第七章:暗中飛躍-16

 


 占星術とは本来、天体の位置や動き等を生活や社会に結び付ける占いである。


 この世界にいてもその性質自体は存在するが、そこに魔力という物質が絡む事によってまた別の側面が露わになる。


 それが、占星術による〝確率操作〟。


 と、言っても言葉から感じる程、そこまで万能ではない。


 その年、その季節、その日、その時間……。


 その瞬間に頭上に広がる天体の配置により〝確率操作〟の性質は事細かに変容し、更にそこに使用者の魔力量や魔力操作能力。そして何より〝運〟によって千変万化するのだ。


 ユウナが持つ魔導書・賢者の極みピカトリクスはそんな占星術の極意が収められた世界唯一の書物であり、賢者の極みピカトリクスを持つ者は自身に降り掛かるあらゆる事象を望むがままに操る事が叶うという。


 ……しかし、それも賢者の極みピカトリクスを正しく理解し、運用出来ればの話。


 手にしたばかりのユウナに、そんな事が──


「出来るわけないじゃないのよぉぉぉぉっっ!!」


 走るのに大きく揺れて邪魔な腰の賢者の極みピカトリクスを抱えるようにしながら、ユウナは今、三人の盗賊に追い掛けられていた。


 彼女の実力ならば、盗賊との一対一の勝負に負ける事など万に一つもありはしない……の、だが盗賊達も馬鹿ばかりではない。


 学院生徒達を一人として始末出来ておらず、ただ自分達の数ばかりが減り続ける現状を良くないと判断した盗賊が徐々に徒党を組み始めたのである。


 それ故に三人の盗賊はユウナ一人をターゲットとし、しつこく執拗に追い回しているのだ。


 一人相手ならば魔術を発動する隙も窺えるだろうが、三人からなる連携によりそれも難しく、剣などの武器の扱いに全く慣れていないユウナにとっては近接戦を仕掛けるのも無謀。


 結果、何も出来ずに逃げ回るしかなくなっているのだ。


 ユウナも序盤で一人手に掛けていればそんな苦労もしないで済んだのだろうが、命を奪う事を躊躇ちゅうちょしてしまっていたのも災いし、解決策も見出せぬまま、体力が尽きそうな現状に頭を悩ませていた。


「あ゛ぁぁん、もうっ!! どうすりゃいいのよぉぉっ!!」


 思わず荒い声音を上げてしまうユウナであるが、文句を口にしても何も始まらない。現状を打破しなければ折角一人も出ていない犠牲者の第一号になってしまう。


 それだけは嫌だ、とユウナは懸命に頭を働かせた。


 しかし、そんな極限状態で思い付ける手段など限られている。そして思い付いたのは、やはり……。


「や、ヤケクソでもやらなきゃ……っ! この……この賢者の極みピカトリクスでっ!!」


 ユウナは走りながらなんとか抱えたブックカバーの封を外し、賢者の極みピカトリクスを取り出すと適当なページをめくる。


 素早くページに目を走らせるユウナだが、やはり中身は暗号化されており、複雑怪奇に羅列された文章がその場で読めるわけもない。どれだけ文字を読みページを捲ろうと、その現実は変わらなかった。


