幕間:嫉妬の受難・燃

 

「クソがァァッ!!!」


 森精皇国アールヴの女皇帝、ユーリ・トールキン・アールヴは、乱雑に自室の扉を開け放つと、一番に目に止まった椅子を蹴り飛ばしてから飾られた花瓶を裏拳で殴り飛ばす。


 蹴り飛ばされた椅子は乾いた音を立てながら火の点いていない暖炉に激突し燃えかすを撒き散らし、殴り飛ばした花瓶は壁にぶつかり派手に水と花をばら撒きながら甲高い音を立てて割れる。


「ハァー……ハァー……ハァー……」


 疲労では無く、激しい怒りからくる興奮と上がりに上がった血圧によって息を荒げるユーリは、同じように興奮からくる頭に響く痛みによって少し冷静さを取り戻し、何度か深呼吸を繰り返す。


 そうして漸くまともに思考が出来るまでに頭の整理が追い付いたユーリは、かたわらに引き摺っていた木の棺桶を自室の定位置に置き、自分はそのまま寝床にしているソファに勢いよく寝転がる。


 ユーリは先程、人族の王国であるティリーザラ王国の王都に出向いていた。


 本来、国の皇帝がそんな簡単に敵対している他国に不法侵入するなど言語道断はなはだしい限りだが、ユーリやこの国の要人達からすれば、彼女のこの行動は珍しくないものである。


 その殆どは彼女自身が自分で処理すべき、または確認すべき事があると判断した場合によるのだが。


 今回彼女がわざわざ敵国に侵入した理由は一つ。それは──


「失礼致します、陛下」


 開け放たれたままの扉をわざわざノックし、入室の許可を求めたのは一人の老紳士。


 エルフ特有の輝くような金髪に、銀のような白髪が混じる頭髪に、同じ色の髭を口元に蓄えている。


 高身長でスリムな体型を黒を基調とした上品なスーツで身を包んでおり、ただ立っているだけでも洗練さが溢れ出し、扉をノックする仕草さえ妙に色気がある。


 世の女性が理想とするような凛とした印象を持つ老紳士は、ソファに身を投げたユーリの事を、優しい眼差しで見つめている。


 そんな老紳士に対し、ユーリは視線だけを動かし、かったるそうに誰かを確認すると寝転んだ体をゆっくり起こし、その老紳士に笑顔を見せる。


「……わざわざ隠居者がなんの用だ? エルダール」


 エルダールと呼ばれた老紳士は、ユーリに優しく笑い掛けると、先ほどユーリが叩き割った花瓶の花を拾い上げ、その花を別の花瓶に挿してやる。


「随分とお機嫌が優れないようですね。大臣や衛兵達が怖がっていましたよ」


「私はなんの用だ、と聞いたんだけどな」


「これは失礼致しました……。書類の方をお届けに来た次第でして……」


 一礼をしてから懐に手を入れて書類を取り出すと、エルダールはそのまま彼女に書類を直接手渡す。


「……ディーネルとダムスの戦争参戦要求? あんなに渋っていたのになんでまた……」


「二人にしつこく説得されてしまいましてね……。可愛い孫二人を戦争に参戦させるのは正直な話遺憾ではあるのですが……」


「私からしたら有り難い話だね。さっき戦力がガッツリ減ったから余計だよ」


 ユーリのその言葉にエルダールは目を少し見開くと、それを見たユーリは事の経緯を話す事にした。


 今から数時間前、ユーリはティリーザラ王国に出向き、彼女達にとっての最悪な光景を目にした。


 それは彼女が主導し選別した潜入エルフ工作員達の一斉捕縛。その末路である。


 本来ならば潜入エルフから来る情報を監視者が受け取り、それらを精査した後に正式な形にしてユーリや大臣達が受け取る。


 故に潜入エルフに何か異常が発生した場合は受信側である監視者がその異常を受け取り、それを元に最適な行動を起こす手筈になっていた。


 今回の潜入エルフ一斉捕縛など当然その異常に相当する。本来ならばこの事態にいち早く対処しなければならなかったのだが、今回は間に合わない段階で漸くその異常が判明した。


