その日、空がひび割れた
パキン、と。そんな音が天から響いた。
一体何の音かと空を見上げた人々は、その光景に絶句する。
いつも通りの青空。雲が流れ、太陽が輝くそんな空に……巨大なひび割れが、出来ていた。
「な、なんだあれ……」
「空が……?」
青い空を割って覗く、黒い闇。
夜のそれよりも濃く、闇を塗り潰すように黒い。
見ているだけで不安を煽るような……そんな、黒がそこにある。
そして……その「黒」から、赤い目が現れる。
閉じた目を開くように、眠りから覚めるように。
そして誰もがこう思う……目があった、と。
そしてそれは歪む。笑うように、嗤うように、哂うように。
『ヒヒヒ……ヒハハ……ヒハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!』
「う、うわああああああ!」
「化け物、化け物だああああ!」
天より響く笑い声。魂を揺さぶるような恐怖を呼び起こすそれに、誰もが逃げ惑う。
何処に逃げればいいのかも分からない。
それは天に居て、何処にいても見られているような気がする。
アレは何だ。
アレは何なのか。
ゼルフェクト。破壊神ゼルフェクト。
歴史の彼方に忘れ去った名前が、人々の中に蘇る。
かつての戦いの再来。単なる神話の一節程度にしか思われていなかったそれが、確かな現実感を持って現れる。
だが、居ない。
自分の世界に戻ったとされる神々は、戻ってきてはいない。
その恵まれた肉体をもって最前線で戦った戦人は、居ない。
様々な知恵によって戦線を支えた魔人は、居ない。
誰もが神々の助けを求めて神殿へと殺到する。
各国は騎士団を招集するも、その騎士団も怯える者が続出している。
当然だ。
彼等は備えてこなかった。
いつかの戦いなんてものは、夢物語でしかなかった。
だから、対抗できない。
目の前に現れた絶望に、潰されそうになっている。
王国が、帝国が、連合が……混乱に陥り始めた。
……無論、一部はそうではない。
迫る絶望に正面切って抗う者達も少数ながらいる。
しかし、大多数の混乱の前では意味がない。
大きすぎるが故に、意思の統一が出来ない。
だからこそ……一つの国家が、際立った。
ルシェル聖国。聖国と呼ばれるその国だけは違った。
どの国よりも小さくて、どの国よりも備えていたその国だからこそ、聖国は違った。
「ダンジョン封鎖準備、完了しました!」
「よし、一階の掃討は続けろ! 冒険者の方はどうだ!」
「はっ、クランからの呼びかけはしておりますが……逃げ出す者も多く……!」
「フン、何処へ逃げようというのか……構わん! 戦える者だけを遊撃に組み込め!」
聖騎士団が聖国内を駆け抜け、各種の防御態勢を整え始める。
各神殿騎士団も集結し、大神殿を拠点に迎撃準備を始める。
彼等とて、恐ろしくないわけではない。
別に信仰の力というわけでもない。
ただ単純に、備えていた……ただそれだけの差に過ぎない。
そして、それが目に見えるからこそ聖国民の動揺も少なかった。
聖都から離れた場所に避難所が作られた事もあっただろう。
慣れ親しんだ場所を離れる事には不安もあったが、彼等を護衛する聖騎士団の存在が安心感を与えてもいた。
そして、彼等の頭の中には……一人の人物の事も浮かんでいた。
クランを立ち上げた一人の若者。
レクスオールの如き者という意味の名前を持つ、今一番有名な男……カナメ・ヴィルレクス。
大神殿の屋根の上で空を見上げるカナメの手には、黄金の弓。
その周囲に立つのは、四人の少女。
一人はアルハザールの力を得てしまった冒険者の少女、アリサ。
一人はラナン王国の王女にして魔法士、エリーゼ。
一人は死の神レヴェルの記録より再生されし少女、レヴェル。
一人は若きメイドナイトの少女、ルウネ。
カナメを守るように立つ少女達の目に宿るのは、決意。
この場にこそ居ないがレクスオール神殿の神官騎士達を統率するイリスもまた、大神殿に彼等を連れて集結している。
「……あれが、破壊神ゼルフェクト……なのですね」
空を見上げるエリーゼが、そう呟く。
押し潰されそうに大きな恐怖を抑えていられるのは、純粋に恋心故。
世界などという大きなものは背負えなくても、誰か一人の背中くらいは支えられると信じているから。
「強そう、です」
「強いなんてものじゃないわよ。でも、やるしかないわ」
ルウネは、メイドナイトとしてカナメを守る為。
破壊神ゼルフェクトとの戦いでどの程度役に立てるかなど分からない。
しかし、それは引く理由にもならない。
レヴェルは、その使命感故。
彼女にとって、破壊神ゼルフェクトと戦わないという選択肢は存在しない。
たとえ、その身が本物には遠く及ばぬ偽物であったとしても。
「……で、どうカナメ。出来そう?」
「たぶんいけると思う。でないと、説明がつかない」
そう、カナメ達がこの場にいるのは、たった一つの目的の為。
「ゼルフェクトをおびき寄せる……言葉にすると、恐ろしいですわね」
「そうでもないわよ。アレは間違いなくカナメを探してるもの」
エリーゼとレヴェルの会話に、カナメが頷く。
そう、ゼルフェクトが空のひび割れから出てこないのは何故か。
それは恐らく警戒からであろうと聖国は分析していた。
今地上に唯一残った、巨大な力の持ち主。
すなわち、カナメを探しているのだろうと。
故に……見つければ一目散にやってくるだろうと。
だからこそ、カナメは此処にいる。
黄金の弓を構え、天へと向ける。
「……」
その額には、一筋の汗。
これから戦う敵……破壊神ゼルフェクト。
世界の神々全てを犠牲にようやく抑え込んだソレの同類と戦うという事実は「強くなった」はずのカナメにも強い緊張を強いていた。
そんなカナメの横顔を見ながら……アリサは、悪戯っぽく笑う。
「……カナメ。まだ怖い?」
その言葉に、アリサと最初に会った日の事を思い出す。
ヴーン一匹を恐れていたあの頃。
今視線の先にいるのは、ゼルフェクト一匹……随分な違いだ。
怖いかと聞かれれば、「怖い」が答えになる。
手にあるのは、黄金の弓。
あの時と違うのは……守るべきものを、たくさん背負っている事。
だからこそ、カナメは怖い気持ちを抑え付ける。
そんなカナメの隣に立っているから、アリサは怖い気持ちを抑え付ける。
「……怖い。怖いよ」
でも、それでも。
「それでも……俺は、戦う!」
カナメから魔力が……目に見えるほどに強力な魔力が放出される。
それは世界に広がるレクスオールの魔力とも手を取り合い、更に巨大な魔力へと成長する。
……その魔力を、手に。
「
輝ける黄金の力を、手に。
「
輝ける黄金の矢を、手に。
「いくぞ、ゼルフェクト……これが最初で、最後の戦いだ!」
そして、天を貫く黄金の光が放たれる。
天を貫き、闇を貫き、その先へ。
響く咆哮と共に……ひび割れた空から、漆黒の巨神が降ってきた。
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