第三章:傑作の一振り-7

 薄い桃色のワンピースの形をした寝間着姿のアーリシア。


 この旅の最中、幾度か目にしていたが、野営中の夜空の下でちゃんと見ていなかったのもあり、今こうして宿屋の中の灯りにはっきり照らされているその姿に、私は少しばかり動揺する。


 寝間着で男の一人部屋に来るか普通……。まあ、夜這い目的なら可能性もあるが、コイツにそんな発想は無いだろう……。無いよな?


 少し悪戯心をくすぐられた私は、アーリシアへの返事をする。


「なんだ? 夜這いか?」


「え、えぇっ!? ち、違います違います!! そんな!! そんなハシタナイ!!」


 顔を真っ赤にして手足を無闇にバタつかせるアーリシア。


 ふむ、前世だったらセクハラで訴えられそうだが、これくらいは許されるだろう。何せこの数週間の旅で、私はこのアーリシアに色々苦労させられたのだから。


 言わずもがな、アーリシアは教皇の娘であり、その扱いは本来もっと丁重で安全に万全を期した接し方をするのが正しい。


 だがこの旅ではそこまで持ち上げてやれる程余裕など無い。プライベートな時間があまり無く、皆が皆、割と自分の事で手一杯だ。


 そんな中でアーリシアという甘やかされの割とワンパクな女の子に付き合えるのは、最早私しか居なかった。


 本当……夕食に勝手にその辺に生えていた毒キノコを入れようとしたり、信徒でもない私に幸神教での祈り方や矜持を説いてきたり。すれ違った商人や冒険者に布教し出したりと色々だ……本当によくもやってくれた。


 だからコレはちょっとした仕返しである。異論は認めない。


 だがこうやっていつまでもあたふたされていては収拾がつかないな、まったく。


「落ち着け冗談だ」


「えっ!? あ、はい……」


 私の一言に、アーリシアは真っ赤に紅潮していた顔色は少し落ち着き、小さく溜息を吐くわ、


「それで、本当になんの用なんだ?」


「ああ、ええっと……。少しお話でもと思いまして……。忙しいですか?」


 いやまあ、忙しいわけではないが、せめて風呂に入ってからにして欲しかったな……。ん? そういえば。


「忙しくはないが、それよりお前、もう寝間着みたいだが、風呂には入ったのか?」


「え? 入りましたよ、普通に」


 入ったって……この短時間で? 私が部屋を確認し、荷物を取り出す間にか?


「随分早いんだな」


「はい! 汗が気持ち悪かったので部屋に入って直ぐに! それに私、烏の行水なんで上がるのも早いんです!」


 ふむ、成る程、湯上りか……。はあ、これがアーリシアでなくあの子ならテンションも上がるんだがなぁ……。まあ、無い物ねだりをしてもしょうがない。取り敢えず部屋に上げるか。


「まあいい、取り敢えず入れ。いつまでも廊下じゃ湯冷めするぞ」


「あ、はい! お邪魔します!!」


 そうやってアーリシアを部屋へ上がらせ、適当に座ってるよう促し、私は荷物から水筒を取り出す。


 水筒にはマルガレンに入れておかせた紅茶が入っており、それを適当に備え付けのカップに注いで出してやる。


「アイスティーだ。湯上りならホットより良いだろ」


 まあ、はっきり言えば新しく暖かい紅茶を淹れる気が起きないだけなんだがな。それに紅茶に関して言えば既に私よりマルガレンの方が上手く淹れられる。わざわざ呼ぶのも面倒なのでここはコイツで我慢して貰おう。


