第四部:強欲若人は幸せを語る

序章:浸透する支配-1


 ──本格的な冬が到来し、積もるまでいかずともチラチラと雪が降る日も混じり木枯しが吹き抜ける、そんな冬の日。


 ただ一箇所、真夏すら思わせる圧倒的な〝熱〟を発する場所がある。


「ふっ!!」


「はあっっ!!」


 金属がぶつかる裂帛れっぱくが鳴り響く中に時折混じる、覇気の籠った吐息。


 地面は抉れ、割れ、吹き飛び。空気が切り裂かれるような甲高い音が幾度も幾度も周囲を走り回っていた。


「しっ!!」


「なんのっ!!」


 その災害を思わせる状況の中心。台風の目となって環境すら蹂躙するのは、二人の人族。


 一方は真紅の残光煌めかせる長髪を振り乱す、獰猛な獣の如き笑顔を満たす黄金色の瞳の女傑──ガーベラ・チェーシャル・キャッツ。


 そしてもう一方は黒地に赤斑らを差し、僅かに金色の輝きを宿した髪を持つ、悪鬼が如き邪悪な笑みを湛える三種三色の瞳を宿す重瞳の英傑──クラウン・チェーシャル・キャッツ。


 二人は今まさに、小さな戦乱さながらの戦闘を繰り広げていた。


「ならばっ!!」


「ほうっ!!」


 クラウンが振るうは、磁気属性を宿す可変式の棍・道極どうきょく


 ガーベラからの触れるだけで四肢の一部を持っていかれるような一撃を紙一重で躱しながらそれを構えると、道極どうきょくを長棍から旋棍トンファーへと瞬時に組み替え、一気に懐に潜り込む。


 間髪入れずガーベラの胴へ放たれた《蜂真突打クラッシュビーブレイク》だったが、彼女はそれを感心したような声を漏らすと共に体を捻りながら膝で蹴り上げて軌道を逸らし、中空へと空振りさせる。


「甘いっ!」


「どうでしょう?」


「なっ!?」


 道極どうきょくの一撃によって生じた隙に、ガーベラのジャバウォックの一閃が走る。


 だが刃が触れるその直前、刃は唐突にその軌道をあらぬ方向に曲がり、中途半端な角度と力しか入っていない一撃が道極どうきょくを叩く。


 ──道極どうきょくという棍は、その磁気属性を用いて六つの短棍を磁力により組み換える事で長棍や三節棍、多節棍や旋棍トンファーといった様々な形に可変させる武器である。


 しかし、その磁気属性の活用は何も形態可変にのみ用いているわけではない。


 指向性と強度を自在に変化させられた磁気は、打ち付けた物体に対して一時的に磁性を与え、磁極を駆使する事で凄まじい引力と反発力を発揮する。


 そして数度の攻防の末にジャバウォックの刀身に充分な正極の磁性が付与された事で、負極として磁性を発揮する道極どうきょくと引かれ合い、その攻撃を半ば強制的に道極どうきょくに吸い寄せる事を可能としていた。


「さあ姉さん。一緒に踊って頂けませんか?」


「魅力的なお誘いだが、今はこっちに夢中だぁっ!!」


「おぉっとっ!!」


 しかし、ガーベラは磁力によって道極どうきょくと引っ付いたジャバウォックを、彼女は道極どうきょくとクラウン諸共に膂力りょりょくのみで振り抜き、遠心力で無理矢理に引き剥がしてみせた。


 更に吹き飛んで行くクラウンに追撃を加えんとガーベラが走り出す。中空では体勢を整えられないと察してだ。


 だが、そんな姉の常識をアッサリと壊す。


「──っ!?」


 吹き飛んでいる最中、クラウンは涼しい顔で中空で身を起こすとその場で体勢を変え、あまつさえ悠々と武器を変更。


 追い付いてきたガーベラに対し装備した爆巓はぜいただきを構え、踏ん張りが効くようにと地面に足を付けた瞬間に拳を真っ直ぐに閃かせた。


「くっ!!」


 咄嗟にジャバウォックで迎え打つガーベラ。


 ジャバウォックが爆巓はぜいただきに触れ、火花が散る中、二人は獰猛で邪悪に笑う。


「凄いなクラウンっ!! とうとう空まで飛べるのかっ!!」


 クラウンは進化を果たした結果、ただの人族から〝仙人〟へと至り、その際に様々な仙人スキルを獲得している。


 その内の二つがエクストラスキル《浮遊》とマスタースキル《飛翔》……。自身の肉体を重力を無視して浮遊させ、更に身体機能をすら無視して中空を飛翔する事を可能とした人外のスキル。


