ミーズの町2

「ちょ……ちょっと貴女、何をなさってるの!?」

「え、え!?」


 カナメに背後から抱き着いているのは、どうやら女のようであった。

 切りそろえられた金の髪と、深い海のような青の目。

 感極まったような様子でカナメに抱き着くその姿は、まるで離れ離れになった恋人が再び出会ったような喜びに満ちていて。

 深い森のような緑色の神官服は、女がレクスオール神殿の関係者であることを雄弁に伝えてくる。


「その服……レクスオール神殿の神官騎士……?」

「なんだ、イリスじゃないですか。何してるんですか?」

「え、知り合いですか!?」

「妹です」


 アリサにシュルトはアッサリとそう答えるが、肝心の女……イリスからは全く反応がない。

 カナメを抱きしめたまま離さず、なんとか引き剥がそうとするエリーゼを全く意にも介していない。


「こ、この! カナメ様から離れなさ……ああ、もう! カナメ様もいつまでそうしてらっしゃるんですの!?」

「え!? いや、この人物凄いガッチリホールドしてて腕が全く動かないんだけど!」


 カナメなりに抵抗はしているのだが……力が相当強いのかなんなのか、ビクともしない。

 エリーゼからの視線は痛いし、アリサは助けてくれる様子もない。

 どうしたものかと原因不明の焦りに襲われながらカナメは「えっと、あー……そろそろ離してくれませんか!?」と口にして。

 すると今までのガッチリホールドはどこへやら、イリスはあっさりとカナメを離してくれる。


「うわ……っと」

「これは……私としたことが、はしたない真似を。お詫びいたします」


 振り向いたカナメの視界に映るのは、夢で……いや、無限回廊で見た「あの」少女。

 穏やかそうな顔をほんのりと赤く染めた少女の姿は、間違いなくカナメが見たものと同じだ。


「え、えーと……」

「そこの愚兄が言ってしまいましたが、イリスと申します。お察しの通り、レクスオールに仕える神官騎士です」

「愚兄……」

「仲悪いんですか?」

「まあ、少々方向性の違いが」


 ははは、と笑うシュルトにアリサは「そうですか……」と呟く。

 

「えーと。私はアリサです。その神官騎士様が、どうしてカナメに?」

「カナメ様、ですか。それが世を忍ぶ仮の名前というわけですね」

「え……っと?」


 アリサは困ったようにカナメに視線を向けるが、カナメとしても意味が分からない。

 カナメはカナメだし、別に世を忍んだつもりもない。


「あ、ひょっとして……誰かと勘違いを?」


 カナメが困ったようにそう問いかけると、イリスは真面目な顔になってシュルトの眼前へ歩いていく。

 そうしてシュルトの耳近くに口を寄せると、ひそひそと囁き始める。


「ちょっと兄さん。まさかとは思うけど兄さんの仕込みじゃないでしょうね」

「ははは、僕をなんだと思ってるんですか? まあ、カゼイムの奴ならやるかもしれませんけど」

「じゃあ、あれは……」

「何処かの紐付きってわけではなさそうですよ。だからといって「そう」とは限りませんが」

「む……」


 二人の会話は聞こえているものの、どういう意味かはカナメには理解できない。

 カナメの近くにやってきたアリサに答えを求めるように視線を投げかけても、アリサもまた肩をすくめるだけだ。


「……どうしますの、アリサ。なんだか妙な雰囲気ですわよ」

「カナメに執着してるとは思ってたけど……何か予想以上に面倒な臭いがするね。このまま逃げちゃおっか?」

「あ、待ってください!」


 アリサ達の雰囲気を感じ取ったか、シュルトが慌てたような声をあげる。


「いえ、兄妹の語らいを邪魔するのも野暮ですし。私達は今すぐ退散しようかと……」

「いえいえ、大したことではありませんとも!」

「大したことでしょう、兄さん!」


 イリスはシュルトをぐいと押して遠ざけると、早足でカナメの前に立つ。

 カナメと同じ程度の身長のイリスは、カナメを正面からじっと覗き込む。

 その真剣な瞳にカナメはたじろぎそうになり……しかし、その要の頭をイリスが掴んで目をそらすことさえ許さない。


「カナメさん、でしたね」

「は、はい」

「私の質問に正直に答えてくださいますか」

「え……っと。質問にもよるかなあ、と」

「嘘さえつかなければ結構です」


 流石に色々と答えたら不味そうなこともあるにはあるが、この世界に来てからのカナメは悪いことなど何一つしてはいない。

 ……が、答えてはいけなさそうな事の方が多すぎてカナメは挙動不審になりそうになる。


「では、問います。貴方のその弓……どうやって手に入れたのですか?」

「え? えーと……偶然手に入れる機会がありまして」


 嘘ではない。

 本当に偶然だし、「どうやったのか」と言われても答えようがない。

 イリスはカナメの答えに何も反応を示さず、じっとカナメの目を覗き込み……やがて「分かりました」と口にする。


「では、問います。その偶然とは、誰か別の人間から「貰った」、あるいは「譲り受けた」や「貸し与えられた」に相当する事象ですか?」

「……違います」


 これも嘘ではない。

 弓を手に入れた経緯については、あえて言うのであれば「レクスオールから借りた」のかもしれない。

 しかしレクスオールが貸すと言ったわけでもなければ、アリサの話から考えればレクスオールの弓とはそもそも形が違う。


「そう、ですか」


 イリスは再度静かに頷くと……「これが最後の質問です」と前置きする。


「では、問います。貴方は……人間ですか?」

「はい」


 何を疑われているのかは分からない。

 だが、カナメは確かに人間だ。だからこそカナメはそう答え……イリスは黙ってカナメの顔を見つめ……やがて、カナメから手を離す。


「……少し、お話をしたく思います。この町のレクスオール神殿まで一緒に来ていただけますか?」


 言いながらも、イリスの手はカナメの手をしっかりと掴んでいて。

 絶対離すまいという意思の感じられるその手の力に、カナメは「はい」と答える以外に選択肢がなかった。

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