第七章:暗中飛躍-24
「……なるほど」
コランダーム公が無表情のまま書類の〝壁〟を目の当たりにしてそれだけを呟く。
流石は公爵。一度は取り乱したものの、すぐさま目の前に現れた現実逃避したくなる量の書類や資料に対してなんとか動揺を落ち着かせた。
かく言う私も、この量には正直度肝抜かれている。
何かしらの抵抗は見せてくるだろうとは思っていたが、まさかこんなシンプルな物量で来られるとは……。
この圧倒的な量。恐らく、いつかこうして痛いところを突きに来た輩の為に前もって用意していたのだろうな。
人が人ならこれを見ただけで退散するだろう。なんせ多少の数人が居たとしても目を通すだけで数日は掛かるだけの量だ。ここで時間を浪費するより一度出直して別の手段を再考した方が早い。
だが、今回それをするのは寧ろ悪手だ。
「コランダーム公」
「皆まで言うな。……ここで退けば
彼女の言う通り、ローレル伯は私からの疑いの目を掻い潜り、見事最近まで裏切りを気取られなかった優秀な貴族。
今日はコランダーム公が先触れで
「も、申し訳ありません閣下っ!! なにぶん私も部下達もこういった書類仕事が苦手でして、まともに整理出来ていなかったのです……。お見苦しい所をお見せして、誠に申し訳ありませんっ!!」
またリアリティの無い嘘を……。コランダーム公がそれを信じる相手だと侮辱しているに等しいぞ。
書類仕事が苦手で物流の一角を担う伯爵の仕事が
「まあ、突然押し掛けて資料を見せろと言ったのは私だ。そこは是非も無い」
「ありがとうございますっ!! で、ですがこの量を今からお調べになるには流石に無茶があるかと愚考します……。近日中に可能な限り整理致しますので、また後日というのは……?」
「いや構わない。先程も言ったろう? 今日はこの為に時間を作って来たのだ。全ては難しいだろうが、出来得る限り見させて貰う。構わないな?」
コランダーム公が鋭くローレル伯の目を見据えて捉える。
確かにローレル伯はこの国でも知恵や胆力で言えば屈指の実力者だ。それは間違いない。
だが今彼女が相手をしているのは珠玉七貴族で〝経済〟を司るルービウネル・コウ・コランダーム公爵。
ローレル伯を含めた複数の物流を担う貴族達を束ね、管理し、
現にコランダーム公の言葉に何かを返そうとしたローレル伯は、その眼光に思わず気圧されてしまい、返す言葉を挟むタイミングを
「わ、解りました……。では私も加わりますので、なるべく早く──」
「ああ、そこは気を遣わなくて構わない」
「……はい?」
「貴女にも仕事があるだろう? 戦争に突入し、部下達や従業員は今後の業務に不安を抱えている筈だ。それを解消せねば、いざ業務内容を戦時仕様にした際に混乱が生じる。それを宥められるのは貴女だけだ。違うか?」
「そ、れは……ごもっともで御座います」
「是非貴女はそれに奔走して欲しい。ああ私の事は本当に気にするな。後で対応が
「ありがとう、ございます……」
「分かってくれたか? ならばこの書類は私達が処理する。故に貴女は職務に戻りなさい」
これは命令。お前にはお前の役割があるだろう? と暗に言って聞かせている。そしてこれを拒むという事はコランダーム公に逆らうという事と同義。伯爵程度に拒む選択肢などないのだ。
「か、かしこまりました……。では私は職務に戻りますので、何か御用向きがありましたら近くの使用人にお申し付け下さい……」
笑顔を崩しそうにしながら不承不承と部屋を後にしたローレル伯。
「……ふぅ。なんとか追い払えたな」
「ええ。奴が居ては色々と妨害されかねませんからね」
「だが良かったのか? 寧ろこの場で拘束しておいた方が君が動き易くなるだろう?」
「私ならご心配なく。伯爵がどれだけ小細工をしていようが、どれだけ警戒していようが、私にとっては児戯に等しいので」
そう言って私は立ち上がると、ポケットディメンションを開いて土塊を取り出し、《精霊魔法》で適当に形を人型へ整えてから私が居た場所へ座らせる。
「お隣に申し訳ありませんコランダーム公。少しの間だけ我慢して頂ければ……」
「それは良いが、
