序章:望むは果てまで届く諜報の目-10

 

 凛々しい女性の声は、冒険者ギルドの奥から響いた。


 その声音はまるで乾いた地面に水が浸透して行くが如く、ギルド内に満ち満ちていた不穏な空気を一瞬にして自分の色に支配した。


 皆が最早私では無く、その声の主が居るであろうギルドの奥に注視し、その姿が現れるのを固唾を飲んで見守った。


 扉が開き、現れたのは──


 この場には場違いな程に鮮烈な赤いドレスを身に纏った貴婦人。


 スラっとした高身長の体躯に、まるで理想の大人の女性像をそのまま体現した様な端正な顔立ち。


 橙色の切れ長な目は何者をも寄せ付けぬ様な気品が溢れ。


 朱色の短く切り揃えられた髪には、狼と獅子を象ったと思しき髪留めが飾られている。


 纏う雰囲気は威厳に満ち、近付くに居る者をことごとく屈服させてしまいそうな。女王然とした圧倒的な高貴さで場を支配した。


 そんな女性の登場に、ギルド内に居る者全てが一斉に緊張で固まる。


 その存在感はティールやユウナをも巻き込み、私自身も警戒しなくてはならない人物。それはこの国の者にとっては余りにも有名であり、一種の象徴。ティリーザラ王国に七人しか居ない、大貴族の一人。


「改めて言う。随分と騒いでいた様だが、一体何事だ?」


 そんな彼女の質問に、一番近くに居たギルド員が彼女の側に恭しく近付き、事の顛末をつらつらと報告する。


 彼女はそれを一つ一つ噛み砕く様に小さな質問を挟みながら事情を把握していく。そして全てを聞き終えた後、


「成る程。理解した。しからばくだんの者。私の前に来なさい」


 ここで言う件の者とは……まあ、私達だろう。今の状況でこの場から逃げる事はティールとユウナの事を考えると厳しいし、そもそも得策じゃない。大人しく彼女の元に行くしかない。


 私はティール、ユウナを連れ彼女の元へ歩き出す。


 すると人混みは私達と彼女に道を作る様に割れ、すれ違い様に物珍しげな眼差しを向けて来る。


 少しして漸く居心地の悪い視線の雨を突破し、彼女の元に辿り着いた私達は、彼女に対し、公的な場に相応しい所作でもって頭を下げる。


「……貴方。名はなんと言う?」


 私の身なりを舐める様に見た彼女は魔法魔術学院の制服を着た私に何かを察したのか、わざわざ名前を訊ねてくる。


「お初にお目に掛かります。ルービウネル・コウ・コランダーム公爵閣下。私の名はクラウン・チェーシャル・キャッツ。魔法魔術学院の生徒であります」


 ルービウネル・コウ・コランダーム。


 彼女こそがここティリーザラ王国に於ける建国より国を支え続けている大貴族。通称「珠玉七貴族」の紛れもない一人である。


 この国に存在する冒険者ギルドと魔物討伐ギルドという三大ギルドの内、二柱を傘下に置く権力者であり。大公ディーボルツ・モンドベルクの次に国に深く関わる大物。


「閣下はよせ。正式な場という訳でも無しに……。それより今貴方、キャッツと名乗ったか?」


「はい。私の父はジェイド・チェーシャル・キャッツ。貿易都市カーネリアで領主をしております」


「ほぉう……ジェイド。ジェイドの倅か」


 ルービウネルは含み笑いを浮かべながら改めて私の顔を覗き込み「成る程……。鼻筋には面影があるな……」と小さく呟き一人納得する。


 この反応。これは父上を知っているな。


 〝経済〟を司る大貴族ならば貿易都市の領主である父上を知っていてもおかしくないが、この様子では浅い認識ではないな。貴族でない父上を大貴族が認知している……。


 これだけで私の中にある疑念の骨組みに肉付けがされていく。これはシセラの用事が済んだら確認しに行くか……。と、今は兎に角──


「父上をご存知で?」


「ん? ああ……少し、な。だが今は取り敢えず当事者である貴方の話を聞かせなさい」


「コランダーム公爵自ら、その様な事を? 貴女様もお忙しいのでは?」


 彼女はここ冒険者ギルドのトップとはいえ大貴族で当主だ。本来ならこの様な些末事は部下なりなんなりに任せてしまうと思うのだが……。


「些末事、と判断するのは簡単だ。だが物事の表層だけを見て判断し、肝心の真相を見誤るのは愚者のする事に他ならん。更に言えば、最終判断を下す私自らがこの場に居るのだ。一々部下に任せるなど、最早手間でしかない」


 ふむ……。つまりは何があるか分からないから念の為調べ、効率が悪いからこの場で治めてしまおう……という事か。公爵という立場の者としてはアグレッシブな方だが、私としては面倒事が早々に片付けられて都合が良い。


「成る程。理解しました。それでは簡潔に、説明させて頂きます」


 それから私は、先程までの事を簡潔に説明する。ある事を依頼しに冒険者ギルドを訪れ、私が窓口でそれらを済ましていた間にティールとユウナが輩三人に難癖を付けられていた所を私が間に入り、三人を黙らせた。


