第六章:泣き叫ぶ暴食、嗤う強欲-9

 

 《障蜘蛛さわりぐも》の紫色の刃が、魔王の腹部に突き刺さる。


 腐食性の毒が刃から滲み、魔王の体内へと浸透して広がるが、その効果は薄い。


 魔王は《猛毒耐性・中》、《腐食耐性・中》を所持している関係上、この耐性を上回る毒性、腐食性が無ければその効果は無いに等しい。


 しかしクラウンの狙いは、そんな毒を使ったダメージではない。


 本命は毒攻撃に乗っている《致命の一撃》と《治癒不全》の効果。この二つは毒が有効かどうかは関係せず、毒攻撃を与えた際に起こる権能。


 《致命の一撃》《治癒不全》共に確率が低くその期待は薄い。だがクラウンは《治癒不全》で魔王が持つ《自然回復力強化》を妨害出来る可能性を思い付き、小さな望みながらそれを試みている。


 それを受けた魔王は危機を察知しクラウンから距離を取るよう跳び退こうとするが、クラウンはハンマーを防いだ燈狼とうろうを《蒐集家の万物博物館ワールドミュージアム》にしまい込み、逆にそのハンマーを掴み取って力任せに手前に引き寄せる。


 すると魔王は目の前に迫ったクラウンに食欲が刺激され、思わず笑うと口を変形させ、肥大化させながら覆い被さるようにクラウンに食らい付かんとした。


 しかし、クラウンもそんな魔王に対し御返しとばかりに笑って見せる。


「すまんが私の肉はもうやれん。代わりと言っちゃ何だが──」


 クラウンがそこまで口にすると、二人の足元に魔法陣が浮かび上がる。それは小さく細い《炎魔法》による炎によって描かれた文字の羅列。


 本来は魔法の威力を助長させる詠唱を、魔法を文字に置き換えて綴る事で複雑な詠唱を口にする必要が無くなり、魔法陣が浮かび上がった瞬間に詠唱時と同等の魔法が発動させられる。


 そしてそれは先程のシセラが使った《炎魔法》による火柱の上位互換。魔法陣の範囲内という限られた空間を超高熱の火炎が吹き荒れる業火の噴出。


「丹精込めて用意していた私のとっておきだ。存分に味わってくれ。《炎魔法》聳える火柱フレイム・オベリスク!」


 魔王が大口を開けたその瞬間、膨大な熱量が轟音を上げて二人を包んだ。


 魔法陣に近付く事すら困難な高熱を周囲にばら撒き、天にまで届かんばかりに吹き出された火炎の柱は渦を巻き、気温や湿度すら変質させならが二人を焼いていく。


 周囲の沼はその勢いに波打ち、泥の一部はその水分を蒸発すらさせられ硬質化し、薄く掛かっていた霧は消し飛んだ。


 時間にして一分程。


 短いながらも苛烈極まる業火が徐々に小さくなり霧散していく中、その中心に居た二つの影の姿も露わになる。


 一つはクラウン。《炎熱耐性・中》による耐性を持っていながら、その体の所々には小さくはない火傷が散見されている。


 しかしそれは致命傷にはならず、その目は目の前の物体を睥睨へいげいする。


 そしてそんなクラウンの目の前にあるもう一つの影。


 それはクラウンの《炎魔法》によりその全身を焼かれ、プスプスと脂が弾けるような音を立てながら固まる魔王の姿。


 肉が焼け焦げる匂いが辺りに立ち込め、それはその場から動く事はない。


 側から見ればこれで決着にも見える。現にそんな様子を後方から見ていたシセラはクラウンに明るい表情を見せる。


 しかしそんなクラウンは、訝しむように黒く変質した魔王を睨んで離さない。


(さて……。私の用意している手札は後一つ。逆転の一手を残すのみだが──)


 クラウンは魔王に対し、炎に巻かれる前に《蒐集家の万物博物館ワールドミュージアム》にしまっていた障蜘蛛さわりぐもを再び取り出し、突き刺す。


 その感触は炭に刃を突き立てたようなザクザクとしたもので、決して生き物を刺した感触ではない。


「このまま終わるんじゃあ困るんだよ魔王。お前には、まだやって貰わねばならない事があるんだ」


 クラウンは更に燈狼とうろうを取り出し、魔王にその刃を勢いよく突き刺す。


「さっさと起きろ。まだ……食べ足りないだろう?」


 魔王の治癒は、既に完全に停止している。


 それが障蜘蛛さわりぐもによる《治癒不全》のお陰なのか、それとも火柱に巻かれる中で治癒を繰り返し、《自然回復力強化》による回復すら出来なくなる程に魔力が枯渇したのか、それは分からない。


 だがしかし、ここからの回復は、絶望的な事に変わりは無かった。


「……だ……」


「ん?」


 ボロボロの口が、音を発する。


「……い、……やだ……」


 それは決して単なる音などではなく、一つ一つに意味を込められた一つの言葉。


「……食べた……い……もっと……もっと……」


「そうか。私を食べたいか」


「……食べ──ち、がう……食べた……くない……食べたく……食べ……食べ……」


 クラウンは嗤う。口角を吊り上げ、魔王が見せた本能とは違う何かが呟くその言葉に、クラウンはほくそ笑んで憚らない。


「ふふふ、ふふふはははっ! さあ魔王! 私に聞かせてくれないかっ!? 本能に任せた脳死の言葉ではなくっ、貴様のっ……貴様の言葉でっ!! まだ居るんだろうっ? 苦しみ続けているんだろうっ!? ならばそれを私に聞かせろっ!! 私にそれをぶつけて見ろっ!! グレーテルっ!!」


 ……

 …………

 ………………


「……グレー……テル……」


 ──ばしゃっ!


