第四章:草むしり・後編-7

 

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 アタシは、女皇帝陛下直々に選出された百八人からなるエリート潜入工作員であり、そのリーダーを任されたエリート中のエリートだった。


 そんな地位に就く為には並大抵の精神力と努力では足らず、様々な面で優秀な成績を修めねばならない。


 中でも拷問、尋問に対する耐性試験は常軌を逸していて。爪剥ぎや鞭打ちは勿論、指先に釘を打ち付けたりなんていうのも経験した。


 べ五百人以上いた候補者達は次々と脱落し、それら全てを経験し、尚も潜入工作員になりたい、なれるといった同胞は結局の所百八人。これでも残った方だと、女皇帝陛下はお喜びになっていた。


 そんな過酷な試験を、アタシは一番の成績で合格し、リーダーに任ぜられた。


 だから自信があったんだ。何にだって耐えられるって。


 実際アタシは捕まっていた収監ギルドのギルド職員達に何度も尋問や拷問を繰り返されたが、やって来る事といえばありきたりな方法ばかり。そんなもの、試験の段階で何十回と受けたのに、今更何も感じやしないさ。


 だが……。


 ……奴が──クラウンがアタシの目の前に再び現れた時、アタシに尋問をする様な事をのたまった時は内心で鼻で笑っていた。


 どんな程度か知らないけれど、あの地獄のような試験を乗り越え、ギルド職員達の拷問すら耐えたアタシにそんなモノは無駄だと。


 奴による脅迫に始まり、人族で唯一心を許してしまったリリアン様の登場……。


 確かに動揺はしたし狼狽もしたけれど、それでも何のことはない。このまま奴の言う三段階目も難なく乗り越えられる。そう確信していた。


 だが奴が取った手段は、アタシなんかの想像するようなモノを遥かに越えるおぞましい手段だった。


 視界が封じられていたせいで奴が何をしたのかは分からないけれど、何か得体の知れないモノを呼び寄せて、そいつに眷属を召喚させた。


 そうしたら奴、その眷属を私の首元に寄越していきなり噛み付かせやがったっ……!


 最初は毒か何かと警戒して多少取り乱したけれど、続く奴の言葉に、毒の方がまだマシだったと、強く思い知らされた。


『今、お前の身体に私の使い魔ファミリアの眷属である蛆を寄生させた』


 最初、耳を疑った。


 蛆を、寄生? あの蛆を?


 そんな風に現実を認識するのに時間を掛けて言葉を反芻させていた時、噛み付いたそれが、傷口からその小さな身体を潜り込ませ始め、ドンドン深く食い進んで行く感覚が背筋を通って脳を揺さぶった。


