第七章:暗中飛躍-30

 


 グラッドは身を潜める事もなく、悠々と「魔天の瞳」の教会を探り歩いていた。


 すれ違う構成員達もシルヴィの皮を脱ぎ去った彼には目も暮れず、仲の良い構成員同士で談笑しながら横を素通りして行く。


 勿論これはグラッドが所有している隠密系のスキルによって彼を認識出来なくなっているのであって、決して教会の構成員達が無能というわけではない。


 なにしろグラッドの所有する隠密系のスキルは殆どがクラウンから共有習得したものであり、通常では入手困難なアルカナ系スキル《月》すら所持している隠密のプロフェッショナルと化しているのだ。


 過激派宗教組織である「魔天の瞳」の構成員だからといって、只人に毛が生えた程度の実力しか無い者に、彼を視認する事は困難を極めるだろう。


 だがそれでも、最低限の警戒だけはグラッドは欠かしてはいなかった。


(幹部連中……特にあのリードって奴には注意しないとね。得体が知れないのが一番怖いって、ボスも言ってたし)


 グラッドは《解析鑑定》のような相手の情報をつまびらかにするスキルは所持していない。が、その代わりに《魂誓約》の権能によってクラウンから新たに《戦力看破》のスキルを共有習得する事に成功していた。


 彼はそんな《戦力看破》の権能を使い、「魔天の瞳」幹部を簡単に見定めたのだが、戦力という一面だけを見た場合あのリードという男がある程度の実力者である事が判明したのだ。


(これで万が一見付かっちゃったら色々と台無しだからねー。まー、そうならない為に幹部が揃ってる時間帯狙って会議に発展するように情報全部出したわけだけど──ん?)


 グラッドがそんな事を考えながら教会の奥へ辿り着くと、そこには四つの歪んだ瞳孔をした瞳の意匠が施された如何いかにも教祖が儀式か何かを催す部屋の扉が存在しており、一目でそこが目的の部屋であると察っせられた。


 そんな扉の出現に、思わずグラッドの肩の力が少しだけ抜けてしまう。


「いやまー、教祖の部屋行くなとは言われたけどさー……。普通見付けらんないような場所にあったりすんじゃないの? 悪の親玉の部屋って」


 この「魔天の瞳」はあくまでも国から許可を得ていない非公認な宗教組織。他の正式な教会とは違い、いつ誰が潰しに来るか判らないような危うい立場である。


 ましてやそのトップともなれば尚更表に顔を出せないのは自明。必然、そんな人物が居るであろう部屋も本来ならば隠されていたりする場合が殆どなのだが……。


「うーん。ボスが読み間違えたのかなー。それともあの如何にもな部屋が罠だったり……」


 すかさずグラッドは異様な扉に対し《罠感知》を使って見るもそれらしい物の反応は無く、また幻影のたぐいを疑い自身が持つ他の感知系スキルを試して見るが、判明したのはただ装飾が凝っている扉であるという事のみであった。


 それどころか鍵すら掛かっていない様子で、まるで誘い出されているような嫌な予感が彼の眉をひそめさせ頭を掻く。


「はー……。ここでジッとしてても仕方ないか……。よしっ」


 意を決し、グラッドは扉のドアノブへと手を掛け、ゆっくりと開け中を覗く。すると──


「──っ!? こ、れ……」


 室内は薄暗く、部屋の要所要所に立て置かれた燭台がぼんやりとその広い部屋の有様を妖しく浮き上がらせていた。


 グラッドの視界に入ったもの……それは幾つもの剥製であった。


 壁際に隙間なく並べられた大型の物はどれも腕の良い職人による躍動感溢れるものに仕上がっており、生前の生気すら醸し出している。


 壁飾られているのは首から下を木製の盾や台座に固定されている物。大型のものとは違い首から下が無いにも関わらず、その目に嵌められたガラス玉から視線を感じるような幻覚を覚える。


 鳥型に至っては天井から糸で吊るされた状態になっており、翼を広げ宙を浮く様は生きていた頃の情景をありありと見せてくれる。


(こりゃースゴイねー……。しかもこれ全部──)


 そんな部屋一杯に敷き詰められた剥製で一番注目すべき点。それはこれらが普通の動物などではなく、全て世間一般で知られる魔物で構成されているという事。


 部屋を埋め尽くす程の魔物の剥製があるという事……それ即ち、それだけの魔物を打ち倒せる実力者がこの教団に居るという事に他ならない。


 しかも、これらが置かれている部屋は教団の長である教祖の部屋……。もし仮にこの魔物の剥製達が教祖による作品であるならば、恐らく今のグラッドでは太刀打ち出来ないだろう。