 クラウンはこれを駆使し、中空での身体的制限を完全に取っ払い、自在に体勢すら変えて見せたのだ。


「姉さんこそっ! 爆巓はぜいただきの〝爆点〟を瞬時に見抜いて拳を止めるとは流石ですっ!!」


 ──爆撃属性を有する爆巓はぜいただきは、指と脛、手と足の甲に〝爆点〟と呼ばれる触れたらば起爆し爆発を起こす、爆撃属性の魔力が凝縮された点がある。


 爆巓はぜいただきはその爆点を対象へと叩き付ける事で、打撃を打ち込むと同時に爆撃を押し付ける装具となっている。


 だがその爆点も爆巓はぜいただき全体に存在しているわけではない。極狭い箇所にだが、拳には爆点同士の隙間があり、触れても起爆せずに済む。


 ガーベラはそれをクラウンが爆巓はぜいただきを装備して迎え打つまでの一秒にも満たない瞬間に見極め、寸分の狂いもなくそこにジャバウォックを潜り込ませた……。まさに超人的な剣捌きの賜物である。


「では姉さん」


「む?」


「姉さんの凄さ、もう少し見せて下さいっ!!」


「ふははっ!! お前の姉への尊敬を更新するチャンスだなぁっ!!」


 クラウンは突き出していた右拳でジャバウォックを弾き、左拳を高速で突き出す。


 ガーベラはそれを容易くジャバウォックで受け止め、弾き、反撃の斬撃を繰り出す。


 それをクラウンは《受け流し》で逸らし、続く剣閃も弾き、逸らし、出来た隙に蹴りを放つ。


 そしてまたそれを──と、何十という攻防が繰り広げられた。


 斬撃と拳撃が音速に迫る速さで二人の周囲を駆け巡り、それによってもたらされる音と衝撃波が空気を切り裂き、破る。


 次第に互いの攻撃の威力や鋭さ、速さは増していき。二人を中心に円形状に地面が傷付き、削れて巻き上がった。


 だがそんな攻防も唐突に終わりを告げる。


 ガーベラは弾かれたジャバウォックを超人的な体幹と膂力りょりょくって引き戻し、襲い来る左拳の爆点を見抜きながら刃を隙間へ差し込み、止める。


 すかさず右脚による蹴り上げが炸裂するが、それを彼女はジャバウォックを滑らせながら柄頭をぶつける事で軌道を逸らし、空振らせた。


 だがクラウンは逸らされた右脚をそのまま駆動。身体を沈み込ませながら踵を起爆させる事で加速力を上乗せした蹴り下ろしを見舞う。


 するとガーベラはその手からジャバウォックを手放し、右脚の爆巓はぜいただきの爆点を見極めてそのまま片手で制し、身体を捻りながら落下する最中のジャバウォックを再び掴む。


 そしてジャバウォックを振るい、クラウンの身体を寸断しようとするが──


「おっと」


「──っ!?」


 ガーベラのジャバウォックを、クラウンが止める。


 しかしおかしい。今クラウンはガーベラによって懐に潜り込まれている形で片足を掴まれ、殆ど身動きが出来ない状態である事。決して彼女の振るう剣を止められる位置にはいない。


 なのにジャバウォックはクラウンに掴まれて止められている……。一体これはどういう事なのか?


