第七章:暗中飛躍-10
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(……最近、皆の様子がどうもおかしい……)
暮夜。
森精皇国アールヴ国内、首都霊樹トールキン。その最上階に一する王城区にて一人、老齢のエルフが執務室で政務に励みつつそんな事をふと、思い耽る。
(今までも陛下の一挙手一投足に怯え、強い発言が出来ずにいたのは確かだ。だが……)
この国の内務大臣を任されている老齢エルフは、そこで同僚達の行動を書類処理の効率が落ちぬ程度に思い返していく。
(露骨だったのはアヴァリの件。今まで彼女と接点が殆ど無かった大臣達が、最近になって接触を計っていたのはどういう事だ?)
アヴァリは元々エルフとしての基礎的な能力が低かった
しかしそんな境遇を違う才能を開花させる事で挽回し、見事軍団長にまで上り詰めて見せ、まさに返り咲いたわけだが、無駄に気位の高い大臣達はそんなアヴァリを快くは思っていなかったのだ。
そんな彼等であったのだが、アヴァリが南の監視砦に向かった数日前、積極的に接触していた事を老齢エルフは漠然と違和感を抱いていた。
(それに
と、そこまで考えていると執務室の扉が数度ノックされ、老齢エルフは目の前の書類から目を離さないまま「入れ」とだけ伝えて入室を促す。
「失礼致します。ご報告に上がりました」
入室したのは老齢エルフの部下である内務官の一人。見た目は人間年齢で二十台前半に見える彼だが、老齢エルフの部下達の中では最も優秀な実績を持っており、それが買われ最近になって彼の秘書を兼任し始めた。
「先程、ティリーザラ王国に対する公的な宣戦布告の書状を持った部隊が出発致しました。当国には約二週間程で到着する見込みとなっております」
「……そうか」
老齢エルフは一度羽根ペンを端に置いて一息吐くと、仕事前に淹れていた冷めてしまった紅茶に口を付ける。
「……新しいのをお持ち致しましょうか?」
「いやいい。丁度書類仕事を一区切りさせておきたかったからな。これを飲み切ったら少し休憩するとする」
「畏まりました。……?」
頭を下げ退室しようとした部下エルフだったが、そこでふと、目端に調度品が飾られた執務室には相応しくないある物が映り、何の気無しにそちらに視線を向ける。
「……気になるか?」
そんな部下エルフの視線に気が付いた老齢エルフがそう彼に問い掛けると、部下エルフは慌てたように返事をする。
「い、いえっ、そのっ……! 申し訳ありません……」
「ははっ。なぁに、構わないとも。……確かに素晴らしい調度品達が飾られたこの部屋に、その〝石〟は似つかわしくないな」
老齢エルフはそう言いながら立ち上がると、件の石が置かれた棚へと足を運び、それを手に取って愛おしそうに眺める。
「だが私にとってこの石は、ここに飾られたどの品よりも貴重で、大切で、そして愛おしい物なのだよ」
石は薄い桃色で、形は球形ではなくかなり
「何か特別なスキルアイテムなのですか?」
「いやいやいや。そんな大層な物じゃあないよ。本当に何の変哲もないただの石ころだ。特別では、あるがね」
「と、言いますと?」
「ははっ。この石はな。私の孫からのプレゼントなんだ」
老齢は懐からいかにも高級感溢れるハンカチを取り出すと、孫からのプレゼントという石を優しく優しく包み込みながら丁寧に磨いていく。
「数日前に私は七百五十歳の誕生日を迎えたんだがな。この石はその時にまだまだ幼い孫が誕生日プレゼントと言って持って来てくれたのだよ。いやぁ、あの時は本当に嬉しかった……。誕生日を祝われた事など何百年振りか分からんが、きっとこの事は寿命が尽きても忘れぬ」
エルフ族は寿命が約八百年〜千年ある長寿な種族。育った環境や食生活によって二百年という大きなブレはあるものの、何不自由無い生活をしていれば九百歳前後までは優に生きる事が出来る。
しかしそんな長寿であるが故、誕生日を祝う、という習慣は人族ほど定着してはおらず。家庭環境にもよるが、祝うとしても大体五十年〜百年までの期間が平均値。それ以上は祝う頻度が激減していく傾向にある。
