第五章:何人たりとも許しはしない-14
「何? アーリシア、今なんと言ったんだ?」
ここは聖幸神教会内にある教皇の執務室。
世界中で広く信仰が広がっている幸神教のトップである教皇・グーリフィオン・サンクチュアリスの執務室は、その立場にはそぐわない程に質素なものであった。
流石に平民の仕事部屋程簡素で雑多ではないが、それでも広い空間には仕事の為の道具や資料しか無く、調度品や贅沢品など探さねば見つからない程に目立っていない。
それほどまでに主張の無いそんな執務室で、グーリフィオンは対面するアーリシアの先程の言葉に耳を疑い、思わず問い返した。
「もう一度申し上げます。宝物殿にある「セフィロトの古木の枝端」を、私にお譲り下さい。お願いします」
そうやって頭を下げるアーリシア。
アーリシアのここまで真剣な表情と声音は今までに見た事も聞いた事も無かったグーリフィオンは心中で少し感動を覚えるのだが、それが霞んでしまうようなアーリシアの〝お願い〟に、さてどうしたものかと頭を抱える。
「……確認したいのだが、あの古木が教会で厳重に管理している聖遺物であるのは理解しているのだな?」
「はい。無理を言っているのは重々承知しています。大変なワガママなのも理解しています。ですがそれでもっ! 私には必要なんですっ!!」
「……うーむぅ……」
グーリフィオンの心中としては正直な話、アーリシアの願いを叶えてやりたいと思っている。
今まで散々ワガママを聞いて叶えてやって来たし、甘やかしなのは理解しているが、今回のアーリシアのお願いは、今までのワガママとは絶対的に違う何かを感じていた。
だから出来る事なら叶えてやりたい。
だが、物には限度というものがある。
「アーリシアよ。それは無理というものだ。古木にしてもそうだが、聖遺物を持ち出すというのは特別な祭事や儀式、神事などの限定された状況でしか許されていない」
「はい。承知しています」
「例え必要としている者が王族や皇族であろうと簡単に許可など降りぬし、そんな王族皇族もそんな無茶は余程の状況じゃない限り要求しては来ない。その意味は分かるか?」
「……はい。そうやって制限しなければならない程に凄まじい権能が宿っている。だから一つ所に集めて管理し、誰にも使わせないようにする。私達幸神教の主神で在らせられる幸神様の御神託であると、理解しています」
「そうだ。そんな聖遺物を私的に使うという事は、幸神様の御神託に逆らう行為。それが許されない事など、お前なら分かるだろう?」
「……」
幸神教はその昔、まだ宗教として発展する前の小さな村の信仰に留まっていた頃、当時の教父に幸神からの神託が下った。
その内容は二つ。
世界中の人間に幸福を送り届ける事。
そして世界中に存在する人間の手に負えない程に強力な権能を宿した聖遺物を集め、管理する事。
そんな神託が下ったその日から幸神教の大躍進が始まり、今のように世界規模の宗教にまで育ったわけだが、アーリシアの願いは、そんな幸神教の矜持を無視するような発言であった。
「お前は神子になるのだろう? この幸神教という家族の中で、お前が一番幸神様を信仰しているのだろう? そんなお前が矜持を破るなど、許される事ではないぞ」
「……」
グーリフィオンの言葉に凄みが混ざる。それほどまでにアーリシアのお願いは叶えられるものではないとアーリシア自身しっかり理解している。
理解している上で、アーリシアは……、
「……お父様……。私には……お慕いしている方が居ます」
アーリシアは手に力を込める。
「……」
「その方は……、私を庇って片腕を失くしてしまいました」
「……ああ、ラービッツから報告を受けている」
「あの方の意識がまだ戻らない内にこちらに来たので分かりませんが、恐らくあの方は「お前が気にする事じゃ無い」とか「私が勝手にやった事だ」と私を責めたりしないでしょう」
「ふむ。随分殊勝な事だな」
