第八章:第二次人森戦争・前編-11

 


 ノルドールとグラッド。二人の間に起こった小爆発は、互いにその衝撃を直近に受けるも、結果としてグラッドが障害物にぶつかりながら数メートル程後方へと吹き飛ぶ事となった。


 ノルドールは振り抜いた拳を引き戻すと、その拳から立ち上る煙を吹き消してからおもむろに歩き出し、吹き飛ばしたグラッドへと語り掛ける。


「『俺がなんで衝撃と高熱に耐性があるか……。これで判ったろ?』」


 暗がりで僅かに見えるグラッドが、障害物の影から蹌踉よろめきながら立ち上がる様子を見据え、ノルドールは再び拳に魔力を集中させ始める。


「『このアイゼンガルドはな。送り込んだ魔力を爆撃属性に変換して溜め込む事が出来るんだ。だから真にコイツを使いこなすにはその爆撃に自分が耐えられるようにならなきゃならねぇ。それが俺が衝撃と高熱に強い理由だ』」


 語りながらも両拳に魔力は溜まっていき、アイゼンガルドに走る血管のようなラインが再び脈動を始める。


「『しっかし、驚いたぞ。俺の《爆転拳ばくてんけん》を食らって立ち上がれるなんてな。手加減したつもりは無いんだが……。どうやら俺はお前を見くびってたみてぇだ』」


 正直なところ、ノルドールは当たりさえすれば一撃で仕留められると考えていた。


 それだけ自分とグラッドの間に格差があり、問題なのはその必殺の一撃を如何いかにして当てるか。そう真剣に考えていたのだ。


 故に先程放った《爆転拳ばくてんけん》も、気持ちとしてはどうせ避けられると高を括っていたわけである。


 しかし結果としてその一撃は見事に当たり、グラッドを数メートルも吹き飛ばす事に成功した。


 だが今度は逆に当たったは良いが一撃で葬る事が出来ず、それどころかふらつきながらも立ち上がろうとさえしている。


 正直理由は判らない。だが少なくとも自身の必殺を食らって立ち上がろうとしている事実には変わりなく、ノルドールはそれをグラッドの本気を出したのだと見据えた。


「『だが悪ぃな。俺の必殺は──』」


 そう口にし、ノルドールは前傾気味に腰を落としながら構えを取り両手両脚のアイゼンガルドに魔力を込める。


「『何回だってぶっ放せるっ!!』」


 瞬間、ノルドールは爆音と共にその姿を消す。


 そして一秒と経たぬ間にグラッドの目前にまで潜り込むと、右手に固めた拳を低い位置から垂直に突き上げる《昇爆拳しょうばくけん》で力の抜けた顎下を狙いすます。


「くっ!!」


 が、グラッドはそんな即死しかねない一撃に何とか反応すると、小さな破裂音と共に頭が真横へとズレ、すんでの所で躱し切る。


「『まだまだぁぁっ!!』」


 《昇爆拳しょうばくけん》を躱されたノルドールは、《昇爆拳しょうばくけん》を放った反動を利用し、重心を移動させながら右脚を胸の高さまで持ち上げ、避けたばかりのグラッドのガラ空きの首へと足刀|追襲爆脚《ついしゅうばっきゃく》を放つ。


「っっ!!」


 完全に体勢が崩れているグラッドに迫る爆炎の足刀。だがまたしても小さな破裂音が鳴ったと同時に、今度はグラッドの頭がまるで誰かに突き動かされたかのように真下へと傾き、逃げ遅れた髪が焼け焦げる。


『「またかっ!?」』


「……んのっ!!」


 《追襲爆脚ついしゅうばっきゃく》すら躱され、グラッドのその有り得ない挙動の数々に思わず眉をひそめる。


 すると今度はグラッドが隙の生じたノルドールの背中目掛けて手を伸ばし、その手の平から何かを放つ。


 そして次の瞬間、その何かは破裂音と共に小爆発を起こし、それによる爆風によってグラッドとノルドールは互いにあらぬ方向へと吹き飛ばされた。


『「クソっ!!」』


 体勢が整い切っていなかったノルドールは爆風に煽られ宙に舞い上がるが、鍛え抜かれた体幹と筋力によって空中で無理矢理身体を捻り、地面に着地する直前で受身を取る事に成功。


