第七章:暗中飛躍-31
「ふぅ……」
スターチスは一息つくように小さく息を吐くと、すっかり冷めてしまった紅茶の入ったティーカップで口を潤し、グラッドに視線を向ける。
「どう? 君や君のボスが知りたかった僕の情報だった?」
「……」
グラッドは難しい顔をしながら、必死に混乱する頭の中を整理する。
それもその筈。彼の語った
これが仮に戦争を控えるエルフの事や、その他種族の内情。はたまたティリーザラ王国の裏側の話であったならばグラッドでもある程度判断出来ただろう。
だが現実として語られたのはスターチスが千年近く昔から生きている不老不死者である事と「暴食の魔王」の始まり……。
その余りの突飛でスケールの違う内容は、彼を当たり前のように混乱させ、半ば思考停止に陥っていた。
これが果たして重要なのか、そして今必要な情報なのか最早グラッドには理解も感情も追い付かないのだ。
(これは本当にボスが欲しがってた情報なのかな……? それとももっと国とか他種族に関係した事を聞き出すべき? でももう時間が……)
そうやって無言のまま自問自答を繰り返すグラッド。
するとそんな黙ってしまっているグラッドを穏やかな目でただ見守っていたスターチスの視線が少しだけ外れ、彼のサングラス越しの左目の方へと集中する。
「彼には少し重い内容だったみたいだね。期待を掛けるのは判るけど、初任務ならもっと軽い方が良かったんじゃないかな?」
スターチスのその言葉にグラッドはハッとなって彼を見遣る。
二人しか居ない筈のこの空間で、まるでもう一人別の──もっと言うならばグラッドのボスであるクラウンに向けての言葉に聞こえたからだ。
「……分かるの?」
「うん。《遠隔視覚》と《遠隔聴覚》で僕の話聞いてるんでしょ? 君んトコのボスはさ」
《遠隔視覚》と《遠隔聴覚》は、魂の繋がりが強い者の視覚と聴覚を自身と共有する事が出来るスキル。
グラッドはそれによってリアルタイムでスターチスによって
「でも君に指示までは出せないみたいだね。まぁ、だからそうして切り上げるかもっとボクから情報を引き出すか悩んでるんだろうけど」
それを聞き、グラッドは薄寒いものを感じて思わず身体を震わせる。
そう。これはあくまでもグラッドからクラウンへの一方通行な情報共有に過ぎず、クラウンから指示を受けるにはまた別のスキルが必要。
《遠話》のスキルもあるが、このスキルには会話するのに限界距離があり、今のグラッドとクラウンの間にある長距離での会話は出来ない。
故にこの場面での状況判断は全てグラッドが進めなければならず、またクラウンとしても彼に経験を積ませる目的で敢えてその手段を取っていなかった。
それをスターチスは見抜いている。それだけでグラッドからすれば得体が知れず、ただ恐怖感を感じ身震いしたのだ。
「ボクもね。本当はもっとゆっくり話していたいんだけど、今はそっちの都合が悪い。申し訳ないけど、今日はこれで我慢してよ」
そう言って椅子から立ち上がったスターチスに、グラッドは急を滲ませながら慌てて制止する。
「ちょ、ちょっと待ってよっ! お前の言葉を信じて良い証拠がまだ──」
「必要? それ」
「え……」
追い縋ろうとするグラッドをスターチスが今までに無かった鋭い視線で睨み付けると、彼は思わず立ち止まる。
「ボクの言葉の信憑性なんてさ、この際どうだって良いんじゃないの? 今重要なのは与えられてる任務を充分な結果で持ち帰る事……。下手に欲をかくと最低限すら達成出来なくなる。君のボスならそこを
「くっ……」
ぐうの音も出せず奥歯を噛むグラッド。
そんな彼にスターチスは尚も鋭い視線と冷たい口調のままで続ける。
