ダンジョンへ出発

 そして、朝食後。

 しっかりと準備確認を済ませれば、後は出発するだけ。


「じゃあ、行ってくる」

「はいよ、いってらっしゃーい」

「行ってらっしゃいませ、カナメ様」

「頑張ってきてくださいね」

「ファイトです」


 様々な声援を受けながら、カナメとエルは流れる棒きれ亭を出る。

 今日は良い天気で、空を飛ぶ鳥もどことなく気持ちよさそうだ。

 まだ町が動き始めるには少し早く、しかしいくらかの住人は忙しそうに動き始めていた。


「なあ、エル」

「んー?」

「この街のダンジョンってさ、どの辺りにあるんだ?」

「結構端っこのほうだぜ。この街じゃ一番でかい宿屋のほうかな?」

「え、危なくないのか」


 何かあれば……具体的には決壊が起こるようなことがあれば、真っ先に危険になる場所という意味であり、そんな場所に宿屋があるというのは、どう考えても危険である。

 だが、そんなカナメにエルは「何言ってんだ」と返してくる。


「だからこそ、だろうがよ。そこに泊まるのはダンジョン目当ての奴ばっかりだ。むしろ何かあった時に戦力として即使えるようにそんな所に宿屋があるんだよ」

「え、てことは……国営なのか?」

「おう。つーか聖国の店はどれもこれも国が色々管理してるらしいぜ?」


 そういえば確かに、聖国の一般国民は「特別に認められた」人達だとアリサに聞いていたな……とカナメは思い出す。

 それはつまり、お店の場合には「そのお店が必要である」と認められたという事だろうから、聖国が管理しているのも当然といえば当然だろうか。

 ダルキンが旅をしている間にセラト神官長が流れる棒きれ亭を管理していたのも、ひょっとするとその辺りの関係もあるかもしれなかった。


「言ってみりゃ娼館も何処かの神殿預かりってわけだ」

「ふーん……」


 相槌を打った後に、カナメはエルの台詞を反芻し「えっ」と声をあげる。

 娼館。聖国にはないであろうと思っていたカナメの脳に、その言葉が反響する。


「え、娼館って……その、あれだろ」

「お、興味あんのか?」

「そ、そうじゃなくて! こういう国にあったらいけないもんじゃないのか!?」


 カナメの言葉にエルは、きょとんとした顔を返す。


「何言ってんだ。娼館があっちゃいけない国なんて、あるわけねーだろ」

「え? で、でも。こういう国って禁欲とかを良しとするんじゃ」

「そりゃ、過度な欲は禁じられてるらしいけどよ。禁欲なんて人間にゃ無理に決まってるだろ」

「え、ええ!?」


 そう、流石に賭場の類はないが聖国にも娼館はある。これもキッチリと聖国の管理下にあり、他の店よりも厳しく管理される傾向にある。

 そしてそれは娼館があることにより発生する犯罪の防止であり、娼館が無い事により発生する犯罪を無くす為でもある。

 基本的に、人の欲望というものは「ダメだ」と言われる程大きくなる。

 普段そんなに気にしないものでも「ダメ」と言われればやりたくなるし、普段やっている人間が「ダメ」と言われるとその欲求は爆発寸前まで大きくなる。

 これが犯罪欲求の類であれば牢獄にブチ込んでやれば済む話なのだが、娼館のようなものとなると途端に扱いが難しくなる。

 あまり大きな声では言えないが、そういった施設はある程度犯罪の低下に貢献している側面がある。

 そして世の中には神の威光を夕食のスープの具材が一つ増えたか否かよりも気にしていない連中が居る事も確かであり、そうした面々は娼館の存在によってなんとか「理性的な己」を保っている部分もあるのだ。

 つまり、そうした施設が無くなる事で有り体に言えば「人であることが難しくなる」連中が少なからず発生してしまうのだ。

 それを片っ端から牢獄にブチ込むのは簡単だが、どれだけやっても元を断つのは難しい。

 そもそも娼館が悪かどうかという話になると、これもまた百年議論したところで結論が出ない。

 たとえ愛の神カナンの神殿がどれほど美しい愛を説いたところで、この手の話が消える事も無い。

 

「つーわけで、まあ一つだけだが娼館もあるってわけよ」

「……そっか」


 それ以上はカナメには言えない。言う資格も無い。

 だからカナメは黙って歩き……「あれ」と呟く。


「そういや、エルはなんでそんなに詳しいんだよ」

「そりゃお前、冒険者が男だけで集まった時の話の八割がそういう話だからに決まってんだろ」


 何処の娼館がいい、あの酒場はぼったくりだ。あの賭場は実は……等々。

 女性がいる前ではカッコつける冒険者達も男同士となればリミッターは完全に解除される。

 美味い酒と料理、可愛い看板娘のいる店の情報交換から始まり下世話な話にちょっとばかり法に触れる裏話まで……おそらくカナメであれば九割は役に立たないであろう情報交換が活発になるのだ。

 無論、それでも一割は役に立つ話なわけで、そういう話を選り分けて自分の中に蓄えるのも冒険者の才能である。


「情報屋ならそういう話は必要な部分だけ洗練されるけど、冒険者は情報屋じゃねえしな。交換するネタとして無駄話も用意しとかなきゃいけねえんだ」


 誰が食いつくかなんてわかんねえしな、と言いながら歩くエルにカナメはへえ……と感心する。

 今のカナメには出来ない真似だが、やがてはそういう事を覚える必要もあるのだろうか。


「お、見えてきたぜ!」


 楽しそうに声をあげるエルの背中を見ながら、カナメは自分の未熟を痛感していた。

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