にカラリエスと呼ばれた女は驚愕したような表情を見せた後、努めて冷静な口調で「分かりました」と返す。


「……その。それ程までの何かが、あの奥に?」

「アレがどうであるかは問題ではない。だが、かなり無茶をしているはずだ。時期を考えれば……気付く者が出てきても良い頃だ」


 ヴラズヴァルトはそう言うと、空の月を見上げる。

 山々に囲まれたこの場所は潜伏には丁度良かったが……少しばかり、あの男の秘めたものを甘く見過ぎた。

 

「……そういう意味ではタカロは理想的だったのだが、な」


 その声を聞く者は、カラリエス以外にはない。

 しかし、そこに少し寂し気な色が籠っていた事は……カラリエスすらも、気付くことはなかっただろう。

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