第三章:草むしり・前編-13
カーラットは父上の質問に対し、少し考えを巡らせる様に頭を捻ると、結論を出したのかまた元のポーカーフェイスに戻る。
「申し訳ありません。私は聞いた事が御座いません」
「本当にそうか? 些事ならば兎も角、エルフに関連する案件は些細な事でも問題になりかねん。噂程度でも構わんぞ」
「そう言われましても……。因みにですが、その噂をしていた使用人は一体?」
思い当たる節が無い事を伝えつつ自身も調べるつもりなのか噂をしていた使用人を父上から聞き出そうとするカーラットだが、それに対し父上は首を横に振る。
「教えられん」
「何故です? 使用人を統括する立場にある私が知っておいた方が良いと愚考しますが……」
「仮にだ。屋敷内でエルフ語の会話があったという事は少なくとも屋敷内にエルフが居るという事になる。私はそんなエルフを引っ捕らえるつもりでいるが、お前がいらぬ詮索をしてそのエルフが気が付き、逃げられるのは非常に具合が良くない。分かるな?」
「……はい」
「今回お前を呼び出したのは先程のエルフ語についてと、それからお前に釘を刺す為だ」
「私に?」
「お前は使用人達と誰より距離感が近い。そんな使用人の中にエルフが潜んでいた場合、お前は情けを掛けかねない。その対策だ」
「御言葉ですが旦那様。私は使用人達とは常に一歩引いた距離感で接して来ているつもりです。仮に使用人の中にエルフが潜んでいようとも、私がそんなエルフに情けを掛ける様な事は──」
「本当だな?」
カーラットの紡いでいた言葉を父上は途切れさせ、まるで子を窘める親の様な厳しい視線でもってカーラットの目を正面からまっすぐ見据える。
「お前は見かけによらずお人好しだ。私の元に来た時からな……。いつだったか、お前が屋敷に一匹の魔物の子供を拾って来た事があったろう?」
父上の言葉を受け、カーラットは一瞬表情を崩して目を見開き、その目を若干泳がせる。
「そのような事も……ありましたね」
「あの時私は魔物討伐ギルドにその魔物の子を連れて行くよう命じたが、お前は従うフリをして隠れて育てていたな。まったく危険な事をする」
「……私もまだまだ幼稚だったのでその危険性に気付きませんでした……。今思うとゾッとします」
「ああ……。それで、結局あの魔物はどうしたんだったかな?」
「お忘れですか? 流石に隠れて飼うのが難しくなって来た頃に私が意を決して旦那様に懇願したのです。「魔物を手懐ける方法はないですか」と」
「おおそうだったなっ!! 確かぁ……」
「はい、
「そうだったそうだった。元気にはしているのか?」
「有り余っているくらいですよ。ただ最近、それこそエルフ関連で色々ありますからね。有り余ってる分を消費させてやりたいと」
「そうかそうかはっはっはっ」
そこから父上とカーラットはお互いの思い出話を語り合い、十数分程が経過した。
そして父上はチラッと時計を横目に見やり、少し露骨に経過した時間に気が付くフリをする。
「おっと、もうこんな時間か……。大分話が逸れてしまったな。良いか? 改めて言うが仮に屋敷内でエルフ関連の話を耳にしたらまず私に知らせなさい。決して一人で判断し行動するんじゃないぞ」
「はい、畏まりました。今後はその様に致します」
カーラットが執務室を出た直後、私はムスカを呼び出す。
「……ムスカ」
「はいご主人様」
「度々悪いがカーラットに監視を頼む。もし不審な行動があれば直ぐに知らせなさい」
「ははっ。畏まりました」
「それと「魔天の瞳」の連中のその後の様子は?」
「そちらはこれと言った動きはまだありません。ノーマン達にも接触は無いようです」
「そうか。何か大きな動きがあったら同じく知らせなさい」
「畏まりました」
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「ふう……。気付かれたのかと思った」
カーラットは執務室を後にし、小さくそんな事を呟いた。
「まあ何にせよ今バレてしまうと少し──いや、かなりやり辛くなってしまうな。注意しなくては」
そう自分に言い聞かせるように再び呟いた後、今日の予定を片付けるべく廊下を歩いて行く。すると正面からメイド長が少し暗い面持ちでトボトボと向かって来るのが目に止まり、歩みも止める。
「おやハンナ。随分と暗い顔をしていますね」
「あ、カーラット様。そう、見えますか?」
「見えない方が不自然なくらいにハッキリと暗い表情ですよ。何かありましたか?」
「いえ……。実は今から執務室に向かう所でして……」
