序章:望むは果てまで届く諜報の目-9

 

 男はティールの胸倉から手を離すと、私の方に向き直り、私を見て鼻で笑う。


「フンっ。おっかねぇとかかすからどんな大男が来るかと思えば──」


 それから私の全身をゆっくり舐める様に見て、更に余裕綽々といった態度で溜め息を吐く。


「なんだなんだ。コイツと同じお坊ちゃんじゃねぇか? 頼り甲斐のある強い強い従者、呼ばなくて大丈夫かぁ?」


 そんな男の態度を背後から見ているティールは顔を青くして小さく「おいバカッ! 煽るな煽るなッ!」と呟き、ベンチのユウナの震えが増していく。


 なんだか私がこうして助けに入る前より二人の顔色が悪くなっているのは少々心外だな。


 ……まあそれはさておき。


 私は男を無視してベンチに居る二人に近付く。


「二人とも、なんとも無いな?」


「えっ!? あ、あぁ、うん。胸倉掴まれたくらい……」


「わ、私は……まだ何も……」


「ふむ……そうか」


 取り敢えず私が見ていない間に何かあったわけではないな。ん?


 そんな他愛ない確認をしていると、背後の男が今度は私の肩を掴んで来る。


 振り返ると、先程より顔を真っ赤に染め上げた大男が、眉をヒクつかせながら私を睨んでいる。


「なぁに無視してくれてんだ? あぁ?」


「……疲れるから出来れば獣とは会話したくないんだがな」


「あぁ?」


「話の通じない〝動物〟に一生懸命話し掛けても疲れるだけだろ? これも……通じてるか? 大丈夫か? すまないなぁ。〝猿〟と会話などした事がないもので……」


「……」


 私が目一杯に煽り散らすと、男の中で何かが切れたのか、そのまま拳を振り上げて、私の顔面目掛けて勢いよく振り抜く。


 拳はそのまま吸い込まれる様に私の顔面に打ち付け──


 ──メキッ。


 そんな骨が軋みながら折れる音を響かせた拳は、私を一切傷付ける事なく跳ね返す。


 拳が顔を打つ瞬間、私は《防壁化ガード》と《鉄壁化ディフェンス》を一瞬だけ発動させた。


 この二つを発動させた私の身体は並みの岩と同等程度の硬度を誇る。そんなもんに全力で拳を打ち付ければ、そりゃあ骨も折れる。


「がぁぁっ!!!? て、テメェ……何を……」


「ん? なんだか小気味の良い音がしたが……もしかして折れたのか? また随分脆い拳だな? お前の骨は小枝で出来てたりするのか? 可哀想に、さぞ今まで生きるのに苦労したろう? ふふふふ」


 私が皮肉をたっぷり混ぜた煽りをしながら笑って見せると、男はこの公の場にも関わらず、腰にはいていた直剣を抜き、私に向かって構える。


 そんな男の行動に、私達の趨勢を見守るだけだったギルド内の人間は一斉にどよめき、女性ギルド員の何人かが小さな悲鳴を上げる。


 これには傍にいた仲間の二人も流石にマズイと感じたのか、剣を抜いた男に必死で止めに入る。


「おい馬鹿っ!! こんな所でなに剣なんか抜いてんだっ!!」


「貴殿の気持ちは分かるが、いくら煽られたとはいえこんな場所で剣を抜く事はなかろうっ!! ここは一旦落ち着いて──」


 そんな仲間の二人の制止を他所に、男は剣を構えて殺意の篭った視線で私を睥睨する。


「ウルセェ……。コイツはぶっ殺す……」


「おいおい、殺すってお前っ!?」


「ご、御仁も説得してくれっ!! このままでは此奴は貴殿を……」


 私が……説得?


「説得? 意味が分からんな。何を説得するんだ? 第一喧嘩を売った私が何故説得なんてする必要がある?」


「貴殿はこの場で殺し合いをするつもりかっ!? なんだって良いっ! 謝るなり誤魔化すなり……」


「……謝る?」


 この獣人、何をトチ狂った事をのたまってるんだ?