 逆にグラッドは爆風に為すがまま飛ばされてしまい受け身の体勢にも入れなかったものの、彼から複数回の破裂音が炸裂すると身体と地面が接触する寸前で衝撃が殺され、転がりながら後退する。


「『ハァ……、チクショウ。殺り損ねた……。だけど──』」


 少しだけ息ん長く吐き、それによって呼吸を整えると片方の口角を吊り上げ、子供のような屈託のない笑顔をしてからグラッドに指差す。


「『やっと正体判ったぞっ! さっきからパンパン鳴る度に変な方向に避ける謎の正体がなぁっ!!』」


 得意気に語るノルドールに対し、グラッドは次第に重くなっていく身体でなんとか立ち上がると、息を荒げながら忌々しそうに彼を睥睨へいげいする。


「『ハァ、ハァ、ハァ……。へぇー。そりゃおめでとうさん。答えくらい聞いて上げるけど?』」


「『はんっ!! ……テメェ《嵐魔法》使ってんだろ』」


「『……ふーん』」


 グラッドの表情は変わらない。だがしかし嘲笑って来ない所を見るに正解。仮に正解でなくとも決して遠い答えではない、とノルドールは確信する。


「『ついでに言やぁ俺に不意打ち食らわせた時とさっきのちっせぇ爆発もそうなんだろ? 《嵐魔法》の特性を利用してなぁっ!?』」


 《嵐魔法》の特性──それは〝巻き込む〟。


 使用者の魔力に応じて吹き荒ぶ勢いが増す《嵐魔法》は、その魔力量に応じて対象を渦巻く強風に巻き込み、一時的に閉じ込める事が可能となっている。


 グラッドがノルドールの攻撃を有り得ない挙動で回避し続けられたのも、使えない筈の爆発攻撃を二度彼に食らわせたのも、更には先程の《爆転拳ばくてんけん》を耐えられたのもこの特性を利用したからに他ならない。


 ノルドールが実質回避不能の攻撃を浴びせる度、グラッドはその攻撃から逃れる為、避ける方向の反対側へと小さな《嵐魔法》による嵐球を作り出していた。


 そしてそれを破裂させる事で圧縮され巻き込まれていた風が突風となって凄まじい推進力を生み出し、強引に攻撃が当たる部位を動かしていたのである。


 不意打ちに使った爆発攻撃も《嵐魔法》の特性を活かしたもの。


 ノルドールが倉庫へと転移して来た際に爆ぜた「埋め火の大地エクスプローシブ・レムナンツ」の爆発を《嵐魔法》によってあらかじめ巻き込み圧縮しておき、いざという時の為に取っておいていた。


 それこそが、グラッドがノルドールとの対決にいて圧倒的なまでに開いている実力差を狭める事が出来ている手札の一つだったのである。


「『ったく。小細工しやがって。まあでも? それがなきゃテメェは俺とまともにやり合えねぇのは確かだしな。どっちかってぇと褒とくべきか?』」


「『ハァ、ハァ。知らないよ、そんなの……。好きにすれば』」


「『……』」


 先程の爆発で負った火傷を庇い、荒い息を吐きながらも自身との会話に乗るグラッドに、ノルドールは少しだけ違和感を覚える。


 その様子には余裕など微塵もなく、《嵐魔法》を利用した戦法も看破し更に追い詰められている状況だというのに暢気に会話に興じる意味に、彼は怪訝そうに首を傾げた。


(なんだ? なんでコイツは俺の会話に乗って来るんだ? そんな事をしても体力や傷が回復するわけでもねぇのに……)


 しかしだからと言って自分の隙を窺っている様子にも見えない。何故ならこうして話している間もノルドールは一切隙を見せておらず、仮に僅かに隙が生じていようとそれを突ける程グラッドの技術は熟達していないからだ。


 故にグラッドはそもそもノルドールの隙など狙っておらず、どちらかと言えば臨機応変に対応出来るよう自身の機微をつぶさに観察しているように彼は見えた。


 そしてノルドールは、そんなグラッドの様子に少なからず心当たりがある。


(この感じ……まさか時間稼ぎ?)