「……夢のようだな」


「ほう? 理由を聞いても?」


「分かるだろう? 愛しい弟がに増えているんだからなァっ!!」


 彼女の腕を取って止めていたのは、紛う事なきクラウンそのもの。


 髪色も、顔も、着ている服も、声も、自分を掴む手の力加減も、何一つとして違わない。今し方その動きを止めている筈のクラウンがもう一人居るのだ。


 それを認識したガーベラは頬を紅潮させながら興奮したように声を上げると、全身に力を込めて踏ん張り、二人のクラウンが繋がる両腕を強引に動かす。


 そしてそのまま怪力にてクラウンを思い切り投げ飛ばした。


 が、クラウン達は驚きはするも動揺まではせず、すぐさま先程と同様に中空にて姿勢制御を行い、二人並んで姉を見詰める。


「流石は姉さん、素晴らしい」


「これでも体重八十近くあるんですがね。それを二人分とは恐れ入ります」


「……成る程。夢や幻覚じゃないらしい」


 ガーベラは改めて二人のクラウンを見遣り、少し呆れたように笑う。


「一応はスキルです。凄いでしょう?」


「ただ二人に増やすだけでも消費魔力がエゲつないので中々どうして長時間は続けられません」


 クラウンが発動したのはマスタースキル《影分身》。


 己の影を媒体として自身と寸分違わぬ分身を作り出し、同一精神下の元で制御するというこれまた人外クラスのスキルである。


 しかし本人が言うように維持をするだけでも消費魔力はとんでもなく。


 更に分身体が使う能力やスキルの分まで本体が負担する必要があり、クラウンのような進化を果たして常人から逸脱した魔力量を有していなければ一分として持たないだろう。


「さあ姉さん」


 クラウンAが、爆巓はぜいただきから溶岩属性の熔削いりそぎに入れ替えながら口にする。


「まだまだこれからですよ?」


 クラウンBが、両手に音響属性の綢繆奏ちゅうびゅうかなでを装備しながら笑ってみせた。


「はっはっはっ!! 楽しいなァッ!!」


 ガーベラが何度目か分からない獰猛な笑みを浮かべ、地面が割れんばかりに踏ん張りを効かせた踏み込みにより、駆ける。


 突風の如き俊足により一気に二人のクラウンに接近した彼女はまとめて薙ぎ払おうとジャバウォックを振り被り──


「──ッ!?」


 唐突に、足元の地面が光を放つ。


 直後、ガーベラを包み込むように地面から豪炎の柱が天を貫かんばかりに立ち昇り、空気を焼く。


「駄目ですよ姉さん」


「私は魔導師ですよ? 当然魔法も使います」


 とはいえ、クラウンとてこの《炎魔法》による魔術「フレイムピラー」程度で倒せるなどとは考えていない。


 現に……。


「「おおっと」」


 炎の柱を切り裂くように、ジャバウォックの刃が一文字に薙ぐ。


 それをクラウン二人は飛び退いて躱したが、火炎が上がると同時に綢繆奏ちゅうびゅうかなでの最高硬度の糸にてジャバウォックを絡め取り、威力と剣速を可能な限り殺していなければ両断はなくとも致命傷までは持っていかれていただろう。