「ふふふ。少々お待ち下さい。……「
土塊に手を置き《幻影魔法》の魔術を発動。すると土塊の周りの景色が歪み、極彩色に色が混ざり始めると少しずつ纏まっていき、私の姿が土塊に投影される。
「ほう。なるほど……」
「私はコレをコピーゴーレムと呼んでいます。彼女に怪しまれないよう、単純ではありますがある程度の自律行動が可能です。書類に目を通すフリくらいならば
コランダーム公に更に納得して貰う為、実際にコピーゴーレムを動かして見せる。
目の前に積まれた書類の一つを手に取り、それっぽい雰囲気を醸し出しながら眺める仕草を取らせると、コランダーム公は口元を抑えクスリと笑う。
「ふ、ふふ……。中々に様になっているじゃないか」
「お気に召したようで何よりです」
「ああ。では手筈通り、こちらも進めておこう」
「お願いします。コピーゴーレムのフォローお願いしますね」
「任せなさい」
コランダーム公に頭を下げ、私は各遮断系スキルと《透明化》、《月》を発動し、自身の姿を完全に消してから客間を退出する。
……私がしようとしている事。それは言うまでもなく〝家探し〟だ。
あの山のように積まれている膨大な書類。先述したがあんな量は我々数人で目を通して一日で終わる量ではない。
私が尽力すれば可能ではあるだろうが、そもそもの話、あの中に決定的な証拠がちゃんと含まれている保証など何処にもない。
仮に私が同じ手を使うならば、絶対にあの中に証拠に繋がる書類は混ぜない。必ず誰の目にも触れない場所に保管し、探し出せなくするだろう。
ローレル伯は優秀な貴族だ。そこら辺は徹底していると考えて間違いないだろう。でなければ潜入エルフ一掃に伴う国賊貴族潰しの際に私の目を掻い潜れやしない。
可能ならば処分してしまうのも手だが、どんな不利になる証拠であろうと契約関係の書類は残しておかなければ後々その契約者との取り引きでかなり都合が悪くなる。
故に証拠は必ず存在する。が、そう簡単に見付けられる場所になど置いてはいないだろう。
そこで、私の出番だ。
グラッドにやって貰うのも手ではあるのだが、アイツには以前にも言い渡していた任務に現在従事して貰っている。
ならば私自らが証拠を見付けるのが最善だろう。
因みにコランダーム公やロリーナ、ロセッティには書類を調べるフリをしながら一緒に運ばれて来たギルド職員や関係者の名簿を中心に調べて貰っている。
物流関係の資料はいくらでも水増しが可能だが、職員や関係者の名簿の水増しは限界がある上、下手な名前を使うと他貴族を巻き込む可能性がある。警戒心の強いローレル伯ならば、最低限ですませるだろう。
そしてその職員や関係者の名簿を、ロセッティに確認させる。
彼女はアレで就業斡旋を生業にしていた侯爵家の令嬢。それも両親や祖父を尊敬し、仕事風景を見ていた彼女の人名への記憶力や人柄への観察力、鑑識眼は並以上に教育され、スキル《観察力強化》《意味記憶力強化》《エピソード記憶力強化》《鑑識眼強化》を会得している。
以前私は彼女に「人の価値を見極める目が必要だ」とか言ってしまったが、ロセッティには既に色々と会得していたらしい。私の観察力もまだまだだな。
今にして思えばロセッティが第二次入学式で私の《恐慌のオーラ》に耐えられたのも、演説をする私の人柄を瞬時に見抜き、あの時点で恐怖感に対する心構えをしっかり終えていたんだろうな。
そんな彼女ならば、名簿を見ていけば必ず怪しい人物──毒殺実行犯である潜入エルフを見付け出す事が出来るだろう。こればかりは彼女に任せる他ない。
まったく、拷問してアッサリ話してさえくれればこんな回りくどい事をしないで済んだものを……。奴等ユーリに良い教育をされている。
……さて、それでは本腰を入れて証拠探しといこう。
まずは──うむ、アレにしよう。
仕事中の使用人を見付け、隠密系のスキルを一時的に解除してからゆっくりその使用人へ近付く。
そして私の存在に気が付いた使用人が慌てたように私へと駆け寄って来る。
「お、お客様っ!! ど、どうしてこのような場所にっ!?」