 だがそれでも完全には腑に落ちない。


 一応グラッドが時間稼ぎをする理由ならば心当たりが無いわけでは無い。


 それは全身に刻まれた小さな切り傷の数々、そしてそこからの微量な流血だ。


 出血量は本当に大した事はない。誤って刃物で手を深めに切ってしまった程度の傷と出血量でしかないのには変わりはない。


 だがその数が五十に届きそうな程である事と、一時間以上経過しているにも関わらず未だに血が固まる様子がない事には、やはりどうしたって違和感を覚える。


(大した傷ではない、と俺に油断させた失血狙い? いや、それにしたって出血量が少な過ぎる──というかそもそも何で血が固まらねぇ? ナイフとか爪に何か塗っ……て──)


 刹那。ノルドールの脳内に飛来したのは理解と、怖気おぞけだった。


「『は、ははは』」


 グラッドから乾いた、けれども愉悦の混じった笑い声が発せられる。


 恐らくノルドールの表情の変化を見て全てを察し、そして思わず込み上げてしまった故の笑いだったのだろう。


 その声を聞き、ノルドールもまた自分に湧いた可能性が真実であると察知し、更なる悪寒と己への失望に顔を青褪める。


(な、んで、気付かなかった……気付かなかったんだ俺はッ!? そうだ、考えてみればやって当然だろうッ!? 格上相手に勝つなんて手段は限られてんだ……。その一番の有効手をコイツがやらねぇわけねぇだろうがッ!!)


 格上に対する勝利──ジャイアントキリングを達成する為の条件は限られている。


 有利な場で戦う。罠を張る。死角を突く。騙す……。


 どれもこれも真っ当で真っ直ぐな戦いとは違っているものの、手段も容赦も油断も感じさせない条件ではあるが、事ここに至っては必ず有力候補にその名を鈍く輝かせる手が一つある。


 それは──


『「て、テメェ……。俺にぃ……〝毒〟を盛りやがったなァッ!?」』


『「……はは」』


 応答はしない。だが先程と同じ乾いた笑い声を漏らすグラッドのその様子に、ノルドールは額から一筋の冷や汗が頬を伝う。


(なんだ……何の毒だっ!? すぐに効いてねぇなら遅効性なのは確かだろうが、エルフ族である俺にはそもそも植物由来の毒は効き辛ぇ……。それを利用して即効性の植物毒で慢性中毒を狙った線もありえるが……。でもじゃあ何で血が止まらなく──)


 そこまで思考を巡らすノルドール。


 しかしそこから先の考察をしようと思うと何故だか頭に靄が掛かったように鈍り出し、全く思考が纏まらない。


(くっ、そ……。さっきからなんだ? 上手く頭が回らねぇ……)


 先程から襲う謎の倦怠感と思考の低下。集中力を高めるスキルやそのた感覚系スキルで誤魔化してはいるものの、万全かと問われれば首を横に振らざるを得ない。


 ただそれでもグラッド程度の実力であれば誤差に等しい違い。徐々に鈍り始めていたノルドールの思考は怠慢にもそう判断していた。


 そしてそれこそが、グラッドとムスカが狙っていたノルドールに勝てる道筋の根幹的部分でもあるのだ。


(……とにかく。毒なら毒で対処法はある。一番単純で、一番早ぇ方法がなぁっ!!)


