とある何処かの

 気がつけば、其処に立っていた。

 まるで長いガラス張りの通路のような。

 あるいは、常に変わり続ける万華鏡の中のような。

 輝きに満ちたこの場所に立っている理由は要には分からない。

 ……だが、ここがあの「無限回廊」であるということだけは理解できた。

 前回と違うのは、この光景と……手の中にある黄金の弓だろうか。


「……今回は、落ちないんだな」


 トントンと足踏みをし、突然落下が始まらない事を要はなんとなく確認してみる。

 試しに頬を抓ってみると痛みは無く、夢の世界かと考え……しかし「それは無い」とすぐに自己否定する。

 理由は、五月蝿いほどになっている心臓の音。

「我は此処にあり」と主張するかのようなその音は、要に確かな「今」を伝えてくる。

 要は今驚き、一抹の希望のような不安のような……自分で表現することすら出来ない感情を抱いている。


 無限回廊。

 要が要の元居た世界から此処に無限回廊を通って落ちてきたというのであれば……この無限回廊の「先」へ行ったら、そこは元の世界に繋がっているのだろうか?

 そして、此処を戻れば……後ろへと進めば、そこはアリサ達のいる世界に繋がっているのだろうか?


 それとも、逆?

 いや、そもそもどれが正解だったとしても……自分は一体どうしたいのか。

 戻りたいのか、それともアリサ達と一緒にいたいのか。


「……」


 そんな事にすら答えが出ないまま、要は足元を見下ろす。

 そこに広がっているのは、何処かの道のような光景。

 そうかと思えば森のような光景に切り替わったり、空のような光景に切り替わったりする。

 どの光景も平和で……やがて眼下に映っていた「道」に、四人ほどの一行が現れる。

 真ん中に緑色のマントを纏った青年、周囲を囲んでいるのは護衛の冒険者か何かだろうか。

 騎士ではないと感じるのは、彼等の装備の統一性の無さと粗末さ故だ。

 くたびれた革鎧の男に、くすんだ金属鎧の斧戦士……若干錆びた鎖鎧をつけているのは、どこかで見た顔の男だと思ってみてみれば、アリサに一撃でノックアウトされた冒険者だと要は思い出す。

 すっかり日が沈んだ夜の道を進む四人から目を離し、要はそろそろどうするか決めようと考え始め……しかし、正面から聞こえてきた声にハッとする。


「……悪ぃな。でもよ、今は稼ぎ時なんだよ」


 緑色のマントを纏った青年が、要の目の前で刺されている。

 背後から胸を貫く剣。

 驚いたような顔と……その口からゴボリと湧き出る血。

 慌てて駆け寄ろうとした要はしかし、壁のようなものに弾かれる。


「ぐっ……! って……」


 そう、それは壁に映る光景。

 先程までは道の「先」があったはずの其処には壁があり、慌てて振り返った背後には森の中に放り出される青年の姿が映っている。

 荷物らしい荷物をほとんど奪われた青年の身体は投げ出された衝撃で不自然に曲がり、その胸元から小さな赤い宝石のついたペンダントが飛び出す。

 それを目ざとく見つけた鎖鎧の男は下衆な笑みを浮かべながら、そのペンダントをも青年の身体から奪い取る。

 

「へへっ……って、なんだよオイ。魔法の品かと思ったのによ」

「いや、素材は安物だが一応魔力は感じるぞ」

「ふーん……まあ、足しにはなるか」


 そう言って男はペンダントを懐に入れ……その瞬間に、周囲の光景が目まぐるしく変わっていく。


「……どうして……どうして、このペンダントがここにっ!」


 響くのは絶叫にも似た悲鳴。

 その声の主は緑色の神官服にも似たローブを着た、一人の少女。

 切りそろえられた金の髪と、深い海のような青の目。

「穏やかそうな美人」に分類されるであろうその少女の顔は青ざめ、小刻みに震えている。

 露店らしき場所で「あのペンダント」を握り締める少女の口は「まさか」という言葉を繰り返し、それを店の主人が気味悪そうに見ているのが印象的で。


「……そうか。そういうことなんですね」


 ペンダントを握り締め顔の近くに寄せていた少女が、やがてぽつりと呟く。

 そして、その瞬間……要の身体は、下へ向けて落下していく。


「う、うわわ……結局こうなのかよ!? じゃなくて……待てよ! あの人を助けろってのか!? それともまだ何か……!」


 落ちゆく要の周囲で忙しく移り変わる光景はとても「それが何か」を判断できるようなものではなく……しかし、何処かの路地裏のような場所に切り替わって止まる。

 ……違う。止まったのではない。止まったかのように静かな光景なのだ。

 周囲で響く悲鳴や怒号の中、そこだけが切り取ったように静かだ。

 地面にめり込んだ男の死体が一つ。

 その辺りに散らばっているのは、別の誰かだったモノだろうか?

 そして今……脅え漏らし地面を塗らす、鎖鎧の男の姿。

 煉瓦の壁に囲まれたその場に逃げ場などすでに無く、仲間は皆物言わぬ死体と化している。


「ひ、ヒイ……ひえっ、あうあっ」


 男の前に立っているのは、誰なのか。

 月の光に照らされ逆光になっている「この光景」からでは、それは判別できない。

 ……だが恐らくは、先程の少女であろうと要は思う。


「ゆ、ゆる……っ……ゆるげうっ!」


 許して、と言おうとしたのだろうか。

 だがそれは叶わず、路地裏に死体が一つ増える。

 響く悲鳴と破壊音が増えていく中で、その「誰か」は静かに月を見上げる。

 煌々と大地を照らす月。

 ただ其処に在るだけの月を見上げる「誰か」は、ぽつりと……寂しそうに呟く。


「……この町も、もう終わりです……ね」


 欠けた空の月の形は、例えるなら弓にも似ている。

 まるで地上に向けて引き絞るような……そんな形の月。


「偉大なるレクスオールよ……ルヴェルレヴェルの御許へ向かう不出来な私をお許しください」


 懺悔のようなその言葉と。

 ぽつりと呟かれた「会いたか……」という悲しみに満ちた言葉を最後に、要は無限回廊を下へ……下へと落下していった。

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