第六章:殺すという事-16

 


 王都から馬車に乗り二週間。


 平野をひたすら進み続け、辿り着いたのは明確な木々による境目。


 まるで線を引いたかのように平野から突如として深い森林が鬱蒼と広がり、別世界への境界があるように錯覚する。


 ここからは明確にエルフの領土──森精皇国アールヴになっている。つまり密入国になるわけだ。


 国からの勅命であるが明確な犯罪行為。エルフ達に知られれば侵略行為と見做みなされ先制攻撃の大義名分を与えてしまう。


 過去の負い目からこちらから先制攻撃を仕掛けられない以上、最低ラインである向こうからの公式な戦線布告がなされるまでは事を穏便に進める必要がある。


 故にこの作戦。エルフ達──特に本拠地である霊樹トールキンに住うエルフ達に一切伝わってはならない。


 慎重に事を進めなければ……。


「馬車はここまでだ。ここからは歩いて行くぞ」


「え、馬車と竣驪しゅんれいどうすんのよ?」


「馬車は私がポケットディメンションに仕舞う。竣驪しゅんれいには悪いが木陰に暫く隠れて貰うが……大丈夫か?」


 そう私が竣驪しゅんれいに語り掛けると、彼女は精悍な表情で「ブルルンッ」と鼻を鳴らす。


 うん。大丈夫そうだな。


「待っている間、野菜やら果物やらを詰めた袋を置いておくから好きなだけ食べなさい。長くても半日で戻るからそれまでな」


「ヒィィィン」


「よしよし。では──」


 ポケットディメンションを開き、馬車をその中に格納する。


 ついでに別のポケットディメンションを開いて武器を取り出していき、ロリーナ達五人にそれぞれ手渡していく。


 勿論、稽古用の刃の潰れた物ではなくあらかじめ用意しておいた殺傷能力のある真剣や鈍器だ。


「ここから監視砦まで約二キロ。それまでに出来る限り心の準備をしておきなさい。良いな?」


「はい」


 ロリーナは普段通りの調子。落ち着いているのは感心出来るが、いざという時はどうなるか分からん。注意を払わねばな。


「ええ……」


 ヘリアーテは渡した直剣を握りしめ眉間にシワを寄せている。緊張と不安を自分の中で必死に抑え込もうとしているが、そのせいで身体に無駄な力が入っている。少し危ない、か……。


「うん」


 グラッドはいつもの飄々とした態度を引っ込め、真剣味を含んだ顔立ちをしている。恐らくこの五人の中で一番〝そういう事〟が身近なものだったのだろう。ロリーナとは違った落ち着きがある。が、だからといって何もかも平気だろうと油断してはいけない。


「おう」


 ディズレーの顔にも緊張が窺えるが、決して取り乱すような類のものではく、程よい緊張感だ。ただ見た目や態度とは裏腹にコイツは案外メンタルが弱かったりするからな。相手の顔や声を聞いて取り乱す可能性は十分にあり得る。


「……」


 一番の問題はロセッティだな。数日前の盗賊の一件以来、時折複雑な表情を垣間見せたり、私に対して今までとは違った顔を見せるようになった。私からの言葉を受け、何か思う所があるのか、それとも……。


 色々と問題は山積み。そして問題は容赦無く増していくだろうな。


 そんな問題を解決していくのが今回の私の仕事の一つだ。私も、気合いを入れなければ。


「ではお前達。……行くぞ」


 私は掛け声の元、その足をアールヴへと踏み入れた。


 ______

 ____

 __


「ふぁ〜〜〜〜あ……」


「随分デカイ欠伸あくびだなエゼル。寝不足ってわけでもないだろ」


「退屈なんだよレン……。わかんだろお前だって」


 鎧を身に付けたエルフの青年──レンは、欠伸で目に涙を滲ませた隣に立つエルフの青年──エゼルにそう言われ「まあそうだけど」としか返せず不満そうな顔をする。


 レンとエゼルは今、砦内にある待機所で皿に盛られた木の実を齧りながら退屈そうにしていた。


 彼等エルフの青年達は国からの勅命によりここ南の監視砦の防衛と管理を言い渡された。


 そう。防衛と管理だ。決して敵情を探る事ではない。


 この南の監視砦は以前の人族との戦争やそれ以前のいざこざでも殆ど利用された事のない形だけのお飾りの砦。「無いよりはマシ」「牽制程度には使える」という目的しか存在しない念の為の砦である。