(はは……。ボスが見たら喜ぶんだろうけど、ボクとしてはあんま居心地良くはない景色だなー……)


 内心で軽口を叩きながらも一切妥協の無い警戒心でもって周囲に目を光らせ、感知系スキルをフル稼働させ部屋を進み始めるグラッド。


(あーもう、気味悪いなーまったく……。腹いせにどれか手軽そうなのパクってやろうかなー)


 決して動き出すことなどない剥製達が発するそのリアルさから来る妙なプレッシャーに晒されながらそんな愚痴を胸の内でこぼしていると、拍子抜けするほどアッサリ剥製が見守っている部屋の奥まで辿り着いた。着けてしまった。


(…………いや逆に怪しいって)


 部屋を埋め尽くさんばかりの魔物の剥製の量……薄暗さも相まって本来なら罠など仕掛け放題である。


 グラッドとしては最悪この剥製が襲い掛かって来る可能性すらあると踏んでいたのだが、結果的にはただプレッシャーを掛けられただけ。


 教団にける支柱とも言うべき人物の部屋のセキュリティーとしては、このツギハギ感が逆にグラッドの猜疑心をくすぐっていた。


(うーんどうするかなー……。このまま素直にドア開けんのもなー)


 と、最適解を模索するそんなグラッドの耳に──


『大丈夫だよ』


「──っ!?」


 突然鼓膜を震わせた声。


 それは子供のように細く繊細で甲高く、けれどもその細い中に密度があるような重々しさも孕んだ不思議な声音だった。


 そんな声にグラッドはスキルを発動済みである事を手早く確認しながら辺りを速やかにめつすがめつ捜索する。


 しかし剥製達には何ら変化は無く、一通りの捜索が済んだタイミングで今度は同じ声音の笑い声が響いた。


『あはは。ぼくはそこには居ないよ。さっきあなたが立っていたドアの奥……。ぼくはそこに居る』


 謎の声に忌々し気に眉間に皺を寄せるグラッドだが、クラウンから共有されたスキルに引っ掛からずに声を届けて来る相手の正体を何となく察し、露骨な溜め息を吐く。


「はぁー。こういう場合は素直に従っとくのがセオリー、かな?」


『そうしてくれると助かるよ。アナタの時間が減っちゃうからね』


「……ボクの時間?」


『ほら。早く来て。罠とか無いから』


 何か引っ掛かる物言いに眉をひそめるも、今は声の通りにしようと再び奥のドアの前へと赴き、ドアノブに手を掛ける。


 腑に落ちない事など無数にある。


 不測の事態に足を踏み入れてしまった以上、本当ならばもっと警戒し、万全を尽くせるだけ尽くすのが確実だろう。


 だが今のグラッドにそこまでの時間と気持ちの余裕は無い。


 教団構成員にわざわざ風呂の用意をさせてしまっている手前、下手に時間が空いてしまうと違和感を持たれてしまうし、ムスカが計画通りの行動を取れば場は混乱し、逃げる隙を逃してしまいかねない。余り猶予は無いのだ。


 それにグラッド自身は相も変わらず飄々と構えているよう努めているものの、内心は緊張と焦燥と責任感と恐怖心で一杯一杯になっていた。


 敬愛するクラウンから託された初任務にして超重要任務。


 その重要性を直接説かれていたグラッドは軽い調子を取りながらも、今までに無い程に真剣に取り組み、準備をして挑んでいた。


 そして何事も無く遂行出来たと確信し、教祖についての情報を探ろうとした矢先、その確信が音を立てて崩れた。発見されてしまった故だ。


 例え声の正体がグラッドの考えている存在だったのだとしても、彼の理想として誰にも発見されずに任務を終える事に他ならない。


 半ば成功していた筈の任務が……散々クラウンに失敗は許されないと口を酸っぱくして言われていた任務が今からの自分の身の振り方一つで全て瓦解してしまう。


 グラッドはそんな恐怖心とこんな事態になってしまった事、それと他の解決法が編み出せないという自己嫌悪に苛まれながら、ただ言われた通りにドアノブを捻るしか出来なかった。






