ノック2
「ん……んん……」
言っていることは分かるけど、何か間違ってる気がする。
しかし明確な反論は見つからない。
結果として声にならない呻きのような音を出したカナメに、イリスは「まあ、詭弁ですけどね」とアッサリと呟く。
「ええっ!?」
「だってそうでしょう? 秘密とか趣味嗜好とかそういうの以前に、着替え中とか口に出せない時とかに突入しちゃったらどうするんですか」
「く、口に出せない時って……」
「それ聞いちゃいます? ていうか言わせようとしちゃいます?」
イリスのからかいにカナメは一瞬疑問符を浮かべ……その直後に顔を赤くすると、その顔を両手で覆い「あー」と呻いてベッドに倒れるように転がってしまう。
そのまま「うー」とか「あー」とか呟いた後に「……すみません。そんなつもりじゃあ」などと呟くカナメの身体を、イリスは何度か優しく叩く。
「いいんですよ。でも、何想像したんですか? 私が言ってるのはお化粧のことなんですけど」
容赦なくトドメを刺しに来るイリスにカナメはジタバタと打ち上げられた魚か何かのようにベッドの上でのたうち回り……ゴロゴロと転がって、壁にゴンとぶつかり止まる。
「……ほんっと、違うんですよ。いや、違わないけど違うんです。ほんとすみません……」
「え、あ、いえ。そこまでのことじゃあ……」
予想以上の反応にイリスは逆にうろたえてしまう。ここまで耐性がないとは思っていなかったのだ。
なんというか……少なくとも荒事に慣れた冒険者の反応でもないし、陰湿で回りくどい嫌味に慣れた貴族の反応でもない。
一番近いとすれば、温かい環境で優しく育てられた箱入り息子といったところだろうか。
「あー、もう。仕方ないですねえ」
イリスはカナメをころころと転がすと、空いたスペースに座ってもう1度カナメをコロコロと転がす。
余程ショックだったのかされるがままのカナメの頭を自分の膝に乗せると、流石にカナメも気づいて身体を起こそうとするが……イリスはそれを力ずくで押さえつける。
「え、あ、ちょ……いたっ、いたた!?」
「大人しくしなさい」
「で、でもこれっ」
「いいですから」
所謂膝枕だが、顔を赤くしたままのカナメの頭を撫でながらイリスはふうと溜息をつく。
「色々予想外ですよ、もう。カナメさんは思ったよりずっとお子様ですし」
「す、すみません……」
「謝らなくていいですってば。私も先程はテンション上がってカナメさんにくっついちゃいましたし」
エリーゼと睨みあっていた時の事だろうと考えたカナメは苦笑し……同時にエリーゼの事を思い出して更に顔を赤くする。
その反応をじっと見ていたイリスの視線に気づいたか、カナメは「そ、そういえば!」と声をあげる。
「テンション上がったって。たぶん俺の言った事が原因ですよね?」
「恥ずかしながら。私、乱暴とか粗雑とか言われた事はあっても、おしとやかなんて言われたのは初めてでしたし」
そんな事を言うイリスの顔を見上げていたカナメは思わず「うーん」と唸ってしまう。
「そうは見えないのになあ」
カナメが無限回廊で見たイリスに対する第一印象は、「穏やかそうな美人」であった。
実際にはそうではなかったが……こうして今話をしていると、やはりアリサともエリーゼとも違う「落ち着いた大人な人」という印象を受ける。
「ふふ、ありがとうございます。私だって気にしないわけじゃないですから。努力してるんです」
「でもそれって、さっきの「余所行きの自分」になっちゃうんじゃないですか?」
「あら、カナメさんも中々言うじゃないですか」
「はは……」
微笑みながらイリスがカナメの頭を撫ぜれば、カナメは照れたように笑う。
単純に気恥ずかしいのだろうが……その素直な反応が、イリスには好ましい。
「さっき、ノックの話を詭弁とは言いましたけど」
「あ、はい」
「私の本音でもあるんですよ」
隠すことのない、互いに互いの事を知り合い認め合った関係。
違う形でありながらしっかりと一つの形になった組木細工のような、そんな幸せ。
単なる夢物語でしかないとは分かっていても、未だに捨てきれない。
「その人の全てを知る必要なんて無いのは分かってるんです。でも、知りたい。その人が「知られたら嫌われる」と思っている事にも、「そんな事はない。それも含めて好きだ」と言ってあげたい。そういう関係になりたいんです」
「……それが、知って後悔する事だったら?」
「知らずに後悔するよりはマシです。知る事で、手を取り合って先に進めるんですから」
手を取り合って、先に。
それを聞いて、カナメは思う。つまりイリスは、人間の善性を信じたがっているのだ。
綺麗な表面も、押し込め隠した汚い面も……それを全て含めて晒しあい、それでも笑いあえるような。
そんな関係を理想としているのだ。
「でも、やっぱり俺はノックしてほしいですね」
「……でしょうね」
「だって、ほら。やっぱり男ですから」
「え?」
カナメはイリスの膝から抜け出し起き上がると、ニッと笑う。
「好きな女の子が相手なら、カッコつけた所だけ見せたいんです。無敵で完璧な、そんなヒーローで居たいんですよ」
「……疲れちゃいません? それ」
イリスの言葉に、カナメは「あはは」と苦笑する。
「ええ、だから「いざ」って時に失敗してばかりで。でもやっぱり一番カッコいい自分を見てほしいから、ついカッコつけちゃうんです」
「ふーん……」
「あ、別にイリスさんがどうこうって話じゃなくて!」
カナメが慌てたように声をあげた瞬間、イリスはカナメを強く抱き寄せる。
その胸元に顔をうずめる形になったカナメは「もがっ」と声をあげ……イリスはそんなカナメの耳元で「ダメですよ、カナメさん」と窘める。
「結構真面目にキュンときちゃいました。いけない人ですね、もう」
「もががっ」
「でもまあ、許してあげます。冗談でも頭ごなしの否定でもなく真面目にこの話に返してくれたのは、カナメさんだけですから」
「もうばもっ」
意味不明な言語を発するカナメをパッと離すと、イリスはベッドから立ち上がる。
「頑張るのはいいですけど、無茶もダメですよ。考えすぎもダメです。本番は明日なんですからね?」
そう言ってイリスは部屋の隅に積まれた矢の山に目を向け……そのまま身をひるがえす。
「それでは、また明日。疲れを残さないようにしてくださいね?」
「は、はあ。おやすみなさい」
「ええ、おやすみなさい」
イリスが去ったその後、カナメはなんとなく自分の両頬に触れ……ハッとしたように両頬を軽く叩くと残り少なくなった鱗を手に握る。
「……本番は明日、か」
そう、本番は明日。その為に、今カナメに出来る事を。
悩むのはきっと、それからいくらでも出来るのだから。
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