幕間:嫉妬の受難・疑

 

「ちょっとアンタ入れ過ぎよっ! 塩っ辛くなっちゃうじゃないっ!」


「うるせぇなぁ。俺はこれくらい味濃いほうが好きなんだよっ!」


「アンタはいいでしょうけどユーリちゃんの健康に悪いでしょうがっ!? エルフの成長期とか知らないけどこれのせいで将来何かあったらアンタのせいだからねっ!!」


 喧々轟々と騒がしいキッチン。


 最近ではそんな賑やかな時間がユーリの日常になっていった。


 別に彼等──ヒルドールとアパノースが結婚しただとか、そんな事は無い。


 ただアパノースがあの日以来ユーリの事を気に掛けるようになり、何かと理由を付けては二人の家を訪れて世話を焼いている。


 アパノースは最初、思っていたよりはヒルドールがまともな生活をしている事に驚いたがヒルドール曰く、「女の子の赤ん坊拾ってまともじゃない生活なんぞ送れない」という。


 だがしかし、何の知恵も経験も無い男が一人で女の子を育てている以上は必ず粗が出るというもの。


 現に今、こうして日頃の食事に対して言い合いが繰り広げられているわけである。


「二人ともっ! もうケンカはおしまいにしてっ!」


 いつまでも平行線で解決が見えない言い合いに業を煮やしたユーリは二人の間に割って入ると上目遣いでそう訴え掛けた。


 これがかなり効果的で、彼女のその顔を見た二人は互いの顔を見合わせると小さく笑い合い「わるいわるい」と謝り合うのである。


 世情とは打って変わってそんな平和な日常を送っていたある日の事、ヒルドールとアパノースは暗い表情をたたえながらユーリの待つ家に帰って来た。


「どうしたの? 二人とも……」


 ユーリが首を傾げてたずねるも、二人は薄く笑うばかりで答えず「ちょっとお部屋で待っててくれ」とだけ言い、そのままリビングへと重い足取りで向かった。


 いつもなら真剣なお願いには素直に頷き言う事を聞くユーリだったが、二人の深刻そうな表情に不安がった彼女は、こっそりとリビングを覗き見し、聞き耳を立てた。


 リビングでお互いに椅子に座り、盛大な溜め息を吐いた二人はそこから暫く口を開かず、無言のまま時間が流れた。


 そして十分という中々に長い時間無言が続くと、アパノースが溜め息を再び吐いてから漸く口を開く。


「……始まっちゃうね」


「……ああ」


 重く答えたヒルドールは、立ち上がると棚に置かれていた酒を手に取り、椅子に座り直してからそのままあおる。


「エルフ共……まさかこちらの外交員を殺して首だけ寄越すだなんてね……。高潔な種族って聞いてたけど、案外野蛮だわ」


 数日前、ティリーザラ王国は長年の冷戦に決着を着けるべく、外交員をエルフの国──アールヴへと送り出した。


 が、アパノースが言う通り結果として外交は失敗。外交員は殺された挙句その首を〝贈り物〟として返還したのである。


 これには人族とエルフ族との間にある真実を知らぬ者達は怒りを表し、知る者達は最後の望みが絶たれたと嘆いた。


 特に外交を司る珠玉七貴族が一人、〝瑪瑙〟の当代当主はこれをキッカケにエルフ族との戦争への意思を強く固め、その後押しをしているのが現状である。


「フィーリマール兵長も似たような事ボヤいてたな……。まあ、戦争なんざ想定内で今更驚きはしねぇよ。……ただ──」


 ヒルドールはそこで言葉を切ると再び酒を口に付ける。


「アンタの前線への移動、結局変わんなかったね……」


「へっ。俺に死ねって言ってんだよお偉いさんは……」


「違うっ! アレはアンタの実力が評価された結果で──」


「違わねえよッ!!」


 酒瓶をテーブルに叩き付け中身を飛び散らせたヒルドールに思わず身体をビクつかせて黙るアパノースは小さく「ごめん」とだけ呟く。


「……いや、俺も悪い。お前に当たっても仕方ねえのにな……」


 自嘲気味に笑うヒルドールはテーブルに溢れた酒の水滴に映る自分の酷い面構えに目がいき、こんな顔をユーリに見せたのか、と小さな罪悪感が胸に刺さる。


「フィーリマール兵長、お偉いさんに自分を代わりにっ! って嘆願までしてくれたってよ。本当、良い上司だよ、あの人は」


「私達の幸運は、あの人が上司って事だけね。でもまあ運が良いのか、悪いのか……」


 そこで再び沈黙が訪れる。


 現状を口にした事でその現実を再確認した二人はそれ以上言葉を口に出来ずに押し黙ってしまう。


 前線は死地。


 赴けばその命は軽くなり、助かる者は稀だろう。


 その事を理解しているからこそ、ヒルドールは自分の命運が尽きる覚悟が決まり切らずに嘆いているのである。


 しかし、いつまでもそうしてはいられない。


「…………なあ、アパノース」


「……何?」


 ヒルドールの今まで聞いた事も無い真剣味を帯びた声音に息を呑みながらアパノースは訊ねる。


 そしてヒルドールは意を決して彼女に頭を下げた。


「頼むっ!! あの子を──ユーリの事を頼まれてくれないかっ!?」


「えっ、あの子を、私がっ?」


 突然の事に咄嗟に疑問を口にしたアパノースだったが、頭では本当は理解している。


 彼が覚悟を決めようとしている事を。


「お、俺は……助からないかも──いや、十中八九死ぬ。生きて帰れる補償なんかない……。だけどそしたらあの子は……ユーリは一人になっちまう」


「ヒルドール……」


「お前は後方での衛生兵だ。俺なんかよか生存率は高いし、何よりユーリを知ってるのはお前だけだ。エルフであるあの子を他の奴なんかが見たら騒ぎにもなる……。だから──」


