第六章:殺すという事-21

 

『ち……違う……ボ、クは……』


 落雷が外の暗闇を切り裂き、一切明かりの無い部屋に、残酷な輪郭が浮かび上がる。


『ヘルミナ……親父……』


 少年は狼狽うろたえる。


 握りしめたナイフには血が滴り、彼の眼前には二つの遺体が床に伏していた。


『あぁ……あ、あぁぁ……』


 遺体の形相は異様で、苦悶と怒りに満ち溢れており面影を見付ける事も難しいだろう。


 血に染まった真っ赤な目は閉じられる事はなく、ただただ恨めしそうに少年を見詰めていて死して尚外すことはない。


『はっ……はっ……』


 少年の中に渦巻くのは混乱と後悔。そして頭の中には言い訳と自責が止めどなく湧き上がる。


『ち、がう……違う違う違う違う違う違うッッッ!!』


 少年はナイフを持ったまま、家を飛び出した。


 狭苦しい路地を縫い、目的地も無いままに、少年は現実から逃げるように足を前に運び続けた──






 それは一月前程の事。


 クラウンはとある屋敷を訪れていた。


 使用人に案内され通されたのは応接室。そこには一人の眼鏡を掛けた青年が資料を読みながら高価そうなソファに座っていた。


『先にお待ちとは……。お待たせしてしまいましたね』


 クラウンが青年にそう言うと、青年は資料をローテーブルに放るように置くと彼に対して歯を見せて笑う。


『いや全然良いよーっ! ちょっと仕事が詰まってたから効率化図っただけだからさっ!』


『いえ、それでもお待たせしてしまった事には変わりありませんから。お待たせしてすみませんエメラルダス侯爵閣下』


 そんな彼の謝罪を『はいはい、苦しゅうない苦しゅうない』と適当に受け取るエメラルダス侯。


 それからクラウンを自身の対面にあるソファへ座るよう促し、座ったのを確認すると彼が手に持つ者に目を向ける。


『それは?』


『菓子折りです。甘い物がお好きだと伺ったもので』


『おおっ! 気が利くねぇ、丁度頭使ってた所だったから糖分が欲しかったんだよっ!』


 嬉しそうにそう言うとエメラルダス侯は指を鳴らして使用人を呼ぶ。


『これ適当に皿に盛って来てっ。後それに合いそうな紅茶もよろしくっ!』


『かしこまりました』


 使用人が菓子折りを手に部屋を後にすると、エメラルダス侯は『さて』と区切りを付けるように呟いてからクラウンに向き直る。


『で? わざわざルビー姐さん通してまで俺に会いに来た理由、話してくれる?』


『早速ですか。雑談を挟んだりしないのですね』


『俺も忙しいからねー。回りくどいのも性に合わないし……。それに君の話とか興味あるからねぇー「魔王君」っ♪』


 おどけるエメラルダス侯に苦笑いで返したクラウン。そんな反応を見て『あーあスベッちった』とわざとらしく拗ねる。


『……では本題にいきなり入りますが、実は一人、調べたい奴が居るんですよ』


『調べたい奴? ……俺に頼むって事は、犯罪者?』


 訝しむエメラルダス侯に、クラウンは分かり易く悩んでから否定する。


『少し違いますね。もしかしたらそういったのが絡んでいる可能性があるかを調べたいのですよ。だから貴方に……』


『あー、成る程ね。普通の犯罪者なら俺の所までわざわざ来る必要ないものね。警備ギルドとか収監ギルドとか……。そういった曖昧なのは〝ウチ〟かな』


『はい。犯罪者から民を守るのはモンドベルク公ですけれど、捜査は翠玉アナタの管轄下ですから』


『うん、分かったよ。……って、簡単に引き受けると思う?』


 エメラルダス侯は笑うと前のめりになってクラウンの顔を怪しく覗き込む。


『俺って結構現金だからさぁ。無償で働くのってヤル気出ないんだよねー。分かる?』


『ええ、分かります』


『今さ、君がとっ捕まえた百六人の潜入エルフの面倒事な情報整理の真っ最中で、部下数百人と俺で寝る間を惜しんで働いてんの。本当ならこんな些末事にかまけてる暇一切無いんだよねー。なのにこうして時間割いてんのはルビー姐さんに頼まれたからだ。そこを、察して欲しいなー』


