SS「イリスと特訓」

 銀狐の眉毛亭の庭で、激しい打撃音が響く。

 同時に聞こえてくるのは、悲鳴じみた声。


「うわっ、うわわっ!? 待った、待ったあ!」

「実戦で巨人ゼルトは待ってくれませんよ、カナメさん! ほら、避けられないなら防ぐ!」


 嵐のような拳の連打、そして思い出したように飛んでくる脚。

 一撃一撃が速く、そして重い。

 手加減してくれてはいるらしいのだが、見えていても避けられない。

 防いでも、防いだ上から衝撃がくる。

 本当に生身なのか疑いたくなる打撃をカナメがイリスから受けているのは、そういうイジメでもなければ何かの罰ゲームでもない。

 これは、れっきとした特訓なのだ。


「うぐっ!?」


 ガードの甘くなった腹に強烈な一撃を受けて、カナメはゴロゴロと転がっていく。


「ああ、もう! 見ていられませんわ……!」

「手出し無用! これはカナメさんの特訓です!」


 オロオロしているエリーゼに一喝し、イリスはカナメを見下ろす。


「怪我してないのは分かってますよ。カナメさん。貴方の頑丈さには目を見張るものがあります」


 恐らくは身体を流れる魔力の量の多さ故だろうとイリスは思う。

 旅をしていると、たまに身の丈よりも大きな武器を持つ者を見かけるが……ああいうのは身体を強化する魔力の量の多さ故だ。

 カナメも、ひょっとするとその類なのかもしれないが……だとすると、カナメは常人と比べ格闘戦において相当に有利なのは疑いようもない。

 なにしろ、「再生薬か魔法で治せる程度まではやっちゃってもいい。むしろやっちゃえ。その方が強くなる」が標語のレクスオール神殿式の訓練を……もちろん手加減しているが、それを受けて何度も立ち上がってくるのだ。

 格闘術自体の才能があるかはさておき、肉弾戦の才能はある。

 その事実が、イリスを人知れず高揚させる。


「そりゃ、怪我はしてませんけど……結構痛いんですよ?」

「痛みを知らずして成長はありません。何処を殴られればどの程度痛いかを知っていれば、それはいつかの有利に繋がります」

「……うえ、それって全身くまなく殴られるフラグじゃあ……」

「そうなる前に私に一撃入れても構いませんよ? ほら」


 かかってこい、と手でくいっと招くイリスに、カナメは腰を落として拳を握る。

 見よう見まねではあるが、弓が使えない状況でも戦えるような特訓をしたい……と申し出たのはカナメ自身だ。

 何も得ずに終わるなんて、出来るはずもない。


「……いい気合いですね。何かを得ようという意志が伝わってきます」

「そりゃまあ。俺だって男ですから」

「いい台詞です。惚れそうですよ、カナメさん」


 茶化したイリスの言葉にも、カナメは反応せずに全身に意識を巡らせようとする。

 身体の全てを把握し意志の下に制御しようとするソレは、魔力を使った身体の動かし方の基本。

 アリサと森の中を走った時のような「正常化」ではなく、最適化と……そして、魔法の域には達しない程度の、僅かな強化。

 集中しろと、全身に意識を巡らせろと。ただそれだけの事が、正しい方向に繋がる。

 故に、これはただの偶然。聞きかじった知識と、イリスに何度も殴られ蹴られ慢心が吹き飛んだが故の、奇跡とも呼べぬ奇跡。

 だが、その「成功」をカナメは確かに知覚する。


「……いきます」

「きなさい」


 そして、その「成功」をイリスも理解する。

 やはり才能がある。それを感じたイリスの口には、知らぬうちに笑みが浮かぶ。

 だから。


「でぇ、やあああああ!」

「せやあ!」


 だから、つい力が入って。

 今までで一番の速度で突っ込んできたカナメの拳を躱し、カウンター気味に地面にめり込ませてしまった。

 ボグン、と。大地の割れる音を響かせながら沈むカナメに、エリーゼの悲痛な叫び声が上がる。


「カ、カナメ様ぁ!?」

「うわっ! しまった、あんまり良い気合いだったもので、つい……!」


 慌ててイリスがカナメを掘り起こすと、土まみれになってはいるものの怪我一つないカナメの姿。

 しかしまあ、打撃のせいか衝撃のせいか……完全に意識はとんでしまっている。


「おお、やはり怪我は全くないですね。凄いですよカナメさん。これなら本当に巨人ゼルトに正面から殴られても大丈夫かもしれません」

「言ってる場合じゃありませんわよ! 神官なら、早くカナメ様を治療なさい!」

「分かってますって。でも怪我はないですから、水で濡らした綺麗な布で顔を拭いてあげれば大丈夫です」


 オロオロするエリーゼの横で、手際よく水桶と布を差し出してくるハインツから水桶を受け取り、イリスが膝の上に載せたカナメの顔を拭くと……うう、という早くも意識を取り戻しかけた声が聞こえてくる。


「ふふっ」

「何を笑ってるんですの」

「いえ。カナメさんがこれからどれだけ成長するのかを考えると、ちょっと楽しみになりまして」


 今の段階でこれなら、本気で鍛えれば……あるいは、イリスをも超える実力を身に着けるかもしれない。

 まあ、本人の希望が護身用なのでそこまではいかないだろうが……魔力の多さは全てに直結する。

 何れかの道で大成する事は、間違いない。

 カナメの持つレクスオールの弓は……それを約束された証にも思えるのだ。


「ほーら、カナメさん! 起きてください。意識が戻ってるのは分かってますよー」


 そう言いながらイリスがカナメの頬をペチペチと叩くと、カナメはまだ少しクラクラする頭を抑えながら起き上がろうとして。


「おっと、まだダメみたいですね。ちょっと休憩しましょうか」


 そう言うイリスの膝に押し戻されるのだった。

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