これからの話

 面倒見てあげる。

 その言葉に要はほっとすると同時に、少しばかり情けない気分にもなる。

 現状ではアリサにすがるしかないのも事実だが、その事実が自分の情けなさを浮き彫りにするのだ。


「どうかな?」

「え……っと」


 だがこの世界で生きる方法に関しては、この世界の住人であるアリサの方が大先輩。

 そこに「情けなさ」を感じるのが間違っているのだと要は思いなおし……黙ってこちらの返事を待ってくれているアリサに要は首を縦に振って頷く。


「よ、よろしく。足手まといだとは思うけど」

「そんなの込みで誘ってるんだから、余計な事言わない。「口の軽い奴は財布も軽い」ってよく言うでしょ?」

「し、知らないけど」

「なら「口と門は開かないから価値がある」でもいいよ。余計な口は自分の価値を下げるだけだよ」


 そう言うと、アリサは立ち上がって袋の口を開け……その中から鞘に入った一振りのナイフを掴み出すと、鞘から半分ほど引き抜き眺め始める。

 そうして頷き鞘に再び収めると、それを要に投げて寄越してくる。


「う、わわっ!?」

「まあ、高くはないけど安物でもないから。一応それ持ってて」

「え。も、持っててって……」

「いざというときは使えって事。さっきヴーンがいたのは見たでしょ?」


 ヴーン……と言われて要は何のことだろうと一瞬悩み、すぐにさっきの虫妖精の事だと気付く。


「あの虫妖精、そういう名前なんだ」

「よぉせぇぇぇー? 本物が聞いたら怒るよ、それ」


 本物がいるんだ、という要の言葉が口から出る前に、要の目の前にアリサの指が突きつけられる。


「いい、カナメ。あれはヴーンっていうモンスターの一種。モンスターについては説明必要?」

「えっと……人を襲う化け物って意味でいいのかな」


 要がモンスターと聞いて思いつくのはゴブリンとかスライムとかだが、先程の虫妖精……ヴーンは相当に怖い見た目をしていた。あれが人を襲うと言われても、何の疑問も無く納得できるだろう。


「大体あってる。そもそもモンスターっていうのはダンジョンに生息してる生き物なの。ちなみに私の今回の仕事もソレ絡みなんだけど……まあ、とりあえずヴーンに関して覚えておくべき事は一つかな」


 そう言うと、アリサは腰の剣に手をかけカチャリと鳴らす。

 要を守るような立ち位置と、辺りを探るような視線。

 そんなアリサの様子に、要は緊張し思わず息を呑む。


「ヴーンの誘いは死の誘い。連中は臆病だから、一匹か二匹で行動するなんて事は基本的に有り得ない。もしそんな連中がこちらを引き寄せるような誘いをしてきた場合は、絶対に深追いしない事。何故なら……」


 ブーン……と。そんな振動音のような……あるいは虫の羽音のようなものが聞こえてくる。

 それも一つではない。一つ、二つ、三つ……幾つかの音が重なるような、そんな不快な重奏。

 同時に聞こえてくる、ギチギチと何かを噛みあわせるような音。

 気付けば、先程ヴーンが逃げていった先に先程のものと同じかはどうか分からないが二体のヴーンの姿がある。

 更にはそこから少し離れて、木々の中に隠れるように浮いているヴーンが一匹。


「深追いした先には、連中の狩場が待っている。連中は最低でも五匹で行動する……待ち構えたヴーンにきっつい不意打ち喰らって死んだ奴は、一人や二人じゃないからね」

 

