夜。

 夕方頃までは騒がしかった宿屋通りもすっかり静まり返り、静寂が周囲を包む。

 日が落ちるこの時間ともなれば町の外を行く者は野宿の準備を整え、余程急ぐ者以外は街の門を通る事が無い。

 つまり呼び込みが「時間の無駄」になる時間帯であり、それ故に呼び込みをしていた者達はこの時間は宿の中での業務を行う事になるのだ。

 勿論呼び込みをすれば客の一人くらい捕まえられるかもしれないが、あまりにも効率が悪い。

 従業員をそんなに遊ばせておく余裕のある宿など、そうはない。

 ……まあ、そんなわけで金のトサカ亭の周辺もシンと静まり返っている。

 具体的には隣のベッドで寝ているアリサの吐息の音が要に届くほどであるわけだが……要は、どうにも眠れずにベッドの上で身体をごろんと転がす。

 すでに蝋燭は消しているし、窓は木窓を閉めてしまっているので部屋の中は暗い。

 しかし、それでも入ってくる僅かな光と、暗さに慣れた目が部屋の中の様子を要に教えてくれる。


「……異世界、か」


 わけもわからないままにやって来た世界で迎える、二日目の夜。

 アリサに出会えていなければ、要がこうやって暢気にベッドで寝ていられたかは分からない。

 まあ、ベッドといっても硬い木のベッドであるのだが……野宿よりは大分マシだし、一文無しな要の現状を思えばアリサには感謝してもしきれない。

 そんなアリサはどうしているかといえば、暢気な寝顔で夢の中である。

 カンヌキのしっかりかかった部屋の中だからなのだろうが、実に平和な寝顔だ。

 アリサに引っ張られるままの異世界生活だが、悪くは無い。

 あの赤い夜も越え、恐れるべき未来も何も無い。

 ならばこのまま冒険者生活というのもアリなのではないだろうか。

 ……アリサは「ある程度どうにかなるまで」と言っていたが、叶うならばその先も。

 そんな事を考えながら、要はアリサの寝顔をじっと眺める。


「……ぐひゅう」


 漏れでた奇妙な寝言に「どんな夢を見ているのか」と思いつつも、要は目を瞑る。

 きっと、明日も忙しい。寝不足ですなどと言えばアリサに仕方のないものを見る目で見られてしまうのは間違いない。


「……寝よう」


 自己暗示のようにそう呟いて要は目を瞑る。

 そうすると、自分の思っていたよりも疲れていたのだろう……要の瞼は自然と重くなり、心地よい眠気が襲ってくる。

 そのまま夢の世界に要は旅立とうとし……だが、階下から聞こえてきたドアを叩くような音に目を覚ます。

 この時間だと宿屋の扉も閉めているので、そこが叩かれた音だろう。

 客にしては随分と乱暴な叩き方だが、そんなものなのだろうかと要が考えているとアリサも音に反応したのか目を覚まし起き上がる。


「……何かあったのかしら」

「何かって、客じゃないのか?」

「あんな叩き方して自警団に突き出されない奴がいるとしたら、一つしかないわ」


 アリサの言葉の意味が分からず要が首をかしげていると、下で何やら言い合う声が聞こえてくる。

 あまりよく聞こえないが、恐らくはやってきた誰かが宿の主人とやりあっているのだろう。

 やがてドカドカと重たい何かが階段を駆け上がってくる音が聞こえ……アリサがベッドの脇に置いた剣を手に取るのを見て要もベッドの下に置いた弓を引っ張り出そうとする。

 だが要が弓を取り出すその前に部屋の扉が乱暴に叩かれ、男のものと思わしき太い声が扉の向こうから響く。


「冒険者のアリサ! 我等はシュネイル騎士団である! 速やかに出てきて貰おう!」


 扉を開けようにもカンヌキが中からかかっているのでそうなるのだろう。

 乱暴に扉を叩き続ける音に、アリサは剣をベッドに置いてふうと溜息をつく。


「カナメはそこにいて。どうやら面倒事みたい」

「め、面倒事って」

「予想はつくけど。聞いてみたほうが早いね」


 そう言うと、アリサは扉を叩き返す。

 すると扉を叩く音は止み、アリサはカンヌキを外して投げ捨てるとドアを開ける。

 ドアの向こうに居たのは金属鎧で完全武装した数人の騎士で、如何にも物々しい雰囲気を漂わせている。


「……こんな時間に、わざわざ騎士様が何の御用ですか? 例の件なら自警団に伝えたはずですが」

「確かに聞いている。だが、別の報告も上がってきていてな……お前にはダンジョン秘匿と、それにより決壊を引き起こしプシェル村を壊滅に追いやった容疑がかけられている」

「なっ……!」


 騎士の言った台詞に要は驚きの声をあげる。

 ダンジョンを秘匿したのは恐らくは森で死んでいた冒険者達だし、それに加担したのはプシェル村の村長だ。

 アリサには何の関係も無いはずなのに、どうしてそんなことになるのか。


「……その男はなんだ。仲間か?」

「盗賊に荷物を奪われた、可哀想な行き倒れです。私の用事ついでに王都の知り合いとやらの所まで連れて行ってあげようとしていましたが」

「そうか」


 騎士はそう言うと、懐につけていた革袋を部屋の奥の要の方へと投げる。

 ガシャリ、ジャラリと鳴った革袋にはそれなりの量の硬貨か何かが入っているようで、しかし何故そんなことをするのか要には理解できない。


「この女はお前の帰路には同行できなくなった。かといって、これから慌しくなるこの街に留まる事も勧めん。それで旅の準備を整えて王都へ帰るといい」

「隊長、何もそこまで……大体そいつが本当に仲間じゃないかどうか」

「黙れ。なんなら貴様の財布も追加するか?」


 その一言で他の騎士達は黙り、隊長と呼ばれた騎士はアリサへと再び視線を向ける。


「お前の人道的行為に免じ、拘束はしない。大人しく騎士団まで同行願おうか」

「分かりました。でも、私は何もしていませんよ」

「それも含めて取調べを行う。来い」


 騎士達と一緒に部屋を出て行こうとするアリサを追おうと要は立ち上がり……しかし、アリサの強い視線が要の動きを止める。


「……私は大丈夫だから。でも、もし私が戻らないようなら」

「おい、早くしろ!」


 騎士に引っ張られたアリサの姿が視界から消え、扉が乱暴に閉じられる。

 どうすればいいのか。何が正解なのか。

 要には何も分からない。

 たぶん此処で暴れても、それは何にもならない。

 だが、それならどうすればいいのか?

 分からない。何も分からない。

 グチャグチャになる思考と、行き場の無い怒り。

 叫びにすらならない、整理できない感情。


「……っ!」


 無言で床を見つめる要の視界の端で……黄金の弓が、鈍く輝く。

 同時に何故か要の頭に浮かんだのは、あの怪しげな宝石商の二人組のことだった。

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