「ですが私はそれが耐えられませんっ! 私さえ余計な事をしなければあの方は片腕を失わずに済んだ……。そんな事実が明確にあるのに……誰も私を責めてはくれない……。そしてその事に……少しホッとしている自分に耐えられないのです……」
「アーリシアよ。考え過ぎだ。少し冷静になって──」
「私はッ……!!」
アーリシアは執務机のグーリフィオンに詰め寄る。
グーリフィオンはそれに目を丸くするが、アーリシアの強い意志が篭った瞳に意識を切り替える。
「私は責任を取りたい、報いたいのですッ!! あの方に……クラウン様に頂いたこの命に賭けてもッ!! ……でなければ……私はもう、一生あの場所に戻れません……」
「お前……」
アーリシアにとって、クラウンと彼の周りの友人達と過ごす空間が、時間が途方も無く大好きだった。
教皇という立場の人間の下で育てられたにしては奔放で伸び伸び甘やかされて育てられたアーリシアではあるが、その周りの環境は割と厳しかった。
クラウンと出会う前まで幾度か父親に連れられた幸神教懇親会で幾人かの貴族と対面した。その際に貴族達は自身の子をご贔屓にと挨拶をされた事がある。
アーリシアはその際何人かと仲良くはなれたが、その後の調査で貴族達に後ろ暗い所が見えた際には音沙汰が無くなり、結局短い交流で終わってしまっていた。
当時のアーリシアは特別疑問には感じていなかったのだが、ただ漠然と同年代が近くに居なかったのに寂しさを覚えていた。
クラウンとの交流が許されていたのは、彼の出自がキャッツ家であり、信用に足るものであったが為である。
結局はクラウン達との交流も教会の監視の下許されているに過ぎないのだが、それでもアーリシアはそんな彼等との時間が今では掛け替えの無いものになっていた。
もし、そんな彼等の中に戻れないのだとしたら……。
アーリシアはそんな想像をするだけで途方も無い絶望感に襲われる。
(そんなの……絶対に嫌ッ!!)
「……それは、お前にとって、最早譲れないもの……なのだな? 教会の矜持ですら破る。そう覚悟しているんだな?」
「……私は……幸神様を敬愛しています。心の底から信仰しています。ですが、私があの場にもう居れなくなるのだとすれば……私はもう……幸福にはなれません」
「……ふむ……」
グーリフィオンは腕を組み目を瞑って唸る。
それから立ち上がって執務机の周りをウロウロと歩き回り、一旦止まって深く考え込んではまた歩き回るを繰り返した。
グーリフィオンのそんな唐突な行動に戸惑いと不安を覚えるアーリシアだが、数分経って長く立ち止まったグーリフィオンに姿勢を正す。
「……お父様?」
「……そうだな。お前が……神子になる者が幸福で無いのならば、かえって幸神様を怒らせてしまうな」
そう口にしたグーリフィオンは執務机の後ろにある複数ある棚の引き出しを不規則に開けては閉めを繰り返し、何個目かの引き出しを閉めたタイミングでカチリッと音が鳴る。
すると棚の中央下から取っ手が出現し、グーリフィオンがそれを掴んで棚の一部を上に引き上げると、そこには壁に埋め込まれた小さな金庫が現れる。
グーリフィオンはそのまま金庫のダイヤルを思い出しながら回し開け、中から何やら見覚えのある縦長の木箱を取り出す。
そして木箱を執務机の上に置き、縛られている紐を解いて蓋を開けると、中には乾燥してカラカラになった一本の枝が折れないよう緩衝材と共に入っていた。
「お父様、これは……」
「これも一応はセフィロトの枝だ。宝物殿の物より小振りで乾燥してしまっているがな」
アーリシアは目を見開いて驚く。
それも当然。聖遺物とされているセフィロトの枝が、もう一振りあるなどアーリシアは想像もしていなかったのだから。
「え……、な、何故そんな物が……こんな場所にっ?」
「……これは私欲になってしまうかもしれんがな……。お前の為だよ、アーリシア」
「わた、し?」
「ああ。万が一お前が大怪我なんかをした時の為にと、な。まあ、こんな小振りな枝では効果もたかが知れているやもしれんが、無いよりはいいだろうとな」