「むぅううぅぅぅ……。結局、何も……うん?」


 そんな現実に嫌気が差し、無意味に顔を天に向けると、暮れ始めた空の隅に一つの煌めきが目端に映ったのに気が付く。


「まだ少し明るいのに、星……。随分明るい星だなぁ……」


 暮れ始めたとはいえ空はまだ目に見えて明るい。そんな空で既に輝いているのだ、恐らくは中々に近く大きい恒星か何かなのだろう。


「はあ……。私は何を暢気に空なん──んん!?」


 ユウナが自嘲すると、開いたままだった賢者の極みピカトリクスに並ぶ文字列が淡く光っているのに気が付き、彼女は目を見開いた。


「ちょ……何が──」


『あ──わ──あ──し──』


「え……え……?」


 光る文字列をしっかり視界内に入れた瞬間、ユウナの脳内に唐突に極めて不明瞭でノイズだらけの音声が流れた。


『ま──が──よ──』


「何っ!? なんなのよっ!?」


『だ──い──こ──あ──う』


「だか、らッッ!! なんなのよっ!!」


 訳も分からない状況に混乱し頭痛が起こり始めた。その瞬間──


「うわぁっっ!?」


 様々な考え事をしながら走っていたせいで足を動かす事が疎かになり、彼女の足は唐突にもつれてしまったのだ。


 ユウナの身体は何の抵抗もなく前のめりに倒れ始め、このまま行けば顔面を地面に強打すると共に擦り付けてしまうだろう。


 しかしユウナがそれを受け入れるわけもない。


 彼女は咄嗟に賢者の極みピカトリクスを畳みながら身体を捻るとギリギリの所で肩から地面に着地し、そのまま地面を転がるようにして受け身を取った。


「はぁ……はぁ……。な、なんとか上手く受け身取れた……けど」


 顔を見上げると、彼女を追い掛け回していた三人の盗賊が、思いの外足が早く持久力のあったユウナに漸く追い付いたと荒い息を上げながら近付いてくる。


 今から立ち上がり再び走り出したとしても、きっとすぐに追い付かれてしまうだろう。最早ここまで来たら迎え討つしかないのだが……。


「やるしか……ない……」


 散々逃避してきた盗賊を殺さなければならないという現実を漸く直視したユウナは、近付いて来る盗賊達に対して片手を突き出し、そこに魔力を集中させる。


 が、ずっと全力で逃げ回っていた事と初めて人を殺傷するというプレッシャーによって魔力操作が安定せず、上手く魔術を構築する事が出来ない。


 そうしている間にも盗賊達は刻一刻とユウナへ近付き、その焦燥感に苛まれ更に魔術の構築は不安定になる。


「もうっ! もうっ!!」


 ヤケクソ気味に幾つかの《風魔法》を乱発するユウナ。


 しかしどれも威力は中途半端な上に軌道すら安定しないものばかりで盗賊達には当たりもしない。


 そしてその内盗賊達はユウナの前にまで迫り、彼等は下卑た笑みを浮かべながらユウナを見下す。


「へ、へへ……。やっと捕まえたぜクソガキがぁ……」


「み、見た目の割に速ぇ足しやがって……。ぶっ殺してやる……」


「キレイな顔でちぃっともったいねぇが……。今それどころじゃねぇからなぁ……。まずはコイツぶっ殺して仲間の士気を上げねぇとなぁ……」


 口々にそう言う盗賊達の明確な殺意の篭った六つの目に、ユウナは背筋に凄まじい寒気が這い上がるのを感じ、寒くもないのにガタガタと身体が震える。


 立ち上がって逃げようにも足腰に力が入らず、ただ賢者の極みピカトリクスを両手で抱き締めながらズリズリと地面を後退するしか出来ない。


「あ……あぁ……」


「覚悟せぇやクソがッッ!!」


 そんな弱々しいユウナに、盗賊は一切容赦無く手に持つ斧を振り上げ、思わずユウナは目を閉じる。そして一気に振り下──


「がぎゃぁっっ!?」


 突然聞こえて来た奇天烈な声に、ユウナは恐る恐る閉じた目を開ける。


 するとそこには振り上げた斧をそのままに硬直して胸から刃を生やした盗賊の姿があり、そんな彼を仲間の二人が目を見開いたまま固まっていた。


「な、何が……」


「ごふぁっっ!?」


「わっ!?」


 胸から刃を生やした盗賊が口から大量の血を吐くと、そのまま耐え切れず手から斧を落とし、ユウナの側へ膝から崩れ落ちる。


「て、てめぇ……。何しやがったっ!?」


「は、え? わ、私っ!?」


 勿論、ユウナに身に覚えなどない。ただ怖がって目を瞑っていただけなのだから。


「そうだろうがっ!! こんなタイミングで都合良く剣が飛んでくるわけねぇだろうがっ!!」


「……剣、が?」


 そう。盗賊から生えていた剣の正体。


 それはなんの突拍子もなく、なんの脈絡もなく、ただ喧騒の中から弾き飛ばされた剣が盗賊の背中に刺さり、胸まで貫いたものだったのだ。


「わ、私は何もしてないっ!!」


「ウルセェっ!! 仲間の仇……償ってもら──」


 と、怒号を上げる最中。彼の背中に何かが当たり、赤い光を発するとそれは一気に広がった。


 今度は何処からともなく火球が飛来し、叫んだ盗賊に命中、炎上する。


「ぐわぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!?」


 一瞬にして全身に火が回った盗賊は武器を放り投げながら踠き苦しむと地面に倒れ、なんとか火を消そうと転げ回る。


 しかし既に全身に回ってしまっている炎を転げ回った程度で消火など最早不可能。火傷の激痛と息苦しさに徐々に悶える動きが鈍り始め、数分としない内に一切動かなくなってしまう。