 得体の知れない何かが皮膚の下まで入り込んで少しずつ肉を喰われていきながら深く進んでいくその感覚に、アタシは悲鳴を堪えて奥歯を強く噛み締めようとした。


 しかし連続で襲って来る確かな体内を侵入されている身の毛がよだつ感覚に、思わず情けない声が漏れ出てしまった。


 そしてそれは、一匹じゃ終わらなかった。


『五秒毎に蛆を一体追加する。残り面会時間まで後十五分……。つまりは時間一杯になる頃にはお前の体内を百八十体の蛆が這い回る事になるなぁ』


 奴のあざけりが混じったそんな言葉が、今感じている感覚と合わせて五分後の自分を容易に想像させる。


 ただでさえ気持ちの悪い蛆が体内にいるってだけでこんな状態なのに、これが、後、何十匹も……。


『いやっ! いやよそんなのっ!!』


 思わず口を吐いて出た自身の心の叫び。頭では「耐えなければ」と何度も命令しているのに、尚も食い進む蛆の強い遺物感と不快感で全部塗り潰されてしまう。


 歯痒さと自身の心の弱さに悔しがりたくても、奴が放った二匹、三匹目の蛆に、それらすら塗り潰され、アタシはただ叫ぶしか出来なかった。






 喉が枯れ、痛みを感じる程に叫んで、遂には口に血の味が広がり始めた頃。


 アタシは発狂しそうな意識をなんとか皮一枚で繋ぎ止めていた。


『ふむ。中々どうして堪えるじゃないか。流石は潜入エルフのリーダー。多少の拷問は訓練済みか』


 奴のその言葉に、アタシは少しでも気を散らそうと反応した。


『……な゛……』


『んん?』


『な゛んで……、アタシが……、リーダー、だって……』


 今にして思えば迂闊な発言だ。鎌掛けだったらと考えなかったあたり、アタシは本当に参っていたのだろう。


 だが続く奴の言葉に、アタシは激しい無力感に襲われる。


『お前が私達と一緒に「暴食の魔王」と戦う前、私はお前に《解析鑑定》を掛けていたんだよ。念の為にな』


『な、に……』


『《解析鑑定》は教えてくれたよ。お前が潜入エルフのリーダーだって、な。正直あの時は余りに呆気なく見つかってしまったもので、思わず笑いが込み上げた』


 そう笑いながら追加の蛆を呼び出し、またアタシの中に蛆が潜り込む。


『あの場にお前が現れたのは野心からだろう? なんせ重要人物が集まっていたんだ。自分がちょっかいを掛ければ上手く全員を始末出来、その分評価される、と』


 上半身を貪っていた蛆の数匹が下に移動を始め、下半身へと向かった感覚に、吐き気で口から胃液が漏れ出る。


『しかし結果は失敗。理由までは知らんがな。だが私としては手間が省けたよ。リーダーでなくては潜入エルフ全員の居場所を把握していないだろうからな。だから元々、魔王を倒した後はお前を拘束するつもりでいた。お前が私の怒りを買おうが買うまいがな』


 更に追加の蛆が、またアタシの身体に潜る。


『つまりお前のちっぽけな──ちょっとした〝欲〟が、結果としてお前の同胞を殺す……。ふふふっ、エルフの女皇帝も浮かばれないなぁ。同情するよ』


 心にも無い事を口にするクラウンのクソ野郎に、喉の痛みもお構いなしに罵倒の一つでも浴びせてやろうか。


 そう、考えた瞬間だった。


『──ッッ!?』


 下半身に移動した数匹の蛆の内一匹が、アタシの下腹部中央を食い進んでいた。


 そしてそんな蛆が、その場で更に深く潜り始めたのを感じた。


 更に深く──つまりは内側、内臓側……。


 アタシの丁度、子宮がある位置に向かって──


『い゛や゛ぁぁッッ!! い゛や゛ぁぁぁぁぁッッッ!!!! そ゛れだけはい゛や゛ぁぁぁぁッッッッ!!!!』


 それはアタシの、〝諦めていた何か〟が叫ばせていた。


 中途半端な地位に就いてしまったが為に生じた〝未来〟への僅かな期待。〝幸せな夢〟に対する微かな期待。


 同胞の中にはあらかじめ取り除いていた者も居た。邪魔になるから要らない、と。


 しかしアタシはしなかった。


 この作戦が成功すれば評価に見合った褒美が待っている。


 その褒美で、アタシはそんな僅かな──微かな未来や夢を叶えるのだ、と。


 半ば現実逃避する為の言い訳のように、アタシはそれを、捨てられなかった。


 そんな未来や夢が、血を吐きながら叫ばせるんだ。


 アタシから幸せな未来を──夢を奪わないで、と……。


 叶うかも分からない、そんな、アタシの中の〝女〟が……。叫ばせた。


『話すッッ!! 全部ッ!! 全部話すから止めてぇぇぇぇッッッ!!』


『ならまず全部吐くんだな。そうしたら止めてやる』


『──ッッッ!?……上街にある──』






 アタシが全ての工作員の居場所、知る限りのエルフに関する情報を洗いざらい叫び終えた頃、アタシの中で蠢いていた蛆達は漸く一斉に動きを止めた。下腹部にいた蛆も含めて全部。


『うっぅぅぅ……ぐっぅぅ……』


『十体か。最初に耐えた時はもう少しいくかと予想していたが、案外保たなかったな』


『……ゲス、がぁぁ……』


『心外だな。私がこんな事を好きでしていると思っているのか? 必要に迫られて必要な手段を用いているに過ぎんよ。呪うなら自分に拷問耐性があった事を呪うんだな』


 ふざけるな。


 こんな仕打ちをしておいてなんでそんな口が叩けるんだ?なんでそんななんでもないような事を言えるんだ?


