第三章:草むしり・前編-14
「……ハンナ?」
「……あっ! は、はいっ!!」
父上からの質問に表情を固まらせ、反応しなくなってしまったハンナに再度父上が投げ掛け、ハンナは漸く反応する。
その反応は露骨に慌てているようで、何を言おうかと必死に頭を巡らせている風にも見て取れた。
「……思い出せんのか?」
「は、はい……。流石にどの部屋だったかは、余りハッキリとは……。十数年前ですし……」
「むう、そうか……。ではこれは覚えているか? 妻のカーネリアがクラウンから綺麗な宝石を貰った時の事だ」
「宝石、ですか?」
「ああ。細工が得意なカーネリアにあやつが産まれて来る妹の為にと持って来た物だ。確かあの時も側にはお前が仕えていた筈だが、何という名前の宝石だったかな?」
「いやあの、宝石の名前と申されましても──」
「む? 確かあの時お前は自分が《品質鑑定》を使ってその品質を見たとカーネリアから聞いたぞ? それもかなり熟練度が高く見ただけでオーラで判別したとかなんとか……。なのに名前が判らぬのか?」
「え、ええとぉ……」
「……」
「……はっ! いやですね旦那様っ! 《品質鑑定》は物の品質が判るだけで名前までは分からないんですよぉーっ! あの時奥様からも名前なんて聞いていませんし。私に判るわけありませんてぇーっ!」
「おおそうかそうかっ。これは私の理解が及ばなかった事だったな。すまないなハンナ」
「いえいえそんな、滅相も御座いませんっ!」
「はっはっはっ」
「あははははっ」
ハンナが暫く父上と他愛ない雑談で盛り上がった後、カーラット同様改めてエルフに関する注意喚起をし、部屋を出て行く。
「ムスカ」
「はっ。カーラットと同様に?」
「ああ、頼む。それとカーラットの現状は? 部屋を出た後に呟いた事以外で何か口にしたり動いたりしたか?」
「いえ。ご主人様の記憶にある通りの業務をいつも通り
「そうか。また何かあったら知らせなさい。ハンナもだぞ?」
「畏まりました」
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「……はあ……」
ハンナは執務室を出た直後、小さく溜め息を吐いてからゆっくりと歩き出し、頭の中で今日残っている仕事を思い浮かべてる。
その顔は先程のジェイドとの面会や、それより前にすれ違ったカーラットに見せていた悲痛な程に怯えた面影は一切無く、既に仕事人然としたものに変わっていた。
あれやこれやと頭の中を忙しなく巡らせていく中、廊下の途中で見慣れた初老の男を見掛ける。その表情は数分前の自分の様に暗く、刻まれた
「あらホータン。浮かない顔をしているけどどうかしたの?」
「ん? ああ、ハンナか……。いやね、実はこの時間に旦那様に執務室に呼ばれていてね……」
「……そうなの」
「ああ……。旦那様が私を執務室にお呼びになるなど初めての事だ……。一体何を言われるのかと今から胃が痛くて痛くて……」
「何か心当たりはあるの?」
「うーーん……。やっぱアレかな、今日の夕食に出した魔物肉を使った料理がお気に召さなかったのかもしれない……」
「そうなの? 私は食べていないから分からないけど。納得のいかない味を出してしまったの?」
「いや、私なりに全力を尽くしたさ。だけど食材を万全に活かせたかと問われれば、素直には頷けない……。食材自体のポテンシャルが高過ぎて、私の技量が追い付いていなかったんだ」
「そうなのね」
「ああ。坊ちゃんに色々と御指導頂いて多少自信は付いていたのだが、やはりまだまだだな。予定通り坊ちゃんに調理して頂けていたらどれほど良かったろうと、頭が痛いよ」
「胃に加えて頭まで痛いだなんて……。面談は後日に回してもらった方が良いんじゃない?」
「いや、そういうわけにはっ! ……私自身、叱ってくれた方が何かと気も休まる気がするしね。このまま向かうよ」
「そう? ならひとまずお大事にね。明日の朝食に差し障ったらそれこそ──」
「ああ、分かってる分かってるっ! ……にしても君、本当仕事中とその他でキャラ変わるね。何年一緒にやっててもたまにギョッとするよ」
「切り替えは大事よ。メリハリが出て部下達からも何気に評判悪くないんだから」
「成る程なぁ……。歳の割に童顔で見た目も若々しいし……。本当、君がメイド長で旦那様もさぞ誇らしいだろうね」
「それはセクハラになるわよホータン。でも一応褒め言葉として受け取っておくわ。それじゃあ、頑張ってね」
「ああ。君も残りの仕事頑張りなね」
そう言ってホータンは肩を落としながら執務室がある廊下を力無く歩いて行った。
