第五章:何人たりとも許しはしない-2

「口、開けて下さい」


「あ、ああ……」


 口を少し開くと、ロリーナは優しい手付きでパン粥を私の口に運んでくれる。


 ……なんだろ、味がするような、しないような……。


 複雑な感情が頭を駆け巡って半混乱状態だ。


 嬉しいは嬉しい。つまりは私にこうしてくれるくらいには親身になってくれているという事だから嬉しいに決まっている。


 だが同時に、非常に面映おもはゆい。


 私が、誰かに、施されている。


 その事実そのものが正直恥ずかしくて仕方が無い。


 なんだこれは? この言いようのない感情を私はどうすればいい? どう処理すればいい?


 分からん……。分からんが……。


 ロリーナが何口目かのパン粥を私の口に運んでくれる。その表情はただただ私の為にと慈愛に満ち……て、いるような、いないような……。


「……大丈夫ですか?」


「うん? な、何がだ?」


「いえ……気持ち顔が赤いような気がしたので……」


「あ、ああ……。平気だ、大丈夫。気分が悪いとかそういった事は無い……」


「なら良いのですが……」


 ああ……なんだろう。私は試されているのか? これから色々忙しくなるというこの土壇場で私の気持ちを緩ませようと何かが──


「お待たせしました坊ちゃっ──」


「「…………」」


「あ、ああ──お風呂の準備、して来ますね」


「待て!! 待つんだマルガレン!! お前……気が早い!! というか何を勘繰っているんだお前は!!」


「勘繰る……? 僕は昨日から汚れたままでは気持ちが悪いだろうと、そう思っただけですが……」


「……ああ、そうか。すまない忘れてくれ。風呂、頼む」


「──? かしこまりました」


 そう言って紅茶とトレイをサイドテーブルに置き、頭を一度下げてから部屋の奥へ消えて行くマルガレン。


 ……はあ、私らしくない……。ん?


 ふとロリーナの方を見れば、空になった器とスプーンを手に持ったままうとうとと船を漕いでいる。


 まあ、それもそうか。あんなソファに座ったまま寝ていたんじゃ熟睡なんて出来ないだろう。それに心配を掛けたみたいだから睡眠時間自体が少ないのかもしれない。


 これ以上無理をさせるわけにはいかないな。


「ロリーナ。私はもう大丈夫だから、君は自室に戻ってちゃんと寝てくれ」


「ん……あ、すみません。ですが私は別に……」


「君に無理をされてしまっては今度は私が君を心配してしまう。だからしっかり睡眠を取って、その時にまた頼らせて貰うよ」


「……分かりました」


 ロリーナは立ち上がると、サイドテーブルに置かれた紅茶のカップを手に取り、私に渡してくれる。


「それでは、失礼します」


「ああ。パン粥、美味しかったよ、ありがとう」


 私の言葉に少し照れてくれたのか、素早く頭を下げてから、ロリーナは部屋を後にした。


 持たせてくれた紅茶を一口飲み、いつもの味と香りに癒されながら改めて左腕が無くなった肩口を見る。


 そこにはあるはずの、無くなるはずがないと信じ切っていた左腕は、今頃奴の腹の中だろう。そしてドロドロに溶かされて、あの悍ましい肉塊の一部に──


 ……。


「坊ちゃん、お風呂の準備が整いました。いやぁ、それにしても凄いですね、流石は蝶のエンブレムの部屋です。魔力を流しただけでお湯が沸くスキルアイテムなんて……坊ちゃん?」


「……なあ、マルガレン」


「は、はい……」


「……許されると思うか?」


「え?」


「アイツは……あの醜悪な肉塊は……私の腕を食い千切った。それが……ふふふふ……許される事だと思うか?」


「……あの、坊ちゃん?」


「私のだぞッ!? 私の……体の一部をッ!! 奴は私から奪い……あまつさえ今ドロドロに溶かして糧にしているんだッ!! あのっ……あの醜悪な、冒涜の塊みたいな醜いゴミのッ!! 一部にされているんだッ!!」