 冗談を言うかのような軽い口調で言うと、アリサは剣を一気に引き抜く。

 涼やかな音を立てて抜かれた剣は鈍く……しかしよく磨かれた鉄色の輝きを放つ。


「ギャアアアアアア!」

「ギャア、ギャアア!」

「ギャギャアアア!」


 まるで悲鳴か何かのような絶叫を響かせて飛来する一匹のヴーンと、更にそれに遅れて飛来する二匹のブーン。

 その悲鳴のような声と大きな羽音はビリビリという振動のようなものを要に伝え、「殺される」という恐怖に似た感情を要に呼び起こす。

 だがそれは手の中のナイフの存在を強く意識させ、「戦わなきゃ」という感情をも呼び起こす。

 要はナイフを引き抜こうとしながら……しかし「戦わなきゃ」という感情と裏腹に振るえる手はナイフをカチャカチャと鳴らすばかりで一向に鞘から引き抜くことが出来ない。


「う、うわわ……」


 おかしい、と要は思う。

 こんなに引き抜こうとしているのに、ナイフが全く鞘から抜けないのだ。

 何が、何が悪いのか。

 安全装置。いや、そんなものがナイフにあるものか。

 何か、何か抜けない原因が。

 迫る先頭のヴーンの顔面が、煌く銀光と共に斜めに断ち切られて。


「落ち着いて、カナメ」


 緑色の体液を溢れさせながら転がる仲間の死体の上を飛び、残りのヴーン二体が迫る。


「ギャアアアアア!」

「ギャ、ギャアア!」


 どんどん強く大きくなる不快な声と羽音は他を掻き消すほどに五月蝿く……しかし、その中でもアリサの声は更に強く響く。

 まるで他の全ての音がアリサの声の前に跪くかのように、しっかりと。

 それは勿論錯覚に過ぎないが……それでも、要の震えを僅かに止めた。


「私がいる。だから、怖くない」


 煌く「斬」の二連撃。それは二体のヴーンを切り裂き地面へと叩き落し、まだ動いていた一体をアリサの足が蹴り飛ばす。

 

「ギャアアアア!」

「アアアギャアア!」


 その隙を狙っていたのか。

 それとも、もっと仲間が時間を稼ぎ挟み撃ちにするつもりだったのか。

 丁度反対側の木陰から襲い来るのは、二匹のヴーン。

 一体は高く、一体は低く。

 恐らくはそうすればアリサの剣から逃れられるという思考なのだろう。

 

「よく見て、カナメ。こいつらは突っ込んでくるだけ。それしか能が無いの。だから不必要に大きな音や声で威嚇する。だから」


 突き出されたアリサの剣に、ヴーンが突き刺さる。

 不気味な串刺しのようになったそれをアリサは振り下ろし、すっぽ抜けたヴーンの死骸が低空から迫っていたヴーンに叩き付けられる。


「ギャアアアッ!?」


 仲間の死骸を叩き付けられたヴーンは地面に落ちて転がり、それでも何とか舞い上がる。


「こうなるってわけ。ほら、残り一匹はカナメの仕事。それとも、まだ怖い?」


 怖いかと聞かれれば、「怖い」が答えになる。

 手にあるのは、ナイフ一本。

 もしあの鋭い牙の並んだ口に噛み付かれたらと思うと、震えが止まらなくなりそうになる。

 それでも、要はナイフを抜いて……浮遊するヴーンに向けて、震える手で構える。


「……怖い。怖いよ」


 手も足も震えて、心臓もバクバクと鳴っている。

 殺すとか殺されるとかなんて、考えた事も無く生きてきた。

 殺さなきゃ殺されるからって、そんな簡単に覚悟なんて決まらない。

 泣きそうになりながらも、それでも要は必死でナイフを構える。


「わあああああああああああああああああ!」

「ギャアアアアアアアアアアアアアアアア!」


 恐らく傍目に見れば相当にかっこ悪いであろう走り方で、要は走る。

 ナイフを構えて、体液を散らしながら飛来するヴーンへと迫る。

 青緑色に光るテラテラとした身体は気味が悪いし、2つの複眼と奇妙な形の牙の生えた口のある顔は実に恐ろしげだ。

 だが、それでも……あの赤いドラゴンに比べれば。


「あああああああああ!」


 ナイフが、ヴーンの顔面に突き刺さる。

 二つの複眼の間、人間でいえば眉間。

 突き刺さったナイフは浅く、しかし要はそのまま力を込めてナイフを「下」へと振り下ろす。


「ギャ……ッッ」


 顔面を裂かれたヴーンの身体は勢いで地面へと叩きつけられ、そのまま何かが折れる音がして動かなくなる。

 人間でいえば「首が折れた」とでも表現するべきだろうが……虫のようなヴーンにその表現があっているのかは、要には分からない。


「おつかれ、カナメ」


 ヴーンの……この世界で初めて殺した「モンスター」の死骸を見下ろしながら荒い息を吐く要の肩を、アリサがポンと叩く。


「どう、気分は」

「……泣きそうだし、吐きそうだ」

「そ。なら才能ありそうね」


 怖い、と思えるのは才能だ。

 それを持たない者は、命をかける職業には徹底的に向いていない。

 仲間に依存して気だけ大きくなるようでも、大成しない。


「ま、こんなとこでヴーンと戦ってもお金にならないから嫌なんだけど……カナメの練習には丁度よかったかな。これも貸しだよ、カナメ」


 そう言って剣を鞘に収めるアリサに、要は力なく笑って答えるしかなかった。

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