「はい! ありがとうございます!」


 アーリシアは満面の笑みでカップを手に取り、それを口に運ぶ。


 私も自分の分を注ぎ、アーリシアの対面に腰掛けて一口。……ふむ、いつも通り美味い……。おっと、そうだった。


「それで? 何か話があるんだろ? なんなんだ?」


「あ、はいっ! ええっとですねぇ……。少し、そのぉ……真剣な話、と言いますか……重い話、と言いますか……」


 なんだハッキリしないな。


「言い淀むような内容なのか? なら別にわざわざ今せんでも……、」


「いえ! ……私……なんだかモヤモヤしちゃって……。多分、答えの無いお話しなので……、でも、聞いて欲しいし、聞きたいしで……」


 なんだなんだ面倒臭い……。そんな話を持って来たのか?はあ……参ったな……。


「良いから話せ面倒臭い。答えられるなら答えてやる」


「はい……。あの、クラウン様は……、あの時襲って来た盗賊を覚えていらっしゃいますか?」


 盗賊? 二週間くらい前に私達を襲って来た、あの盗賊の話か?何を今更……。


「ああ、覚えている。それで? 盗賊がどうした?」


「あの……。守って頂いた身で、大変申し訳ない……のですが……。クラウン様は……何故、ああも躊躇なく盗賊を殺せるのですか?」


 ……ほう。


「も、勿論!! わかってはいます!! あのまま無抵抗でいれば私達は間違いなく悲惨な運命に陥ると……。あの場はああするのが最適で……盗賊も自業自得だと……。それでも! 考えてしまうんです……。他にもっと最良な選択肢があったのではないかと……」


 ……ふむ。だからコイツ、突然墓を作りたいなんて言い出したのか……。だけどそれでもモヤモヤが晴れなかったと……。


 目の前で人が死ぬ。


 この世界に於いては然程珍しくない光景だ。


 どれだけ治安が安定していようと、確固たる法律は厳密に、細部にまで浸透はしていない。前世の日本の様なしっかりした法制度が無いこの世界に於いて、それは一人一人のモラルによって辛うじて成り立っている。


 それはカーネリアの街だって同じ事。本当に時々だが、強盗が逃走した末に衛兵に殺される事だってある。


 殺す殺されが立場や状況によって許されてしまう。それがこの世界の現実である。


 有り体に言えば弱肉強食。実に原始的で分かりやすい話だ。


 だから私はアーリシアに、正直に話す。


 私の考えを。


「最良の選択肢……。仮にそれがあったとしよう。綺麗事が現実になるような道が、あったと」


「はい……」


「だがあったからといって、私はそれを選ばない。絶対な」


「何故、そう言い切れるのですか?」


「それは、お前にとっての最良と私にとっての最良が違うからだ。お前が望む結果と私が望む結果が違うからだ」


「違う……。最良、なのにですか?」


「じゃあ聞くがな。お前はあの時望んでいたのは、両者共に怪我一つなく和解の道を選び穏便に事を済ませる。そうだな?」


「え!? あ、はい。大体そんな感じです……」


「だが私にとっては正にあの状況が最良の結果だった。こちらの怪我はゼロ。奴等には相応の報いを……。それが私の最良だった」


「……」


「もう分かるだろ? 私が躊躇しなかったのは、アレを私が望んだからだ。大層な理由なんて無い。私がそうしたかったからした。それだけだ」


「はい……」


 アーリシアは俯く。モヤモヤが晴れるどころか更に深まってしまったと言わんばかりの沈みっぷりだ。


 まあ、だからといって私は励まさない。


 私の考えは別に正解では無いし、そもそも正解とか不正確とか……はあ、くだらない。


「そうだな……取り敢えずそうやって悩んでおけ。思考放棄するよりはマシだ」


「でも……でも私は!!」


「幾ら考えたって答えなんて出ない。……ホラ、もうそろそろ部屋に戻れ。私の説教を聞いた所で解決しないんだ。ならもういっそのこと寝てしまえ。そうすりゃ多少スッキリする」


「……はい」


 そうやってアーリシアはとぼとぼと俯きながら部屋を後にする。


 まったく、思春期は無駄に考え過ぎるから面倒臭い……。まあ、考え無しよりマシか……。


 私は椅子に座り直し、改めてマルガレンのアイスティーを口にする。


 はあ……、さて、本でも読むか。

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