「……一応、ね」
ハンナはそれだけ呟いて再び前を歩き出した。
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「どう思う?」
ハンナが出て行き、私が姿を現した直後に父上がそんな質問を投げ掛けてくる。
「そうですね。挙動不審ではありましたが、不自然な事は言っていなかったように感じましたね」
「だな。昔話も……まあ、曖昧な点や詰まった箇所はあったが、エルフかどうかの判断材料にするにはちと弱いな」
「怪しい事は拭えませんがね」
まあ、カーラットよりは可能性が高いのは確かだろう。なんせ彼女はああ見えて割と歳を重ねている。エルフが変装しているならば一番違和感無く溶け込めていると言える──
「……」
「ん? どうかしましたか?」
ふと気が付けば、父上が無言のまま私の顔をジッと見ていた。急に何事だろうか。
「お前、彼女に肩入れはしないのだな」
「肩入れ? 何故?」
「何故って……。ハンナはお前の乳母を勤めた者で、お前がカーネリアの腹の中に居た頃からお前を見守って来た者だぞ? 思い入れは無いのか?」
「思い入れ、ですか……」
ハンナは私がこの世界に転生し、自我を確立した直後に一番最初に私が認識した人物。姉さんや父上、そして何より母上よりも先に私がこの世界で初めて出会った存在。
自分がどんな家の人間なのかを知る指針になり、言語が通じないと悟った相手であり、私が最初にコミュニケーションを図った相手。
思い入れなど──
「はあ……。無いわけ無いでしょう?私からすればもう一人の母親のようなものですから」
彼女から給仕され、下の世話をされ、言葉を教わり、マナーを教わり、勉強を教わり……。
笑った姿も泣く姿も、驚く姿も怒った姿も……。多分私が一番色んな表情を見た相手だろう。
甘々になった今の私に、そんな彼女を心の底から疑うような──無慈悲に切り捨てる様なマネは……非常に難しい。
「そんな相手を、エルフだったとしてお前は断罪出来るのか?」
「……」
「……クラウン?」
「……やりますよ」
「ん?」
「仮に彼女がエルフだったとしても、情報を向こうに流したりこちらに不利になるような事をしているなら、私は情を捨てます。赦す事はありません」
例え難しくとも、こればかりは決断しなければならない。判断しなければならない。
「……それで、良いのか? なんなら話し合って解決する方法も──」
「ありませんよそんなもの」
「そんなキッパリと……」
「エルフが一体どんな思いで私達人族に仇なそうとしているか、父上も理解しているでしょう? 何十年と計画して人族を陥れようとしている奴等です。中途半端な感傷はこちらが追い詰められる要因になります。話し合いなど、選択肢にはありませんよ」
……まあ、だからといって、ハンナにエルフであって欲しくないという思いは勿論あるわけだが……。今はそんな希望的観測に傾倒している場合ではない。
「さあ父上。次はコック長のホータンです。最後まで気を抜かないようお願いしますね」
「い、言われんでも分かっている……」
「失礼、します……。ホータンで御座います……」
数回ノックが鳴り、若干上擦った声で扉越しにそう挨拶したホータンは、父上の「入りなさい」という返事を聞いた後恐る恐るといった具合に扉を開き、入室した。
初老で坊主頭の彼が、この屋敷のコック長を務める男。ホータン・マグピエロ。
人族の悪い文化である低い美食意識に我慢ならなくなった私が最初に料理を手解きした相手であり、今日の夕食である魔物肉を使った料理を作った張本人である。
「よく来てくれたなホータン。実はお前に話しておきたい事があるのだ」
「は、話しというのは、今日の夕食に出した魔物肉を使った料理に関して、でしょうか?」
「ん? 夕食?」
「はい……。坊ちゃんに料理を教わり、多少なりとも自信を覚えておりましたが、今回の食材を扱う上で痛感しました……。私はまだまだ未熟であり、料理の「り」の字を知ったに過ぎなかったという現実を……」
「ま、待て待てホータンっ。私は別段アレを美味くないとは……。第一、私が言いたいのは夕食の事ではなく──」
「いいえっ! お気遣いは無用に御座いますっ! 齢四十になった我が身ではありますが、今一度料理というものの原点に立ち返りっ! より一層の研鑽を積みたく存じますっ!」
ホータンはそう胸を張りながら対面する父上に迫る勢いで捲し立て、興奮しているような何かを決意したかのような、そんな表情を浮かべている。