 ユーリはその異常の原因を探る目的で、彼女自らティリーザラ王国に足を運んだのだ。


「成る程……。それはなんと悲惨な……。それで原因は一体?」


「大量のスキルアイテムだよ。《魔力妨害》が封じられた厄介なヤツだ」


「スキルアイテム? 確かにそれならば異常事態を発信出来ないでしょうが、潜入エルフは各地に散らばっている筈……。それらを全て補うとなるとかなりの数が──」


「それを半ば力ずくでやり遂げたんだよ……。ったく、ナメてたよ。あのモンドベルクって大公の権力を……。二十年前の潜入エルフやダークエルフの侵入を許した奴だからって侮ってた」


 本来スキルアイテムは高価な代物である。


 スキルが封じられたスクロールですらピンキリとはいえ一般的な値段ではないが、それがスクロールから他の物に変わるだけでかなり値が跳ね上がる。


 それはスクロールにスキルを封印するより圧倒的に難しく、且つ成功率がかなり低い事が原因。故にスキルアイテムとは貴族などの有力者がいくつか持っている程度でしか普及はしていない。


 しかしモンドベルクはそんなスキルアイテムを国中に張り巡らし、かなり強引に潜入エルフ達のスキル発動を封じて見せた。


 この強行策には、流石のユーリも予想出来ない荒技だったのだ。


「……ですが、何故そのモンドベルクは潜入エルフがこちらに情報を流していると知っていたのですか? そもそも潜入エルフの居場所を、何故?」


「……ハーティーが全部喋ったらしい」


「──っ!? ハーティーが、ですか? 私が知る限り、彼女は優秀な者であった筈ですが」


「その優秀だったハーティーの心を折った奴が居たんだよ……」


 ユーリは悔しそうに表情を歪めると、目の前のローテーブルを拳で殴り付ける。


「クラウン・チェーシャル・キャッツ……。あの忌々しいキャッツ家の人間だ……」


「……キャッツ家の……。それは……また因縁めいていますね。ですが、確かキャッツ家には……」


「ああ、居たよ。潜入エルフの副リーダーだったハンナがな……。だけどそいつもクラウンに正体がバレて、昨日この国に逃げ帰って来たんだよ」


「それは……」


「ここに来て状況が次々と悪い方に転がってる……。それもかなり早いペースでだ。それもこれも……あのッ……!」


 ここ最近の積み上げたものが瓦解し始めた状況と、数時間前に直接会ったクラウンとのやり取りを思い起こし、ユーリは再び怒りが爆破しローテーブルの上に山積みになっていた書類や筆記具を手当たり次第にぶち撒ける。


 エルダールはそんな飛散する物を最小限の動きだけで全て躱し、飛び交う書類を拾い集めながらユーリが落ち着くのをただ待つ。


 そうして暫く暴れた後、数分して漸く落ち着き肩で息をするユーリに、エルダールは片膝を付いてから彼女の目を覗き込む。


「お怒りは分かります。ですがエルフ族の長である貴女様がそう簡単に取り乱しては、上に立つ者として威厳が保てません」


「フンッ……。どうせ私は血が王族なだけで性根は貧民だ。威厳なんて知った事じゃない」


「それでも、私は貴女様を私が仕えるべき女皇帝陛下として誇りに思っております。ですので陛下、我等エルフ族の宿願をどうか……」


 そのまま頭を垂れるエルダールに、ユーリは漸く冷静さを取り戻し、その身をソファに深く潜らせると、彼を見てわざとらしく笑って見せる。


「ハンっ……。なら隠居したアンタも戦争に参加してくれよ」


「私、でございますか?」


「さっきも言ったが潜入エルフが全員捕まって戦力が減ったんだ。アンタの孫二人が参加するのは喜ばしいが、まだ足らない。だがアンタが来てくれるなら、その穴は容易に埋まる」