「けほっ、けほっ!」


「そんなただ煙たいだけみたいな……」


「一応は数千度はあった筈なんですがね。どんな身体してるんですか?」


「けほけほっ! お、お前にだけは言われたくないな」


「「それは言い返せませんね」」


 言い終わるや否や、クラウンAは熔削いりそぎを構えてガーベラへ突進。


 溶岩がほとばしる斬撃をガーベラは防ごうとするが、それを先程から絡まる綢繆奏ちゅうびゅうかなでの糸により妨害され、防御が間に合わない。


 ならばと、ガーベラは再びジャバウォックを手放し、飛び散る溶岩に構う事なくクラウンAへと組み付いた。


 するとクラウンBはガーベラが離したジャバウォックを手繰り寄せてから遠方へと放り、彼女の足元へと糸を複雑に這行はっちくさせ、一筆書きの要領で魔法陣を形成していく。


「──っ!」


「外が駄目なら」


「内側からならどうでしょう?」


 ガーベラは直感的に危機を悟り、クラウンAから離れようとする。


 だが今度は逆にクラウンAによって掴み返され、加えて熔削いりそぎによる溶岩が二人の手を固め、ガッチリと固定した。


 そして──


芯を喰う震撃ローカライズ・クエイク


「──ガッッ!?」


 魔法陣が覚醒し、ガーベラをその効果が襲う。


 発動されたのは《震動魔法》による魔術「芯を喰う震撃ローカライズ・クエイク」。局所的にだが非常に高い振動数により対象者の体内を激震させるもの。


 これによりガーベラは体内から破壊。内臓の幾つかが損傷し、彼女は口から血を吹き出す。


「がふっっ!! がぁ……」


「苦しそうですねぇ、姉さん?」


「ぐっ……。バカを言うな……。この程度の痛み……女なら誰で──」


「それ以上はコメントに困るので止めて下さい」


 呆れ気味に溢すクラウンAだが、内心では小さな葛藤に悩まされていた。


 このままこの状況を姉さんが打開出来なければ、彼女は間違いなく致命傷を負うだろう。


 そうなれば取り返しがつかない。クラウンは別にガーベラを傷付けたいわけではないのだ。


 自分にはまだまだ切っていない手札がある。姉さんの知らない手段が山のように伏せてある。


 人外スキルで魔力は想定より消費していて全てをぶつける事は出来ないだろうが、それでも余りある勝ち筋は見えている。


 なればこそ、これ以上姉さんを傷付けないために──


「姉さん、そろそろ降さ──」


「クラウンッ!!」


「はい?」


「本気でいくぞッッ!!」


「……はい?」


 瞬間、ガーベラから視認出来る程の濃度を誇る真紅の魔力が吹き出し、さながら炎のように周囲を圧倒、制圧する。


 芯を喰う震撃ローカライズ・クエイクはその影響で魔力が相殺され消え去り、クラウンAと固定されていた手の溶岩が崩れ去った。


「ね、姉さん?」


「少々侮っていたよクラウンッ!! 以前やった時はまだまだだったからなァ!! だが戦争を通してここまで飛躍するとはまったくって末恐ろしいッ!! そしてその十万倍感激だァッッ!!」


「姉さんッ!?」


「今のお前なら本気でやっても問題あるまいッ!! さあさあさあさあさあァァッッ!! もっともっと愉しむぞクラウンッッ!!」


「お、お手柔らかに……」

















 ──二人の闘い……もとい〝訓練試合〟の場に居るのは、何も二人だけではない。


 二人の戦闘圏内の外側を囲う形で、まるで観戦でもしているかのように数多の人々が集まり、闘いを眺めていた。


 大半はガーベラが団長を務める国家剣術団「竜王の剣」。それを構成するほぼ全ての団員達が集結し、二人の戦闘を感嘆の混ざる声音で唸り、輝く憧憬の眼差しで眺め、盛り上がっている。


 各位隊長達も憧れる我等が団長の滅多には見れない本気の戦いに息と固唾を呑みながら熱心に見稽古をし、顧問であるカーボネもまた真剣な面持ちで見遣っていた。


 そんな剣術団より何割か少ないながらも集まっているのは貴族の面々。


 本来ならば終戦直後の処理や戦死した他貴族の穴を埋める為の引き継ぎ等の様々な政務に追われている筈の彼等ではあるが、今日はキャッツ姉弟の試合これを見る為にわざわざ仕事を切り上げ、集まっている次第だ。


 というのもここ最近、貴族達の抱えている忙殺によるストレスは顕著であり、全体的な処理能力に陰りが見え始めていた。


 クラウンの手により有能な人材ばかりが残り足を引っ張る者が激減したのは良いが、その反面で彼等が請け負う仕事量は少なく見積もっても倍。多い者では五倍近くの政務に追い詰められている。


 このままではそう遠くない内に内政は瓦解。整うものも整わなくなってしまう。


 そこで当の五倍近い仕事を処理していた珠玉七貴族の面々とクラウンは、そんなストレスを発散する為の催しを定期的に行う事を決定。


 貴族達を半ば強制的にそんな催しに参加させる事でストレスを解消してもらい、今後の政務の安定化を図っているのだ。


 今回のクラウンとガーベラによる訓練試合もその一環。


 前座で国の腕自慢達によるトーナメント形式の即席闘技大会を行い、その優勝者には賞金とクラウン、ガーベラどちらかへの挑戦権を獲得出来る様式にし。


 優勝者との試合が終わり次第、キャッツ姉弟の試合という本番を執り行う。


 そしてその一連を、貴族達に観戦させるのが今回のストレス解消イベントとして設けたわけだ。


 貴族達のみにだがちょっとした賭け事も許可されており、商人達を募って小さな屋台を複数設置し貴族達に振る舞う計らいまで用意している。


 これにより掛かる費用は全てクラウンからのポケットマネーから捻出され貴族達の負担は最小限。送迎などもクラウンの《空間魔法》によるワープゲートで移動時間もストレスフリーに済ませていた。


 結果、貴族達の抱えていた不満や疲労は見事に解消傾向にあり、大変な盛況振りを誇っている。


 ──因みにクラウンは、ガーベラの使い魔ファミリアである信竜プルトンによる信鏡銀製の巨像を削って売り捌いた巨額の富がありカネには困っておらず、また屋台や賭け事の売り上げも懐に入る為に催しの出費など、彼には無用の心配であった。