 眼鏡を上げて笑うエメラルダス侯に対し、クラウンもまた笑顔で平坦に答える。


『私をナメないで頂きたい』


 クラウンはポケットディメンションを開くとその中から皮袋を取り出してローテーブルに置く。中からは細かい金属がぶつかる音がした。


『……直接的だね』


『中には金貨が五十枚入っています。お納め下さい』


『ふーん。じゃあ俺個人への〝依頼〟って形に処理するかな。調べて欲しい相手の情報、なるだけ詳しく教えて』


 エメラルダス侯は皮袋を手に取り適当に中身を覗いてからそれを脇に置くと、クラウンから相手の外見や名前、口調から判断される訛りや確認出来た身体の癖などを聞き出す。


 そうして一通りの確認を終えると、暫く腕を組んで目をつぶり、数分した所で再び指を鳴らして使用人を呼び出した。


『はい。如何なさいましたか?』


『六、百二十四、十六、三十二、五十三』


『……かしこまりました』


 使用人は数字を少しだけ咀嚼そしゃくしてから返事をし、退出する。


『……暗号か何かですか?』


『そんな大層なもんじゃないよっ! 該当する人間の情報が仕舞ってある場所を口にしただけっ!』


『成る程。……という事はやはりあったのですね。グラッドの資料が、ここに』


『うん、残念ながらね。俺のスキルで念入りに確認したから間違いないよ』


『スキル、ですか……』


『うん。エメラルダス家に受け継がれてる、ね。流石にスキルこれがないとやってらんないよー』


『ほう、それはどんな……』


『言えないよ流石にーっ!』


『ふふ、そうですよね』


 そこから十数分。先に持ち込まれたクラウンからの茶菓子と紅茶に口を付けながら適当な雑談をしていると、扉が数回ノックされ『いいよー』とエメラルダス侯は許可を出す。


『頼まれた資料をお持ちしました』


『うん、ありがとう。下がって良いよ』


 資料を受け取り使用人に下がるよう命令しながら早速その資料に目を落とすエメラルダス侯。


『……今から大体一年前。下街の西地区にある民家で二人分の刺殺死体が見付かってる。被害者は男女で、男は女の子の父親だね。話にあったグラッドってのは女の子のお兄ちゃんだ』


『……家族の死体、ですか……』


『ん? まさかこういうの苦手? 顔色さっきよりちょっとだけ悪いけど……』


『いえ、問題無いです』


『そう? なら続けるけど……。死体は二つ共に薬物である「吽全うんぜん」の中期中毒症状が現れてて、家屋内にも薬物の調合設備や原料である「アカツキトバリ」を大量に育ててた部屋が見付かってる』


吽全うんぜんの中期中毒症状……。確か人格の凶暴化と激しい破壊衝動、でしたっけ?』


『詳しいね。まあ、吽全うんぜんの中期中毒症状は短時間で落ち着くし、後期中毒症状ですぐダウンしちゃうから、多分二人を殺したグラッドって奴は、中期中毒症状の時に運悪く二人に襲われて思わず……って感じかな?』


『グラッドは発症していなかった、と?』


『うーん。当時の現場からは二人分の吸入器が見付かってるし、玄関に一人分の泥の足跡があったから、多分グラッドは出掛けてたんじゃない? そんで帰って来たらタイミング悪くて……ってさ。ただ幼い娘に薬使う様な親父だから、グラッドにも使った事くらいはあったとは思うよ? 発症の程度は知らないけどね』


 エメラルダス侯は資料をローテーブルに放ると、一息付いたように紅茶で口を潤し、軽く溜め息を吐く。


『いやはや、嫌だねー麻薬……。どんだけ規制しても小さな穴から直ぐ根を生やす……。ウチの国には幸いアカツキトバリしか麻薬になるような植物は自生してないけど、きっと根絶は難しいだろうねー』


『やはり根絶は難しいですか?』


『そりゃあねっ。政治も一筋縄じゃいかなくてさ。必要悪っての? 悪い事する奴はどうしても居なくなんないから、それを管理するような〝裏の親玉〟ってのは残念ながら居なくちゃなんない。で、そんな奴だって金稼がないとやってけないわけで、表じゃ出来ない仕事も限られてる……。皮肉な事に、今のこの国の裏側を支えてる支柱に、麻薬は絡んじゃってるわけよ』