「……」


「まあ勿論、前線に出ろとは言わない。孫二人の護衛って名目で参加さえしてくれりゃあ──」


「分かりました」


 エルダールは立ち上がると、懐からもう一枚書類を取り出し、先程散らばった筆記具からペンを拾い上げるとその場で書類に次々書き込んでいく。


「半分冗談だったんだがな……。良いのか? 余生を息子夫婦や孫達とゆっくり過ごしたいって、あれ程言っていたじゃないか」


「そうですね……。ですが陛下のご様子やこの国の実情を鑑みるに、このまま隠居していても余生をゆっくりは過ごせない。と、思いましてね」


「……それはつまり、我が国が人族共に負けると? 私の采配が信じられないと?」


 再び血圧が上がるユーリに対し、エルダールは優しい笑いを浮かべて返す。


「はっはっはっ。そうでは御座いません。勝利を確実に……且つ素早く手にする為の、近道を選ぶ。それだけで御座いますよ」


 エルダールは書き終えた書類をそのままユーリに手渡すと、彼女は書かれた内容に目を通す。


「……確かに。正式なものとして受理しよう。しかし、本当に良いんだな?」


「勿論で御座います。このエルダール・トゥイードル。〝森精の弓英雄〟としての腕、存分に発揮してくれましょう」






「あっ! お爺ちゃん!!」


 ユーリの自室を後にしたエルダールは、帰路に着く途中で二人の少年少女と対面する。


 少年少女の顔はかなり整っており、幼さが僅かに残りつつも大人びたしっかりした顔立ちは周りの目を引いて止まない。


 だが何より目を引くのは、その少年少女の顔が非常に酷似しているという点。どちらも中性的な顔立ちをしているのも相まって、髪型が逆になってしまえば最早見分けはつかないだろう。


 所謂いわゆる、一卵性双生児──双子という奴であった。


「おお……。どうしたこんな時間に二人だけで」


「稽古の帰りだよ。戦争が近いんだから、少しでも強くならなきゃねっ!」


「と言っても女皇帝陛下が受理してくれればだけど……。そう言えば僕等の参戦許可は? 大丈夫だった?」


 何かを期待するような二人の眼差しに、エルダールは戦争に何かを期待する感情と、彼女等に対する心配が入り混じる複雑な感情を抱きながら、二人の頭に手を乗せてそのまま撫でる。


