月夜3

 そっと肩に触れるエリーゼの手の感触に、カナメはいつもとは違う何かを感じてピクッと震える。

 上手く言えないのだが……なんだかエリーゼがいつもより色っぽいような、そんな気がするのだ。

 外見だけで言えばさっき見た寝間着姿と大して変わらないようで、しかし確実に「何か」が違う。

 そんな焦燥にも似た何かを感じたカナメはエリーゼの「違うところ」を探そうとエリーゼをじっくりと眺め……「寝間着姿の女の子が自分と同じ部屋にいる」という事実に今更ドキドキし始めてしまう。


「え、えっと……あ、そういえば髪がなんだか綺麗になってるような!」

「ええ、綺麗にしてきましたの」

「あー、だからかあ……」


 エリーゼの視線になんとなく耐えられなくなってきたカナメは床に置いた袋からドラゴンの鱗を取り出そうとして手を伸ばし……しかし、自分の肩に伸し掛かってきたエリーゼの重みに思わず動きを止める。


「カナメ様の為ですのよ?」

「う……ぇお」


 思わず変な声を漏らしてしまうカナメだが、仕方がない。

 なにしろ、こんな事態に耐性が全くないのだ。

 しかも……エリーゼは正直に言って美少女だ。どうして自分を好いてくれるのか分らない程だとカナメは思っている。

 そんな子にこんな事を言われてしまって、カナメに気の利いたセリフが言えようはずもない。

 すでに「何を言えば正解なのだろう」の自問自答でカナメの頭の中は爆発寸前だ。


「カナメ様?」

「え、えうっ!?」


 顔を真っ赤にして呂律が回らなくなっているカナメを見て、エリーゼは目を丸くした後……「ぷふっ」と噴き出すようにして笑いだす。


「え、うえ!? にゃ、なんだよ!?」

「ふふ、ふふふ……だ、だって! カナメ様ったら、可愛いんですもの!」

「か、かかか……可愛いって!」

「もう、私がカナメ様にそういう風にして貰おうと思ってましたのに……台無しですわ!」


 エリーゼはそう言うと、胸元から青い宝石のペンダントを取り出してみせる。

 なんとか反撃の糸口を掴めないかと思っていたカナメはしかし、そのペンダントに気づき「あれっ」と声をあげる。


「それって確かハインツさんが……?」

「これは、今日カナメ様にお渡ししようと思ってたんですの」

「俺に?」


 もっとよく見てみようかと手を伸ばしたカナメだが、その手が届く寸前でエリーゼは再びペンダントを胸元に入れてしまう。


「あっ」

「でも、今夜はやめておきますわ」

「な、なんでさ?」


 流石にエリーゼの胸元に手を突っ込むわけにもいかないカナメの手は宙を彷徨うが、その手をエリーゼがギュッと握るとカナメの顔は再び真っ赤に染まる。


「これをお渡しするということは、私の全てをカナメ様に知っていただくということですもの」

「え、ええっ!?」

「先延ばしにしても良いことは無いと知ってはいますが……私も覚悟が決まりませんの」


 話すことで、エリーゼは楽になれるのかもしれない。

 だがカナメはどうなのか。

 エリーゼの話を聞くことで、カナメはどう思うのか。

 それが、明日の戦いに影響しないと言い切れるのか。

 それでカナメが致命的な怪我を負いでもしたら……。

 いや……それ以前にカナメに嫌われてしまったら、エリーゼはどうすればいいのか。

 まともに戦うどころか、逃げ出したくなってしまうのではないだろうか。

 そんな事はしたくない。だが……そんな感情を抱えて戦えるような覚悟は、エリーゼにはない。

 だから、せめて。


「明日からの戦いが終わったら。そうしたら……私の話を聞いてくださいますか?」

「え!? え、うん。話ね。ああ、聞くよ」


 カナメが少々怪しい様子を見せながらも答えると、エリーゼは「えいっ」と小さく叫んでカナメに抱き着くようにして圧し掛かる。

 気がそぞろになっていたカナメは不意を突かれたような形になってベッドに倒れこむが、起き上がろうにもすぐそこにはエリーゼの顔がある。

 形だけ……というか事実だけ見ればエリーゼに押し倒された格好だが、そのままカナメに身体を預けるように重ねるエリーゼの顔は赤く……その薄い唇が、微かに動く。


「……でも、一つだけ」

「え、エリーゼ……?」


 手は動くが、エリーゼを抱きしめるにはカナメには思い切りが足りず……結果として動くに動けない。

 視線はエリーゼから離せず、心臓は破裂しそうな程に鼓動を速めている。


「大好きですわ、カナメ様。私が今までお会いした、どの方よりもずっと」

「お、れは」


 どう答えようとしているのか。

 どんな言葉を紡ごうとしているのか。

 カナメの口はカナメ自身感情を処理できぬままに言葉を紡ごうとして。


「おーい、カナメ。矢って出来たの? ちょっと見せ……」


 ノックも無しにドアを開けたアリサは、そこで動きを停止し……「カナメを押し倒すエリーゼ」の構図を見て、気まずそうに目を逸らす。


「えっと……なんていうか、ごめん。気が利かなかったね」

「え!? ちょ、アリサ!?」

「誤解ですわよ!? これはそのっ!」

「うん、分かってる。私は何も見てないしカナメが集中してるから近づくなって言っとくから」

「何も分かってないじゃありませんの! あ、こら!」


 扉を閉めて何処かへ行くアリサを追いかけようとエリーゼは立ち上がり……そこで立ち止まって、顔を赤くしたままポツリと呟く。


「……えっと。戦いが終わったら。そうしたら、もう一度お話ししましょう、カナメ様」

「あ、ああ」

「では、アリサの誤解を解いて参りますわ!」


 待ちなさい、と叫んで廊下を駆けていくエリーゼの足音を聞きながら、カナメは苦笑し……胸元を抑えながら「ヤバかった……」と呟き顔を真っ青にする。


「ほんっとヤバかった……今、完全に雰囲気だけで返事しようとしてたぞ俺。流石に最低すぎだろソレは……」


 エリーゼの事は嫌いではない。

 好きか嫌いかでいえばむしろ好きだし、そういう関係になれたら幸せだろう。

 だが、こういうのは大切な問題だとカナメは思っている。

 その場の雰囲気だけでどうこうという軽い事だけはしたくない。

 だからこそ、しっかりと考えなければいけないのだが……。


「あ、なんかまた顔火照ってきた……」


 とりあえず気持ちを落ち着ける為、カナメはドラゴンの鱗を取り出して「矢作成クレスタ」と唱えるのだった。

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