 その部屋は、グラッドが思っていたものとは全く違う様相を呈していた。


 目の前に広がるのは質素な……いや寧ろ古ぼけていて貧相な内装。


 辺境にある村落の家屋のように生活感に溢れ、所々で痛み、隙間風と困窮が似合うようなオンボロな一室がそこにはあったのだ。


 まるでドア一枚を隔てて別の空間に飛ばされたのでは、と錯覚してしまいそうな異様な変化に戸惑いを隠せずただドアの前で立ち尽くしてしまうグラッド。


 するとそんな部屋の右側にあるドアがおもむろに開けられ、そこから一つの人影が顔を覗かせた。


 グラッドはそんな人影に対し姿勢を低くくしナイフを構えるが、覗かせた顔を見てただでさえ付いて来れていない脳に更なる混乱をもたらす。


「……こ、ども?」


 そう。そこに居たのは子供。


 何処にでも居そうな……それこそ街へ訪れれば一日に何度か似たような顔の子とすれ違えそうな程に特徴の薄い少年が顔を出したのだ。


 確かに、先程グラッドに声を掛けたのは子供の声であった。


 しかしそれはあくまでも正体を気取られぬようにする為の細工であり、して重要な事ではないと、そう彼は思っていたのだ。


 が、現実に現れたのは十代前半に見える本物の少年。


 この余りの事態に、グラッドは思わず空笑いを浮かべると口が混乱に任せ軽口を漏らしてしまう。


「ははっ。教祖が子供って、そりゃ公認許可下りないわけだよ──っ!?」


 不用意に口にしてしまった言葉にハッとしたグラッドは、何かアクションを起こされないかと教祖と思われる少年に注視する。


 すると──


「あっはははっ! うん、そうだね。間違ってないよ。こんな見た目で教祖やってるだなんて、非常識と思われても仕方ないよね」


「……ふーん」


 思っていた反応と違った事に訝しむグラッド。


 すると少年は顔だけ覗かせるのを止め、ドアからその全身を露わにし、その格好に更にグラッドの疑問が増える。


 彼が着ていたのは所謂いわゆる軍服。濃紺色で質が良く、立派な詰襟には教団のシンボルが形取られたバッジが飾られている。


 内に白いワイシャツを着込み、同じ濃紺色のネクタイには四つの目を基調に複雑な柄が入っている。


 下に履いているのは動き易さを優先してかショートパンツの形状をしており、靴はその光沢感から上質な革が使われていると窺えた。


 貧相な内装の部屋には到底似つかわしく無いその軍服に、しかし軍服という服装の知識を持っていなかったグラッドは、些細な事から情報を引き出そうと素直に質問する。


「随分と畏まったような格好だけど、何それ? 全く部屋に合ってないね」


「ああ知らない? 軍服って言ってね。帝国軍が身に付けてる制服だよ。昔帝国兵を殺した時に勿体無いから剥ぎ取って、自分に合うよう改良したんだ。どう? 中々似合うでしょ?」


「……まー、どっかに需要はあるんじゃない? 部屋に合わないのはどうしようもないけど」


 〝殺した〟という物騒な言葉に警戒心を強めながら自分の調子を崩さないよう敢えて少し強めの語気を使ってグラッドは話を促す。


「うーんそれはそうだよ。こんなカッチリした格好を普段からしてるわけじゃないもん」


「へー。じゃあなんで着て来たのさ? まさか侵入者であるボクに礼儀を尽くす為……なーんて?」


「うん。アタリ」


 皮肉に対しアッサリ肯定した少年にグラッドは少しだけ驚愕すると、それを察した少年が薄笑いを浮かべながらグラッドに背を向ける。


「取り敢えずコッチの部屋に着いて来てよ。分かんない事とか、答えられるだけ答えてあげるからさ」


「それを信じろって? ボクそんなお気楽な奴に見えてる?」


「ううん、そうじゃないよ。本心からアナタと話したいし、伝えたいんだ。それに……」


「それに?」


 少年は顔だけで振り返ると、子供特有の無邪気さと大人顔負けの計算高さが滲んだ笑顔をグラッドに向けた。


「アナタ……他にボクを探る手段なんて無いでしょ?」


 本来煽り文句にも聞こえるその言葉は、寧ろグラッドの背筋に薄ら寒さが走りらせた。






 案内された右側の部屋には食卓テーブルが置かれており、備え付けの台所や食器棚、食料が仕舞われた棚や食料が入った樽、壺が置かれている何とも生活感に溢れるダイニングになっていた。


