終章:忌じき欲望の末-9
────・・・音が、する。
トールキンがうねる音? 違う……。
ユーリの怒号? 違う……。
部下達の、叫び? それも、違う……。
戦場の喧騒……そんな埃っぽくて血生臭いものとは程遠い、爽やかで心地良い、音……。
これ、は……波?
なんで……波の音が?
──私は、そう。さっきまで、戦場に居た筈だ。
駆け付けてくれた部下達に後の事を丸投げして、進化の実を口にした……。
……そうだ、その直後だ。
身体が黄金に光って、左右の腕も赤く光って……。全身に充実感が駆け巡った。そのすぐ後に、意識が遠のきだしたんだ。
そして意識が遠のく中で、前触れもなく急に、私の口から……何か〝黒い泥〟みないなものが溢れてきて……それが、私を包んで……。
ロリーナとマルガレンに、何とか私を守るよう伝えて……そこで完全に、意識が途絶えた……。
勿論、ユーリが
エルフ族用の進化の至宝を人族が口にしたのだからな。順調に、アッサリとはいかないだろうと確信すらしていた。
故に私の中に居る「
──次第に、耳に届く波の音がハッキリと聞こえてきだす。
加えてそこに、何処からか響いて来る
匂いも……波の音に乗せられるように潮の香りが漂ってきて、それが今自身が身を置く場所のものと混ざり合い、心地良さを覚える。
ここは……。そう、ここを、私は知っていた。
「……何故、ここに」
そこは、懐かしき日本家屋だ。
平屋で趣きがあり、数十年の歴史を感じさせる……
海の良く見える丘の上にポツリと一軒佇んでいて、夏の茹だるような暑さを忘れさせてくれる良い風が舞い込む縁側が付いている。
私は今、そんな古民家の縁側に腰を掛けていた。
「……ふふ。また懐かしい……」
自身の両手を見てみれば、そこには「クラウン・チェーシャル・キャッツ」のものではなく、前世「新道集一」に身を置いていた頃の、妙に傷だらけな手である。
しかも天寿を全うした八十代の骨ばったシワだらけの手ではなく、生き生きとした筋肉と血管が浮かぶ若き日の私の手だ。
鏡が近くにあるわけではないので判然とはしないが、恐らく二十代後半から三十代半ばの時分の肉体なのだろう。クラウンの時程に活力に満ちているわけではないが、死に際の枯れ果てた時から比べれば実に
丁度この古民家の別荘を買ったのも大体そんな歳だ。概ね、当たっているだろう。
「……で。なんだこの状況は?」
自身が前世の別荘に居るのは理解した。なんなら前世の姿にすらなっている。
だが、だからと言ってこの景色、この状況は〝記憶の再現〟などではない。何故なら私はこうして、この家の縁側で涼んだ事など一時たりとも無かったからだ。
「ならばこれは夢か? 進化の途中だというのに、随分とまた郷愁を感じさせる夢──」
「呼んだ?」
──それが、致命的な罠である可能性もあった。
今ここが何処で、何故に〝無力な〟「新道集一」の身体なのかも理解出来ていないこの状況で、不用意で迂闊な行動は極力避けねばならない。
故に何が起きようと常に気を張り、警戒し、この身体で出来得る最大限の行動を取るべきなのだ。
…………なんと、滑稽な事だろうな。
「…………
彼女の声を聞いた瞬間、気が付いたら振り返っているんだから。
「うん。そうだよ集一。私だよ」
──彼女が私に向ける微笑みに、言い表しようのない感情が湧き上がる。
以前見た幻影による出来の悪い偽物とは比ぶべくもない。
私の記憶の中にあるあの日々の一部を切り取ってきたかのように、等身大のままの……私が「新道集一」だった頃の妻「