『……』


『何? 落ち込んでる? 部下にした奴が犯罪者って判って』


『いえ。ただ個人的に麻薬が死ぬほど嫌いなだけです』


『ハッハッハッ。案外純情だねー。それとも訳有りかな?』


『……』


『ごめんごめん。……で、どうする?』


 エメラルダス侯は目を鋭くすると、真剣味を帯びた声音でクラウンにたずねる。


『それは、グラッドを、という事ですよね?』


『うん。彼を、罪に問わなきゃならない』






「……くぅぅっ……」


「お前は逃げ出した後、つてを使って戸籍を買い、別人となって学院に入学した。そうだな?」


「……」


「……グラッド、お前は決し──」


「違うッッ!!」


 グラッドはそう叫ぶとクラウンに詰め寄りその胸ぐらを掴み上げる。


「人の知られたくない事を根掘り葉掘り調べやがってッ!! アンタ一体何様だよっ!?」


「……部下の管理も、上司の仕事だ」


「ハァッ? 何が部下だ何が上司だッ!! 自分より弱い奴の上に立って悦に浸ってるような奴が何を偉そうにかしやがるッ!?」


「……見えるか?」


「あぁッ!?」


「私が、お前の過去を知って悦に浸っているように見えるのか、と聞いている」


「っ!?」


 言われたグラッドは改めてクラウンの顔を見る。


 そこには支配欲に塗れた愚か者の顔でも、自己顕示欲に染まった痴れ者の顔でも、ましてや庇護欲に感化されたうつけ者の顔でもない。


 そこにはただただ、優しい笑みだけがった。


「な、にを……笑って……」


「私はなグラッド。お前の気持ちが分かる。何処の、誰よりもだ」


 グラッドはその笑顔に気圧されるように胸ぐらから手を離し、ゆっくりと後退ると小さく首を横に振る。


「いや……いや分かるわけない。アンタになんか……。幸せな家族があるアンタになんか分かるわけないッ!!」


「分かるさ。……私も、薬のせいで全てを奪われた。……その無力感も、後悔も、罪悪感も……。全部分かる」


「……っ」


 その言葉に、嘘は無かった。


 人を──家族を殺め、逃げ出し、疑心暗鬼を極め誰も信用せず、ただひたすらに他者の顔色をうかがってきたグラッドは、その言葉に偽りがないと、悟ってしまった。


 だがだからといってそんなものを鵜呑みにしてしまえる程彼は純粋ではなく、クラウンという規格外な存在ならばそれくらい……と逆に疑いの目を強くしてしまう。


「アンタ……なんなんだよ……。滅茶苦茶だよ、色々と……」


「私は正直に話しているだけなのだがな」


「……ボクを」


「ん?」


「ボクを突き出さないのか? こんな……犯罪者でしかないボクを」


「これから共に戦い信頼を築いて行こうとする人間を何故突き出す? それにお前は何も悪くない」


「そんなわけないだろッ!? ボクは家族を手に掛けただけじゃない、アカツキトバリを育てて麻薬を作って売ってたんだッ!! それが……許される事だなんて思ってない……」


「グラッド──」


「来るなっ!!」


 歩み寄ろうとしたクラウンを制止し、ナイフを取り出すとクラウンに向かって突き付ける。


「……意味のない事をするもんじゃない」


「は? 何がだよ」


「私にそんなモノを向けた所で何にもならん。お前は私を傷付けられないし、現実からも逃げられない」


「……」


「なあグラッド。お前はもう逃げなくて良い。良いんだ」


「……っ」


「お前が戸籍を買ってまで別人になり、学院に入学したのは逃げるのに疲れたからだろう? 別人になって別人の人生を歩んで全部リセットしたかったのだろう?」


「……まれ」


「私ならそれを助──」


「黙れよッッ!!」


 グラッドはナイフを自分の首に当てがうとそのままの勢いでナイフを引く。


 瞬間、彼の首の皮膚は裂け広がり、共に切り裂いた太い頸動脈からおびただしい量の鮮血が噴き出した。


「あぐ……」


「この大馬鹿もんが……」


 クラウンは飛び散る血をかえりみずグラッドに駆け寄り、膝から崩れ落ちそうになった彼を抱き抱えると切り裂いた首を手で抑える。


「へ、へへ……意外に、痛いなぁ……」


「後悔するくらいならやるんじゃない」


「で、でも……これでボクは、やっと、死ね──」


「いいや、それは無理だ」


「へ?」


 グラッドを抱えた瞬間、クラウンは《救わざる手》を発動。先程まで勢いよく噴き出していた血は嘘のように止まり、グラッドは軽い貧血を覚える程度にしか感じなくなってしまった。