「好きな所に座ってて。お茶用意するよ」


「いやそんなゆっくりなんて……」


「直ぐだからさ。ね?」


「……」


 謎の威圧感に気圧される形でグラッドは渋々と椅子に座る。と、その瞬間に──


「はいお待たせ」


「──っ!?」


 席に着いた途端、台所でお茶の支度をしていた筈の少年がいつの間にかグラッドの隣に居り、彼の前に紅茶の注がれたティーカップが少年の手によって丁寧な所作で置かれた。


 グラッドは目の前に用意された弓削の立ち昇るティーカップと少年の顔を交互に見返し、そんな彼に少年はクスリと笑みを溢す。


「だから直ぐって言ったでしょ?」


「だ、だけど今のは……」


「まあまあ。そこら辺も含めてさ、ちゃんと話すから」


 そう口にする少年はグラッドが座る席の正面に座ると、いつの間にか用意していた木皿に盛られたナッツを摘み上げ、口へと放り込む。


 カリッ、カリッと小気味の良いナッツを噛み砕く音が質素なダイニングに響く中、グラッドは少々苛立ちながら少年に質問を投げ掛ける。


「まず基本的な事聞くけどさー。……君、本当に「魔天の瞳」の教祖、なんだよね?」


「ん? あぁー、そうだよ……って、まだ名乗れてなかったね」


 少年は口に含んでいたナッツを嚥下えんげすると、グラッドの目を真っ直ぐ見据えながらここに来て初めての自己紹介を始める。


「ボクの名前はスターチス・ジャバウォック。間違いなく「魔天の瞳」の教祖、そのものさ」


「……ジャバウォック?」


 改めて教祖であると語ったスターチスの自己紹介。しかしそれを聞いたグラッドは、そのファミリーネームに何処か聞き覚えがある気がして眉をひそめる。


「あぁ、君も聞き覚えある? ボクのファミリーネーム」


「うん。でも人の名前とか地名じゃないんだよねー。もっとこう……本とかで、見たような聞いたようなー……」


 そんなグラッドに対し、スターチスは少し嬉しそうに笑いを小さく溢す。


「そっか……。まだみんな忘れてないんだね……」


「え?」


「いや、何でもないよ。……うん、多分それだね。多分絵本とか、そんなんでしょ?」


「絵本……絵本、か……」


 そう言われグラッドは腕を組んで思い出そうと視線を上に向けた。


 一つ一つ丁寧に記憶の引き出しを遡って確認して行くと、嫌な思い出ばかりの過去の中、まだ自分が産まれて間もない頃の事を彼は微かに思い出す。


 物心が付くか付かないかの曖昧な時期……まだグラッドに母親が居た時の時分。中々寝付かない自分に母親が読み聞かせで良く絵本を読んでくれていた。


 それは王都の下街で貧乏暮らしをしていた中で、唯一ちょっとした贅沢をして買った絵本。


 父親には「贅沢しやがって」と怒鳴られ殴られしていたけれど、それでも寝付きが良くなる我が子を見て、グラッドの母親は心底幸せそうだった。


 母親の死後、グラッドの余りにも過酷な日常がそんな些細な幸せを土砂を積み重ねるようにして埋もれさせていき、今の今までずっと忘れていたのだが、それを何とか思い出す事が出来た。


「どう? 思い出した?」


「うん。でも本当に絵本の怪物から取ったの? 好きなのは勝手だけど、意味が分からない」


「ま、それだけしか知らないと、そうなるよね」


「は? どういう意味?」


「うーん……。じゃあ絵本の内容とかは覚えてる?」


「内容って……」


 グラッドはそこから更に記憶を探る。と、言っても内容はシンプルで、昔々に国を荒らし回った怪物「ジャバウォック」を二人の英傑が退治した、という話。


 その余りのシンプルな内容に英雄譚サーガにはなれなかったものの、その王道で分かり易い内容に、当時は読み聞かせに定番な絵本として普及していた。


「ただの怪物退治でしょ? 深い意味とか無かったじゃん」


「……そっか」


 スターチスは悲し気な表情を浮かべると、小さく溜め息を吐いてから椅子の背もたれにもたれ掛かり、少し寂しそうに話し始めた。


「その絵本ね。作り話じゃないんだ」


「……は?」


「多分人伝てとか、伝記なんかで内容変わっちゃったり端折られたり脚色されたりしてるんだと思うけどさ。本当はもっともっと……最低な話だよ」


「……それ、重要な話?」


 鋭く尖らせたグラッドの視線を受け、スターチスは困り眉を垂らす。


「うん。君の──というよりは、君の〝ボス〟にとっては、重要かな」


 ボス、という曖昧な単語を聞いて動揺しそうになったのをなんとか抑え込み、顎をしゃくって続きを話せ、と促した。


「ありがとう。本当はね、ずっと誰かに話したかったんだ……。分かってくれる人に、ちゃんとね」


 そうしてスターチスは語り始める。


 怪物退治の絵本「食いしん坊な四つ目の怪物」。その真実を……。

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