「分かったわ」


 ヒルドールが言い終わる前にアパノースは返し、彼は目を見開いて彼女の目を真っ直ぐ見詰める。


「あの子を一人になんて、私にだって出来ないわよ。本当はアンタが戻って来るのが理想中の理想だけど、もしもの時は私があの子を匿うわ」


「アパノースっ……。恩に着るっ!!」


「ヤダっ!!」


 ヒルドールが再び頭を下げると、そのタイミングでリビングへ話を聞いていたユーリが現れ、目に一杯の涙を浮かべながら二人の顔を見る。


「ユーリお前っ!?」


「き、聞いていたのっ!?」


 驚く二人を無視し、ユーリはヒルドールに歩み寄るとそのまま抱き着く。


「アタシヤダっ!! おじちゃんと離れ離れなんてヤダっ!!」


「ユーリ……。嬉しいけど、そいつは──」


「戦争なんかいかなきゃいいっ!! 二人──ううん、三人で逃げよっ? 遠くにいっちゃおうよっ!!」


「逃げる、ってお前なぁ……」


「……良いんじゃない?」


 ユーリの必死の懇願に困り果てていたヒルドールの耳に入ったのは、アパノースの意外な言葉だった。


「良いんじゃないってお前……。この国見捨てんのかよっ!?」


「見捨てる? 何よアンタ、自分の実力が戦争左右するとか思ってるわけ?」


「い、いやそうじゃねぇけどよ……」


「ならその子の言う通り逃げちゃいましょうよっ!! 私達三人でさっ!! どっか遠く田舎行ってさ、三人で暮らしちゃいましょうっ!!」


「は、はぁっ!? お、お前……自分が何言ってんのか分かってんのかよっ!?」


 ヒルドールは顔を赤らめながらそう叫ぶ。


 それもその筈。三人で暮らすという事はつまりはそういう事。アパノースの発言は最早プロポーズと捉えられてもなんら不思議ではない。


 これをアパノースが無自覚に発言しているならば問題だが、当人はと言えば──


「……何よ、私とじゃ……暮らしたくない?」


 口を尖らせ拗ねたように言うアパノースに、ヒルドールは先程の言葉の本質を理解し、盛大に溜め息を吐くと自身に抱き着くユーリの顔を見る。


 その顔は心配と期待が入り混じった何とも言えない表情をしており、彼女の大きな瞳に映った自分の顔は、先程見た酷い顔より何となくだがマシになっている様に見えた。


 自分の内に湧いた小さな希望。


 自分達だけ逃げ、戦争なんか知ったこっちゃないと他人に任せてしまうという傲慢でワガママな欲望に、彼は身を任せてしまいたくなった。


 そして何よりこんな可愛く愛おしい我が子を、一人になどしたくなかった。


 この子を一人にするぐらいなら、他人の犠牲など──


「……そうだな」


「え?」


「逃げちまおうかっ!! 戦争なんか知らん知らんっ!! 元々俺は戦うとか嫌いなんだよっ!! 三人で逃げちまおうっ!!」


「本当?……本当っ!?」


「ああっ!!」


「やったっ!! やったぁーーっ!!」


「よっし。なら善は急げだっ!早速荷物まとめて──」


「待ちなさいよっ!!」


 勢いよく立ち上がりリビングから出て行こうとしたヒルドールを呼び止めたアパノースは呆れたように溜め息を吐く。


