幕間:元勇者は苦悩する

「はあ〜……遣る瀬無いのぉ」


 老人が一人、大きな溜め息を吐く。彼は自分の様々な薬品やスクロールが散乱する机に両肘をつき、更に両手で顔を覆う。


 彼の名は「フラクタル・キャピタレウス」。


 ここ魔法先進国ティリーザラ王国に並ぶ者無しと謳われる王国最高位魔導師であり、元「勇者」。


 かつて彼は人間の勇者として五十年前の戦争を生き残り、一人の「魔王」をその手で葬った過去を持つ。


 だがしかし、その際に勇者としての素質であるユニークスキル《救恤きゅうじゅつ》を魔王によって消し去られてしまい、それ以来彼は自国で魔法の研鑽に励みながら、魔法魔術学院の学院長を勤めている。


 そんな彼は今、魔法魔術学院の最上階に構える自室にて深い深い溜め息を吐いていた。


「大分、お疲れの様ですね」


 そうキャピタレウスに声を掛けたのは彼の身の回りの世話している学院生徒の一人である。


 爵位を持たぬ身であるキャピタレウスではあるが王国最高位魔導師の称号は伊達ではなく、国王直々にある程度の権限を与えられており、学内の生徒をこうしてコキ使えるのである。


「疲れた、と言っていいのかのぉ。…。最近色々と上手く行かない事があって、よく分からなくなって来てしまった」


 実は今朝方、彼はティリーザラ王国国内にある「第三幸神教会」に赴き、とある人物と面会していた。


 その人物との面会は、かのティリーザラ王国国王であるカイゼンが自らその権力を行使してセッティングした物であり、キャピタレウスはその重い腰を上げて向かったのだが、結果は惨憺さんたんたるモノであった。

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『お初にお目にかかります。フラクタル・キャピタレウス様。私「幸神教」が教皇の娘であり新たなる《救恤》の覚醒者「アーリシア・サンクチュアリス」と申します』


 純白を下地に金と薄桃色の豪華な装飾を施された神官服を身に纏った金髪碧眼の美少女は、齢五つにそぐわない練度の作法をもってお辞儀をして見せる。


 そんな彼女に少し度肝を抜かれたキャピタレウスは一つ咳払いをして態勢を立て直しつつ、挨拶を返す。


『こちらこそ初めまして。ワシはフラクタル・キャピタレウス。ティリーザラ王国最高位魔導師であり元「救恤の勇者」じゃ』


 そうしてお互いに挨拶を済ませると、誰に言われた訳でもなく、その場に用意された椅子に対面するように座り、面会が開始される。


『さて、今回は国王陛下よりオヌシに面会するという事であったが、内容は聞き及んでおるか?』


『はい。本日はフラクタル様に私が新たな救恤の勇者としての素質を計り、その経験を御教授下さる、と』


『ああそうじゃ。元救恤の勇者として君が如何なる人物なのか、そしてどんな才能を持っているのかを見定める。今回の面会はその──』


『お待ち下さいっ!』


 キャピタレウスの話を遮るアーリシア。彼はそんな彼女に少し不快げな視線を送るも、取り敢えずは聞いてみようと、顎をしゃくって続きを促す。


『ありがとうございます。それでは……まずは謝罪を。本日は御足労頂いて大変恐縮なのですが、今回の件に関して、私はお断りさせて頂きたく思います』


『なんじゃとっ!!』


 椅子から勢いよく立ち上がり声を上げるキャピタレウス。彼女の余りにも予想外の申し出に、彼は一瞬何を言われたのか分からなかった。


『それは……一体どういう意味じゃ?』


『そのままの意味です。私は勇者の修行をするつもりはありません』


『……理由を話してくれぬか?』


 彼は未だに整理出来ていない頭を無理矢理落ち着かせながら、再び椅子に座り直す。


『はい。私は幸神教の神子になるつもりでございます』


『神子に?神子というと、神の代弁者……』


『はい。私は幸神教の教皇の娘として生を受けました。それに加えユニークスキル《救恤》を授かり、とある運命を感じたのです……』


 キャピタレウスは何か嫌な予感を感じた。《救恤》……その権能は強欲の真逆。全てのモノに分け隔てなく〝施し〟を与え、周囲にその力を分け与える貸与の力。その性質上、自身に対する優位性は薄いが、周囲の人間に対しては絶大な効果をもたらす。


 そんな救恤の権能を備えた神子。それは当然──


『私はこの救恤の力を更なる布教、私が愛すべき大多数の人々に幸神様のご加護を与えたく思うのです!!』


 (やっぱりか!!)