 故に本来の「敵情の監視」という目的としては使われる事は無く、女皇帝の心配性から「やらないよりマシ」と、人族との本格的な戦争を見計らって最近青年エルフ兵士達二十三名が詰められたわけである。


 彼等もそれを承知でこの砦の任務に従事したわけだが、だからと言って退屈しないわけではない。


「やれる仕事といえば砦内の整備や掃除……。長い間手が付けられていなかったからやってもやってもボロが出て来て終わんねぇし、退屈しのぎのカード遊びや鍛錬だってもう飽きて来た……欠伸くらい出るっての」


「だけどお前、その鎧周りに自慢しろって親父さんに言われてたろ? もういいのかよ」


 レンに指摘され、エゼルは自身が身に付けている鎧に目を落とし苦笑いを浮かべる。


 彼の鎧は他エルフの鎧と比べて一回りも二回りも上等な物で出来ており、同じ砦内では一番目立ち高価な代物である。


 エゼルは自身の父親にその鎧を砦内に居る仲間達に自慢し、少しでも上の役職の同族達に認知して貰えるように、というささやかな狙いがあるのだが……。


「はあ……。そんなの殆ど効果無いの分かるだろ? ここに居る上の役職と繋がりがある仲間なんて一人か二人……しかも自尊心強いから報告なんて絶対しないぞ?」


「まあ、そうだろうな」


「というかお前だってお袋さんからプレゼントされた剣、自慢すんだろ? 俺のほどじゃねぇけど、お前のだって上等だろうに……」


「お前の後だと存在が霞むからやらない。それよりさっきお前が言った自尊心強い奴に上手く取り入って俺をアピールした方が効率良いだろ?」


「ちょ、お前ズルッ!?」


「何がズルいだよ。何も考えずボーっとしてる奴に何か言われたくないね」


「えー、良いじゃねぇかよー。俺も混ぜてくれよー」


「絡むな絡むな気持ち悪いっ!! あーあ、折角お前の鎧と俺の剣の話を上手いことアイツらに吹き込んで上に伝えて貰おうと思ってたんだけどなぁー。残念だなー」


「悪かった悪かったって!! なあ頼むよぉ。この任務終わったら俺とゼルリム結婚すんのお前だって知ってるだろ? 今後の事考えると少しでも足掛かりが欲しいんだよー。頼むよー」