「貴殿の連れの一人は、我の嗅覚が確かにエルフの匂いを判別しているっ! まさか知らないとは言わせぬぞ? この様な場所に、そんな人物を連れて来て、争い事が起こるのは必定であろうっ!!」


「……はあ」


「この場に彼者かのものを連れて来た謝罪さえくれれば、此奴こやつとて頭を冷やすであろう? さすればこの場はなんとか──」


「黙 れ」


 私は《威圧》を発動させる。


「キャンキャンキャンキャンとさっきから駄犬が喚きおってからに……。私が? 謝る? 都合の良い解釈も大概にしろ犬風情が」


 周りの騒めきは凍りつく様な静けさに一変し、難癖を付けて来た三人の唾を飲み込む音だけが聞こえる。


「これでも、私は我慢していたんだ……。貴様等脳死共が私の連れにちょっかいを出した時点で既に、私は機嫌を損ねていたんだぞ?」


 私が一歩、剣を構える男に歩み寄ると、男は握った剣を一瞬震わせる。


「それを? 謝れ? そうすればこの場は引いてやる? 何様がほざいてんだ? あ゛ぁ?」


 そのまま歩みを進め、剣の当たる距離まで近付き、私は構えられた剣の刀身を左手で握る。


 そんな行動をする私に、男は何事かと目を見開いて私の顔を見る。


「わ……わ、悪かっ──」


「遅 い」


 私はそのまま《炎魔法》の火炎を左手に纏わせる。


 炎は私が握っていた刀身をその高熱で熱し続け、次第に赤熱して行きその形を歪めていく。


「あ……っ! や、止めっ、」


 炎は更にその温度を高めて行き、とうとう握っていた刀身はドロドロに融け始め、液状化した金属が床に落ちる。


「さあ……ご自慢の剣は使い物にならなくなったなぁ? どうするんだ?」


「あ……いや……」


 私は一瞬……本当に一瞬だけ──


「何か……私にする事が、あるよなぁ?」


 スキル《恐慌のオーラ》を発動させた。


 瞬間、私の前に立つ三人の顔色を一気に蒼白を通り越して土気色にまで変色させながら、彼等が可能な最大速度でもって床に手を着いて頭を下げる。


「す、すす、すまなかったっ!! 俺達が悪かったっ!!」


「勘弁して貰いたいっ!! 口が過ぎたっ!! この通りだっ!!」


「見逃してくれ頼むっ!!」


「……ふむ」


 私は手の中に残った刀身が融けた剣を床に落とし、しゃがみ込んで床に伏す男に呟く。


「さっさと消えろ。不快だ」


「は、はいっ!!」


 男達は可能な限り早く立ち上がると、踵を返して人混みを掻き分け、ギルドを飛び出して行った。


 後に残ったのは刀身が融けた剣とその残骸。それと状況に呆気に取られたギルド内の人だった。


「はあ……。疲れる」


 私は構わず立ち上がり、改めてティール達に向き直ると、何故かホッとした様子で、ティールはそのままベンチに力無く座り込む。


「あぁ〜……俺も疲れたぁぁ……」


「苦労を掛けたな。私の配慮が足らなかった」


 まさか匂いどうので難癖を付けられるとは思わなかったが……。やっぱりユウナを街中に連れて来たのは間違いだったかもな。だが──


「すみません……。私のせいで……」


 私の心中でも察したのか、ユウナが落ち込む様にそんな事を言い俯く。


「謝るな。お前を連れて歩く判断を最終的にしたのは私だ」


 ユウナは今エルフ共に命を狙われている存在だ。そんな彼女を放っておくのはこちらの手札を一枚無くすことに等しいし、何より後味が悪い。


 避けられるだけ避ける努力はするが、多少のトラブルであるならば許容しよう。


「殺されるかもしれん奴を放っておく程、私は無関心ではない。だからお前は大人しくしていなさい」


「……はい」


 尚も項垂れるユウナに、今は取り敢えず放置するしかないと決めて改めて周りを見るが……。


 ……ふむ。


 さっきまで騒々しいまでに忙しなかったギルド内の人達は、皆が皆私を警戒し、怪訝な眼差しで注視している。


 中には先程の連中がエルフエルフと騒いだせいでコソコソとつまらん話を交わす者もチラホラ。


 こっちの処理の方が面倒だな……。私は別に誰かに手を出したわけでは無いんだが……。《恐慌のオーラ》の操作をミスったか?


 《恐慌のオーラ》は発動すると、自身を中心とした範囲に居る生物を一時的に恐慌状態に陥らせる凶悪なスキル。


 相手次第ではそれを跳ね除けてしまうが、さっきの連中程度やギルド内の人にはそれを為せる猛者は居ない。


 それがあの三人以外にも伝播してしまったのだとしたら……。そりゃあ、警戒もされる。


 参ったな……。このまま私が危険人物扱いされるのだとすれば先程の依頼もキャンセルされる可能性がある。


 チッ……。少し頭に血が昇り過ぎたか……。


 ……いや、今はそんな事より、なんとかこの場を収めなければ……。何か無いか? 何か──


「これは一体、なんの騒ぎだ?」


 私が内心四苦八苦している中、一本芯の通った、凛々しい女性の声が響き、この場の空気を一変させた。

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