「アンタどうやってこの国を出る気なのよ? 戦争が確定した今、簡単に出国なんて出来ないわよ? ましてや私達は兵士……堂々と国なんて出れるわけないじゃない」


 アパノースの冷静なツッコミに頭が冷えたヒルドールは「そうだよなぁ……」と項垂うなだれ肩を落とす。


「はぁ……。仕方ないわね。私が脱出ルート探しておくから、アンタ達は食料とか買い込んでおいてよ」


「い、いいのかっ!? というかそんなもん探れるのかっ!?」


「任せなさいよっ! こう見えても私人脈あるんだからっ! こんな国ちょちょいのちょいよっ!」


「すまない助かるっ!!」


「ふふふ。じゃあ開戦する前に準備しなきゃね。忙しくなるわよぉ」


「そうだな。ユーリも手伝ってくれな? 長旅になるぞー」


「うんっ!!」


 ユーリはまだ大好きなヒルドールと居れるのだと、満面の笑みでそう返事をした。






「…………チッ」


 夢から覚め、不機嫌に顔を歪めたユーリは舌打ちをして日が指す窓を忌々しげに見詰める。


「私が、もっとあの時賢かったら……」


 きっとあんな悲劇は訪れなかった。


 そんな悔恨で頭が一杯になりそうになるのを頭を振って無理矢理振り払い、テーブルに積まれた資料の一番上に置かれた二枚の資料を手に取る。


 そこには先日許可したエルフの英雄エルダールの二人の愛孫、ディーネルとダムスの詳細なプロフィールが記載されていた。


「……一卵性の双子? 男女なのにか?」


 ユーリは錬金術──所謂いわゆる科学や化学に多少の知見があった。


 これは今王命で秘密裏に行われている魔物に関する研究と作戦の為に身に付けたものであり、特に生物学には専門の獣人族に協力させていた程である。


 その為一卵性双生児であるディーネルとダムスのプロフィールに疑問を抱いたのだ。


「確か一卵性は性別も一緒になるんだったはず……。なのに姉弟? 一卵性じゃなく二卵性の間違いか?」


 ユーリはエルダールの孫である二人とは会った事がない。故にプロフィールの誤植なのでは、と思いもした。


 しかし、そこで彼女の頭は思考を止めなかった。


「今まで資料で誤植なんて無かった……。初めてのミスがこんなピンポイントで違和感ある場所に出るものか?」


 何か引っ掛かる。


 確かに小さな違和感だが、これを解消するのとしないのとでは大きな違いだ。


(もう、昔のように脳死はしない。徹底的に確かめなければ)


 そう思い至ったユーリは手を叩いて衛兵を呼び寄せる。


「はいっ! 御用件は何でしょうかっ!」


「一時間後にエルダールの孫のディーネルとダムスと面会する。取り計らっておけ」


「はっ!! 畏まりましたっ!!」


 衛兵は返事をするとそのまま部屋を退出して行った。


「さて、吉と出るか凶と出るか……」


 ユーリは胸の内に湧く小さな好奇心に、久々に小さく笑った。

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