七百歳を超える老齢のエルフなど寧ろ祝っている方が珍しく、歳を重ねる毎に誕生日すら忘却するのが常なのだ。
老齢エルフもそんな例に漏れず何百年と誕生日を祝われておらず、本人もそれを気にした事など一度も無かった。
が、つい先日。老齢エルフは数百年振りに誕生日を祝われる喜びを思い出したわけである。
「随分と、変わった形をされていますね」
「ははっ、ああそうだな。聞いた話では今孫は変な形の石を集めるのに凝っているらしくてな。この石はその中でも特にお気に入りだったという……。いやはや、可愛らしい孫を持って私は幸せ者だよ」
そう言って朗らかに笑う老齢エルフは石を磨き終わると、ゆっくりと元あった棚に戻し、満足そうに頷く。
だが次の瞬間。老齢エルフの顔色は真剣な物に変化し、固い決意を宿した目で部下エルフに振り向く。
「だからこそ、私達は今回の戦争に勝たねばならぬ。家内に息子夫婦……そして愛おしい孫の安寧の為にも、必ずだ」
老齢エルフのそんな強い決意の眼差しを一身に受けた部下エルフは、それに応えるように息を呑んでから頭を下げ、覚悟の言葉を紡ぐ。
「内務官でしか無い私ではありますが、この国……そして貴方様のご家族が健やかな生涯を送られるようこの身を賭し、全身全霊を以って戦勝に貢献致しますっ!!」
熱の籠った部下エルフのそんな言葉に感銘を受けた老齢エルフは、内心で〝良い部下を持った〟と誇りに思いながら彼の肩に手を置き、「よろしく頼む」と一言彼に告げる。
「……では、私は少し外の空気でも吸ってこよう。すまないがその間の対応は任せる」
「はい。畏まりましたっ!」
老齢エルフは部下エルフに笑い掛けると、そのまま気分良く執務室を後にした。
「ふぅ……。やはり部屋に篭りっぱなしはイカンな。外の空気のなんと澄んでいる事か」
老齢エルフは霊樹の外にまで足を運ぶと、肺一杯に外の空気を吸い込み、いかに執務室の空気が淀んでいたのかを実感しながらそんな事を一人呟く。
彼が居るのは霊樹から少し離れた場所にある湖の
アールヴはクイヴィエーネン大森林という途方も無い広さを誇る森林に覆われた国である。
エルフ達にとっては大変住みやすい環境であるこの森林だが、こと移動という面に於いては不便と言わざるを得ないのが現実であった。
密集した森林であるが故に馬などの長距離に適した移動手段は使えず、鳥などの飛行手段も生い茂る木々の影響で離着陸は困難を極める。
よって移動は
しかし、これの非効率極まりない移動手段に全力で眉を
ユーリは新たな職として「転移職員」というものを発案し、アールヴの主要各地に《空間魔法》が使える者を派遣。転移職員による《空間魔法》のテレポーテーションを使い、即時目的地に行き来出来る「瞬間移動交通」を確立したのである。
老齢エルフもそんな瞬間移動交通を利用し、トールキンから現在居る湖へと転移。存分に職務の疲れを癒しているのである。
「しかし時間が時間だからな。流石に私以外に誰も──む?」
彼が何も期待せぬままに辺りを見回してみると、畔に置かれたテーブルと椅子に一人、深い緑色のコートを身に纏い深くフードを被った者が書物片手にティーカップを傾けていた。
(……こんな時間に、明かりも点けずに読書だと?)
畔には一応、輝く霊樹の葉を利用した街灯が幾つか建てられてはいるものの、すっかり日が沈んだ暮夜で読書が可能な程明るく周囲を照らしているわけではない。
まともに読める筈もない本を一人読む人物……。老齢エルフは積み重ねて来た経験から来る直感による「関わらない方が良い」という警告に従い、職場に帰ろうと踵を返した。
しかし──
「来たばかりでもうお帰るのか? つれないなぁ」
書物に視線を落としていた怪し気な人物は、視線を一切動かす事無く老齢エルフに話し掛け、彼の足を止めさせる。
「……私に、何か用ですかな?」
彼はそのままコートの人物を無視する事も出来た。
だがあの人物の声音を聞いた瞬間、先程まで関わるな、と警告していた直感が手の平を返して「逃げるのはマズい」と主張し始め、老齢エルフはそれに従ってしまったのである。
「ああ。何せ私はお前を待っていたのだからな。直ぐに帰られてしまっては困る」
(私を、待っていた?)