 ノルドールは自身の身体を蝕んでいるであろう毒を気に掛けつつ、深く呼吸を整えてから改めて構えを取り直した。


「『毒だろうが何だろうがやる事ぁ関係ねぇ。要はテメェ等を毒が回る前にぶっ殺せば済む話だからなぁっ!!』」


 まさに脳筋の思考。しかし実にシンプルで簡潔な解決法でもある。


 何故なら多少動きが鈍くなろうと、グラッドが手に負えぬ程に実力差が開いている事に変わりはないのだから。


「『速攻だ。行くぜッ!!』」


 掛け声と共に、ノルドールの姿が再びグラッドの視界から掻き消えた。






 そして数瞬の間にグラッドの懐にまで潜り込むと、彼の視界一杯に赤熱したアイゼンガルドの拳が映る。


 グラッドは咄嗟に自身の額と身体数箇所に嵐球を作り出すと、即座にそれを爆ぜさせ身体ごとノルドールから距離を取ろうと図る。


 それによって何とか爆熱の拳撃からは逃れたものの、しかし躱された拳は勢いをそのままに地面へと振り下ろされ、その推進力を利用しながらノルドールは地面を蹴り上げた。


 蹴り上げられ低空に身を投げたノルドールはその状態から身体を大きく捻ると足を加速させ、赤熱したアイゼンガルドの足甲が安全圏にまで後退していたグラッドへと振り下ろされる。


 対しグラッドはまたも嵐球を作り出し回避しようと魔力を練る。が、しかし──


「ぐっ!?」


 彼に突如走ったのは激痛。


 当たり前の事ではあるが、致命的な一撃は受けていないもののグラッドは既にその全身にそれなりのダメージを負っており、そのどれもがノルドール由来の物ではなくあくまでも自身の無理な回避手段からくるものだった。


 嵐球による回避は当然ながら無理を強いる。本来筋力や反射神経、動体視力の関係で動かせる筈の無い身体の部位を無理矢理暴風の力で押しているのだ。身体──とりわけ間接や筋肉には相当の負荷が掛かり、既にグラッドの首や身体の一部は捻挫さえしている。


 加えて彼が不意打ちに放っていた爆発を巻き込んでいた嵐球。これを爆ぜさせた際に生じる爆炎と衝撃は、至近距離に居りそれ等の耐性を得るスキルを所持していないグラッドを容赦無く襲い、火傷と筋肉や骨を挫傷させるに至っていた。


 そんな数々のダメージから来る痛みをグラッドはあらかじめ用意していた鎮痛剤でもって身体を騙し騙し動かしていたのだが、このタイミングでその効力が弱まりつつあったのだ。


「ま、ず……」


 痛みは一瞬。すぐさま改めて鎮痛の効果で柔らかくはなり始めるが、その一瞬がグラッドを死地へと誘う。


「『終わりだぁぁッッ!!』」


 アイゼンガルドの鋭利で赤熱した踵がグラッドの直上に迫る。


 最早今から嵐球を作り出し爆ぜさせようとその一撃からは完全には逃げられず、死にはしないまでも良くて深手を負うハメになる。


 しかしグラッドが何より気にしているのは己の傷の具合などではなく、今にもその凶器に触れてしまいそうな、彼が肌身離さず着けている恩人であり敬愛する上司からの贈り物。それに傷が付く事だった。


(ダメだ……このままじゃサングラスが割れ──)


 まるで時間が止まったかのように振り下ろされる踵がサングラスに触れ、ミシリ、とどんな身体の軋みよりも悪寒が走る音が鳴った。その、瞬間──


「わたくしをお忘れかぁっ!!」


 空気を切り裂き、音を置き去りにし、衝撃すら伴って中空のノルドールに突進を敢行したのはムスカ。


「『なぁっ!?』」


 中空に身を置き簡単には身動きが取れず、尚且つ不安定で攻撃の真っ最中だったノルドールも流石にこれに対し防御は取れず、彼はムスカに巻き込まれる形で真横へと連れ去られた。






