第三章:欲望の赴くまま-12

 私はメルラから受け取った指輪を一旦懐に仕舞う。私の欲望を掻き立てるスクロール達に未練が無いわけでは無いが、一期一会だ。もう返さん。


「ありがとうございます。メルラさん」


「ふ、ふふふっ。良いのよぉぉ、私が言い出した事なんだしぃぃ……」


「手に入れるの、結構苦労したのだけどねぇぇ」と、何やら小さなボヤきが聞こえた気がしたが、きっと気の所為だろう。なにはともあれ私は大満足だ。


「満足したか? クラウンよ」


「はいっ! 父上もありがとうございますっ!!」


「なぁに、私は実質ここを道案内しただけになってしまったが、満足してくれたのであれば良かった」


 満面の笑みでそう私に告げる父上。まったく、忙しい身であるにも関わらずここまでわざわざ付き合ってくれたのには感謝しかないな。さて、では帰るとす──


「おおっ! なんだやっているではないかっ!」


 そんな不思議と耳障りな声を響かせながら店のドアが勢いよく開け放たれる。


 その声に私達がドアの方に視線を向けると、そこには煌びやかな、いかにも「貴族です」と言わんばかりの服装を身に纏った細身の男とその取り巻きと思しき小太りの男が踏ん反り返るように立っていた。


 貴族風の男は憮然とした態度で店内を見回すといきなり顔をしかめる。そして懐からハンカチを取り出して口と鼻を覆った。


「ハーボン、ハーボンよっ! なんだこの店はっ!? 埃っぽくて敵わないではないかっ!?」


「いやはや申し訳ありませんスーベルク様。なにぶん平民の店故不潔なのは仕方がないかと……」


 まあ、多少埃っぽいのは否定せんが、……成る程、取り敢えずコイツ等は好かん。何をどうやったら出現して数秒でこうまで不快感を人に与える事が出来るんだろうか。一種の才能だな。


「ん? そこに居るのはジェイドかっ? この様な所で何をしておる?」


 どうやら父上とこのいけ好かない貴族様は知り合いの様で、いやに馴れ馴れしく話し掛けてくる。父上の顔を見るに余り良い仲では無いのは分かるが……。


「これはこれはお久しぶりでございますスーベルク卿。まさかこの様な場所でお目に掛かるとは思っても見ませんでした」


「ふんっ! それはこちらのセリフよ。貴様こそこの様な薄汚い店に何用だ?」


「はい。実は今日は息子のクラウンの誕生日でして、何か有用なスキルのスクロールは無いかと、愚考しておりました」


 おっと、父上が私の名前を出した。これは私から挨拶をしなくてはならないか。いくらいけ好かないとはいえ相手は貴族。何か問題になるのは流石にマズイ。


「お初にお目に掛かります。私、クラウン・チェーシャル・キャッツと申します。本日はお会い出来て光栄でございます」


「ふむ。見た目の割にはなかなか教育が行き届いているではないか。まあ、今はそんな事より……」


 私の挨拶を適当にあしらい、側に控えていた小太りの男──ハーボンに顎でしゃくって何かを促す。


 それに応えるようにハーボンは大袈裟に頷くと、スーベルクにしていた気色悪い笑顔を一変させながらズカズカと静観していたメルラににじり寄る。


「おいっ! お前が女店主かっ?! 噂によれば貴様の店には希少なスクロールがいくつかあるらしいな?」


「……ええ、御座います」


「本当だな? ではそれを全てココに持って来いっ!」


 ……突然何を言い出すかと思えばなんだ? 貴族の豪遊という奴か?


「不躾な質問をさせて頂いても宜しいでしょうか?一体なんの為にその様な──」


「知れたことよっ! それはここに在わすスーベルク子爵が全て為である。有効活用してやる故有り難く思えっ!!」


 ……今なんと言った?


 貰い受ける? 買うではなく、貰う? 正気か?


 私がそう訝しんで父上の顔を覗くと、案の定作り笑顔にヒビが入っている。どうやら私の聞き間違えでは無いようだ。


 つまりこの馬鹿共はこの店の希少なスクロールを全てタダで貰うつもりなのだろう。


 貴族らしいから何かの権限で言っている可能性も無くはないが、父上の反応を見るにそんな事はないだろう。


 つまりこの頓珍漢は、自分の管轄外でこんな傲岸不遜で厚顔無恥な事をのたまっているわけだ。


 一体何を考えて……。というか本当にそんな命令を飲むと思っているのか? 貴族だからと何でも許されると思っているのか? まさか……本気で?


「あ、あの、どういう意味でしょうか?」


「何? 学の無い平民はこれだからいけない……。良いか? スーベルク卿は昔より続く他種族国家とのいさかいに大層心を痛めておられるのだ。故にスーベルク卿は独自に立ち上がり、他種族国家を打倒すべく子飼いの兵を徴兵されたっ! だがその兵達の練度は嘆かわしい事にこの上なく低い……。だからこそっ!! スクロールのスキルを兵達に習得させ、早急な練度上昇を図ろうとしておるのだっ!!」


 ……。


 はあ……。何を捲し立てるかと思えば……。非常識とかいうレベルではないな。


 他種族国家に対してたかが子爵が挙兵? それでその練度不足を補う為にスクロールを寄越せ? 滅茶苦茶じゃないか……。頭に虫でも沸いているのか? 意味がわからない。


 これはアレか? 私にこの世界の常識が足りないから可笑しく感じるのか?


