第六章:貴族潰し-7

 …………逃げなければ。


 私は瞬時に判断して勢いよくベンチから飛び降りて駆け出す。


 勝てるとか勝てないとかの問題じゃない。戦っては駄目だ。あの少女と戦えば必ず何かを失う。そんな根拠の無い予感が頭を駆け巡る。


 私は兎に角がむしゃらに走る。不幸中の幸いなのは時刻が夕方で人がまばらになっていた事だろう。多少障害物はあるものの避けられない程じゃない、このまま逃げ切る!


 さて、あの子は追って来て──って!?


 そう思い背後を振り返ると、なんと先程の少女が追いかけて来ているではないか。それも私と大して変わらない速度、あの丈の長い神官服でである。


 ふざけるな! 何故追って来れるんだっ!? これでも私は姉さんにしこたま特訓されて来ている上にスキル《敏捷補正・I》を所持してるんだぞ?そんな私に同年代の女性──しかもあんな走り辛い神官服でなんで私と変わらない速度で走れるんだ!?


 というかそもそもの話、何故私は追われているんだ? 確かに私は彼女に対して得も言われぬ感覚を覚えたが、彼女も同じ物を感じたのか? なら尚更何故私を追ってくる!? ちょっと考えればあんな感覚を覚える相手なんてしたくないだろうが!!


 そうは言ってもこのままではジリ貧だ。彼女の体力がどれだけ保つのかは知らないが私が先に限界を迎えてはマズイ。斯くなる上は……。


 私は走る速度を少しだけ無理矢理上げる。そうして出来た彼女との僅かな距離を使い、角を曲がって一番近い裏路地に勢いよく滑り込む。


 この時間帯の裏路地は昼間なんかとは既に比べられない程に暗くなっている。これだけの暗闇があれば……。


 私はすかさずスキル《影纏シャドウスキン》を使い、パッと見で一番暗くなっている場所に潜む。私は乱れに乱れた息を無理矢理押さえ込み彼女が来るのかを確認する。


 さあ、来るか? もしもこれで私を見付けたのなら最早私はお手上げだ。戦う意思が無いのならなんとか誤魔化すしかないし、戦う意思があるのなら……決死の覚悟で立ち向かうしかない。


 そもそもあの感覚はなんなんだ? 何か本能的な部分で発せられた異様としか形容できない感覚……。そうまるで、親の仇にでも会った様な……。憎悪や怒りを通り越した何か、そんな感情が怒涛の様に溢れ出した。


 …………いや、今はそんな事を考えている場合ではない。今は彼女の動向を──ん?


 こっそりと覗き見した結果、目に飛び込んで来たのは、なんと彼女は私が息を潜めている裏路地まで入って来た光景だった。


 嘘だろ……。私が裏路地に入った時は彼女から死角だった筈だろ? それとも私が見誤った?


 ……まあ、無くはないが、もしかしたら彼女自身のスキルなのかも知れない……。私が得体の知れない感覚を覚えた相手だ、そんなスキルを持っていても不思議ではない。


 彼女の様子は真っ暗な裏路地に目を凝らし、辺りを隈なく伺っている。十中八九私を探しているのだろう、その目は真剣そのものだ。


 クソ、このままじゃ外に出れない。流石に数時間も私を探すとは考えられないが、《影纏》だって無限に使える訳じゃない。主に体力を消費するが、微量に魔力も使っているのだ。余り長居はしたくないんだがなぁ……。


 と、そんな時、彼女が居る裏路地の入り口の反対側、私が潜む物陰の更に奥から何やら気配を感じる。


 およそ大人の人間三人分、それが奥からゆっくり歩いて来る。そしてそれらは入り口から差し込む陽光に照らされ、その様相が露わになる。


 肌はほのかに焼け、全身に覆う筋肉は身体中に至る所に刻まれた切り傷や火傷の様な傷を僅かに隆起させ、図太い血管がそれらを這う様に張り巡らされている。


 着ている服は品が無く、所々に汚れや血、傷がありボロボロになっている。そしてその腰にはそれぞれこれ見よがしに分厚い短剣、短めの手斧、ナイフを二本をぶら下げている。


 そんな三人がぞろぞろと、彼女の方に歩み寄る。その顔はお世辞にも道に迷った子供を心配しているといった優しげな表情ではない。下卑た厭らしい、胸糞の悪い下衆の顔だ。

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