「あ、あぁぁぁぁ……」


「う、嘘……」


「う、ううわぁぁぁぁっ!!」


 訳も分からないまま二人の仲間が死んだ残り一人の盗賊は、錯乱しながら雄叫びを上げると持っていた剣を振り上げてユウナを叩き斬ろうとする。


 が、次の瞬間──


「だ……だずげ……」


「おわっ!?」


 まだ若干息のあった剣を生やした盗賊が斬り掛かろうとした盗賊の足を唐突に掴んで助けを乞い、それに驚いた最後の盗賊がバランスを崩す。


「おわぁぁっ!?」


 そして崩れたバランスをなんとか立て直そうとし、掴まれていない足で改めて踏ん張ろうと位置を変えようとする。


 するとそこには先程丸焦げになったもう一人の盗賊の身体があり、踏んでしまうと同時に癒着した服と皮膚がズルリと剥がれて滑り、余計にバランスを失いそのまま身体が傾き出す。


「あ、あぁぁぁぁっ──がぁっ!?」


 完全に支えを失った盗賊の身体はそこから何も出来ずに真横に倒れ込み、直後ただ倒れただけの筈の盗賊が何やら悲痛な呻き声を上げてから一切動かなくなってしまう。


「え、えぇ……。何?」


 状況が全く飲み込めないユウナは、そんな最後の盗賊に何があったのか分からず困惑し、取り敢えず確かめようとなんとか腰を持ち上げ立ち上がる。


「──っ!? う、そ……」


 彼女の目に入ったのは余りに悲惨な光景。


 なんと倒れ込んだ盗賊の首に、剣の刃が切り込まれていたのだ。


 その剣は元々丸焦げになった盗賊が手を離していた剣。落とした際に地面に転がっていた石に支えられて刃が上向きになっており、最後の盗賊が倒れた際にその刃が首に切り込んだのだ。


「な、何……が……。はっ!」


 ユウナは目の前の信じ難い出来事に思わず放心しそうになったが、ふと目端に抱き抱えた賢者の極みピカトリクスのページが淡く光ったように見え、再び本を開いて視線を落とす。


 すると今度はページにあるとある一節だけが光り輝いており、それが目に飛び込んで来た瞬間、また頭に何かの声音が響き出した。


『なか──よう──』


「これ……この本が?」


『これ──ほん──あな──だ』


「うぅーん……。何言ってるのか分かんないぃ……」


『ふは──まだ──よう──。しょう──さい』


「だから分かんないってっ!!」


『いず──あお──』


「あ、ちょっとっ!!」


 そこから声は聞こえなくなり、ページの光も収まってしまう。


「もう、意味分かんない──って、え?」


 こんがらがりそうになる頭で先程光っていた一節に目を向けてみると、なんと暗号化が解かれており読めるようになっていた。


「え、えーっと……。「夕暮れ輝く一番星。意図せず見付け得る事叶うたならば、汝に一時の幸運降り注がん」って……」


 その瞬間ユウナの脳裏に過ったのは、何の気なしに見上げた夕暮れ空で見付けた一際輝く星。正に一節にある文言そのものな状況であったのだ。


「は、ははは……。これって、最早占星術って領域じゃないよね……」


 そう。占星術は本来、ここまで都合良くなどない。


 確かな技術、知識、経験を身に付けて初めて相応の効果を発揮する代物。素人が星を見付けた程度で三人もの命を奪えるものではないのだ。


 だがそれでもユウナにそれが降り注いだ。


 それは何を隠そう魔導書・賢者の極みピカトリクスに内包された、祈りの質によって幸運をもたらす《祈祷》、祈りの強さによって幸運をもたらす《祈願》、地属性の星の位置によって幸運をもたらす《土星の加護》の効果が重複した結果でもある。