「聞きたい事、一杯あるのは分かるよ。何でボクがこんな宗教を作ったのかとか何で魔物を増やしたがってるのか、とかね」
「……」
「でも言っておくけどね。今君が置かれてる立場ってかなり特別なんだよ? ボクが個人的に
「……」
一通り言い終えたスターチスは、露骨に落ち込みを見せるグラッドに「まだまだ未熟だね」と小さく呟いてから溜め息を吐く。
「まあ、今日は本当に機嫌も気分も良いから色々見逃してあげるけど、今日みたいに甘い事やってたら君だけじゃなく君が敬愛してる君のボスまで不利益を被るんだ。忘れない事だね」
「……うん」
「はぁ……。歳を取ると説教臭くなってダメだな。ははっ」
そう言って自嘲気味に笑うスターチスは、ゆっくりと出口の方へ向かうと扉を開け、グラッドを促す。
「さあ、流石に時間だ。今日はもう帰る事だね」
「……最後に」
「ん?」
「最後に二つだけ、良い?」
「まったく、しょうがないな……。何?」
グラッドは促された通り出口まで歩くと、スターチスの方へ振り向かないまま二つの質問を彼へと投げ掛ける。
「まず最初。君なら何となく判ってるだろうけど、ボク達は逃げる為にこの教団の人間を襲うよ。それを見逃して良いの?」
「惨殺するわけじゃないんでしょ? なら彼等にとっては寧ろ良い発破になるんじゃないかな。最近鈍ってきてるって、リード言ってたし」
「そう。なら最後。……なんで、ボクを持て成したの? 教団に迷惑しか掛けてないボクなんかに」
「あれ? 言ってなかったっけ?」
可愛らしく子供っぽい仕草で首を傾げるスターチスに、グラッドは苦笑いしながら「聞いてない」とだけ言って呆れる。
「あはは。そっか、そりゃ意味分かんなくて混乱しちゃうよね。ボクも余り人付き合い良い方じゃないからさ。許してよ」
「いや、まあ、いいけど……」
「ごめんね。……で、何で持て成したか、だね。多分聞いても理解し辛いとは思うけど……」
「……」
「君から少し……ほんの少しだけ、お母さんの匂いがしたんだ。もうそれだけで、ボクは後五十年は頑張れるよ。ありがとうね」
「……うん。理解出来ないね」
「あはは。……今度はボスが会いに来てよ。大歓迎するからさ」
グラッドはそれを聞きながら、複雑な表情のままに古臭い木の扉を潜って行った。
「……お母さん」
スターチスは一人涙ぐむ。
もう二度会えない母の、もう二度と感じる事は無いと悟っていた母の温もりを僅かばかりに甘受し、満足そうに息を吐く。
「千年……生きてて良かった……」
「リードさんっ!!」
「魔天の瞳」幹部の一人、リード・スタイガンドが部下の一人に呼ばれそちらに振り返る。
すると焦燥感を顔一杯に滲ませたリードの部下、ゴルデフとヘテロが彼に息を切らしながら走り寄って来る所であった。
「落ち着け。被害状況は?」
「はぁ……はぁ……。い、一応、構成員に死傷者は居ません。ただ何人かは傷を……」
「酷いのか?」
「あ、いえ。それもちゃんと治療さえすれば何ら問題無いらしいっす。ただ……」
ゴルデフが言い淀んだ事で少し嫌な予感を覚えたリードは、半ば諦めながら「言え」と続きを促した。
「あの……例のシルヴィとかいう貴族の女が……。死んでました……」
「……はぁ」
リードは思わず頭を抱えると目の前の馴染み深い教会を見上げる。
そこにあったのは元々少し傷んでいた外壁や屋根が一部破壊され瓦礫が辺りに散乱し、窓が破られている凄惨な有様に変わり果てた我が家の姿。
教会内に至ってはもっと酷く、生活するにある程度の時間を要さなければならないような様相である。
そこに加えて客人として匿っていたシルヴィの死……。幹部であるリードでなくとも頭を抱える状況に、ゴルデフとヘテロも落胆する。
