夜の街を歩く2

 風呂屋はヴェラール神殿の近くであるが故に、それなりに安全な行程が約束されている。

 風呂屋の前でもそれは同じで、ヴェラール神殿の近くということもあってか騎士の巡回が多い場所だ。


「遅いなあ……」


 意外にも風呂好きで長風呂なエルを風呂屋の前で待ちながら、カナメは溜息をつく。

 放っておいて帰ってもいいのだが、それも少しばかり薄情だと思い待っているのだ。

 通り過ぎる人や、同じように待ち合わせをしている人達の群れを眺めていると、どの人も幸せそうな顔をしているのが見える。

 それはこの街が安全である証だろうし、良い風呂を楽しめたということでもあるだろう。

 実際、この街の風呂は前にレシェドの街で入った風呂よりも綺麗で大きかった。


「あーあ。前も遅かったけど今回は特に……」

「もし、そこの方」

「へ?」


 愚痴っていると、そんな声が聞こえてきてカナメは驚いたように後ずさる。

 カナメの目の前には何やらキッチリとした服を着た男が佇んでおり、軽い礼の姿勢をとっていたのだ。


「な、なんでしょう?」

「つい先日、ヴェラール神殿の前にてお見かけした方と存じますが、お間違いないでしょうか?」

「え? えーと……貴方は?」


 先日のヴェラール神殿と聞いて、ルウネのことだとカナメは直感する。

 ルウネ絡みでヴェラール神殿に近いこの場所でこういう人物に話しかけられるとなると、どうやっても警戒心が刺激される。

 自然とそういう雰囲気をにじませた言葉がカナメから出るが、相手は気にした様子もない。


「私はラナン王国伯爵であらせられるセツキテフ様の配下、イルコムと申します」

「あ、はい。こんばんは」


 警戒心が働いたまま名乗らずにいたカナメだが、やはり相手は気にした様子もない。

 もしかすると、カナメ如きの名前には興味がないのかもしれないが……となると興味があるのが誰か丸分かりで、カナメの警戒心は最高潮に達する。


「何のご用ですか」

「たいしたことではございません。貴方が先日幸運にも出会われたメイドナイトの件でございます」


 無言で返すカナメに、イルコムと名乗った男は気にしないままに言葉を続ける。


「貴方がこの街に来たばかりの冒険者であることは調べがついております。ご存じないかもしれませんがメイドナイトは最高の従者とも呼ばれており、最高の人物に仕えるべき者であるとされております」

「……つまり、何が言いたいんですか?」

「契約を解消して頂きたく。貴方の幸運が、真に選ばれるべき方の不幸となっております」


 本当にそう思っているかのように頭を下げるイルコムに、カナメは腹の底から怒りが湧き上がってくるのを感じる。

 なんて勝手なんだ。

 口をついて出そうになったのは、そんな言葉。

 しかし、思ったことをそのまま言うほどカナメは向こう見ずではない。だからこそ、カナメは怒りを抑えながら笑う。


「申し訳ありませんが。選ぶのは俺ではなく、彼女です。それは彼女達の絶対原則。貴方の主人にはお会いしたことはありませんが、真に高貴な方であれば幸運などではなく、必ず「必然」が訪れるはず。どうかそれをお待ちください」


 カナメのやんわりとした……しかし明確な拒絶の言葉に、イルコムは驚いたように目を見開く。

 断られるなどとは思っていなかった。そんな感情が目に見えて分かる。


「勿論、正しき縁が結ばれました暁には橋渡しとなった貴方にも相応の」

「貴方の主人が得るべき必然を、俺が汚すことは許されません。ご理解ください」

「断ると仰るのですね。よりにもよって、伯爵より権限を委託されこの場にいる私の要請を……。それが如何なる意味を持つか分かっていらっしゃいますか?」

「貴方の主人の栄華を願えばこそ、貴方個人の要請には従えません」


 朗々とした声でハッキリと拒絶するカナメの言葉には、一切の論理の破綻は無い。

 あくまで伯爵のことを思えばこそ従えないのだと主張するカナメに無礼と断じることもできず、他家の者達の目があることを思えば此処でこれ以上の無様を晒せば……下手をすれば、イルコム自身が断罪されることになりかねない。

 それ故に、イルコムは「……分かりました」と悔しげに答えるしかない。


「後悔、しますよ」

「しません。絶対に」


 足早に去っていくイルコムの姿に、カナメはふうと息を吐いて。

 その肩に、どっかりと誰かが腕を乗せてくる。


「よお、いい啖呵だったぜカナメ!」

「……エル。いつから見てたんだよ」


 腕を振り払えば、そこに立っていたのは満面の笑顔のエルだ。


「あ? そりゃあ、アイツがお前に声をかけようとしてた所からに決まってるだろ」

「最初っからじゃないか! なんで黙って見てたんだよ」

「なんでって。ああいうのはお前が追い払わねえと意味ねえし、俺が下手に絡んでもこじれるだけだろ。

「……そりゃ、そうだけどさ」

「大体、助けなんか必要ないくらい完璧だったぜ?」


 銅貨くらいなら投げてもいいくらいには良い見世物だったぜ、と言って笑うエルをカナメは軽く叩く。

 一言余計だからどうにもアレなのだが、エルは基本的に「良い奴」だ。

 関わるべきところでは関わり、そうでないところに突っ込むことはしない。

 その在り方は何処かアリサにも似ているが、冒険者とは皆こうなのだろうか……とカナメは思う。

 だとすると、カナメもいつか「そう」なれるのかもしれない。


「んだよ。人の顔じっと見やがって」

「……いや、エルは結構イイ奴だよなって思ってさ」

「は? 俺は史上最高にイイ男だっての」

「いや、イイ男とは言ってない」


 そんな軽口を言い合い小突きあいながら、カナメとエルは夜の街を歩き……流れる棒切れ亭へと戻って行った。

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