 そう思い私は再び父上の顔を覗く。その額にはピクピクと青筋が浮き出ており、今にも怒りが噴き出しそうでありながら、なんとか笑顔を保っている。


 ふむ。どうやら間違えていないらしい。


 という事は、コイツ等の頭がおかしいのは決定だな。それは良かった。一瞬私がおかしいのかと焦ってしまったよまったく……。


 だが、いくら馬鹿でもそんな意味不明なことを実行しようとするか?というか、どう考えても適当にこじつけた嘘だろう。かなり頭は悪いが……。


 ならばスクロールを貰おうとしてるのにはまた別の理由がある筈だが、一体なんの為に?


「ほらっ! さっさと用意せぬかっ! スーベルク卿を待たせるでないっ!!」


「お待ちを、ハーボン殿、スーベルク卿」


 そんなやり取りにとうとう父上が見兼ねて止めに入った。父上は相変わらず顔は笑顔だが額に青筋を立てている。


「何かなジェイド? 貴様には関係ない話ではないか?」


「いえいえ。実はこの店の店主は私の妻の姉、つまりは私の義姉にあたるのです」


「ほうっ! そうであったかっ!! ならば話は早いっ!! 貴様もこの女にスクロールを持ってくるように言うのだっ!!」


「いいえハーボン殿。そういうわけにはいきません」


「……何?貴様っ! スーベルク卿の偉業を邪魔立てしようとするつもりかっ!?」


「偉業? 何を馬鹿げた事を。冗談も大概になさって下さい。貴族とはいえたかが子爵が国家に挙兵など愚か以外の何者でもありません。もし本気で仰っているのであれば正気を疑います」


「き、き、貴様ぁ……。たかが領主の分際でたかが子爵だとぉ?それに愚かとも聞こえたなぁ?」


 ハーボンに任せ静観していたスーベルクも流石に父上から発せられた正論に黙っていられなくなり、唸るような声を上げながら父上を睨み付ける。


 それに対し父上はハーボンからスーベルクへと向き直り、先程の笑顔を一変させまるで能面の様な無表情で睨み返す。


「ええ、言いましたとも。大方この店の希少なスクロールを件の他種族国家にでも売り飛ばして内通する足掛かりにでもするおつもりなのでしょう?」


 おっと、父上が何やら不穏なワードを口にしたな。他国に内通する足掛かり?それは頂けないが、父上は一体何を根拠に?まさか……私の想像している以上に何かあるのか?この貴族の皮を被った無能に……。


「貴様ッ! 一体何を根拠にその様な世迷言をッ!!」


「世迷言ではないのですがね……。この都市は国境沿いにある街なのはお分かりですよね?ですので他種族国家──エルフ族に関する情報は一番最初にこの街に入って来るんです。そんな情報の中に、何やら聞き捨てならないものも少なからずあるのですよ」


 成る程。父上はどうやらコイツにとって看過できないような情報を掴んでいるらしい。それを聞いたスーベルク子爵とやらの顔色も見る見る悪くなっていって実に愉快だ。


「じょ、情報だと?一体何の情報だッ!?」


「それは教えられません。ですが、先程の貴方方の発言や要求した物品。それらを加味すると、その信憑性も増すと言うもの。……御覚悟召されよ」


「な、何故貴様がそこまで……。貴様は爵位を持たぬ領主ではないかッ!? 我等の貴族社会に何故首を突っ込むッ!?」


「首を突っ込む? はんっ、何を言い出すかと思えば……。馬鹿気た戯言で私の身内を巻き込もうとしたのは貴方でしょう?」


「ぐぬぅ……」


「はあ……。しかし手間が省けましたよ。最初はまだまだ調査に時間を掛けるつもりでいましたが……。いやはや、偶然とはいえ貴方から直接そのような言質が取れるとは思っても見ませんでした。もはや見逃す事は出来ませんな」


「き、貴様ぁ……っ!!」


 スーベルクは苦虫を噛み潰したような表情を露わにし、そのまま踵を返す。それを見たハーボンも慌てた様に後を追った。


「おや? お帰りですかスクロールはよろしいので?」


「〜〜っ!! 貴様っ!! タダで済むと思うなよっ!? 絶対に後悔させるっ!! 絶対にだっ!! 覚悟しておけっ!!」


 スーベルクとハーボンはそのままドアを叩き開ける様にして店を出て行った。まるで嵐の様な傍迷惑貴族だったな。


 ただ、負け犬の遠吠えの如く吐いていったさっきの最後の発言……。その辺のゴロツキならまだいいが、相手は腐っても貴族。何かしらの報復があるに違いない。


 私をここまで育ててくれた父上の敵は私の敵も同じだ。何よりただただ、奴はいけ好かない。もし私の宿題の邪魔になる事があれば一切の容赦無く、返り討ちにしてやるとしよう。

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