「申し訳ありません。お手洗いを探していたのですが、迷ってしまって……。ご案内頂けますか?」
「え、ええ……。畏まりました」
「ああそれと──」
私は彼女の首元へと手を伸ばし、軽く耳に指を触れさせ、スキル《欲望の御手》を発動させる。
「──っ!? な、何を急に……っ!?」
「驚かせてしまってすみません。糸屑が付いていたので……」
焦った使用人へ指先で挟んだ糸屑を見せると、髪を直しながら頭を下げ「お見苦しい所をすみませんっ!!」と謝罪する。
「構いませんよ。ローレル伯のお世話でお忙しかったのでしょう。多少身嗜みが乱れていても、私は気にしません」
「ありがとうございます……」
「……何かお悩みのようで。私で良ければお話を聞きますよ?」
「い、いえそんなっ!! お客様に、そのようなワガママ……」
「主人であるローレル伯や同僚に話せない事の一つや二つ、このような仕事をしていればあるものです。そういった悩みは、赤の他人に打ち明けてしまうのが一番楽になるものですよ?」
「で、でも……」
「たまにはワガママも良いではないですか。溜め込んでしまうと精神的に毒ですし、いざという時にポテンシャルを発揮出来なくなりますよ?」
「は、はい……」
「欲張る事は何ら恥ではありません。誰だってワガママを言っても良いんです」
「……」
「さあ、選んで下さい。これからも我慢して悩みを抱え続けるか、いっそ私に話して悩みを解消するか……。貴女次第です」
「……わたし、は……」
ふふ、ふふふふふふ。
______
____
__
「……」
「あ、あの……ロリーナちゃん?」
「…………」
「大丈夫?」
「……ええ」
客間にて大量の資料の中から職員や関係者の名簿のみを選び抜き、ロセッティを中心に確認している最中。ロセッティがロリーナを心配そうに窺う。
実の所ロリーナは、この屋敷を訪れる前からこのような調子で機嫌が良くない。
いつも無口気味な彼女が、今は更に無口を極めて黙々と名簿を洗い出している。
そんなロリーナの様子にコランダーム公も気になったのか、ロセッティの耳元へ顔を近付けると、小声で彼女に話し掛けた。
「……ロセッティよ。彼女がどうかしたのか? 少々無口にも思うが……」
コランダーム公の問いにロセッティは曖昧ながらも、不機嫌な理由を確信し、彼女へ返す。
「あぁそれはですね……。多分嫉妬、ではないのか、と……」
「嫉妬?」
「先程馬車の中で今回の件の作戦を立てましたよね? ボス……クラウンさんが使用人を
「ああしたな。……まさか」
コランダーム公が何かを察して眉を
「はい。ロリーナちゃんは要領が良くて理解もある子なので今回の作戦にも口出ししませんでしたが、内心では穏やかじゃない筈ですよ」
実際、ロリーナの今の心情は穏やかではない。
クラウンが自分以外の人間を好きになるとは考えていないし、誰かを
だがそれはそれとして、好きな男が他の女に嘘でも優しい言葉を掛けているのだ。想像するだけで、湧き上がるものがあるだろう。ロリーナとて、それは例外ではない。
「うむ……。仲が良いのは側から見て察してはいたが、二人はそういう仲なのか?」
「えーっと……。私も詳しくは存じ上げないんですが……確かお付き合いとかはしてなかったかと……。ただ両想いではあると思います」
「成る程な……。それであの状態で彼女は大丈夫なのか? 集中して出来るのか?」
「た、確かに本調子では無いかもしれませんが、この様子だと寧ろ作業に集中して邪念を忘れようとしているようですので、問題は無いか、と……」
ロセッティの言葉の後、二人でロリーナの作業状況を横目で確認する。
そこにはただ黙々と名簿に目を通し、目ぼしいものとそうでないものを簡単にではあるが選別している。これならば問題は無いだろ。
「大丈夫、そうですね」
「ああそうだな。しかし、流石はドロマウスの血を継ぐ者だな。鑑識眼をしっかり受け継いでいる」
「そんな、私なんてまだまだですよ……」
照れるように笑うロセッティ。しかしそんな笑顔を見て、コランダーム公は逆に心配そうな表情を見せた。
「……君は辛くないのか?」
「……? 辛い、ですか?」
