金の粉雪亭
金の粉雪亭。
そんな名前の宿屋であるその建物は二階建で、入口には「満室」という札がかかっていた。
余計な客を呼び込まないようにという配慮なのだろうか、周辺の宿にも同じような札がかかっているのが見えて。
「……おや?」
ドアに手をかけようとしたラファエラの手が、ピタリと止まり……背後に立つカナメへと振り返る。
手招きをするラファエラにカナメは何事かと近づくが……その瞬間、何かを叩くガン、という大きな音が中から聞こえてくる。
「この宿にここ最近、一人しか出入りしてねえってのはネタがあがってんだ!」
「そいつと交渉させろってだけの話だろうがよ! ええ!?」
聞こえてくる声は、宿泊希望者なのだろうか。
随分と荒れているが……まあ、宿を一人が占拠しているのが気にくわない連中なのだろう。
その気持ちは分からないでもないのだが、ああいう居丈高な態度はどうなのだろう?
ともかく事情をなんとなく察したカナメを見て、ラファエラはニヤリと笑いカナメの腕を掴む。
「出番だぜ、ヒーロー」
「出番って……うわっ!」
扉を開けたラファエラに問答無用で腕を引っ張られ、カナメは建物内に押し込まれる。
その大きな音に気付いたのだろう、宿の中に居た全員がカナメへと視線を向ける。
カウンターの向こうに立つのは気の弱そうな男……恐らく店主だろう。
カウンターを挟んだ手前にいるのは、三人の男。
どの男も皆厳つい顔をしているが……使い込まれた金属鎧を纏っている。
どう見ても冒険者だが、荷物袋がないのは何処かに別の仲間や拠点などがある可能性を示唆している。
……まあ、先程の話を聞く限り野宿だろうから、多々同情すべき点はあるのだが。
ちらりと背後を振り返れば、扉はすでに閉められていてラファエラの姿はない。
カナメの裁量でこの場を収めろということなのだろうが、どうにも気乗りしない。
「なんだテメエは!」
「見て分かんねえのか、取り込み中だよ。出てけ!」
「あー……なんとなく事情は分かりますけど。そう熱くならず、冷静になられてみては。ここは一旦引いて、空いたら連絡を貰うっていう方法もあるわけですし」
いわゆるキャンセル待ちというやつだ。
どうせダンジョンに潜るのだから、いざとなれば全部荷物を持っていくという方法だってあるはずだ。
それ目的で来ている以上、そうやってチャンスを待つのも良いのではないかとカナメは思うのだが……。
「はあ!? 余計な口出しすんじゃねえよ、何様だテメエ!」
「ナメてっとブチのめすぞアホが!」
完全にヒートアップしてしまっているらしい男達には、カナメの言う事を検討するという選択肢すらないらしい。
だからといって問答無用で彼等をブチのめし黙らせる、という選択肢などあるはずもない。
そんな事をすれば、ならず者の称号はカナメに授与されることになる。
どうしたものかとカナメが笑顔のまま悩んでいると、男の一人が「ん……?」と声をあげる。
「そういや、此処に出入りしてる奴ってのは、ここらじゃちょっと見ねえ珍しい奴って話じゃなかったか?」
「……だな。あの格好……この辺じゃ見ねえ仕立てだ」
「あの弓もだぜ。ちょっとした魔法の品か……ひょっとすると」
何かを囁き合った男達の視線は途端に凶悪な……獲物を見つけた獣のような目になり、カナメへとにじり寄る。
「そうかあ。テメエか、ここをずっと貸し切ってるっつー大富豪様は、よ」
「早速だけどよ、部屋を空けてくれや」
「つーか出てけ。なんなら迷惑料くれたっていいんだぜ」
凄み始める男達だが、カナメはそれに小さな溜息で返す。
「いや、それは通らないでしょう。代金を払って契約が済んでいる以上、此処は契約した者の拠点です。勿論交渉するのは自由ですが、貴方達のそれはまともな交渉とは思えません」
「ああ!? 交渉したくなるようにしてやったっていいんだぞ!?」
そう言って男の一人がカナメの胸倉を掴むが、カナメの表情は変わらない。
それが気に入らなかったのだろう、男の口調はヒートアップする。
「いざとなりゃ自警団が来ると思ってんだろうがなあ、バレねえようにする方法なんざいくらだってあるんだ……ぜ!」
言いながら、男は胸倉を掴んでいた手を放しカナメの腹へと拳を突き入れる。
無様に身体を折り膝をつく姿を夢想し……しかし、カナメは「いって……」と僅かに顔をしかめるだけに留まっている。
「おいおいラッセル。手加減か?」
「え? あ、いや……おう……」
結構本気でやったはずだ。そりゃ「殺す気」こそ無かったが、ラッセルは悶絶して吐く程度には殴ったはずなのだ。
腹に何か仕込んでいた感触もない。だから、痛いなどと僅かに呻かせただけの結果にラッセルは疑問符を浮かべて。
「……今度は暴力か。ああ、もう。敬語とかいいや。馬鹿みたいだ」
その瞬間、カナメは「穏便にすませよう」という考えを投げ捨てる。
以前アリサが他の冒険者の股間を問答無用で蹴りぬいた事があったが……つまり、こういうことなのだ。
言葉では解決しない。同じ言葉を話していても、それが解決の手段にはならないのだ。
「相手が自分より弱い」と思えば、絶対に引かない。そういう者は、確かに存在する。
だから。そういう相手には、レクスオール神殿流に対処するしかない。
カナメは姿勢を低くし、拳を握る。
その姿とカナメの変化した雰囲気に、しかし男達はニヤニヤ笑いを浮かべる。
荒事になるのであれば、むしろ男達の独壇場。たっぷりと慰謝料も絞ってやれる。
そう考え、まずはラッセルと呼ばれていた男が余裕の表情で近づいて。
「げっ……ぼえっ」
腹に突き入れられた拳の痛みに、ガクガクと震えながら膝を折る。
吐くまではいかないものの、ぐるんと白目を向き……そのまま、突っ伏すように倒れ込む。
「んなっ……おいラッセル!?」
たった一撃で気絶してしまった仲間を見て、残った男二人が慌てたような声をあげる。
まさか、そんな馬鹿な。
そういう気持ちで一杯なのも仕方ないだろう。
だが、カナメからすれば当然だ。僅かな期間とはいえ、素手で大槌の如き打撃を繰り出してくるレクスオール神殿の神官騎士達と訓練をしたのは伊達ではない。
そこまでの域には至らずとも、カナメの近接戦闘能力は大幅に上がっている。
油断で隙だらけの「普通の大男」など、敵になるはずもない。
「テメエ……! もう引けねえぞ!」
「腕の一本くらい覚悟できてんだろうな……!」
腰の武器に手をかける男達を睨みつけながら、カナメは黄金弓を手に握る。
「ハッ、この距離で弓なんざ!」
そう叫んで剣を抜いた男の胸元には、鉄色の矢。
神速と呼ぶに相応しい射撃は「たかが弓」を侮った男の胸元にその矢を届かせて。
瞬間、巨大な鉄輪に変化し男を締め上げる。
初めて見るその矢に困惑するしか無かったもう一人の男も、すぐに同じように拘束されて……一対三という不利にしか思えない争いは、こうしてカナメの圧勝で終わったのだった。
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