「ノド、渇いたでしょ? 麦茶持って来たから、一緒に飲も?」
「あ、ああ……」
そう言うと彼女は登場した時から持っていたお盆を傾けぬよう慎重にコチラまで運び、自然に私の隣に腰掛けながらお盆を床に置く。
そしてお盆の上に置かれていた二つのコップに、汗をかいたボトルから麦茶を注いで私に差し出す。
「はいどーぞ。さっきまで冷蔵庫に入ってたから、キンキンだよ」
「……ああ」
深雪のように真っ白な肌の手からコップを受け取り、口を付けて一口
口内に広がる心地の良い冷たさと、鼻から抜ける麦の芳醇で柔らかく優しい香りが何とも心地が良い……。
そういえば、転生してから麦茶なんてもの、飲んでいなかったな。作ろうと思えば作れたんだろうが、そんな発想にならなかった……。まあ、夏ならまだしも冬になろうとしている今じゃ、季節外れか。
ふふ。何だか、色々と懐かしくなってくるな。日本食が恋しく──
「……ねぇ、集一」
「む? なんだ」
「……ままならないね。貴方も、私も……」
「──っ! ……そう、だな」
飲み干した麦茶が入っていたコップをお盆に戻し、
「……きっとこれは、進化を果たす際の〝試練〟のようなもの、なんだろう?」
──例え進化に必要な至宝が極めて入手困難なのだとしても、やり方次第ではこうして手に入ってしまう。
エルフの皇族を追い詰めさえすれば手に入ってしまう関係上、手段を問わねばそれこそ幾らでも量産出来、
では何故、この世界は進化種族で溢れていないのか?
その答えが、私が今こうしている状況そのものなのだろう。
「実にベタな話だ。口にした者の記憶から情報を読み取り、そこから「理想の夢」を緻密に作り上げ、試す……。ここはそういう場だ」
きっとこの「理想の夢」に溺れたらば〝不合格〟という事だろう。どんな理屈でどんな存在がこんなものを〝管理〟しているかは知らんが、まったくもって度し難い。
「でも、流石だね集一。こんなに早く気付けるなんて……」
「む? どういう意味だ?」
「ここってさ。本当に理想の世界だから。その中心に居る人は、例えそれが「あり得ない」ものだったとしても、それを見て見ぬフリして受け入れちゃうんだよね」
「……成る程な」
──この古民家の別荘は、私が三十代半ばの頃に、当時籍を入れたばかりの私達が二人で選んだものだ。
立地条件の良さのせいで築年数の割に中々に強気の値段だったが、
仕事を引退したらここに本格的に引っ越して晩年と余生を過ごす……。そんな「理想の夢」を二人で語らいながら……。
だが──
「君の体質──アルビノにとって直射日光は毒の光線だ。オマケにこの優しく吹く潮風も身体にはよろしくない」
「家の構造上、冷暖房も効き辛いから体調管理も難しいし、虫とか鼠も出るから衛生面でも不都合……」
「結局この別荘で私達二人が過ごしたのは最初の一度きり……。それ以降は
「改装とか考えてる間に……私が死んじゃった……」
そう。この別荘でこうして二人で過ごす──
つまりこの状況はあり得ない現実──ただの「理想の夢」なわけだ。
……しかし──
「私にとって、ここで君と過ごす事は念願の一つだった。それを現実に完膚なきまでに叩き潰され、決して叶わぬものと化したがな」
「うん」
「だが、それならそれで〝別の思い出〟も生まれたろう? 「集一にしては珍しくマヌケだね」って君の体質との相性の悪さに気付いた後に君に笑われた」
「ふふっ。そう言えばそうだったね。「夢に目が眩んだ」って間違えたクセにカッコつけちゃってさ。「
「また懐かしい名前を……」