 そんな水を撒いた様な音が、辺りに響いた。


 見れば魔王の腕からは一本の触手が伸びており、その先端には鋭い牙が生え揃った口が付いている。


 その口は何かを咀嚼する様に忙しなく動き、ゆっくり、味わう様に嚥下えんげしていく。


「……ぼ、くの……名前……名前は……グ、レーテル……。魔、王……の……僕は……」


「ふ……ふふふっ。やっと出て来たか……。存分に……虐めた……甲斐があったというものだ……。ぐっ……」


 クラウンは燈狼とうろう障蜘蛛さわりぐもから手を離し、その場に膝を突く。


 その脇腹は大きく抉れ、大量の血が溢れ出し、臓器の一部がこぼれ落ちそうになり、クラウンはそれを手で押し留める。


「ああ……痛い……なんてもんじゃ無いなこれは……」


 全身に冷や汗をかくクラウンの顔色は、徐々に白くなって行く。このままでは数分と持たず、クラウンは泥中に沈むだろう。そしてその体は、魔王にいただかれる。


「きっと貴様は、私を余す事なく……綺麗さっぱり食べ切るんだろう……。それはもう一片のカケラもなく……皿を舐めた様に……綺麗に……」


 声は震え、視界がボヤける。身体から温度が抜けて行き、背筋が凍るのを感じる。


「……うん」


「ふ、ふふふ……。だが……だがなぁ……」


 クラウンは覚束おぼつかない視界の中、見た目的には自身より重大な黒く燻んだ魔王の肩を掴む。そしてクラウンはそんな余裕など無い筈なのに──


 嗤ってみせる。


「私は、奪われるのが大嫌いなんだよ、グレーテル」


 瞬間、クラウンはスキルを発動する。


 それはこれまでの十五年間で一度だけ使い、またそれに命すら救われたスキル。


 自身の致命傷をトリガーに発動可能となり、生きるという渇望が呼び覚ます大欲のスキル。


 その名をエクストラスキル《貪婪どんらん》。


 瀕死時に対象から問答無用でスキルを奪う起死回生の一手であり、クラウンの最終手段。


 そしてそんな《貪婪どんらん》で奪う、魔王のスキル。それは──


「ふ……ふふふっ。ああ、成る程成る程……。確かに凄まじいスキルだが、魔力消費も尋常じゃあない……。常時発動しようものなら数分で魔力が枯れるな。こんなモノを発動し続けていたなんて……貴様はつくづく化け物だったんだな」


 クラウンの傷が、みるみる回復を始める。


 それは自然治癒が為せる所業を超越しており、肩の傷や火傷どころか、脇腹に穿たれた内臓が零れんばかりの傷すら回復していく。


 そしてそんな傷は数十秒という驚異的な速度をもって完治し、膝を突いていたクラウンは、再び立ち上がる。


「これがエクストラスキル《超速再生》かっ!! ああっ……素晴らしい……。自分の身を捧げた甲斐があったというものだっ!!」


 先程までの顔色とは全く別に、頬を僅かに紅潮させながら恍惚とするクラウンに、然しもの魔王はたじろぎ、後退る。


「だがまだ足りないな。私の肉を食った代金は、こんなもんじゃあ収まらないぞ?」


 クラウンは魔王に刺さったままの燈狼とうろう障蜘蛛さわりぐもを引き抜き、その二刀を振るう。


 回復する事なく焼け爛れたままの魔王の両腕はその二刀の斬撃により両断され、バランスを崩す。


 その隙にクラウンは燈狼とうろう障蜘蛛さわりぐもを一旦しまい、魔王に握られていた骨で出来たハンマーを掴むとそれを使い力の限り魔王目掛けて振るい、嫌な音を立てながら吹き飛ばす。


「ふむ。悪くない」


 それからクラウンはテレポーテーションによる転移を使い、魔王が吹き飛んだ方角に先回りすると再びハンマーを構え、魔王が来たと同時に今度は地面向かって振り下ろす。


 水と泥をはね飛ばし、泥中に沈んだ魔王の首を掴み上げると、そのまま近くにあった岩に向かってぶん投げ、ハンマーを振るい地面を叩き《地縛撃シェイクバインド》を使って魔王を岩で拘束する。


 それを受けた魔王は反撃とばかりに切断された腕から無数の鋭い牙が生えた触手を生み出し、クラウンにけしかける。


 するとクラウンは手に持っていたハンマーをポケットディメンションに放り込み、再び燈狼とうろう障蜘蛛さわりぐもを取り出して触手群に迎え打つ。


 魔王の触手による絶え間ない斬撃は苛烈であり、これに対しクラウンは可能な限り捌いて行く。しかしその激しさは先程の化け物状態の魔王の触手攻撃に比肩しており、ガーベラの様に全ては捌けず、所々に大小様々な傷を作る。


 だがクラウンはそれを一切気にも留めず、ある程度傷が増えた段階で《超速再生》を発動させ完治させながら一つ一つ切り伏せ続ける。


「ふふふふふふっ!」


「ああぁぁぁぁぁっ!!」


 返り血が飛び、クラウンを濡らす。例えその血が目に入ろうと瞬きすらせず。クラウンは盛大に、楽しそうに笑いながら触手を切り刻み続ける。


「ふははははははっ!!」


「あ、ああ……。ああぁぁぁぁぁっ!!」


 沼地に響く魔王の泣き叫ぶ声とクラウンの嗤い声。


 異様な様を見守り続けているシセラと、後方のガーベラ達は様々な感情が渦を巻き、各々がそんな光景に複雑な感想を抱いている中、唯一一致している一つの思い。


 もうすぐ、この戦いは終わるだろう。

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