「それにしても、一体何だったんでしょうか? あの巨大な蝿の魔物様は……。あんな凶悪な御姿であれば、我々が感知出来ない筈はないのに……」
「解らん。俺達幹部の攻撃や魔法を
そう。この教団を襲い数人の怪我人を出したのは巨大な蝿の姿をした一体の魔物。彼等の崇拝対象であり、幹部が揃っていたにも関わらず何一つ太刀打ち出来なかった化け物である。
「あっ!! ていうか教祖様はご無事だったんすかっ!?」
「そうですよっ!! もしあの方に何かあったら俺達──」
「
「「──っ!?」」
「あの方なら何の心配もない。なんなら満面の笑みを浮かべながら「お金なら出すから頑張って」とこの前仕入れたジグソーパズルなる遊びに興じておられていた」
そう言いながらまた別の理由で再度頭を抱え、「まったくあの方は……」と小さく呟くリード。しかし教祖とは会った事がない部下の二人は感嘆するように息を呑んだ。
「さ、流石は教祖様……」
「俺達の心配なんて杞憂だったな……。スゲェぜっ……」
能天気な事を口にする部下二人を横目で見遣り、内心で少しだけ呆れるリードであったが、彼は彼なりにこの事態に色々と思う所があった。
(タイミングが良過ぎる……。もしやシルヴィを狙いに来たのか?)
彼が訝しんでいるのは蝿の魔物が襲撃して来たタイミングだ。
魔物を崇拝する教会の人間が今まで感知していなかった魔物が、シルヴィとかいう信用の薄い人間を匿った途端に唐突に現れ、襲撃をして来た。
しかも幹部達が総出で相手をして歯が立たなかった強大な能力を持っていたにも関わらず数名の怪我人だけで被害は済み、唯一の被害者はそのシルヴィのみ……。
これらに漠然と作為的な何かを感じるリードであったが、今は状況が状況でありアレコレと考察している余裕も時間もない。
既にシルヴィが
それらを加味し、リードは湧いた疑念を一旦胸に仕舞うと頭を上げ部下二人を見る。
「取り敢えず怪我人の治療だ。それとシルヴィの死体を持って来い。まだ色々と隠していたかもしれんしな」
「わ、わかりましたっ!」
「行ってきますっ!」
駆け出していく二人の部下の背中を見守るリードは、何度目か判らない深い溜め息を吐き、教会を見遣やり、思い返す。教祖スターチスとの先程のやり取りを。
『ああリード君リード君』
『はい。何でしょうか?』
『そう遠くないうちにお客さんを招くからさ。他の幹部達に周知よろしくね』
『お客さん、ですか? 初めてですね。貴方がお客を呼び込むなんて』
『うん。まあ
『……それはどういう意味で?』
『ううん。深い意味はないよ! んじゃ、よろしくね!』
「はぁ……。貴方の言葉が浅かった試しなど無いでしょうに……。気を、引き締めなければな」
リードは自身の肩に手を乗せながら腕を回すと、瓦礫が密集する箇所へと歩いて行った。
魔物崇拝教団「魔天の瞳」の行く末など、知らないままで……。
__
____
______
ふ、ふふふふふふ。
「……クラウンさん?」
ふふふふふふふふふ。
「クラウンさんっ」
「ああついに……。そうか、そうかそうか……。ふふふははっ」
「……クラウンさん」
ふふ──ん? お、おおっと……。
私が先程耳に聞いた思わず笑いたくなるような情報に気を取られていると、横に居るロリーナから何か冷たい声音を受け取り、ハッと我に帰る。
「ああすまないロリーナ。余りに素晴らしい成果を得られたもので、少々狂喜に酔ってしまった。君を無視したわけでないから、な?」
言い訳を交えながら私がそう弁明すると、ロリーナは少々困り眉になりながら小さく溜め息を吐く。
「貴方が喜ぶのは私も喜ばしいですが、今は出先です。少しだけ自重して下さい」
ロリーナの言う通り、今は少々出先だったりする。