 本当に簡単に説明するならばこの程度の事なのだが、何より厄介なのは……。


「ふむ、理解した。だが先程のこの者の言ではエルフがどうのと聞こえた……と言っていた。それについては何かあるか?」


 そう、これである。


「……やはり説明せねばなりませんか?」


「普通の言い争いならば良いが、エルフという名を聞いてしまってはそうはいかぬ。賢い貴方なら、その理由を説明せぬとも分かるであろう?」


 まあ、そりゃそうなるか……。正直誤魔化せるなら誤魔化したいが、この状況でそれは逆効果だろう。ユウナには悪いが──


「……分かりました。ユウナ。悪いが顔を見せてくれ」


「えっ!? ……で、でも」


「私がなんとかする。だから安心しなさい」


「うう……。わ、分かりました……」


 私の後ろに隠れていたユウナが身体を覚束ない足取りで私の横に並び、目深く被っていたフードを震える手で脱ぐ。


 現れるのは光に眩く反射する綺麗なブロンド。鮮やかな若葉色に近い緑の大きな瞳に、少し大きめなレンズが嵌る眼鏡。


 そしてその髪の隙間から左右に覗く、人族より長く、エルフよりは短い中途半端な耳。


 フードを取った際の彼女の割と整った顔立ちに一瞬この場の男共がそれなりの反応をしたが、誰も彼もがその耳を認識した途端、ざわつきが増す。


 そんな空気に怯え、思わずフードを被り直すユウナを見て全てを察し、ルービウネルは小さく溜め息を吐いて──


「静まれッッ!!」


 彼女のそのピンと張り詰めた様な鋭い声音が響き、その一瞬で先程の静寂が再び訪れる。


「少女一人をこれだけ怯えさせるとは……。なんとも情けない……。再教育が必要かしらね」


 ルービウネルは軽く頭を抱えながら真剣にそんな事を悩んだ後彼女は少しだけ身を屈め、その橙色の切れ長の目を優しく、柔らかくし、ユウナの顔を覗く。


「安心なさい。例え貴女がハーフエルフだとしても、私は軽蔑したりしません」


「……え?」


「これは余り公言していない事なのだが……。私の家、コランダーム家には、獣人族の血が流れている」


 ……獣人族の血?


「この国が建国されるよりも前、当時の当主が獣人族の王族の娘に恋をしたらしくてな。当主はそれから様々なしがらみを乗り越え、見事婚姻を果たし、現在のコランダーム家が興た。今も続く人族と獣人族の友好関係は、それがキッカケだったりする」


 人族と獣人族の間に……。確か半獣人セリアンスロープ、だったか? ハーフエルフの様に迫害はされていないが、良い顔をしない者も居たりする。


 基本的にこの世界の人族は人族至上主義一歩手前みたいな意識が無自覚に根付いているからな……。そんな中でこの立場まで上り詰めているのは、コランダーム家がどれだけ優秀な一族なのかが窺えるな。


「今は何年と経ち、私の中の血は限りなく薄くなってしまっているし、貴女と全く同じ立場とは言えないけれど……。それでも私のプライドが、貴女を迫害などさせたくないと言っているわ」


「コランダーム様……」


「良い? その血を呪ってはいけないわよ。貴女の詳しい事情は分からないけれど、その血は間違いなく貴女に流れ、貴女を生かす為に全力を尽くしている。味方でありこそすれ、決して敵ではないわ」


「ですが……。私は一体どうすれば……」


「架け橋になりなさい。私の祖先が人族と獣人族の絆を築いた様に、人族とエルフの架け橋に……。今の私達と彼等の関係は、そう簡単に埋まる様な溝ではないでしょうけど……。それでも彼等と友好的な関係を結べる手があるのだとすれば……。それはきっと、貴女の様な真ん中に立てる人だと、私は思うわ」


「私……が……」


「大丈夫よ。貴女は迫害を受けながらでも、こうして元気そうに人族の波の中で立っている。それが為せる貴女の忍耐ならば……きっと実現出来るわ」


 ルービウネルはそこまで言うと、ユウナの頭を優しく撫で、屈んでいた姿勢を正し手を二拍して周りの注目を自身に一点に集める。


「お馬鹿さん達っ! この件は私ルービウネル・コウ・コランダームが不問としますっ! 異論のある者は名乗り出なさいっ!!」


 彼女の堂々たるその発言に、この場で口を挟める者など居る訳もなく。それを少しの間を開けてから確認すると、更に一拍する。


「ならば早く仕事に戻り、新たな発見を一秒でも早くなさいっ!! 貴方達の時間は有限なのよっ!!」


 ルービウネルの最後の一言に、その場にいた職員は全員「御意のままにっ!!」と叫んで一斉に仕事に戻り始める。


 場は一瞬にして最初に入って来た時の様な喧騒に塗れ、忙しなく人の波が動き出す。


「さて。後は貴方ね」


 彼女はそう言うと私に向き直る。


「今回貴方達に絡んだ三人の特定は正直難しい。それに特定出来たとして、大した処罰は下せないだろう」


「難しい? 私の見立てではあの三人は魔物討伐ギルドの関係者です。グループ構成や人相は理解していますし、何かしらの契約書や書類と照らし合わせれば手配は可能なのでは?」


「何か明確な犯罪行為が確認されたのならばまだしも、今回は言ってしまえば彼女や君が不快に感じただけ……。それだけで膨大な量の資料をわざわざ漁るのは不合理だ」


 ふむ。まぁ言っている事は理解出来るが、このままでは悪評が世間に広まりかねん。それを分からないような人物には見えないのだがな……。何か理由があるのか?


「──とはいえ、ギルド内で起きた件の処理せねばならんだろう。それを放っておくのは私が我慢ならん。そこで提案だ」


 するとルービウネルは背後でずっと静観していた執事らしい男から一枚の紙を受け取り、それをそのまま私に差し出す。


「これを貴方を担当した職員に渡しなさい。一回限りだが、依頼料を無料に出来る」


 ほう、それはそれは有り難い。


「有り難く頂戴します」


「ああ。では私ももう行く。ジェイドに宜しく伝えなさい」


 そう言い残し、ルービウネルは執事を連れて冒険者ギルドを後にした。

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