一体どういう事なのかとコートの人物に振り返ると、彼はいつの間にか老齢エルフの直ぐそばまで近付いており、そのフードから覗く人物の顔に老齢エルフは驚愕の声を上げる。
「き、貴様っ!! 人族かっ!?」
コートの人物はその叫びを聞いて薄く笑うと、そのままフードを外す。
露わになり最初に目に飛び込んで来たのは珍しい配色をした髪色。
黒を下地に赤いメッシュが疎らに入ったその髪色は一目で相手を印象付け、忘れる事を許さない。
精悍な顔立ちからは鋭く、けれども不思議と穏やかさを宿した双眸は黄金色に輝き、妖しく老齢エルフを見据えている。
「な、何故人族が……このような場所に……」
老齢エルフは内心で「有り得ない」と何度も叫ぶ。
何故ならここはエルフの国であるアールヴの中心地。霊樹トールキンからもそう離れていない敵地のど真ん中なのだ。
国の境界ならばいざ知らず、このような中心地に人族が入り込むなど不可能。仮に侵入したのであれば優秀なエルフ族の戦士が必ず発見し報告が入っている筈なのだ。
「ふふふ。やはり
「お前も、だと……? どういう意味だっ!?」
「まあまあ落ち着け。今日は少し、話をしに来たんだ」
人族の男の言葉を聞き、老齢エルフは鼻を鳴らしてから威厳を込め、高潔な態度でもって否定的に言い放つ。
「話? ふんっ! 貴様のような人族と交わす言葉なんぞ持ち合わせてはいないっ! 諦めて早々にこの場から去るか、もしくは──」
老齢エルフは腰に手を持って行くと、そこにあるホルスターから木製の杖を引き抜き、人族の男へと突き付ける。
「この場で私が貴様を細切れにしてくれるわっ!!」
何百年と内務職を務めていた老齢エルフではあるが、決して魔法の腕が無いわけではない。
重ねて来た年齢の分、その経験と熟練度も比例して高水準へと到達している。決してナメて掛かれない存在なのは間違いないのだ。
「さあどうする? このまま動かぬのなら私自ら──」
「ほう、良い杖だ。有り難く貰っておこう」
「何を──っ!?」
人族の男の口角が吊り上がったその瞬間、老齢エルフの目の前から男が唐突に消える。
すぐさま辺りを見回そうとした老齢エルフであったが時既に遅く、気が付けば男によって彼の腕は掴まれ、そのまま捻り上げられると地面に転がされてしまう。
「ぐおっ!?」
「丁度、杖も欲しいと思っていた所だ。いやはや思い掛けない収穫だな」
男はそこから老齢エルフの手首を更に捻ると彼から杖を取り上げてしまい、老齢エルフの腕を離すと奪った杖を突如開いた漆黒の穴へ無造作に放り込む。
「き、貴様……」
「悪く思うな。これも自己防衛と私の欲望を満たす為……。それに最初から言っているだろう? 私はお前と〝話し〟をしに来たのだよ」
「……くっ」
「ああ因みに助けを呼んでも無駄だ。
「……」
奥歯を強く噛み締めながら立ち上がった老齢エルフに対し、男はわざとらしい笑みを浮かべると空気を改めるように一拍手を叩く。
「さて。話を聞く姿勢が整った所でだ。単刀直入に言う──」
男は口角を更に吊り上げると、その口から予想外の言葉が吐き出された。
「お前達の主、女皇帝ユーリを裏切れ」
「なっ……」
男から発せられたまさかの要求に、老齢エルフは思わず息を呑み、目を限界まで見開く。
「ほ、本気で言っているのか? 本当にそんな要求を私が呑むと思っているのか?」
そうだとすればなんという愚か者か。
老齢エルフは常識が通じぬ相手と認識し始めた人族の男を訝しみながら内心で毒吐くと、男は笑みを絶やさぬままに答える。
「ふふふ。流石にそうは思っていないさ。……ただ状況次第では、その限りではない」
人族の男はコートの懐へ手を伸ばすと、そこから一つの石ころを取り出す。
「……石?」
それは何の変哲もないただに石ころ。薄く青みがかった色で
「なんだ、それは……」
「おや? 案外鈍いんだな。こうして見せれば直ぐにでも勘付くと思っていたのだが……。見た目より耄碌しているんじゃあないか?」
「戯れ言を……」
「戯れ言か……。ならば教えてやろう」
男は摘んだ指で石ころを弄びながら老齢エルフへとゆっくり歩み寄り、その石ころが良く見えるように彼の目線に持って行く。
「この石ころ。実は何時間か前に小さな女の子に貰ってな。暇潰しにちょっと遊びに付き合ってやったらお礼だと言って私にプレゼントしてくれたんだよ」
「プレ──まさかっ!?」
そこで老齢エルフの脳裏に最悪なイメージが思い浮かぶ。
目の前で妖しく笑う人族の男が、我が最愛の孫と一緒に遊び、自分と同じように石をプレゼントする……。そんなイメージを。