「……はあ。そう思ってるんなら自分から動けよなぁ、まったく……。まあ、仕方ない、か」


「え、本当かっ!?」


「俺からの結婚祝いだと思ってくれ……。言っておくけどお前の為じゃないからな? ゼルリムが貧困生活送る姿を見たくないから仕方なくだ」


「はいはい分かってるって。……お前との約束だ。ゼルリムは俺が絶対に幸せにする。お前から奪ってまで恋人になったんだ。それだけは曲げない」


「……ああ。……さてと」


 レンは座っていた椅子から立ち上がると待機所の出口に向かって歩き出した。


「俺は先にあの自尊心高い奴等にお前を紹介しておくよ。そんでお前は後から偶然を装って合流してくれ。その方が演出が効いてお前の印象が強くなる」


「さっすが凝るねー。じゃ、頼むわ」


「まったく……。俺はお前の召使いじゃないんだがな……。ま、いっか」


 そうボヤきながらも満更ではない顔をしたレンは、エゼルに軽く「じゃ」とだけ言って手を振って待機所を後にする。


「いやぁ。頼りになるな。流石は俺の親友だ。……つうか更に暇だな」


 この待機所には他にもエルフが何人か居るが、見知った者は別に居ないし、そもそもグループを作っていて入る隙はない。今から関係を築くのも労力がいるだろう。


「んー、鍛錬場にでも行くかー? でも余り夢中になるとエゼルの言ってたタイミング逃すかもしんねーし……。しゃあねぇ、ボーッとするか。……ん?」


 エゼルは凝り固まった背筋を伸ばそうと両腕を高く上げる。すると今まで気が付かなった〝ある変化〟に対し、眉をひそめた。


「……なんか、窓塞がってないか?」


 __

 ____

 ______


「よし。砦にある窓や裏口は全て《精霊魔法》を使って岩で塞いだ。これで奴等は逃げられん」


 資料にあった詳細な砦の見取り図を見ると、内部に一箇所隠された抜け道が存在するが、そこは私が真っ先に塞ぎに行けば問題は無い。


 仮に見取り図に無い抜け道が存在していても、私の天声による警戒網があれば造作もなく看破出来るだろう。……というか。


「砦の筈なんだがな……。見張りどころか門番すら居ないのは流石に問題じゃないか?」


 数分前に到着した時はそこを一番に警戒したのだが、まさか誰も外を見ていないとは……。いくら保険の砦とはいえ雑過ぎる。これは攻められても文句言えんだろう。


「まあいい。さて君達」


 私は振り返り五人の正面に立つ。


「砦の異常事態にエルフ達は間もなく気が付くだろう。もう時間は無い。用意は良いな?」


「はい」


「ええ」


「うん」


「おう」


「……はい」


「エルフの総数は全部で二十三名。最低でも一人四人が目標だ。余った三人は私が必要に応じて君等に殺させる。これは決定事項だ」


「……」


「さあ、諸君──」


 私は砦の大きな正面扉に手を翳し、蒼炎の火球を手の平に作り出す。


「人生最初の、侵略だ」


 火球が放たれ扉に着弾する。


 ──ドオォォォォォンッッッ!!


 爆炎が燃え盛り轟音が鳴り響く。それと共に扉は吹き飛び土煙を上げ、砦内の侵入が可能となった。


 それと同時に私達は武器を手に一斉に走り出し、土煙を突っ切りながら一気に砦内に侵入。砦内は爆発音によって「何事だ」と騒がしくなり混乱が広がるのが分かる。


 と、扉を通過した辺りで──


「う……うぅ……」


 何やら呻き声がし、その方向に目をやるとどうやら扉の近くに一人エルフが居たようで、私が扉を吹き飛ばした衝撃の巻き添えを食らったらしい。


 見た感じ怪我自体は軽微だが、突然の爆音と衝撃により脳が上手い事処理し切れずにいる様子。


 …………ふむ。


「ロセッティ止まれ」


「は、はい?」


「他の者は予定通り各部屋へ向かいなさい。対象が混乱していようが武器を持っていなかろうが構わず殺すこと。良いな」


 ロセッティ以外が頷くと、四人は予め立てていた作戦通り各部屋へと走っていく。


 呼び止められたロセッティは困惑しながら私に歩み寄ると、私の目線の先を追い、床にうずくまるエルフの青年を見付けた。


「この人……」


「殺しなさい」


「──っ!?」


 私の言葉に目を見開いて驚き私を睨むロセッティは、それから再びエルフの青年に目を向ける。


 中々立ち上がれない所を見るに軽い脳震盪を起こしているのだろう。だがこのまま呆然と見ているだけではいずれ立ち上がり抵抗される。


 何よりロセッティに割り当てた部屋の攻略が遅れてしまうしな。


「ここに来た目的を忘れたなど言わせんぞ。私達は〝戦いに来た〟のではない。〝殺しに来た〟んだ。例え相手の背後からだろうと、相手が立ち上がれなかろうと、その目的は変わらない」