「ふふふ。つまり? そっちはそっちで良い思い出だからこんなあり得ない夢なんてお断りって事?」
「まあ、珍しい体験をしたとは思うがな。たらればの夢などより、現実の笑い話の方が良いに決まっている」
「うん。集一らしい」
夢は所詮夢だ。現実には決してならないし、現実での経験や思い出には遠く及ばない。いつか消える
例えそれが……目の前であの時の輝きのまま笑う、かつての愛おしい妻だったとしても……。
──というか、だ。
「話は変わるが、てっきり私は、君は私をこの「理想の夢」に沈める為に現れたのかと思ったんだがな。違うのか?」
「……ううん。集一の言った通り、私はこの「理想の夢」に貴方を堕とす為の存在。集一の記憶で一番影響力があるって抽出されたみたい」
「ならば、何故?」
彼女は先程、「ままならない」とわざわざ脈絡の無い事を口にした。
それはこの別荘で二人でまともに過ごせなかった事を指しているようにも聞こえたが……。
「ふふっ。私って存在の再現度を突き詰めた結果だよ。……私にとって、集一の存在が全て。集一の望み、集一の気持ち、集一の欲望……。それが果たされて、集一がいつもみたく笑ってくれる事だけが、私の生き甲斐」
「生前に散々聞いたよ。私が言うのも何だが、私の事、好き過ぎないか?」
「えへへ……。まあつまり何が言いたいかっていうと──」
「集一が何を思って何を考えてるかなんて、私は全部分かってる。だって私、集一の奥さんだもん」
「……」
「ここを早く抜け出して、現実に戻りたい……。〝今の〟集一にとってそれは、「
「君らしいな。だがそう易々と逆らえるものなのか? こんな世界を作り上げるような
「ふふんっ! 私を誰だと思ってるの? 世界で一番諦めの悪い「新道集一」の奥さんだよ? そんな何処の誰かも分からないのに左右される程、お安い女じゃありませんっ!」
「……私はもう、新道集一ではないぞ」
「関係ないよ。私はいつまでも、いつだって
「……まったく。相変わらず自分の世界観でモノを語るんだな」
「あったりまえよ。私は集一の記憶から再現されたんだから。再現度最高よ?」
「ふふふ。そうだろうな」
「……」
「……」
「……」
「……さて──」
私は縁側から立ち上がる。
すると何の前触れもなく私の姿が「新道集一」ではなく「クラウン」のものへと変わり、何故だか淡く光り輝く。
「……へぇ。それが今の集一の姿なんだ。イケメンだねー」
「集一ではない、クラウンだ。……少々名残惜しいが、もうそろそろ目を覚まさなくてはな。待たせている人がいる」
「……
「ああ。君と違って冷静沈着で、実に
「ふーん? スッゴイ妬けるんですけど?」
「私の思い出が何を言っている。……君に申し訳なさが無いわけではない。だが──」
「ふふ。分かってる。私は集一が幸せなら、何だって良いよ」
「……そうか」
淡い光が少しずつ私を包み込み、存在感が希薄になっていく。体感、後数分も無いだろう。
「久しぶりに、君とちゃんと話せて良かった。ありがとう、
「夢の
「クラウンだ。……頑張るよ」
そう告げた瞬間、再び私の意識は暗転する。
だが今度は意識が沈んでいく感じはしない。寧ろ浮上していくような、不思議な浮遊感が伝わってくる。
そして──
「────ラウ──さ──」
ん?
「──クラウ──ン──さん──」
ああ、愛しい声が呼んでいる。
「────クラウン──さんっ──」
これは、応えねばならないな。
「──クラウンさんッ!!」
部下達と、友と、愛しい彼女の為に……っ!!