「『テメ……離しやがれっ!!』」


 突如として乱入して来たムスカの存在に驚愕し、対処出来ずに連れ去られる形になったノルドールは自身の身体に鋭く食い込む鉤爪から逃れようとアイゼンガルドを赤熱させる。


 が、そんな彼に対しムスカは──


「『ええっ! お望み通りにっ!!』」


 そう言うとムスカはアッサリと三対の脚を解放。そして片脚の鉤爪をノルドールの衣服の一部に引っ掛けると彼ごと脚を大きく振り被る。


「『はぁっ!? え、ちょ、まっ──』」


「『ではいってらっしゃいませッ!!』」


 ノルドールの制止など聞く耳持たず、ムスカは高速飛行しながら彼を思い切り倉庫の内壁へとぶん投げた。


「『く……そがぁッ!!』」


 瞬き一つの間で内壁が眼前に迫り、咄嗟に可能な限り体勢を変え、アイゼンガルドを盾に来る衝撃に全力で備える。


 だがそんな様のノルドールに、ムスカは容赦を挟まない。


「『背中がガラ空きですねぇっ!!』」


 彼が内壁に衝突する直前。ムスカは衝撃に備え前面に守りを固めているノルドールのガラ空きの背中に狙い澄まし、《地魔法》で創り上げた即席の大槌を力の限り振るう。


 そしてノルドールが内壁へと衝突した瞬間、ムスカの大槌が彼の背中を無慈悲なまでに打ち付け、彼は下手な爆発では傷一つ付かないような内壁と、大型犬並みに巨大化した蠅の筋力から繰り出される大槌の一撃に挟まれ、凄まじい打撃がノルドールを襲った。


「『ぐ、がぁぁッッ!?』」


 これにはしものノルドールも回避も防御も行えず、全身に走る電流を幻覚させるような激痛に思わず呻き声が口から漏れ出る。


「『終わりじゃありませんよッ!!』」


 そんなノルドールに対し、ムスカは一度大槌を手放すと今度は更に大きく硬度を増した《地魔法》による大槌を創り出し、全身で振り被る。


「『壁のシミに成り果てなさいッッ!!』」


 大槌を身体ごと回転させ、推進力を溜め切ったムスカはその大槌を壁と先程の大槌に挟まれたノルドールへ向け冷酷に叩き──


「『んなろうがァァァァァァァァァァッッッ!!』」


 付けようとした刹那、獰猛なまでの爆発がその叫びと共に爆ぜると辺り一面を吹き飛ばし、ムスカも例外なく爆風によって飛ばされた。


「くっ……。ここまでして、まだそんな余力が……」


 空中で何とか体勢を立て直したムスカは、爆炎の中から顔を覗かせながら地面へと着地するノルドールにそう毒吐く。


 しかしながらノルドールも先程のムスカの攻撃には流石に堪えたようで、苦しそうに荒い息で呼吸を繰り返しながらその顔を苦痛に歪ませる。


「『ハァ、ハァ……。や、って、くれやがった、なぁ、この化け物ハエがっ……!!』」


「『……わたくしから言わせれば、貴方も充分に化け物じみてはいますがね』」


 内壁と大槌によって凄まじい挟撃をされ大ダメージを受けたノルドールではあったが、それでも膝を折る事はなく、多少覚束おぼつかないもののしっかりと両足で立っている。


「『ハァ、ハァ、ハァ……。なら、テメェのご主人様にも勝てそうだな……はっはっ』」


「『ふぅ。叶わない夢を語っても虚しいだけですよ? わたくし達にそのような為体ていたらくを晒しているようじゃ、わたくしのご主人様であり我が友の上司であるあの方には遠く及びません』」


