目覚めて、そこには

「ん……」


 カナメは、ゆっくりと目を覚ます。

 瞼は重く……しかし、起きなければと目を開ける。

 窓から差し込む朝の光はカナメの意識をゆっくりと覚醒させ……次の瞬間、ぎょっとしたように目を見開く。

 ベッドの縁に座りカナメを見下ろすアリサの姿がそこにあり……カナメは何を言っていいか分からずに無言になってしまう。


「おはよ、カナメ」

「え、あ。お、おはよう」

「まったく、呑気なもんだね。私が帰ってきてみりゃ、ぐうぐう寝てるんだもの」

「えーと……ご、ごめん?」


 思わず謝ってしまうカナメに、アリサは「冗談だよ」と言って笑う。


「飛び出したのは私の勝手。本当は悪手だと分かってはいたしね。事情も聞いてる。無事で良かった」


 悪戯っぽく……しかし優しげに微笑むアリサに、カナメは「どうして」と問いかける。


「ん?」

「どうして……アリサは俺にそこまでしてくれるんだ?」


 正直に言って、カナメはアリサに何かをしてあげられているわけではない。

 レクスオールの如き力を持っているといったところで、この聖都ですらそんなものは利益をほとんどもたらしたりはしない。

 むしろ、カナメがアリサに頼ってばかりで……足手まといと言ってもいいだろう。

「いつか」と思ってはいても、その「いつか」が来る前に捨てられていてもおかしくはないのだ。

 なのに、アリサはカナメに付き合ってくれている。

 それが何故か……カナメは、その理由を測りかねている。


「ん? んー……」


 アリサはカナメの問いかけに悩むような声をあげると……カナメの額に触れ、髪を少しかきあげる様にして撫でる。


「そうだなあ。なんか放っておけないから、かな?」

「弟扱いか……」

「弟、か。ふふ、そうかもね?」


 なんだか力が抜けて、カナメは思わず笑ってしまう。

 見上げたアリサの顔はやはり笑っていて……何処か懐かしそうな、しかし悲しそうな顔で。


「アリサ?」

「なに?」


 何かを言おうとして。しかし、何も言えずにカナメは黙り込む。

 なんといえばいいのか。何を聞けばいいのか。どうすれば正解なのか。

 何も分からず、カナメは「いや……」と小さく呟いて。

 アリサはゆっくりとベッドから立ち上がると、クルリと背を向ける。


「さ、起きたならご飯食べよ。今日は聖騎士団の連中来るんでしょ?」

「え、あ、ああ」

「私は下行ってるからね?」


 そう言って部屋から出ていこうとするアリサの背中を見つめて。

 見送るのが正解だという自分の理性を抑えつけ、カナメは立ち上がり走って……アリサの腕を掴む。


「へ? ど、どしたの?」


 驚いたように振り返るアリサに、カナメはぐるぐると巡る思考の中で言葉を探す。

 何か言わなければならない。ここで言わなければならない。

 しかし、何を言えば正解なのか。


「俺、は」


 考えた末に、カナメは言葉を絞り出す。


「アリサの力になりたいと思ってる」

「あ、うん。ありがと?」

「……だから」


 そこで、カナメは言葉を切る。ここでまたその単語を出すのは、アリサを傷つける結果になるのかもしれない。

 しかし、言わなければ伝わらない。

 言わずとも伝わるなんて、そんな夢を見てはいけない。

 だから、カナメはそれを言葉にする。


「もし、俺が「弟」って言ったのが何かアリサを傷つけたなら……謝りたい」


 アリサは、カナメが「弟」という言葉を出した時に表情が僅かだが変わった。

 それがどういう意味なのかは判定するには至らない。

 弟扱いしているのだとカナメが思っている事に傷ついたのなら、まだいい。

 けれど、もし。アリサの深いところにある何かを傷つけたのなら。その深い傷跡を、探り出してしまったのなら。


「気にしすぎだよ、カナメ」


 アリサは一歩下がってカナメの身体に背を預けると、見上げるようにしてカナメの顔を覗き込む。


「私は傷ついてなんかいない。ただちょっと、昔の事を思い出しただけだから」

「それって……」

「弟。まあ、実の弟じゃないけど……そんな風にも思っていた子が、いたからね」


 その子が今どうなっているかを聞くのは、野暮なのだろうとカナメは思う。

 幸せに暮らしているのかもしれない。あるいは、そうではないのかもしれない。

 少なくともこの場にその子が居ないという事は、アリサと離れ離れであることだけは確実だからだ。


「……そ、うか」


 ぎこちなく頷くカナメを見上げたまま、アリサは「聞かなくていいの?」と問いかけてくる。


「え、でも」

「カナメは優しいし真面目だけど、時折行き過ぎてるよね。なんて言えばいいのかな、踏み込む事を恐れてる気がする。雪の上に足跡をつけることを怖がる子供みたい」

「そんな、ことは」


 無いとは言えない。踏み込む事で傷つけるのは怖い。どこまで踏み込んでいいのかも測らずに踏み込んでしまう事は、相手をより深く傷つけてしまう事だと知っている。

 それは相手に「此処も救いではない」と思わせてしまう事で……救おうとしたことで救えなくなってしまう最悪の事態だ。

 カナメは、それを恐れている。だから、踏み込めない。

 だというのに……カナメは今、アリサに自ら踏み込んでしまっている。その事実が認めがたく、「此処で引き返せ」という叫びがカナメを半端に押し留めてしまっているのだ。


「……いや」


 それに気づいて、カナメは自嘲気味に呟く。


「そうだな、怖い。俺が無遠慮に踏み込む事で、アリサを傷つけるのが怖い。アリサに嫌われるのが、怖いよ」

「そっか」


 アリサはそう答えると、カナメの顔に空いている手を伸ばし……その鼻を、ぎゅっと摘まむ。


「なめんなよ。私はそんなに弱くないし狭量じゃないぞ」

「も、もがっ!?」

「話してあげてもいいけど、今はダメ。また夜にでも話そ?」


 アリサはそう言うと、カナメからスルリと離れて部屋から出ていくのだった。

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