「……執務室」
カーラットは表情を動かさないまま、心の中で訝しむ様に眉を
それも当然だろう。自分だけならまだ理解出来るが、その直後にメイド長であるハンナが呼び出されているのだ。
それに──
「だ、旦那様が私を執務室にお呼びするなんて初めてですっ! わ、私、何かとんでもないミスをしてしまったのでしょうかっ!?」
そう。メイド長自身を執務室に呼び付けるなどジェイドは今まで一度もした事が無かったのだ。そんな状況に立たされれば狼狽するなという方が無理な話である。
「理由は聞いていないのですか?」
「はい……。ただこの時間に来るようにと坊ちゃんから言われまして」
「坊ちゃんに、ですか?」
「はい「父上が話があるから来るように」と……。私何か坊ちゃんや坊ちゃんのご友人に失礼を働いたのでしょうかっ!? だから坊ちゃんが旦那様に報告をっ──」
「落ち着きなさいハンナ。貴女は坊ちゃんがどんなお方かよく知っているでしょう? 出産に立ち合い、その後の奥様の育児のサポートをして来たのは貴女ではないですか。そんな貴女から見て、坊ちゃんはそんな旦那様に告げ口をする様なお方だと思うのですか?」
カーラットはハンナの肩にそっと手を置きながら諭す様にそう言い聞かせる。するとハンナの顔は先程より明るさが戻って行き、いつもの可愛らしい歳不相応の顔なっていく。
「そ、そうですよねっ! あの理性的で誰より落ち着いた大人のような振る舞いをする坊ちゃんが告げ口なんて卑怯なマネする筈ないですよねっ!!」
「そうですとも。……まあ呼び出された事実は変わらないので何かしら覚悟はした方が良いとは思いますが……」
「け、結局それなんですかっ!? あぁ……憂鬱だなぁ……」
折角戻った明るい表情をまたも暗い物に落としたハンナはそのままカーラットを通り過ぎ、執務室がある方へ力無く歩いて行く。
「……坊ちゃん。一体何をお考えなのですか」
そう小さく漏らした後、カーラットは不安を抱えながら廊下を再び歩き始めた。
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____
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「ふむ」
「ど、どうだと思うクラウン。カーラットはエルフか?」
「ふふっ」
カーラットが部屋から出たタイミングで隠密系のスキルを全て解除し私が姿を現すと、不安そうな面持ちでそう訊ねて来た父上に、私は思わず微笑を漏らしてしまう。
「な、なんだ」
「父上は本当にカーラットが大事なのですね。これでは仮にカーラットがエルフだったとしても庇い立てしてしまいそうですね。カーラットの事言えませんよ?」
「や、喧しいっ! ……アイツはまあ、お前が産まれる前にウチに来たからな。初めて息子が出来たようで当初は寵愛していた。その名残が今もあるのだよ」
私が産まれる前、ねぇ。
確かに最初に産まれたのは姉さん──つまりは女児だったからな。父上からしたら少年時代のカーラットは息子みたいなものだったんだろう。まあ、私が産まれる前まで、らしいがな。
「その話は若干嫉妬を憶えますね」
「馬鹿を言うなまったく……。で? 実際にカーラットはエルフだと思うか?」
「さあ、どうでしょうね」
「お前っ!? あの質問で分かると先程言っていたではないかっ!?」
「あの質問とその後の昔話では正体は探れませんよ。アレはあくまでエルフを警戒させる為のものですから」
「警戒させる、だと?」
「この屋敷の主人である父上がエルフの存在に勘付き屋敷内に警戒を向けている……。その情報を察せさせる事が先程の質問の目的です。十数年何事も無く潜入に成功していたのに急に疑いの目を向けられたら──」
「成る程な。
「焦燥感を煽る為ですよ。警戒されていると分かったのに長話を持ち出されたらどんな者でも相当に焦れるでしょう?行動を起こさせても巧妙に偽装されれば厄介ですからね。少しでもボロを出してもらおうかと」
「だがお前、相手が手練れならばそれこそ冷静に対処されるのではないか?」
「だからこその昔話です。エルフは長命種であるが故に些細な記憶を長期間保存出来ない体質なんですよ。故に数十年前の些細な昔話を持ち出されたらそれこそ思い出そうと必死になります。冷静さを欠けさせるには持ってこいです」
「お前、そこまで考えて……」
「ちょっとした意地悪をタチ悪くしただけですよ。先程は曖昧に言ってしまいましたが、それを踏まえるとカーラットは……」