「で、ですが──」


「死ぬかもしれんぞ?」


「……え?」


「コイツ一人を見逃せば誰かがコイツに殺されるかもしれんぞ? ヘリアーテを背後から、グラッドを死角から、ディズレーを遠距離から……ロリーナを隙から、殺すかもしれんぞ」


「そんな、極端な……」


「その極端が起こるのが戦争だ。私達が今、ここに居る、ここは戦場なんだ。殺らねば殺られる。それくらいは分かるだろう?」


「……それでも」


 ロセッティは私の方をキッと睨む。


「それでも無抵抗の人を殺すだなんて出来ませんっ!!」


「……そうか」


 ふむ。良くも悪くも純粋で真っ直ぐな子だ。私にさえ出逢わなければ濁らずに済んだかもしれんな。この純粋さを濁さねばならないと思うと気が咎めないでもないが……。


 ……是非も無い。


「なら〝殺す理由〟を作ってやろう」


「え」


 私は障蜘蛛さわりぐもを《蒐集家の万物博物館ワールドミュージアム》から取り出し、今もうずくまっているエルフの背中を斬り付ける。


「『がはァァ……っ!?』」


「──っ!? な、何をっ!?」


 斬り付けられたエルフは呻き声を上げ、私の突然の行動に目を見開くロセッティ。


 そんなロセッティに毒が塗りたくられた刃が見えるように分かり易く突き付ける。


「この障蜘蛛さわりぐもには様々な種類の猛毒を自在に調合するスキルがあってな。今この刃には斬った相手の呼吸器の運動を極めて希薄にし、呼吸困難を引き起こすテトロドトキシンに似た毒が塗られている」


「な、んで……そんな……」


「理由を作ると言ったろう? このままではこのエルフは徐々に呼吸が出来なくなり、じきに息が出来ずに至極苦しみながら死ぬだろう」


「だからっ! なんでそんな惨いこと──」


「お前が介錯してやるんだ」


「なっ!?」


「お前がその手で死なせてやればコイツは苦しむ事なく逝ける。だがお前が手をこまねけばこまねく程、苦しむ事になる。さあ、どうする?」


「そ、んな……」


 本当はこんな事せずに済むならそれに越した事はなかったんだがな。


 私だってわざわざ相手を苦しめるような事をするような趣味はないし、このやり方はロセッティを追い詰めてしまう点で余り宜しくはない。何より私に対する印象面が最悪だ。


 だがこのまま手を下せずいつまでも足踏みしている時間は本当に無い。何より彼女には覚悟を決めてもらわねば話にならんのだ。例え私が彼女にとって悪人に写ろうと……。


「時間は無いぞ。そろそろ奴等が混乱から回復し始める。それに──」


「『ガッ!? ガグァァァ……』」


「毒も回り始めた。このままでは苦しみながらコイツは死ぬ事になるな。……さあ、ロセッティ」


「ッッ……」


 ロセッティは手に持っていた金属杖を振り上げる。その先端は鋭利に尖り、彼女の力でもこのまま振り下ろせば容易に脳幹を貫けるだろう。


「くっ……」


 彼女の手が震える。


 振り下ろせば簡単に消えてしまう命を前に、奪えてしまう命を前に、彼女は思わず目を瞑ろうとする。


「目を開けなさいっ!」


「──っっ!?」


「ちゃんと見なさい。背けるな。その手で奪う命に向き合い、しっかり受け止めなさい。お前が奪う命に……敬意を払いなさい」


「………………くぅっ……。あぁ……あ……」


 ロセッティの口から、呻きにも似た息が漏れる。


 覚悟は、決して直ぐに生まれるものではない。


 少しずつ……本当に少しずつ積み重ね、気付かぬ内に出来上がるものだ。


 大きな器に一滴づつ水滴を落としていき満たしていく……そんな地道で途方も無い。けれど大きな意味を持つ、決死の途。


 ロセッティは今、その一歩を──


「あああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッッッッ!!!!」


 絶叫と共に振り下ろされた鋭利な杖は、


 震える手とは裏腹に、


 真っ直ぐ、


 青年の頭に振り下ろされた。

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