 なんでそんな無感情な声でいられるんだ……?


『さて……。ところで、気が付かないか?』


 ……へ?


『ああ、それどころではないか。確かに私はお前の体内に居る蛆を〝止め〟はしたが、〝消した〟わけではない』


 ……は?


『あくまで動きを止めただけだという意味だ。私が命じれば、再び動き始める』


 全身に、悪寒と恐怖が沸き立つ。


『ぎ……ざまぁぁ……』


『今までは仕事だったが、こっからは〝趣味〟の時間だ。残り時間も少ないからちゃっちゃと済ますぞ』


『貴様ぁぁぁぁぁッッッ!!!!』


『さあ選べっ。私に全スキルを渡し蛆を取り除いて楽になるか、最期まで抵抗し内臓すら食い荒らされて悲惨な最期を迎えるか……』


 奴の口角が、まるで裂けるように吊り上がっている姿が脳裏に浮かび、開かないはずの牢の鍵があっさり開く音が、嫌に耳にこびり付いた。






 結局アタシは、何でも無くなった。


 エルフの情報を全て話し。


 身体中の肉を穴だらけにされ。


 全てのスキルを失った。


 にも関わらず、アタシの身体の中──具体的には頭と首の付け根に一匹だけ、蛆が残っている。


 アタシがここでアイツにされた事の一分でもギルド職員に話そうものなら、即座に蛆が私の脳幹を食い荒らし、二度とまともに口を利けなくするんだそうだ。


 そこまでするならばいっその事殺せばいいのに……。


 ……だけど、アタシは生きている。


 何も無くなった今でも、アタシはまだ、生きている。


 ……なんだか不思議と、身体が軽いな……。


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 時刻は昼過ぎ。


 ガタガタと揺れる馬車内では、木の軋む僅かな音だけが響き、この場に私を含め二人の人物が座っているのが不自然に感じる程に静寂だ。


 約三十分前。ハーティーの悲鳴が枯れ果て、十体目の眷属蛆に体内を貪られ続けた彼女は、自身が知る限りの国内に潜入しているエルフの情報を口にした。


 話によれば、地方に散っている者も含め潜入しているエルフの数は総勢百六人にも及んでいた事が判明。彼等は互いにスキルによって交信し、全体で連携を執って緩やかにこの国の経済や政治、物流を破綻に追い込んでいたという。


 しかしこの国の要である大貴族、珠玉七貴族の手腕は彼等の予想を超えた働きを発揮し、潜入エルフ達がもたらす数々の小さく、けれども積もれば致命的な綻びを見逃す事なく修正せしめていたという。


 その為約二十年前から始めていた地道な妨害工作は中々実らず、今現在に至って漸く及第点といえる推移に達した。故に森精皇国しんせいこうこくアールヴ女皇帝「ユーリ・トールキン・アールヴ」はこのタイミングでティリーザラ王国に対し大きく動きを見せた。と、泣きながらに語ってくれた。