 嘲笑混じりに反論するムスカに、だがノルドールは新たな楽しみが出来たとばかりに口角を吊り上げた。


「『はっはっ。なら証明しねぇとなぁ……。テメェ等ぶっ殺して、速攻でテメェ等のボスも片付けてやるよッ!!』」


 そう意気込み、ノルドールはムスカへと構えを取り直す。


 だが当の標的となっているムスカといえば、そんなノルドールに対し何一つ警戒心を向けず、興味なさ気に前脚で顔を洗い始めた。


「『……テメェ。何の真似だ』」


「『おや。やはりもう既に充分回っているご様子ですね。わたくしも頑張った甲斐がありました』」


「『あ゛ぁ?』」


「『そう不機嫌にならないで下さい。余りに貴方が〝鈍く〟なっておりましたので、ちょっとした……』」


「『ちょっとしたぁ?』」


「『はい。ちょっとした、勝利宣言でありますから』」


「『っ!!?』」


 その時、ノルドールの肩口に鋭い衝撃が走る。


 最初は鈍い頭で咄嗟に「何かが上から降って来てぶつかった」程度の認識であり、障害物か何かが当たって来たのだと判断した。


 だが次に耳を震わせた声に、ノルドールは戦慄する


「『ヤッホー、ノルドール君。ようこそ、取り返しのつかない世界へ』」


 ノルドールは瞬時に身体を揺すり、背中に張り付いていたグラッドを振り解いてから鋭い衝撃が走ったの肩口を見やる。


 そこには肩口に深々と突き立てられた二本のナイフが在り、その刃渡りの殆どが筋肉を切り裂き突き刺さっていた。


「『んなもんっ!』」


 だがノルドールはそんな二本のナイフをアッサリ引き抜くと適当な場所へと放り投げ、暗闇に紛れて行方があっという間に解らなくなってしまう。


「『はんっ! バカな奴だっ! 折角俺から貴重な隙を突けたってぇのに自ら進んで武器手放すような攻撃仕掛けやがって……。その俺はと言えばまだこの通りだっ!』」


 そう言って身体を見せびらかすように両手を広げて見せるノルドールに、振り解かれうつ伏せになっていたグラッドが仰向けに体勢を変えてから鼻で笑う。


「『フン、おめでたい奴だよねー。君、もう詰んでるのに』」


「『あ゛? 詰んでるだぁあ? テメェ与太こいてんじゃ──』」


 グラッドへと詰め寄ろうとした、その時。


 ノルドールが足を持ち上げた途端、彼の視界が突如として揺れ、歪み、ピンボケ始める。


「『っ!?』」


 咄嗟に立て直そうと身体を起こしたり足を戻そうとするが時既に遅く、身体が傾いていくのを止められないままノルドールは地面へと倒れ込む。


「『な、何、が……』」


 痛みはない。痺れやその他身体を蝕むような症状も体感では感じられない。


 ただ身体が動かず、激しい倦怠感と思考の鈍化が今までの比では無くなっているのだけは感じられる。


(な、んだ……。俺の身体に……どんな毒を……)


 鈍いままの頭でこれがなんらかの毒物によるものであると考えたノルドールだったが、今の彼にはそこまでが限界。そこから先はどうしたって頭が言う事を聞いてくれなかった。


「『ははは。何が起きてるか分かんないって顔してるね。良いよ、教えたげる』」


 立ち上がり、よろよろとした足取りでゆっくりノルドールに近付いたグラッドは彼の顔を見られる位置に座り込むと懐へと手を入れる。


 数秒だけ手探り、目的の物を掴み取るとグラッドはそれをおもむろに取り出し、ノルドールに見えるよう揺らした。


 それは乾燥させられ、栞のような細長い紙にて押し花にされた一輪の花。


「『エルフならさ、知ってるでしょコレ』」


「『そ、れは……』」


 ノルドールの目に映るのは暁のような白味と赤味がグラデーションがかった花弁を持つ花。


 主に王国の森に群生し、その花弁と子房の中に毒を持つ、グラッドにとって最も忌むべきその花は──


「『そう。〝アカツキトバリ〟。違法麻薬〝吽全うんぜん〟の精製に使われる、麻薬植物だよ』」

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