「くっ!?」
僅かでも触れれば致命的になりかねない根による刺突の嵐を、私は何とか誘導しながら
その中でクラウンさんにぶつかりそうなものはマルガレン君が大盾で受け流して、なんとか全て回避する。
「ハァ……ハァ……」
「ハァ……ハァ……ろ、ロリーナさん……大丈夫、ですか?」
「ハァ……んぐ……だ、大丈夫」
私達は今、女皇帝ユーリによるトールキンの猛攻を捌いている。
前衛と後衛に別れて、ヘリアーテちゃん達六人が前衛、私とマルガレン君が後衛を受け持った。
前衛である彼女達でトールキンの攻撃を可能な限り崩してもらい、それでも漏れ出してしまったものを私達二人で捌き切る……。
それを、大体一時間……。一秒も休みなく続けていた。
「ハァ……ハァ──っ!! 次、来ますっ!!」
「う、うんっ!!」
今度は幾本かの刃が並ぶ枝葉がクラウンさんに迫るのを、私達二人でいなす。
体力も、思考力も、集中力も、そろそろ限界が近い。
トールキンの根や枝葉……時には果実のようなものによる多種多様な攻撃はどれも強力で、一つ受け方を間違えればコチラに大きな隙が生まれてしまう。
前衛の六人は、そんな小さく──けれども大きいミスを互いにカバーし合いながら何とか防ぎ切ってはいる。
けれども私達二人──主に私はそうもいかなかった。
クラウンさんを助ける為にマルガレン君を呼び寄せた私の《
いや、厳密に言えば関係ない場面で考える事は出来る。
けれどいざ、それが必要になるような状況になるといつの間にかその思考が抜け落ちてしまって、行動に移せない。
これが結構厄介で、二人で連携する時に少しノイズのようなものが挟まって、行動が遅くなってしまう。
そしてそれを補おうとして余計な体力を使ってしまうから、私達二人は減っている筈のトールキンによる攻撃を防ぐのにかなり神経を使い、苦労していた。
幸いなのは女皇帝ユーリがクラウンさんを仕留める事に執着心を見せていて、その攻撃の殆どが進化中の彼を目掛けて飛んで来る事。
これならある程度は軌道を読めるし、逸らす方向も絞る事が出来るから余計な思考をしないで済む。
「……」
爆発する果実を《風魔法》で他所へ弾いてから、進化中のクラウンさんへ目を向ける。
今のクラウンさんは、真っ黒な蠢く〝何か〟に包まれていた。
──クラウンさんが
ほんのりとクラウンさんの身体から黄金の光が発せられ、それが彼の身体全体を包み込んだ。
そしてそのタイミングでクラウンさんが齧った
するとクラウンが放っていた黄金の光が更に増し、直視するのが難しいほどにまで眩く光り輝いて、次にクラウンの両腕──
元々淡く赤色と血色に発光しているのを、普段はスキル《変色》を使い肌色に変えてから衣服で隠し、スキルが使えなくなった今は衣服と
けれどあの時はそんな服や鎧をすら貫通する勢いの光量で発光し、黄金と赤、血色の三色が混ざり合った、複雑な様相になってた。
理由は分からなかったけど、その後にクラウンさんの口から今彼を包んでいる何かが溢れ出して、どうでもよくなった。
私とマルガレン君は慌てて駆け寄ろうとしたけど、それをクラウンさんは制止して──
『すぐ戻る……だから私を頼むぞ、二人とも』
その言葉を最後に、クラウンさんは溢れ出した黒い泥みたいなものに全身を包まれて、真っ黒な蛹みたいになった……。それが現状。
アレから何も……クラウンさんに変化はない。
時間が経つ度に不安が募る……。
進化は進んでるのか?
いつまでこの状態なのか?
進化は……ちゃんと出来てるのか? 失敗してないか?
…………このまま、死んでしまったら……。
「──ッッ!!!!」
色々と、限界だったのかもしれない。
思わずクラウンさんがこのまま目覚めず死んでしまう想像をした一瞬……その一瞬だけ、集中力が乱れてしまった。
そのせいで差し込まれた細く、鋭い根の一本が私もマルガレン君もすり抜けて真っ直ぐ、クラウンさんに──
「クラウンさんッッッ!!!!」
「……良い目覚めだ」
真っ黒な繭が、弾け飛ぶようにその内側から弾けて、割れる。
そこから伸びる赤く光る腕がその命を穿とうとした根をアッサリと掴んで止めた。
「──ッ!!」
「愛しい人に名を呼ばれながら目覚めるのは、気分が良い……。身体と合わせて最高の調子だ」
クラウンを包んでいた黒い繭は金属質の欠片のように細かく割れ、崩れ落ちる。
そして現れたるは、数メートルにまで伸びた髪を風に棚引かせる「三色の
「新生私のハッピーバースデーだッ! お前の復讐と執念の炎、吹き消しに行ってやるから神妙に席に着けユーリッッ!!」
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