「な、なるほ、ど……」


「私が居る限り、死ねるなどと思わん事だな」


「で、でも、流石にアンタでも治せないでしょ? この傷はさ……」


「スキル《緊急処置》がある。それにここは病室だ。これくらいならば死なせる事はない」


「ざ、残念……けどこれでボクは誰も殺さずに済むね……。アンタでも怪我人相手にエルフ四人殺せなんて言わないでしょ?」


「……ああ、確かにな」


「なら──」


「だがお前が〝怪我人から回復すれば〟問題はない」


「……はい?」


 クラウンは傷を押さえていた手に魔力を集中させ始める。


 そこに込められていくのは《水魔法》と《光魔法》を組み合わせて完成される上位魔法回復魔法


 送り込んだ《回復魔法》は外傷や疾患を魔力によって一時的に補強し、自然回復力を高めながら治癒させていく魔法。


 魔力量、魔力操作能力次第では傷をたちまちに塞ぎ、完治させる事すら可能にする。


「あ、アンタ《回復魔法》まで持って──」


「いや、持っていない」


「なっ!?」


 グラッドは傷口に手を当てるクラウンの手に視線を落とし、目を見開く。


 そこにはまるで枯れ枝のように乾涸ひからびていくクラウンの手があり、《回復魔法》を使い続ける毎にその範囲は広がっていった。


「まったく。こんな事ならばロリーナに教える前に先に習得しておくんだったな。見通しが甘かったか」


 クラウンは《回復魔法》を習得していなかった。勿論回復魔法適正もである。故にその代償──反動として彼の手からは《回復魔法》を使う度に生気が失われていき、急速に乾涸びていった。


「ま、待って……アンタ手が……こんなに」


「心配するな。私ならば問題ない、この程度時間を掛ければ元に戻る」


 無論、こんな事が可能なのは《超速再生》があるクラウンだからこその荒技中の荒技。他の者が行えばその手の治療に十数年と掛かるだろう。


「でもボクなんかの為に……」


「ああそうだお前の為だ。面倒を見ると決めた大事な部下の為にこうして身を削っている。それがどういう意味かお前に分かるか?」


「そ、れは……」


「嫌でも理解しろ。お前は私に守られている。散々言っただろう? お前は逃げなくて良いんだ。何故なら──」


 《回復魔法》を解除し、手を離して傷が完治しているのを確認するとクラウンはグラッドを無理矢理起き上がらせ、その目を真っ直ぐに見据える。


「何故ならお前は既に新しい人生を歩んでいるんだ。私と共に、素晴らしくも楽しい未来がある、新しい人生が」


「新しい……」


「そうだ。後悔し続けたっていい。罪悪感を抱えたままだっていい。咄嗟の出来事だったとはいえ家族を手に掛けた事実を受け止め切れなど言わない」


「……」


「だがだからといって他を諦める必要はない。後悔しながらでも笑い、罪悪感を抱きながら楽しげにし、事実を受け止め切れないままでも前に進める。私が、そう出来るよう共に居てやる」


「ボス……」


「ああ」


「……麻薬中毒者で、犯罪者で、卑怯者で……。それでも楽しい人生歩めるんじゃないかって能天気で馬鹿みたいな夢想してるようなどうしようもないボクを……ボクなんかを必要としてくれるの?」


「そうだ。唯一無二であるお前が、私には必要だ」


「……そっか……。そっかぁ……」


 グラッドは両手で目元を覆い、クラウンに背を向けながら肩を揺らす。


 時折聞こえる嗚咽を聞かなかった事にしながら、クラウンは気が済むまで彼の背中を見守った。

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