「ぼ、坊ちゃん落ち着いて下さい!!」


「私は許さんぞ!? 私から何かを奪うのは断じて許さん!! 必ず奪い返す!! そして奴をズタズタに引き裂いて……私から奪った以上の物を奴から根こそぎ奪い尽くすッ……。必ず……」


「坊ちゃん……」


 ……。


 ああ、なんだか急に声を張り上げたから頭が痛い……。


 私が頭を抱えると、マルガレンは慌てたように私に駆け寄って来る。


「大丈夫ですか!?」


「ああ……。すまんな、いきなり声を張り上げて……」


「本当ですよッ。どうなさったんですか突然……?」


 まあ、そりゃあいきなり激情しだしたら意味も分からないだろうな。気が触れたと思うだろう。だが多少は落ち着いたが、まだ私の中で燻っている。


「……少しでも吐き出さなければやってられなくてな……。私から何かを奪う……。私が奪われる……。ああ……許せないッ……」


 もう何も奪わせはしない……。あの日の二の舞など、許される事ではないっ!!


「お、落ち着いて下さいッ」


「……風呂に入ったら対策を練る。師匠は? 「暴食の魔王」の情報が欲しい」


 根本的に奴の情報が少ない。勝てる勝てない以前の問題だ。まずは奴の強みを調べて──


「キャピタレウス様は……呼び出されてます。御前会議に……」


「……御前会議? ……ああ、成る程。それもそうか」


 昨日のあの大騒動で同級生に多くの死者が出た。そんな同級生には貴族の出の奴も少なくない。つまりは貴族の学生が多く死んだわけで……。


「師匠は責任追及されているわけか。そりゃあ大事な子供預けて死なされちゃ貴族じゃなくても怒るだろうな」


「坊ちゃんそんな言い方──」


「事実じゃよ」


 その声に部屋のドアに目を移せば、師匠が酷く疲れ切った顔を携えて立っていた。


 まあ、スキルで近付いて来たのは知っていたが……。それにしても酷い顔だな……。


「優秀な……。将来有望な若者達を大勢死なせた……。新入生テストを立案したワシに責任がある。当然の話じゃ」


「ですがキャピタレウス様ッ。貴方は生徒達を思って……」


「気持ちなんぞ関係無いわい。起こっちまったもんはどうにもならん」


 師匠の声音はいつもと変わらないが、その言葉の節々から悲壮感が滲んでいるのが分かる。


 師匠は確かに意地の悪い人だが元勇者。根本的には善人であり自分より弱い者を守ろうとする気持ちは当然ある。


 こうして普通に話が出来ている時点で凄いのだ。その図太い精神性に、私は敬意を払いたい。


「それで師匠、貴方の進退はどうなったのですか? まさか不問……なんて事にはなってはいないのでしょう?」


 多くの生徒を死なせた責任。決して取れるものではないと思うが──


「出現した「暴食の魔王」の討伐と、エルフとの戦争の責任者の任命……。そしてそれが済み次第の即刻の最高位魔導師の称号の剥奪……」


 ほう。


「それは……あまりにも……」


「思っていたより軽いですね。私は奴隷堕ち……または犯罪奴隷墜ちだと踏んでいたのですが……」


 まあ、そうなれば持てる力を使い果たしてでも阻止するがな。私はまだ師匠に何も教わっていないのだ。勝手に地獄に堕ちられたら困る。


「ほっほっほっ。軽い、か……。御前会議でそりゃ散々それらしい事を言われたが、陛下が慈悲を下さってな。なんとかその程度に収めて下すった」


「ですが最高位魔導師の剥奪って……。つまりはここをお辞めになると?」


「いんや。一般教師扱いにされるという意味じゃよ。ワシを逃したくはないのだろうのぉ……」


 それもあるが、一番は師匠が他国に渡るのを嫌がったのだろう。どんな失態を犯そうが実力者中の実力者に変わりはないのだから他国が欲しくないわけが無い。つまりは飼い殺しにするつもりなのだろう。


 まあ私としては師匠には魔導師のままでいてくれなくては困るからそこもなんとかするしか無いが……今は取り急ぎ、


「師匠、早速で申し訳ないのですが「暴食の魔王」の情報を私に下さい。アイツは私が屠ります」


「……ならん」


 ……ん?

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