 そして更にこの二団に加わり、何割か小規模ながら参加し、二人──主にクラウンを見守る一団がある。


「……スッゴイわね。アンタの未来の旦那」


「そう、だね……」


 それは勿論、クラウン直属傘下ギルド──「十万億土パライソシエロ」を正式に発表した彼の部下達である。


「……とーとー否定しなくなったねー」


 揶揄からかい気味に言うグラッドに、言われたロリーナは最早達観したかのように小さく息を吐いた。


「クラウンさんは私に嘘は吐かないから。すぐでないにしろ、私達の将来は決まっているようなものだと思ってる」


「す、すごい信頼……」


「ならよぉ。もう婚約でもしちまえば良いんじゃねぇか? 結婚はまだ無理にしても」


 ──ティリーザラ王国の法律で、十五歳から成人ではあるものの、結婚に関しては二十歳が最低ラインとして定められている。


 これはかつて王国を建国した「救恤きゅうじゅつの勇者」で英雄であった初代国王が、当時恋人であった初代最高位魔導師テニエルを妻に出来なかった事に由来していると言われており、詳細までは語り継がれていない。


 この法律は例え国王や貴族とて例外ではなく、国内では基本的に婚姻を結ぶ前には〝婚約〟という形で体裁を整えている。


「……婚約……」


「言えばしてくれんじゃないですか? 坊ちゃんの事ですし、考えてはいると思いますよ?」


「それは……そうかもしれないけど……」


「ダメだぞマルガレン。もしかしたらアイツ、別の事を考えてるかもしれないだろ?」


「別の、とは?」


「それは……知らないけど……」


「ティール、アンタ適当過ぎ……。ボスの事だから、こういうの案外アッサリかもよ?」


「ユウナも割と適当じゃねぇか……。で? 当のロリーナはどうよ?」


「私、は……」


 ロリーナは婚約や結婚というものにイマイチピンときていなかった。


 寝食を共にし、長い時間を過ごし、子供をもうけて一緒に生活をする……。彼女のビジョンとしてはそんなものだ。


 寝食を共にするのも長い時間を過ごすのも、彼女としては今更だ。子供云々の話に関しては以前に済ませている。


 言ってしまえば彼女にとって既に結婚しているのと現状そう変わらず、ただ法律や戸籍上で〝夫婦〟として登録されているか否かの違いくらいだ。


 ロリーナは別段現実主義者というわけではないのだが、特別結婚というものに強い憧れは今のところは無い。


 勿論クラウンが望めば迷いは一切無いが、ロリーナから薦んで婚姻を結びたいとは考えていなかった。


 強いて言えば〝夫婦〟という響きに少しだけときめきを感じる程度だ。


「ま。私達は見守るだけだけどね。どうせその内するでしょ」


「するだろうねー」


「するんだろうなぁ……」


「するだろうよ」


「するでしょうね」


「するだろ」


「するよねぇ」


「もう。皆んなして……」


「んんー? けっこん、って、なぁに?」


「ああもう、ドーサまで──ん?」


 皆んなで和気藹々わきあいあいとしていると、クラウンとガーベラとの戦いに決着が着いたようで、クラウンがガーベラによって景気良くぶっ飛ばされていた。


 ロリーナはそれを見るや否や彼に駆け寄るため、誰構わずと走り出す。


「……女の私が言うのも何だけど」


「んー?」


「ロリーナがお嫁さんって、ボスが羨ましいわぁ。あの子スッゴイ良いお嫁さんになるんじゃない?」


「異議なーし」


 __

 ____

 ______


 私は今、空を見上げている。


 地面に直接寝転がり、見上げている。


 絵の具を溶いたような澄み切った空に、幾つかの白く小さな雲が漂い、見ているだけで心地良くなれる気がする。


 私に吹き抜ける初冬の風が強く吹いているが、火照った身体にはちょうど良い。今は気に留めない。


 気にしていても……しようがない。


 何故なら私は今、起き上がれないのだから。


 身体中のエネルギーが枯渇に喘ぎ、心臓の鼓動は一向に大人しくなる気配が無い。


 嗚呼……久しぶりだな、この清々しい敗北感は……。


「クラウンさん」


「む?」


 仰向けで青空に黄昏ていた私に、愛しい声音が降り掛かる。


 その声を迎える為に身体を起こそうとしたが、先に私に辿り着いた彼女はそんな私を諌めるように身体を抑えると、代わりとばかりに中途半端に起きていた私の頭を自分の膝の上に置く。


 ……今まで見えていた青空が、半分になった。


「大丈夫ですか? クラウンさん」


「ああ、大丈夫だよロリーナ。ありがとう」


「今治しますね」


 そう言ってロリーナは《回復魔法》で私に付いた傷を治療していく。《痛覚耐性》によって痛みはなかったが、漠然とした身体の不調が癒えていくのが分かった。


「ロリーナ」


「はい」


「愛しているよ」


「はい。私も愛していますよ」


 私達はそう交換し、笑い合った。

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