 キャピタレウスの嫌な予感は見事に的中する。彼女はその救恤の力を彼女達の主神である幸神に更なる信仰を集める為に使おうと考えているのだ。


『だ、だが、《救恤》は人類の救い手に与えられる勇者の力。それを布教になど……』


『神は人々を救います。そんな神の力を、まだ知らぬ人々に分け隔てなく分け与える。それは勇者の責務にも通づるものがあると思いませんか?』


『いや、しかしだなぁ……』


『確かに、勇者は大変素晴らしい役目だと思います。ですが私はそんな勇者の役割ですらまだまだ生温く感じています!! ですから私はその権能を世に解き放ち、全ての人間に幸神様のご加護を届けるのです!! それこそが私の運命であり勇者より優先すべき使命!! 嗚呼、なんと素晴らしい!!』


 キャピタレウスは頭を抱える。こうなってしまってはもうコチラの話など聞きもしないだろう。そう確信した彼は、神への信仰にトリップしてしまった彼女を放置し、深い溜め息を吐きながらその場を後にしたのだった。


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 ──という出来事があったのだ。その時の光景を思い出したキャピタレウスは再び大きな溜め息をついて項垂うなだれる。


「そうだったんですか……」


 学生である彼はある程度にしか察せないが、そのキャピタレウスの溜め息には、疲労とはまた別の何かが混じっているように感じたのだ。


 約六十年前。キャピタレウスがまだ救恤の勇者であった頃、既にその魔法の天賦の才に目覚めていた彼には複数の弟子が居た。


 弟子達は皆が皆才能の有る者ばかりではなく、中には落ちこぼれや無能と揶揄やゆされる者も居た。キャピタレウスのその類稀なる才覚に憧れを抱いた者が何人も彼に弟子入りし、彼自身もそれを全て受け入れた。


 中には当然壁にぶちあたった者も数多く居たが、キャピタレウスはそんな者達にでさえ手を差し伸べ、様々な互助支援をしていた。


 周りの人間からはそんな彼を度が過ぎるお人好しとして呆れられる始末であった。


 しかし、そんな彼に悲劇が訪れる。


 戦争中、ダークエルフであり《嫉妬》のユニークスキルをその身に宿した魔王と刺し違える様に決着を付けた事によって彼の《救恤》が消滅してしまったのだ。


 命は助かった彼であったが、そこからのキャピタレウスの人生は一変した。


 最初の異変は自国に凱旋した時である。笑顔で出迎えてくれた数多くの弟子達に対しての感情が希薄になり、一切興味を持てなくなっていたのだ。


 そしてそれは増長し、弟子達に対する期待感はついに皆無になり、全ての弟子を解雇してしまった。


 その後も様々な才能を持った者達がキャピタレウスの元へ弟子入りを志願したが、そのどれも彼の琴線に触れる事は無く、今現在に至るまで彼は一切弟子を取っていない。


 原因は明らか、《救恤》の消失。


 救恤とは全ての者に分け隔てなく施しを与える事。つまり彼の生来のお人好しはその《救恤》による影響であったのだ。


 それが消失した今、彼は施しを与える事に対して意味を見出せなくなっていた。一体何の為に自分の時間を割いてまで他人を助けなければならないのか? それが分からなくなってしまったのだ。


 勿論人としての最低限の人情や正義感は残ってはいたが、それでもかつての様な聖人君子では無くなっていた。


 そんな他人に興味を無くしてしまったフラクタルは、それでもこのままでは駄目だと苦悩していた。


(もうワシもかなり年老いた。そろそろ弟子をちゃんと育て始めねば、ワシの後継が居なくなってしまう……。だが、それには飛び抜けた才能を持った者でなければ、今のワシでは育てる気になれない)


 そう悩んでいた折、新たなる「救恤の勇者」の誕生が耳に届いた。彼はそれを最後の弟子にしようと意を決し、わざわざ国王に根回しをしてまで《救恤》の覚醒者と面会をしたのだが、それも今や泡沫に消えた。


(もはやワシに弟子を育てるのは無理なのか? 彼女以上に適した者など、もう見付けられまい。諦めるしかないのか……)


 そう俯くフラクタルに、別の生徒がドアをノックし、部屋へと入ってくる。その手には分厚い書類があり、彼はその書類を未だに俯くフラクタルに差し出す。


「キャピタレウス様、これが本日分の資料になります。必ず目を通しておいて下さい」


「うむ……」


「それと、明日から魔法魔術学院の入学試験です。大方の処理は私達と他先生方でやりますが、何かあればお呼びしますので待っていて下さい」


「ああ、期待せずに待っているよ」


 キャピタレウスは憮然とした様子で書類を受け取ると、そう溢した。


 もはや自分を驚かせるような才能ある若者の出現には期待していない。


 そう内心で自虐的に笑いながら老人は一人、孤独のままに終わる自分をただ想像してしまうのだった。

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