「わ、分かったっ! 分かったからそう迫るなっ! それに今日呼んだのは夕食の事ではないと言っているだろうっ!」
「……え、違うのですか?」
父上は呆けた様子のホータンを押し返し、小さく溜め息を吐いてから一つ咳払いをし、改めて話を始める。
「ホータンよ。今日呼び出したのはちょっとした確認と注意喚起をする為だ」
「確認と、注意喚起?」
「ああ。実は最近、使用人がエルフ語で会話をしているのを屋敷内で聞いたそうなんだ」
「え、エルフ語ですかっ!?」
「そうだ。エルフ語を使える人族など専門家でもない限り聞かんし、我が家にそんな専門的なものを修めている者は居らん筈。つまりはだ──」
「や、屋敷内に……。エルフ、が……」
「考えたくはない、がな。そこでお前に何か心当たりはないかと訊ねたかったのだが……」
「そんなっ! 聞いた事御座いませんっ! 仮に聞いていたのならば真っ先に御報告致していますっ!」
「で、あろうな。お前の性格を考えればそうしていただろう。ならば問題はない」
「は、はい……」
「次に注意喚起だ。まあ、お前の事だから心配はしていないが、今後そのような噂を耳にしたとしても無闇やたらに首を突っ込んだりせぬようにな」
「そんな恐ろしい事、小心者の私には命令されたとて出来ませんよ。お恥ずかしい話ではありますが……」
「いや、構わない。それとこの事は他言無用だ。噂が広がり潜入しているエルフに警戒されれば向こうがどう出るか分からん。くれぐれも頼むぞ?」
「はいっ! 承知しましたっ!」
「うむ。ところでホータン。最近、お前の妻と息子はどうだ? 元気にしているか?」
「えっ? あ、はいっ! 妻も息子も元気にしていますよっ! 妻は旦那様が紹介して下すった受付の仕事をキッチリ熟せているようですし、息子も来年から魔術学校に通わせられます……。これも皆、旦那様のお陰で御座いますっ!」
「気持ちは有り難いが、そうなんでも私を持ち上げる必要は無いぞ?お前の家庭が円満なのはお前の力だ。私など場を整えてやる事しか出来ん」
「滅相もありませんっ! 私達家族がどれほど旦那様に御恩があるか……。言葉だけでも受け取って下さいっ!」
「そ、そうか? なら、一応受け取っておくが……」
父上は照れ隠しにまた咳払いをすると、「ふむ」と呟いてからスッと天井を見上げ、何かを思い出すように小さく唸る。
「うーむ。そう言えばお前がコックになって何年になる?」
「え、えーと……。確か十四年前ですね。ははっ、まだ剣術指南をやっていたのが懐かしいです」
「そうだな。あの時お前が剣術指南を辞めたのはぁ──」
「はい。ガーベラお嬢様に勝てなくなったからですね。指南役を仰せ使ったにも
口では絶望感など重い言葉を漏らしているが、その表情にはそんな感情を一切感じられず、寧ろ懐かしさと愉快さを彷彿とさせる。
「ああ、スマン。嫌な思いをさせてしまったな」
「とんでもないっ! あの日ガーベラお嬢様に負けたから、今の私が在るんです。妻に出会い、息子に恵まれ、まだまだ研鑽出来る道がある……。料理がこんな楽しいものなのだと知りました。あの日には考えもしなかった幸福の日々です。ガーベラお嬢様には寧ろ感謝しておりますよ」
「む。だからか? アヤツが帰って来る度に、アヤツの料理の量だけ露骨に多いのは」
「あはは。バレちゃいました? ……私なりの、ちょっとしたお礼のつもりですよ」
「まったくお前は……。まあよい。因みにだが、ガーベラは最初からそんなに才覚があったのか? 私の印象ではあの歳でお前を打ち負かせる程では無かったと思うのだが……」
「ああ。それですか。確かに最初の頃はちょっとセンスがあるくらいで特別な物は感じませんでしたね。ですがある日を境に、あの方の〝目〟が変わったのですよ」
「目? それは一体……」
「正確には目の色が変わったのです。確実な目標が出来た……強い決意が宿った目に。まるで戦神や剣神が乗り移ったかのようでしたね」
「何か、キッカケに心当たりはあるか?」
「──? 分かりませんか?」
「な、なんだ」
「坊ちゃんと対面してからですよ。旦那様がガーベラお嬢様と坊ちゃんの対面を許可したその日、その時から、ガーベラお嬢様の目は〝本物〟に化けたのです」
「……成る程な」
三度、そこから二人での他愛無い雑談が数十分ほど続き、時計を見た父上が遅くなってしまった事を詫びてから念押しの注意喚起を伝えて、ホータンは執務室を後にした。
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