幕間:滑稽-4

「…………逃げなければ」


 散々呻き散らし、辿り着いた答え。それはこの様な失態を晒したスーベルクに対してやって来るであろう異種族国家からの刺客。それからの逃亡であった。


 スーベルクは急いでこの書斎に他に大事な物がないか確認し、皮袋を持ってそれらを中に押し込んでから書斎を後にする。


「クソ……、「魔炎の燭台」すら無くなっていたではないか……。まあいい、今はそれどころではない」


 そう愚痴をこぼしながらスーベルクは自身の雇っている使用人の中でも優秀な者二名を探し、その二人に外に馬車と食料と詰めるだけの金品を用意するよう伝達する。


「あ、あの、一つ宜しいでしょうか?」


「チッ、なんだ?」


「マルガレン坊ちゃんはどうするのですか?」


 その名を聞き、スーベルクは眉間にシワを寄せる。


 元々マルガレンはスーベルクの実子ではない。病死した妻はその病気のせいもあり子を授かれなかった。その後再婚の機会は何度かあったもののその全てが上手くいかなかった。


 だからといって後継者が一人もいないというのは世間体を考えれば非常に聞こえが悪い。目の前の男で終わる一族と懇意になろうとする貴族など居ない。故にスーベルクは養子を迎えた。世間体を保つ為だけの子供、それがマルガレンであった。


 そしてこの時、スーベルクは一切迷う事なく決断を口にする。


「よい、彼奴が居ては邪魔になる。どうせ放っておけば教会が拾うだろう」


「で、ですが……」


「くどいっ! そもそも私は彼奴の私を見る目が気に食わんかったんだ! 捨て置け! あんな子供!」


 そうして逃走の準備が整い、異種族国家がある反対側、北側へと馬車を走らせた。行き先は懇意にしていた男爵位の男が治める町。そこに転がり込む算段でいた。


 スーベルクは真夜中を走る馬車に揺られる中、頭を抱え考え込む。今回の騒動、一夜にして天から地の底にまで堕ちた原因は何なのかを。


「クソ……、しかし一体誰が証拠を盗んだ? いや、誰が盗む計画を立てた?」


 だがいくら考えてもわからない。自分には何一つ落ち度がないという前提の思考に答えなどなく、またその思い込みを利用された故の結末にスーベルクは辿り着けすらしない。


 そうして馬車を走らせる事一時間。心労から睡魔に襲われうとうとしていたスーベルクに、容易に覚醒されんばかりの衝撃が襲った。


「な、何事だ!?」


 衝撃の正体は馬車が緊急停止した事によるものだった。スーベルクは一瞬もう異種族の刺客に捕まったのかと冷や汗を流すが、馭者台から降りてきた使用人の様子を見て違うのだと察した。


「一体何なのだ?」


「旦那様! ハーボン殿です! ハーボン殿が居ました!!」


「なんだと!? ハーボンだと!?」


 スーベルクは馬車から降り、前方を確認する。真夜中故に見え辛かったがそこには見慣れた小太りの男がこちらに元気一杯に両手を振って歩み寄って来るのが見えた。


「おお! ハーボン!! 生きておったかあ!! よくぞ無事帰った!!」


 大手を振り、ハーボンを迎えるスーベルク。予想だにしていなかった従者との再会に思わずハーボンの背中に手を回し抱き着く。


「本当に無事で何よりだ! だが今は時間が惜しい、色々と事情が変わってしまってな、馬車の中で説明する故、さあ中へ」


 そう言ってハーボンを馬車へ促すスーベルク。だがここでスーベルクはある違和感を感じる。


 ハーボンという男はスーベルクのご機嫌を伺い、常に調子の良い事を言う男。スーベルクが暗殺をハーボンに提案した時でさえ楽観的に振舞っていた。


 だが今のハーボンは再会してから一度として口を開いていない。ただただ張り付いた様な笑顔だけ。


「のぉハーボンよ、オヌシ何かおかし──」


 瞬間、スーベルクは腹部に熱を感じる。何かが弾けた様に広がり、徐々に痛みが滲む。視線を下に下げると、そこには肉厚の男の手に握られた刃物が腹部に食い込んでいる光景。肉厚の手の男、ハーボンは無機質な目でスーベルクの顔を伺うでもなくひたすらに自身が刺している刃物を更に深く捩じ込もうとしている。


「は、ハーボン……っ! な、何故……」


 ハーボンに問い掛けるが、返事は無い。そしてハーボンは刃物を今度は勢い良く引き抜き、スーベルクの腹部からは夥しい量の血が流れる。


「一体……、どう、い、う……」


 スーベルクはその場に力なく倒れ、滲む視界でハーボンを仰ぐ。するとハーボンの姿は徐々に霞み、握られた刃物以外の全てが一変する。


 そこに立っていたのは褐色の肌と先のとがった耳を持つ、少年とも少女とも取れそうな中性的な容姿のダークエルフ。


 それを見た瞬間、スーベルクは全てを悟った。逃げ道など無いのだと、助かる道など無いのだと、自分は今、死ぬのだと。


 暗転する意識の中、走馬灯の様にぼんやりと頭に浮かんだのは父の顔。無様にも恥ずべきと断じた父と何ら変わらない自分の半生を思い返し、余りの滑稽さに、最期に自嘲気味に笑った。

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