「心配するな。陛下はちゃんと受理して下さったよ」


「本当っ!? やったぁーーっ!」


「ね、姉さん……。もう子供じゃないんだから、そんなに大声ではしゃがないで……」


「何よっ!? アンタは嬉しくないの? ようやく昔話に聞いてきた憎っくき人族をボコボコに出来るんだからっ!!」


「そ、そりゃあ嬉しい、けど……」


 見た目とは裏腹に性格は真逆で対照的なリアクションを取る二人に、エルダールは微笑みつつ、もう一つの知らせを口にする。


「それと、私も参戦する事にした」


「えぇっ!? お、お爺ちゃんもっ!?」


「お爺ちゃんが参戦したら、僕達が活躍出来ないよ……。一人で全員倒しちゃうんじゃない?」


「はっはっはっ。私は所詮は老いぼれだよ。全盛期の力など今は程遠い……。それに参戦と言ってもお前達の護衛、という立場だ。最前線には立たんよ」


 その言葉を聞き少し安心した二人だったが、エルダールの実力を知る彼女等としてはそれでも彼の足を引っ張るのでは……という一抹の不安が脳裏に浮かんでしまった。


「……ワタシ、もっと稽古してくる……っ!」


「うん。僕も」


「稽古ってお前達、もう夜の帳が降りる時間だぞ?お母さんとお父さんが心配してしまうじゃないか」


「ダメなのっ! ワタシ達が戦争に参戦する以上、万が一敵に……人族なんかに負けるなんて恥を晒してはいけないのっ!!」


「その為の才能……その為のスキルを、僕達は与えられた……。だからそんな与えられた力に報いる為にも、僕等は一秒の努力も欠いては駄目なのです」


 真剣な眼差しでエルダールを見詰める双子に、彼は驚きつつも頼もしさを胸一杯に感じる。すると何かを閃き、彼は自身の懐を漁り始める。


「……お爺ちゃんのスーツの中って、どうなってるの? なんだかいつもそこから色々な物を取り出したりしまったりしてるけど……」


「うん。たまに到底入らないような物とか取り出すし……。どういう仕組みなんだろう?」


 同じ方向、同じ角度で首を傾げる二人に対し、エルダールは漸く目的の物を見つけ出したようでハッと顔を明るくすると、それを取り出してから二人に差し出す。


「お爺ちゃん、これは?」


「懐中ぅ……時計? それも二つ……」


「これはただの懐中時計ではない。スキルアイテム──つまりスキルが封印された時計だよ」


 二人はエルダールのその言葉に目を輝かせると、それ等を一つずつ手に取り、装飾が輝くそれをかざして眺める。


「お爺ちゃんお爺ちゃんっ! なんのスキルが封印されてるのっ?」


「僕達に使いこなせる物ですか?」


「焦るでない二人共。まあ、スキルアイテムとは言ってもお守りみたいな物だ。お前達が危険な目に遭わないように守ってくれる」


 そんな曖昧な説明に頭を捻る二人だが、エルダールは笑顔を浮かべつつ再び二人の頭を撫でてやる。


「お、お爺ちゃんっ! ワタシ達子供じゃないんだよっ!」


「そうだよ……。僕等もう先月に三十になったんだから……」


「はっはっはっ。何を言っとる。私からみたらお前達なんぞ昨日産まれたばかりに等しいわい。だから大人しく私に可愛がられなさい」


 もう直ぐ九百歳を迎えるエルダールにそう言われてしまえば最早何も言えない二人は抵抗を止め暫く撫でられる。


 そうして一分ほど撫で回し、漸く手を退けたエルダールに照れ臭そうな顔をする二人。


「はっはっはっ。すっかり邪魔してしまったな。私は一人で帰るから、二人は稽古に向かいなさい」


「え、でもさっき……」


「お父さんとお母さんには私から話しておくよ。それと後で夕飯を弁当にして届ける。そうしたら私が直接、指導してあげようじゃないか」


「本当っ!? やったぁーっ!!」


「ありがとうお爺ちゃんっ」


 お礼を言った双子はそのまま元気良く振り返りながら走り出し、先程まで居た稽古場へと向かう。するとエルダールが──


「ディーネルっ! ダムスっ!」


 そう声を掛けて二人を振り向かせると、エルダールは先程の優しい表情を一変させ、歴戦の英雄然とした勇ましい面持ちで告げる。


「戦争に参戦する以上、トゥイードル家の名に恥じる戦は許さんっ。それを肝に銘じておきなさいっ」


 その言葉を受け、二人は同じように真剣な面持ちでもって頷き、そのままの勢いで走り去って行く。


「……」


 そんな二人を見送ったエルダールは、再び懐に手を入れると、以前ユーリから渡されていたティリーザラ王国の要注意人物リストを取り出して何ページかめくり、最後の方に記載された最重要注意人物の欄に目を留める。


「……キャッツ家、か……」


 エルダールは思い出す。


 自分が〝英雄〟となる前、卑劣極まりない手段によって大切な土地を奪われたあの日の事を。


 自身の力不足の為に犠牲になってしまった、多くの仲間の存在を……。


「枯れ果てたと思っていた灯が、よもや再びともろうとは……。長生きはしてみる物だな」


 そう笑うエルダールは、静かな闘志を密かに燃やし、可愛い孫達の為に帰路に着くのだった。

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