「う、うむ……」
「……白、じゃないですかね? 今の所は」
「結局曖昧な言い方ではないかっ!!」
「カーラットは昔話の受け応えもスムーズでしたし、聞いていた感じ脈拍なんかもそれほど変化はありませんでした。希望的観測で言えば白です」
「みゃ、脈拍を聞く……? まあ、今はいい。なら、その希望的観測を抜きにしたら?」
「……いえね。個人的な話なのですが……。警戒している気がするんですよ、私を」
「ん? 何故カーラットがお前を警戒するんだ?」
「さあ? それはまだ分かりません。ただ……」
「ただ?」
「もしかしたらモンドベルク公関連かもしれませんねぇ……」
「んん? 何故モンドベルク公が出て来るんだ?」
「それはまあ、追々……。さて、次はメイド長──ハンナを呼び出す番ですよ」
「あ、ああ……」
「は、ハンナ到着しました……」
扉を数回ノックする音が響き、若干弱々しい声で扉越しからそんな言葉が執務室に届く。
「入りなさい」
父上がそう応えると扉はゆっくりと開き、その隙間からまずは顔だけを覗かせるメイド長ハンナ・フィライアダイ。
そんな彼女の反応に父上は小さく溜息を吐くと呆れた視線を送る。
「何をそんな怯えておるのだハンナ。まさか数十年働いて来て今更私が怖いなどと言うつもりではあるまい?」
「い、いえそんなっ!! 滅相も御座いませんっ!!」
「なら早く中に入って来なさい。これでは
「は、はい……」
ハンナはそう言われて漸く執務室に一礼してから入り、父上の正面で畏った。
「わざわざ呼び出してすまなかったな」
「いえそんなっ!」
「まあそう緊張するな。別に今からお前をどうこうしようってワケじゃない。ちょっとした注意喚起だ」
それを聞くとハンナは暗く強張った表情を露骨に安心し切ったように弛緩させ、改めて父上からの言葉を頭の中で再認識する。
「注意喚起、でございますか?」
「ああ。実は最近使用人からのエルフ語で会話していた、なんて噂があるようなのでな。何か知らないか、と思ったのだ」
瞬間、ハンナは目をカッと見開き心底驚いたように少しオーバーなリアクションを見せる。
「え、エルフ語ですかっ!? そ、それってつまり……」
「まだ確定ではない。だが屋敷内にエルフが潜んでいる可能性は考えねばならん」
「や、屋敷内にエルフが……。で、ですが私は部下から何も聞いていませんし、勿論私自身エルフ語の会話なんて一度も耳にしていませんよっ!?」
「そうなのか?」
「はいっ! これでもメイド長ですっ! 部下であるメイド達の機微には最大限気を遣っているつもりですっ! しかしそんな噂一度も……。何かの間違いではっ!?」
「間違いなら寧ろその方が良い。だが問題なのは噂の主軸がエルフであるという事だ。例え噂であろうと、この問題は決して看過して良い物でも無視して良い物でもない。徹底して調べ上げねばならん」
「そ、そうですよね。すみません、取り乱しました……」
「良い良い。メイド長であるお前ならば当然の反応だ」
「しかしメイド長である私が知らなかったのはやはり問題ですっ! ここは私ハンナが責任を持って調査を──」
「馬鹿を言うでないっ」
父上からの強めの語気にハンナは怯えたようにシュンと元気を無くす。それを見た父上は一瞬罪悪感で顔を曇らせながら一つ咳払いをして続きを口にした。
「この屋敷に潜入しているエルフがどんな奴かも分からん現状、戦闘能力に乏しいお前では対処など出来はしまい。大人しくしているんだ」
「で、ですが……」
「私に可愛い使用人が傷付く姿を見せたいのか?」
「そ、そんなっ!」
「なら大人しくしていなさい」
「は、はい……」
「まったく。……お前は長年我が家を支えて来た大事な人材だ。息子の乳母までやらせたのだ。そんなお前に誰が傷付いて欲しいと言える」
「旦那様……」
「はっはっはっ。少し懐かしいな。まだ日の浅かったお前に赤子だったクラウンを抱かせた時のお前のおっかなびっくりだった顔……。よぉく覚えている」
「そ、そんな事もありましたね……」
「ああそうだ。これは覚えているか? クラウンが産まれて間もない頃、お前とカーネリアがクラウンを世話していた時だ」
「は、はい」
「私がガーベラにクラウンとの面会を許した時だった。あやつどの部屋に居るかも聞かずに飛び出して行きおってなぁ……。まったくそそっかしい奴だ。はて、アレは確かどの部屋だったかな。覚えているか? ハンナ」
「……」
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