 ついでにハーティーのスキルを全て奪えた事も非常に良い収穫だった。潜入エルフ工作員のリーダーだけあって、少なからず新しいスキルも獲得出来、重畳だ。


『確認しました。技術系スキル《音無誅おとなしのほろぼし》を獲得しました』


『確認しました。技術系スキル《陰踏誅かげふみのほろぼし》を獲得しました』


『確認しました。技術系エクストラスキル《不認誅みとめずのほろぼし》を獲得しました』


『確認しました。技術系スキル《武器隠し》を獲得しました』


『確認しました。技術系スキル《感情隠し》を獲得しました』


『確認しました。補助系スキル《敏捷補正・III》を獲得しました』


『確認しました。補助系スキル《器用補正・III》を獲得しました』


『確認しました。補助系スキル《静粛性強化》を獲得しました』


『確認しました。補助系スキル《共感感知》を獲得しました』


『確認しました。補助系スキル《罠遮断》を獲得しました』


『確認しました。補助系スキル《遠話》を獲得しました』


『確認しました。補助系スキル《隠秘》を獲得しました』


『確認しました。補助系スキル《変温》を獲得しました』


『確認しました。補助系スキル《麻痺耐性・中》を獲得しました』


『確認しました。補助系スキル《薬物耐性・中》を獲得しました』


 しかしアレだ。念の為にと父親の執務室から拝借して来た〝鍵〟を持って来ていて良かった。これのお陰で、ハーティーの牢を簡単に開けられたのだ。


 この鍵は十年前、私がスーベルクの屋敷に忍び込んだ際に使ったエクストラスキル《開錠》が封じられたスキルアイテム。


 この鍵さえあれば《開錠》に抵抗出来るようなスキルアイテムでない限りはどんな錠だって開ける事が出来る。


 大切に隠されてはいたのだが、父親が私に勅許状を見せてくれた際に仕掛けられていた防犯のカラクリを見て、まだ何かあるんじゃないかとコッチに来る前に調べた結果出て来た物だ。


 そりゃあこんな物、盗まれでもしたら大事だからな。厳重に隠しておくに越した事はない。


 だから私もそれに習おうかと思う。


 鍵に魔力を送り込み、《強欲》を使って強制的に内包されていた《開錠》を吸い上げる。


『確認しました。補助系エクストラスキル《開錠》を獲得しました』


 よし。これで後はこの空になった鍵を後日父上の執務室にこっそり戻すだけだ。


 ……。


 しかしまあ……。


 私は対面に座るリリアンに目をやる。


 その表情に生気はなく、まるで蝋人形のように感情を感じさせない。


 こうして目の前でスキルを吸い上げるなんて行動を起こしてもなんら反応は返って来ない有様。大丈夫なのか?この人。


 ……はあ、致し方無い。


「リリアン様」


「……あ、はい。すみませんクラウン様。少し、考え事を」


「無理もありません。友人にああも正面から否定されてしまっては、例え嘘でも傷付いてしまうでしょう」


「え? う、そ?」


 嘘というより茶番だったがな。


「はい。ハーティーは自身が私に拷問される姿を見せたく無かったのでしょう。故にあのような強い言葉を使って貴女を敢えてあの場から追い出したのです」


「それは……本当ですか?」


 まるで悪い夢から覚めたような複雑な表情で私に問うリリアンに、私は頷いてから笑って見せてやる。


「ご心配なさらず。しっかり言質も取りましたから。確かですよ」


「そう、ですか……。良かっ、た……」


 そこで漸くリリアンは能面の様だった表情を崩し、嬉しそうな……けれども泣き出しそうな笑顔を浮かべ、両手で顔を覆う。


 こうもアッサリ信じるのか。私の──友人を拷問した相手の言葉を……。


 ふむ……。


「私を恨まないのですか?」


「え……どうして?」


 両手を顔から離し、少し赤く腫れた目で私を見上げながらそう当たり前のように聞き返すリリアンに、私は愛想笑いを浮かべる。


「必要だったからと言っても私は貴女の友人を拷問した相手です。恨んでくれても、私は受け入れますよ」


「……必要、だったのでしょう?」


「ええ。必要でした。彼女は訓練を受けていたようでしたから、少し過激なのを」


「……私の友人とはいえ、この国にした仕打ちは許される事ではありません。必要な罰、必要な手段を私や彼女が選ぶ権利もありません。だから恨むなんて筋違いを、私はしてはならないのです」


 ほう。中々どうして心構えはしっかり弁えている。


 しかしまあ、私としては──


「もし」


「はい」


「もし、それをいつまでも発散出来ず、溜め込んでしまった時は、私を恨んでくれてかまいません」


「で、ですがっ!」


「相応の行いには相応の結果が必ず生まれる。私はそれを享受するだけですよ」


「クラウン様……」


 恨みだって憎しみだって怒りだって、私は受け入れる。それが私のちっぽけな矜持だ。


 まあ、やられたら何倍にしてもやり返すがな。


「さあ、暗い話は終わりにしましょう。疲れた分、今日残り半日くらいは楽しい時間を、ね」


 今日が潜入エルフ最期の安息の日。


 全員、震えて眠るがいい。

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