「お父様……」
「これならば世間には公表してはおらんし、存在自体も極々一部にしか知られていない。使うならばコレを使いなさい」
「……よろしい、のですか?」
思わず涙ぐむアーリシアに、グーリフィオンは笑って近付き、アーリシアの頭を優しく撫でる。
「大切な娘が一生幸せになれない事に比べれば大した事ではない。それにお前はクラウン殿の幸せの為にコレを使うのであろう? ならば何ら問題は無い」
「お父様っ……。ありがとうございますっ!!」
「礼はまだ早いぞアーリシア。使っても良いが、私から二つ条件がある」
「じ、条件……ですか?」
緊張気味になるアーリシアに、グーリフィオンはまた笑う。
「まあ一つは努力次第だが、もう一つはそうでもない。そう緊張するな」
「は、はい……」
「ではまず一つ目だ。アーリシア。今からお前には《神聖魔法》を習得して貰う」
「し、《神聖魔法》ですかっ!?」
「そうだ。信仰心がモノをいう魔法スキルだが、お前ならば努力次第ではもう習得出来ると私は踏んでいる。それに《神聖魔法》を習得すれば、そのクラウン殿の役に立てるのではないか?」
「なるほど……。クラウン様の役に……。私は頑張りますっ!!」
「よしよし。……それで二つ目なのだが。……一度そのクラウン殿をここに連れて来て私に会わせなさい」
アーリシアはその言葉に「え?」と呟いて表情を固める。
何故ならいつかクラウンとの会話の中で、ふざけて「お父様に会ってみたくないですか?」と訊ねた際、苦い顔をしながら、
『偉い立場の人間に会うなんて面倒事に巻き込まれる前兆だろ。自分から行くなんて今は願い下げだ』
と言われたのだ。
まあニュアンスとしては自分から行くのを避けているのであって要請があれば勿論応じるのだろうとアーリシアも考えに至るのだが、きっと嫌な顔をするんだろうな、と想像に難くなかった。
「ん? 何か問題があるのか?」
いつまでも反応の無いアーリシアに疑問に感じたグーリフィオンが訊ねると、アーリシアはハッとしたように表情を笑顔に変えて首を振る。
「いえ、なんでも……。分かりました、連れて来ます。ただ今は色々とゴタついているので、少し時間が……」
「ああ、それは構わん。ラービッツに聞いたが、ティリーザラ王国は今かなり大変な問題を抱えておるからな。落ち着いたらで良い」
「は、はいっ。伝えておきます」
「……さて、そんな大変なティリーザラに大切な娘を本当は向かわせたく無いのだが、止めても行くのだろう?」
「はいっ! 勿論っ!!」
「ふむ……。ならばラービッツを常に連れて歩きなさい。彼奴がお前の近くに居れば万が一何があっても逃げて来られる」
「え、常に、ですか?」
「多少煩わしいだろうが、それくらいは我慢しなさい。お前の為だ」
「……分かりました」
項垂れるアーリシアを無視し、グーリフィオンは執務室の扉を開け、アーリシアに促す。
「さあ、まずは《神聖魔法》の習得だ。これが終わらぬ限り枝はやれんし、教会からも出さん。良いな?」
「え、なんか条件ちょっと厳しくなっていませんか?」
「気のせいだろう。ほら、時間は有限だぞ? 早く習得して、早く彼の元へ行ってやりなさい」
「は、はいっ!! がんばりますっ!!」
アーリシアはそう言ってそそくさと扉をくぐり、執務室を後にする。
それを確認したグーリフィオンは扉をゆっくり閉め、執務机に着いて天井を仰ぎ、深い溜息を吐く。
「碌でもない男……でなければ良いのだがな……。ラービッツからは余り良い報告を受けとらんし……どうなる事やら……」
再び溜息を吐くと、セフィロトの枝をしまってから執務机の上に積まれた書類に目をやり、一枚取って書類仕事を再開する。
アーリシアの前途が幸せなものであらんことをと願いながら。
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