ハイロジア王女との会談
迎えに来た馬車に乗りカナメ達が辿り着いた場所は、ミーズにある宿屋の中の一軒であった。
防衛戦の中でも運良く戦火を逃れたのだろう、傷一つない石壁は白く、レンガ造りの建物が多いミーズの町中では一際目立って見える。
通常宿屋といえば2階建か3階建の建物のみなのだが、この宿屋は庭があるのか、壁で覆われていた。
恐らくは相当に高級なのであろうが……馬車から降りたカナメはほへー、と意外そうな声をあげる。
「お姫様って、宿屋に泊まるもんなんだなー。もっとこう、町の一番偉い人とかの家にいるものかと思ってたけど」
経費削減……いや、庶民の目線での統治とかってやつか……などと考えているカナメの肩をアリサがチョンチョンと突き、宿の門の両側を指し示す。
そこには斧槍を持った完全装備の騎士が立っており、油断なく目を光らせているのが見える。
ハイロジア王女が泊まっている宿だから当然だろうとカナメは首を傾げるが、その様子に「分かってないな」という顔でアリサがカナメの耳元に口を寄せる。
「……あのね、カナメ。一般人なんか追い出して一軒借り切りに決まってるでしょうが」
「歓待させる、というのも王族の与える褒美のようなものなのです。町長だろうとなんだろうと、一般庶民の家に王族が滞在することは稀ですわ」
「へえ……」
「こういった場合ですと、宿の従業員にも滞在中は休暇を与えます。あくまで建物だけを利用したという形にするのですね」
エリーゼとハインツの補足を受けて、要は王族御用達だの王族を歓待した名誉ある云々だの、そうしたものに利用されるのを防ぐ処置なのだろうとカナメは理解する。
確かに「王族と関わった」というだけでも一般庶民にとっては相当に名誉なのだろうし、朝市でのイリスとの会話を思い出せば「王族来訪」だけでも記念品になるような有様なのだ。
そうしたものを乱立させれば当然本物の「王族御用達」の価値が下がるし、王族の心情云々以前に「この国の王族御用達とはこの程度か」といった他国の侮りを防がなければならないということもあるだろう。
「難しいもんなんだな」
「ご理解いただけて光栄です。ではこちらへ」
押し黙っていたクシェルは門へと歩いていき、騎士達に話しかけ始める。
「戻りました。姫様は?」
「いつも通りです。今は副隊長が」
「そうですか。ギリギリでしたね」
どういう意味か分からないが、微妙に不穏当な会話をした後……クシェルは振り返ってカナメ達を見る。
「……まあ、恐らく大丈夫でしょう」
「へ?」
「いえ、独り言です。では参りましょう」
騎士達が門を押し開けると同時にクシェルは中に一歩入り、カナメ達にも入るように促す。
「……えーと、こういう場合ってエリーゼ先頭でいいのかな」
「カナメが主賓でしょうが。ほら、先頭行って」
「え、ええー……いいのかな」
ぼそぼそと囁きあいながらもカナメは押し出されるように門を潜り……そこで、何やら不思議な光景を目にする。
「……ん?」
そこに居たのは、一組の男女。
木剣らしきものを互いに構え、位置を目まぐるしく変えながら激しく打ち合っている。
硬い木のぶつかる鈍い音と、ブーツが土をこする音が響き……互いの真剣な表情は、邪魔者を許さない空気を周囲へと伝えている。
ただそれだけならば騎士同士の訓練かとカナメも納得できたのだが……強面の壮年男と打ち合っている女の方は……カナメの記憶が確かならば、パレードで見たハイロジア王女ではないだろうか?
「……」
軽く目をこすり見てみるが、やはり間違いない。一体どういうことなのか。
まさかハイロジア王女だと思っていたのはカナメだけで、実は女騎士だったのか。
そんな事を考えていると、背後からエリーゼの溜息と「お姉さま……」という諦めたような呟きが聞こえてくる。
「噂には聞いてたけど……噂通りだね」
「噂?」
アリサの言う「噂」とはなんなのか。
カナメのそんな疑問に、ハインツが口を開く。
「ハイロジア様の渾名は「騎士姫」ですから。王族の皆様方の中でも、特に剣への興味が強いお方です」
「剣……って」
一際強い音が響き、カナメの言葉は途切れてしまう。
目の前ではハイロジア王女が木剣を取り落とし、壮年男の勝利で決着がついたところのようだった。
「流石ですわね、ジュド。今日も私の負けですわ」
「いえ、所詮は木剣での練習試合。真剣であれば危ない場面が何度もございました」
「ふふふ、相変わらず世辞が上手いわね」
言いながら、ハイロジア王女は近くにいた騎士から汗拭きの布を受け取りカナメ達に……いや、カナメに向かって歩いてくる。
正面に立ったハイロジア王女からは薔薇のような香りが漂い、それが汗の匂いなのだと気付いた瞬間にはカナメの顎はくいっと持ち上げられている。
「私はね、トゥーロ王の物語が大好きなの。彼は人としても為政者としてもかなりどうしようもない人間だけど、その力だけは英雄と呼ぶに相応しいわ。剣一本で王国も帝国も手を出せない程の大国の王に成り上がる……実に心躍る強さじゃない?」
「そ、そう……ですね?」
微妙に……というか完全にトゥーロ王の事を貶しているように聞こえるのは、たぶんカナメの気のせいではないのだろう。
暗に強さ以外には価値がないと言っているが、トゥーロ王の物語に詳しくないカナメには何とも言いようがない。
するりとハイロジア王女の指先からカナメは逃れるが、沸き立つような薔薇の香りがカナメを逃がすまいとするかのように鼻をくすぐる。
「子供の頃にトゥーロ王の物語を読んだせいで、剣というものに酷く執着するようになったわ。それが私が剣にこだわる理由。疑問は解けたかしら?」
「え、は、はい」
あの激闘の中でも全部聞こえてたんだな……とカナメは冷や汗を流すが、それに気付かれたかハイロジア王女は口の端を吊り上げるようにニッと笑みを浮かべる。
「とりあえず、ようこそ。私はラナン王国第十六王女、ハイロジア・ラナン・ラズシェルト。貴方の話を聞いてから、会いたくてたまらなかったのよ?」
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