「今探しているのは君のご両親を殺害した犯人。そして今の私達が居るこの場所はそんな殺害を自殺と処理するよう工作した者の屋敷だ。何も思わなくは無いだろう?」
「……」
ロセッティは目を落としていた名簿を視界から外し、少しだけ上を向いて天井を見詰め始めると、ポツリポツリと言葉を漏らす。
「……わたしは以前、ボスに言われた事があるんです。「その憎悪──感情は君が君故に発露した、
「ああ」
「わたしは、その言葉に救われたんです。憎しみとか、怒りとかを間違った感情だと思っていたわたしにとってあの言葉は多分、実際に感じている以上に、わたしの支えになっているんだと思います」
「はっはっ。彼も罪な男だ。籠絡するのが上手いな」
「うふふ。そうですね……。だからわたし、人を憎んだり、怒ったりする事を我慢するのは止めたんです。昔のわたしのように両親の死に対して感情を隠すのは、止めたんです」
「……つまり?」
ロセッティはコランダーム公の方を向き、彼女に向かって再び笑顔を向ける。
先程とは全く別物の、這い上がるような笑顔を……。
「憎いですよ……。両親を殺したエルフも、それを自殺に偽装したあの女狐も、忌々しくて、不快で、吐き気がするくらいに憎くて憎くて仕方がないです。あの女に会った時、彼女を氷漬けにしなかった自分を褒めてあげたいですよ……」
カーテンが彼女から漏れ出た冷気を帯びた魔力に棚引き、窓から差していた陽光が少しだけ影を差す。
そんな彼女の笑顔も陰り、いっそう不気味に映った表情を見てコランダーム公は背筋に悪寒を走らせながらも、何かを期待するように目線を外さない。
「ほう……ほほう……。中々どうして、彼は末恐ろしい指導者だな。色々と危ういが、これならばローレル伯を難無く追い詰める事が出来るだろう」
「うふふふふ。今から楽しみです。わたし達のボスが、あの女狐と薄汚いエルフにどんな罰を下すのか……うふ、うふふふふ」
__
____
______
「ただいま戻りました」
色々と回収し終えた私は何事もなく客間へと帰還し、私の代わりに座っていたコピーゴーレムをポケットディメンションへ放り込んで再び私がそこへ座る。
「おかえりなさい。クラウンさん」
「……ん?」
ふと横を見てみると、隣にはコランダーム公ではなく代わりにロリーナが座っていた。
一瞬何故だろうかと思いもしたが、彼女の私を見る目を見て察する。
少し、寂しい思いをさせてしまったようだな。
「安心しなさい。私は君以外を好きになる事など、万に一つとして無い。君だけを愛しているから」
「……はい」
ロリーナは顔色を変え、目と顔を伏せる。ふふふ、実に可愛らしく、愛らしい子だ。
「……なあロセッティよ。この二人は本当に恋人同士では無いのかね?」
「も、申し訳ありません……。わたしの情報が古かったのかもしれません……。精進致します……」
……何やら二人でコソコソとしているが、今は努めて聞かなかった事にしよう。
ロリーナには後でしっかり埋め合わせをするとして、今は取り敢えず……。
「私の方は万事完了です。三人はどうですか? ロセッティは見付ける事が出来ましたか?」
「ああ。こちらも整っている。ロセッティは優秀な子だよクラウン。ドロマウス家の跡取りとして、申し分ない才能を秘めていると、私は感じたよ」
手放しで褒めちぎるコランダーム公の言葉に、ロセッティは両手で頬を挟みながらクネクネと身を捩って照れ笑う。
ふふふ。コランダーム公にここまで褒められるとは、余程仕事振りが良かったのだろうな。上司として私も鼻が高い。
「ならば早速ローレル伯を呼び出しましょう」
「そうだな。……自らが一体何をしでかしたのか、思い知らせてやらねばなるまい」
「ええ。必ずや後悔させてやりましょう……。毎夜の夢が悪夢になるような、そんな生涯消えることの無い、深い、深い後悔を植え付けてやるのです。ふふふふふふ」
「うふ、うふふふふふ」
「……少し、影響を受け過ぎじゃないかな? 君は……」
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