帰ってこないイリスと夜中の出来事
「……帰ってこないですねえ、イリスさん」
「神官騎士は多忙ですから、そういうこともございます」
結局、夜になってもイリスは帰ってこなかった。
アリサ達は結局先に風呂に向かい、エルはちょっと呑みに行ってくると出かけてしまった。
ただ呑むわけではなく、酒場は仲間を勧誘するチャンスの転がる場所らしいが、カナメはそれには付き合わず留守番である。
部屋にいても退屈なので、こうしてカウンターでダルキンがグラスを磨くのを見ているのだが……そんなカナメをチラリと見て、ダルキンはグラスをコトリと置く。
「あ、邪魔でしたか?」
「いえ、お暇なようですので……ちょっとした芸をお見せしようかと」
ダルキンはそう言うと、カウンターの下から太いが短い木材のようなものを取り出して見せる。
「これは建築の際などに余った端材でございます」
「はあ」
「これを、このように……」
言いながら、カナメの目の前で木材とダルキンの手がブレる。
「えっ」
シュカカカカッ、と。何かを高速で突くような、あるいは削るような。そんな不可解な音が不可解な現象と共にカナメの眼前で展開される。
相当の速さでも見えるようになったはずのカナメの目でも目の前のダルキンの手の動きは追いきれず……しかし、それを何とか見ようとするその間にはダルキンの手は止まっていて。
先程木材が乗っていたはずの手には、木像のようなものが載っているのが見える。
「え、ええ……っ!?」
よく見えてはいなかったが、ダルキンがカウンターの下に手を突っ込んだ様子はなかった。
つまりこれはダルキンの腰から上だけで行われた事であり、少なくともブレていたのは手元と腕だけだ。
つまり……まさかではあるが。
「あの、まさか、それって」
「ええ。アリサ様でございます」
「は!?」
言われて良く見てみれば、ダルキンの手の上に乗る木像は確かにアリサだ。
生き生きとした表情も、スタイルの良さも……全てがそのままだ。
「土産物屋をやっていた頃はこういう芸を加えて結構稼いでおりましたが、各神殿から「頼むからやめてくれ」と泣きが入りましてな。仕方なく今の茶屋に転向しております」
「え、あ、いや。凄いんですけど……これって道具使いました?」
「手を道具と呼ぶのであれば」
文字通りの手彫り。そんな言葉が浮かんで、カナメは思わず頭を振って追い出す。
まさか。いくらなんでも手品の類だろうが、そうだとしても相当に上手い。
そう、上手いのだ。
「……銀貨四枚でお譲りしますが」
「えっ」
「更に銀貨四枚追加で完璧に色も塗りますが」
「え、っと」
数瞬の無言の後。カナメはジロリと見上げるようにダルキンを睨みつける。
「……泣きが入ったのって、こういう商売のやり方してたからじゃないんですかね?」
「ならば無料でお譲りしましょうか?」
「いや、知り合いの女の子の人形持ってるのって相当危ない奴でしょ。タダでも貰えませんよ」
「そうですか。カナメ様は誠実なのですね」
「誠実っていうか常識っていうか……」
呆れたように言うカナメの目の前で次に出来上がったのは、可愛らしくデフォルメされたカナメの木像。
「ならば、これは如何ですかな? エリーゼ様にプレゼントなど」
「女の子に自分の人形プレゼントとか、どんなナルシストなんですか……」
「ふむ。この商売をやっていた頃は、お守りになると結構喜ばれたものですがな」
「ええー……」
ひょっとするとカナメが知らないだけでそういう風習があって、そういう常識があるのかもしれないが……カナメはそれをしようとは思えない。
「旅をする方は、何処でどんな災厄に巻き込まれるか分からないものでございます。大切な方と離れることもしばしば。そんな折に、そんな方を思わせる物を持つことでお守りとしているのですな」
「へえ……でも買いませんよ」
「残念です」
言うと同時にダルキンの手元からデフォルトのカナメ木像は消えて。カナメは、疲れたように溜息をつく。
「それ、知らない人に売ったりしないでくださいよ?」
「そんな事は致しません。キチンと砕いて薪にしますとも」
「それも嫌だなあ……」
カナメが苦笑すると、その眼前に小さなカップが置かれる。
何やら暖かいお茶のようなものが入ったその皿とダルキンを見比べると、ダルキンは「どうぞ召し上がってください」と告げてくる。
「聞いたところによると、イリス様は各神殿を回って今回の件に関する話をしているのだとか。レクスオール神殿の神官長が帰ってくるまでに少しでも……と必死でおられるのでしょうなあ」
「それ、は」
間違いなく、カナメの為だ。イリスは今、カナメの為にあちこち走り回っている。
けれど、その為にカナメは何かを返せているのだろうか?
アリサにもエリーゼにも、イリスにも。
カナメは返せるかも分からない恩だけが溜まっていく。
「……なら、俺はイリスさんを待ってないといけませんね」
「いえ。イリス様の事を思えば、もうお休みになるべきかと」
「え、でも」
「イリス様を心配してカナメ様が寝不足になったとなれば、イリス様は自分を責められます。心配かけまいとするその心を、酌んで差し上げてください。お話したのは、何か事件に巻き込まれているわけではないとお伝えするためでございます」
ダルキンの言葉に、カナメは少し考えて……一気にお茶を飲み干す。
「……そうですね。俺のせいで明日エリーゼにまで心配かけたら、それこそ俺の不手際だ」
「その通りかと」
頷くダルキンに、カナメは笑って返す。
「では、おやすみなさいダルキンさん」
「ええ、おやすみなさいませカナメ様」
そうしてダルキンは再びグラスを磨き始め……カナメは、部屋へと戻っていく。
そして……カナメの部屋から何かが飛び出すような音が聞こえたのは、それからしばらく後のことだった。
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