 のだが、一番の要因は──


「私に幸運とか……一番似合わないっての」


 彼女は知らない。


 自身に宿る《幸運補正・I》《幸運補正・II》《幸運補正・III》《幸運補正・Ⅳ》《幸運補正・Ⅴ》《瑞神の加護》そしてそれらを全て内包し、幸運系最上位であるユニークスキル《瑞神の寵愛フォルトゥーナ》の存在を……。


「で、でも一応私がやった、で良いのかな? うんっ! そういうことにしようっ!!」


 そう色々な面倒事を頭の隅においやりながらユウナはそそくさと賢者の極みピカトリクスをブックカバーに仕舞い直し、懐から長方形の石板を取り出す。クラウンに迎えに来て貰うためだ。


「大丈夫、だよね?」


 若干の不安を抱え、ユウナは小さく「通話開始」と呟いた。






 そこは神界。


 神々が世界を管理し、見守り続ける人智の及ばぬ領域。


 そんな神界の一角で、一柱の神が首を捻っていた。


『…………』


『どうかされたのですか?魔導神様』


 そんな一柱に声を掛けたのは彼により生み出された分神が一柱。魔導神と呼ばれた神に最も頼りにされている分神であった。


『もしやここ最近観測されている世界の魔力の流れについてお悩みなのですか?』


『……いや、何。そこは吾輩は問題視していない。精霊達に任せている以上、吾輩達が手を出す事ではないしのう』


『では何を?』


『……世界に散らばる魔導書について、知識はあるか?』


 分神はそう問われると、数秒悩んでからその答えをおもむろに口にする。


『確か……。魔導神様の加護を得た賢者が創造した幾つかの書物の総称、ですよね? 幾つあるかは存じ上げませんが、手にした者には壮大なる知識と力が宿る、と……』


『左様。そしてその魔導書には、吾輩が生み出した分神達が宿っておる。貴様の先輩にあたる、な』


『ぶ、分神をですかっ!?』


『何を驚愕している?世界に散らばる名のある品には吾輩の分神だけでなく、他の神々の分神も宿っている事は珍しくない』


『な、成る程……。それで魔導神様。その魔導書がどうかなさったのですか?』


『ふむ』


 魔導神はその身を構成しているマジョーラに輝く紫紺色の超高濃度の魔力を揺らすと、一つの宙に浮くウィンドウを滑らせ、分神に見えるように動かす。


 そこには地上の景色がまるで定点カメラからの映像のように映し出されており、一人の少女の姿が浮かび上がっていた。


『……この少女は?』


『ここ最近、その魔導書の一冊を手にした人族──いや、正確には人族とエルフ族の混ざり者だ。先程、力の一部を行使した』


『なんと……。この若さで、ですか?』


『ああ。手にしたばかりで、だ。本来有り得ん』


『確かにそうですね……。手にしたばかりで一部とはいえ力を行使するなど……。魔導神様はそこをお悩みで?』


『左様。その上宿っている分神の声も、断片的ではあるが耳にしていたようだ』


『なんとっ!! そのような事が、本当に……』


『間違い無い。それに……』


『それに?』


『……あの少女から、何やら良からぬ気配を感じる』


『良からぬ、気配?』


『ああ。…………命令する』


 魔導神は振り返ると、その一瞬で自身の周囲に現在行動中の全魔導神の分神を招集し、静かに、そして重く命を下す。


『この混ざり者の監視を中心に警戒せよ。新たな動きが有り次第報告するのだ。更には〝例の封印〟が万全かを確かめ、監視を強化。場合によっては他神や他分神の協力も得、対策し、万一異常があれば即座に報告せよ。良いな?』


『『『『はっ!!』』』』


『よし。行け』


 そう発した瞬間、分神達は即座にその場から喪失し、その空間には魔導神一柱だけになる。


 そうして再びウィンドウに意識を向けると幾つかそれをスライドさせ、とある一人に注視した画面で止める。


『……異様な気配は一つではない、な……』


 そこには黒を下地に赤の疎らなメッシュが入った髪色をした少年が、歳不相応に騒乱の中を悠々と闊歩している姿が映し出されていた。


『……場合によっては、吾輩達も話し合わねば、な……』


 魔導神はウィンドウを消すと、何もない虚空へポツリと呟く。


『嫌な予感が止まらぬな』


 と……。

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