流れる棒きれ亭
レクスオール神殿からかなり離れた閑静な場所にあるヴェラール神殿。
そこかしこにキッチリとした恰好をした男女が立っているその周辺の一角に、「流れる棒きれ亭」はあった。
古びた石造りの建物は二階建てで、元は何か別の店舗であったのかショウウインドウか何かを改装したと思われる大きな窓が印象的であった。
古いアンティークのような濃茶色の分厚い木のドアを開けると、ふんわりとハーブの香りが漂ってくる。
店内は思ったよりは狭く、どうやら一階部分の半分ほどを店舗として使っているようだった。
置かれた木の机や椅子はどれも綺麗に整えられてはいるが、何処にも客の姿はない。
奥のカウンターにはキッチリとした服を着こんだ老齢の男が立っていて、穏やかな顔でグラスを磨いているのが見える。
「おや、いらっしゃいませ」
「えっと……ダルキン、さん?」
「ええ」
答えるダルキンのボサついていた髪はしっかりとしたオールバックに整えられ、着込んだ服には皺一つない。
というよりも、その姿は誰かに似ている。
一体誰だったかとカナメは思案し……即座に背後にいるハインツへと振り返る。
再度ダルキンへと視線を向けると、なるほど。大分印象は違うがダルキンの姿は執事そのものだ。
「執事喫茶……?」
「なにそれ」
「えっと……」
興味を示すアリサにどう説明したものかと思っていると、いつの間にか居なくなっていたルウネがメイド服を纏って奥から出てくるのが見える。
「お、似合うじゃんルウネちゃん!」
「ども」
感心したようにそう言うエルに答えながら、ルウネはカナメの前まで歩いてくる。
眼前で止まりスカートの裾を軽くつまむと、ルウネは軽い会釈をして。
キョトンとしていたカナメはしかし、すぐに思い出したように「あっ」と呟く。
「うん、可愛いよ」
「ありがとう、ございます」
少しだけ照れたようにルウネが微笑むと、エルが不満そうにカナメの肩に腕を乗せてくる。
「ちょ、重い」
「俺の心の方が重いっつーの。俺もお前みたいに無差別にモテたい」
「無差別って……いやモテ、って」
「ハハハ。まあ、女性は「軽さ」には敏感ですからな。それより、その荷物は? 宿はとれませんでしたかな」
「とれなかった。それと、レクスオール神殿でひと悶着あった」
「ふむ」
グラスを磨いていたダルキンはルウネに頷くと、磨き終わったグラスをカウンターにそっと置く。
「ならば、うちの二階を使われると宜しい。一昔前までは宿として使っておりましたからな」
「えっ……いいんですか?」
「そのつもりでルウネも連れてきたのでしょうしな。代金は食事なしで一人につき、一日銀貨二枚。四部屋ありますので、そうですな……男女でわかれて二部屋ずつ使えばよろしい」
相場を知らずとも安いと思える価格にエルが「うおっ」と声をあげるが、アリサは逆に不審そうな顔を向ける。
「本当にいいの? レクスオール神殿とトラブってんだよ?」
「別にレクスオール神殿が正義の基準というわけではありますまい」
「そりゃそうだけど」
「ならば好意は素直に受けておくべきものです、聡いお嬢さん。疑うのは大事ですが、疑り深いのは少々可愛くないと思われがちなものです」
「……あっそう」
どうでもいい話に持っていかれたアリサは即座にやる気をなくして適当な返答をするが、ダルキンはそれに穏やかな笑顔で応える。
「うん、引き際もいいですな。若者はこういう時に余計な捨て台詞を吐きがちですが、それをしないのも実にいい」
「そりゃ経験からの言葉?
「ええ。色々聞きましたが、どれも見事に見苦しかったものです」
穏やかに……しかし、ちっとも穏やかではない台詞を吐きながらダルキンは人数分のカップをカウンターに並べ始める。
「さあ、部屋に荷物を置いてこられると良いでしょう。その間にお茶の準備をしておきます」
「階段は。カウンターの、奥です」
「行こっか、カナメ」
言いながらアリサはカウンターにお金の詰まった袋を置き、カナメの手を引いてダルキンの横をすり抜ける。
「んじゃ俺も。とりあえず未定だから帝国金貨で二枚くらい置いとくぜ、爺さん」
「あまり帝国金貨はお勧めできませんな」
「別にいいじゃんかよ……」
エルが金貨をカウンターに置くとダルキンは素早くそれを回収し、更にエリーゼとハインツがその後に続く。
そうして全員が上って行った後にはイリスだけがそこに残り……ダルキンはその姿をチラリと見ると小さく息をふうと吐く。
「どうされましたかな、神官騎士のお嬢さん」
「……本当に分かっているのですか? 一時的とはいえ、私達は今レクスオール神殿とトラブルを抱えているのですよ?」
「そうですな。かなり厄介そうだ」
神官、ではなく神殿、と言う意味。
個人ではなくレクスオール神殿という組織を相手にトラブルがあるという意味だ。
言うまでもなく極上の厄介ごとであり、普通は関わり合いになりたいなどとは考えない。
むしろ、客商売であれば追い払われる事も覚悟しなければならない。
だというのに、ダルキンはそれをすべて承知の上で何事もなかったかのように受け入れているのだ。
「厄介ごとの内容は、大体想像がつきます。解決の目途は?」
「……神官長が帰ってきてくだされば」
「ヴェラール神殿宛ての紹介状を書いておきます。それで多少緩和されるでしょう」
「神殿宛て……って。え!?」
「なに、今の神殿長様とは茶飲み友達でしてな。この場所で商売をしていれば、そういう付き合いもあるものですとも」
そう言うと、ダルキンはニヤリと茶目っ気を込めた笑みを浮かべてみせた。
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