「ふふふ。あの子、変わった形の石が好きみたいでな? いやはや私とあの子は実に趣味が合いそうだよ。私も幼い時分、変わった形の石をよく集めていたもの──」
「貴様ぁぁっ!! 私のぉ……愛しい孫に何をするつもりだぁぁっ!?」
怒号を飛ばす老齢エルフに対し、相も変わらずニタニタと笑って見せる人族の男は石ころを懐へ仕舞い直す。
「安心しろ。私とてあんな幼気な女の子をどうこうしようなんて手段は取らない……」
「……」
「……とでも言うと思うか?」
「──っ!?」
人族の男は先程までの絶えなかった笑みから一変。至極真剣でいて決意が漲り、真っ直ぐな信念を宿した眼光をもって老齢エルフを見据える。
「私は王国が勝利する為ならばあらゆる手を尽くせる限り尽くす。例えそれが外道や非道であろうとも絶対に容赦はしない。必要であれば女子供にだって手を掛けよう」
「き、貴様は……」
「だがだからといってそういった犠牲を避けられるならば私だって避けたい。外道も非道も歩めずに済むのならばそれに越した事はないんだよ。……なぁサイロス──」
男は老齢エルフ──サイロスの肩に手を置くと彼の目を覗き込み、平坦な口調でゆっくり問い掛ける。究極の二択を……。
「決めるのはお前だ。さあ選べ。私に従いユーリを裏切って孫を守るか、それとも可愛い孫を見捨ててユーリに忠誠を貫くか……。今、この場で決めろ」
「……わた、私は……。私は……」
数分後。
サイロスは湖の畔に置かれた椅子に深々と座り、ただ意味も無く湖面を眺める。
魚の居ない湖はその湖面を大きく揺るがす事はなく、僅かに吹き抜ける風のみが小さな小さな
「……」
人族の男によって与えられた既に二択にすらなっていない選択を迫られたサイロスは、当然の選択肢を選び、ただひたすらに無力感に苛まれていた。
「笑えぬ……。笑えぬよ。本当に……」
決まりきった選択をした後、サイロスは人族の男に様々な事を聞かされた。
ユーリの正体、思惑、行動原理。
人族に対する余りに非道な裏工作や経済的打撃。そしてダークエルフを生贄に「暴食の魔王」を利用した人族虐殺計画。
今まで忠誠を誓っていた我らが女皇帝陛下の余りに醜悪な非道の数々を聞かされ、思わず耳を塞ぎたくなった。
今まであった忠誠心が音を立てて崩れていく中、人族の男はそんなサイロスに追い討ちを掛けるような真実を告げた。
『アールヴの主要な権力を持った大臣達の掌握はお前で最後だ。これで私も漸く自国の仕事に専念出来る』
「ははっ。道理で大臣達の動きがおかしかったわけだ……。私以外、既に奴によって利用されていたのだからな。……だがこれで私も、晴れて彼等の仲間入りというわけだ……」
サイロスの虚しく笑いながら少しだけ痛む首元へと手を伸ばし、先程作られた傷をゆっくりなぞる。
それは人族の男の手によって小さな蛆を埋め込まれた痕。逆らえば脳を食い破り無抵抗のまま死に至る最悪の枷であった。
「これでアールヴの主要機関は奴に握られ、政治態勢も、情報も、そして迫る戦争さえも我等は自由を失った……。これでは、もう……」
人族の男は去り際、真剣な声音で残していった言葉がある。
その言葉がサイロスを含めたアールヴの大臣達が暴走しない為の抑止力となっており、唯一縋るしかない細い細い蜘蛛の糸にもなっていた。
『私はエルフを滅ぼすつもりは一切無い。我が国が勝利を収めた暁にはエルフ達とは和平を結び、互いに利害関係を築きながら発展していきたいと考えている。それが私が目指す、この戦争のゴールだ』
「ははっ。あんな若造の絵空事に未来を委ねるしかないとは……。情けなさ過ぎて涙が出そうだ……」
自身が愛した孫の幸せな一生も、彼の思い描く未来にしか存在し得ない……自分の手では描いてやれない……。そんな現実に、サイロスは大きな溜め息を吐く。
「……さて。そろそろ帰らねば部下達が心配するな。仕事も終わらせなければ」
サイロスは椅子から立ち上がり、転移職員が居る場所まで向かう。
果たして自分は、ここに来る前と同じような熱量で仕事に打ち込めるのか?負けると分かっている戦争に、今までと同じように信念を持って挑めるのか?
「はぁ……。戦争が済んだら隠居しよう。役目を全うすれば、彼だってそれくらいのワガママは許してくれるかもしれん……」
サイロスは孫と楽しく過ごす夢を見ながら、空虚な政務が待つ執務室へと帰ったのであった。
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