こういう事態も考えて本来ならグラッドからの《遠隔視覚》《遠隔聴覚》での情報の受け取りは自室などで行うべきなのだろうが、時間の節約と称して出先で受け取っていた矢先にこれだ。
正直大した情報を期待していなかったのもあって気軽な気持ちで見聞きしていたのだが……余りの予想外の爆弾情報に咄嗟にロリーナを連れ物陰に行って聞き入ったのが、今である。
「ああすまない。だが君も聞いたらきっと驚く。それほどのものが投下されたんだ」
「はいはい。それにしても本当、アーリシアちゃんに見付からなくて良かったで──」
「ああっ!! こんな所に居たんですねっ!? 探しましたよっ!!」
ロリーナが危惧していた聞き馴染みのある声が案の定聞こえ二人して振り返ると、そこにはいつもの桃色のラインが走る神官服を身に纏った金髪碧眼の少女、アーリシアが仁王立ちしていた。
「もうっ!! 二人して急に居なくなったから心配したんですよっ!? 何かあったのかなってっ!!」
まあ、何かあったはあったのだが……。そんな血相変えて探し回られるとは思ってもいなかったぞ。
ふむ。取り敢えず……。
「心配を掛けたな。今戻る」
「え。何があったか教えてくれないんですか?」
……この子相変わらずだな。まったく。
「お前に教えるような内容ならロリーナと一緒に連れ出している。いいから戻るぞ」
それだけ言って歩き出した私とロリーナに、アーリシアは慌てながら併走し、懇願するような眼差しで私の顔を覗く。
「そ、そんなぁっ!! 久々に会ったのに冷たくないですかぁっ!?」
「戦争真っ只中の国に遊び感覚で来るような情勢も読めん奴など知らん」
本当、理解出来ん。
今朝方、出掛けようと自室を出た途端に「お久しぶりですっ!」と元気良く挨拶して来た時は
何せ今ティリーザラはアールヴと戦争状態に突入しているのだ。国外からの学院入学生は皆が皆自国へ一時帰国している中、当然アーリシアも一時帰国を余儀なくされ帰っていなければならない。
にも関わらずこの子は私がここ最近動き回っていて殆ど構っていなかったのを理由に「短くても良いから一緒に居たい」などととんでもないワガママを言って帰って来てしまった。
彼女の側付きであるラービッツも半ば
……まあ、その土産が以前ラービッツと試合をした際に彼女が使っていた鉤爪を直した物だったので、私もその場では怒るに怒れなかったのだが……。それにしても余りに非常識だ。
「良いかアーリシア。明日には必ず帰国しなさい。公国の最高権力者に並ぶ幸神教教皇の愛娘が他国で万が一にでも戦死など笑えないどころの話ではない。お前一人の生死で我が国が滅びるんだ。理解しろ」
「は、はい……すみません……」
「まったく……。ラービッツは勿論、まだ会った事のないお前の父である教皇には同情の念を禁じ得ない。奔放にも程がある」
「う、うぅ……」
突き放した私の言葉にアーリシアが落ち込み俯く。いつもならばここで少しだけ慰めのフォローを一言を挟んだりするが、今回は少々度が過ぎている。お灸を据える意味でも、今は甘い言葉を一切掛けん。
「……っ。クラウンさん、皆さんです」
「ああ。副団長にはちゃんと謝らねばな」
私達が抜け出した場まで戻ると、そこには──
「ああぁっ!! もう、いきなり居なくなったらダメじゃないの弟君っ!! せめて一言掛けてから離れてよねっ!!」
小柄で童顔。おまけに声音も甲高く一見少女にしか見えないような容姿の桃色髪のハキハキと元気の良い女性。
彼女は我が最愛の姉であり天才剣術家ガーベラ・チェーシャル・キャッツが団長を務める国家剣術団の副団長「ヴァイオレット・ヘッズマン」その人である。
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