第六章:泣き叫ぶ暴食、嗤う強欲-10

 

 沼地の泥と水に、赤黒い斑点が飛散する。


 それは一つ二つなどではなく、数え切れない程に広範囲に飛び散り、汚泥をキャンパスとして周囲に真っ赤な花が咲き乱れる。


 魔王の鮮血を顔料に、クラウンが血に塗れながら描いていくその花は、もうじき完成を迎えようとしていた。


 魔王からの絶え間ない触手の槍は、クラウンの二刀の斬撃によりいなされ、捌かれ、切り落とされる。


 最早自然回復力すら発揮出来ぬ程に魔力を減らした魔王は、そんな触手を回復する事すら出来ず。ただ新たな触手を、呪いによってもたらされた身体能力を用いて生み出し続けるしか出来ない。


 クラウンもクラウンで優位には立っているものの、彼に余裕があるのかと言えば、実の所あまり無い。


 傷が貯まった段階で発動している《超速再生》の消費魔力量は、クラウンが持つスキルの中ではトップクラスであり、一度の発動で彼の魔力の約十分の一が持って行かれている。


 現在のクラウンは青色と赤色のポーションを飲み、青いポーションでその総魔力は一時的な限界を越え、事前に改良を加えていた赤いポーションで魔力自然回復力をこれまた一時的に上げている状態であり、今の段階で魔力切れは起こしていないものの、それは無限には続かない。


 ポーションの力によって無理矢理身体機能を底上げされているクラウンの身体は悲鳴を上げ、全身が軋み、耐え難い圧痛が押し寄せている。


 そんな全身に刻まれ続けている身体の歪みさえ《超速再生》によって完治はするものの、怒濤の如く襲う激痛だけは《痛覚耐性・小》如きでは消えない。


 クラウンに降り掛かっている限界は、魔力切れでも傷でも無く。いつ終わるか分からない、絶え間ない激痛の嵐による精神の磨耗であった。


 魔王による身体能力の限界と、クラウンの精神の限界。そんな両者のある種の耐久戦で、クラウンが優位に立てているその理由。それは──


「ふははははははっ!!」


 彼は心底楽しそうに、愉快に。まるで親に待ちに待った玩具を買って貰う時のように無邪気に、彼は笑っているのだ。


 クラウンの中にあるのは激痛による苦悩や絶望などではなく、もうちょっと、もう少し、あと少しで手に入るだろうスキルへの渇望。


 激痛を打ち消して余りある程の剥き出しの〝強欲〟が、彼の剣撃の精度を、速さを、効率を上げていき、ガーベラ達に見られている事すら憚らず、ただただ期待と欲望に胸を躍らせ、彼は嗤う。


 その姿は……「強欲の魔王」と呼ぶに相応しいものだった。






 そしてそんな耐久戦は、唐突な終わりを迎える。


 何時間にも感じられる様な濃厚な数分間を繰り広げた二人の応酬は、魔王の触手が途絶えた事でピタッと止まり、後には岩に縛られ磔られた魔王がぶら下がっていた。


 触手を生み出し続けた腕は力無く垂れ下がり、焦げた顔は俯いて上がらない。


 そんな様子の魔王に対し、クラウンは肩で息をしながらゆっくりとした足取りで魔王に歩み寄る。


 顔面に付着した魔王の血を袖で拭い、身体の傷を《超速再生》で完治させた後、魔王の眼前に立ち、一つ溜息を吐いて語り掛ける。


「……もう気は済んだか?」


「……」


 魔王はゆっくり顔を上げる。濁った瞳がクラウンを捉え、不安そうな表情を浮かべる。


「お前の事を可能な限り調べた。まあ、大して集まらなかったワケだが、一つだけハッキリしている事がある」


「……?」


「お前は……。弱かった」


「……」


「お前は気持ちが弱かった。掻き集めた資料の何処にも、王である筈のお前の発案、発言はたったの一回。大臣達に戦争の降伏を提案した時だけだ。違うか?」


 クラウンは、まるで諭す様にゆっくり言葉を紡ぐ。それはある種優しく、ある種厳しくも聞こえる。


「……ぼ、くは……」


「ん?」


「……だ、れも……僕の……こと、ば、なんて……聞かない。王、様……な、のに……だか、ら……僕は──」


「言い訳をするな」


「……」


「その言葉が嘘だとは言わん。だがそれはお前の根本的な言葉じゃあない。お前は──」


 クラウンは魔王の顔を覗き込むようにしゃがみ、魔王の濁った目を見詰める。


「お前は諦めたんだ、仲間である筈の奴等を説き伏せる事を。王である自分の意思を通さず、なんでも勝手に決める奴等をお前は見下し、ただ黙って見ていた。違うか?」


「ぼ、く……は……」


「内心……無意識にこう思っていたんじゃないか? 「どうせ意見なんて通らない。コイツらが勝手に決めたんだ、僕のせいにはならない」と……」

「ち、がうっ──ぼ、くはっ……」


「違わない。お前は諦めた。責任を放棄し、権力を傘に着て自分を除け者にする奴等を黙らせる事をお前は諦め、それを正当化する言い訳を自分に吐き続けた」


「……あ、ああぁぁっ」


 魔王は思い出す。かつての日々を。


 新米の魔王として突如祭り上げた自分を、ただの飾りとして……添え物として置いておき、王である筈の自分に指揮権だけを丸投げし、除け者にした大臣達。


 民をおもんばかった立案や降伏を提案した時など、大臣達は様々な反対意見を口にするばかりで、王である自分の意見など一切の力を持たなかった。


 そして自分は、それに甘んじた。


 馬鹿みたいに自分の話しかしない大臣達に心底呆れながら、「自分は素人なんだから」と言い訳をして諦めた。


 もし……もし、自分があの時そこから逃げなかったら? 諦めず大臣達を説き伏せ、丸投げせずに信頼を築いていたら──


 ……僕は、同族を食べずに済んだのか?


「ああ……ああぁぁぁっ!!」


「中途半端で悪いが、分かっているのはそれだけだ。お前が諦めた結果、お前は呪われた……そうだな?」


「ああ……ああぁぁぁっ」


 きっと大公は、王である自分を信頼などしていなかったんだろう。だから手っ取り早く力を付けられるよう、同族を料理して自分の《暴食》に頼った。


 だから大公の目は自分などではなく、別の何かを見ていたんだ。


 これがもし、信頼を築けていたら……。


 大公はそんな暴挙になど出ず、王を信頼し、他にあったであろう最良で無いにしろ、最悪では無い道を、共に模索出来たかもしれない。


 そんな事……。そんな事……。


「わ、かって……たっ!! ぼ、くが……もっと……向き……あって、いれ、ば……。諦……め、なければ……。みん、な、を……食べないで……よかった……って……。で、も……でもっ!!」


「ああ。もうそれは戻らない。お前が後悔し、苦しみ続けている現実は巻き戻ったりはしない」


 もう遅いのだ。


 どれだけ後悔しようと、食べた事実は変わらない。


「……お前が腹が減って仕方がないのは、そんな事実を、後悔を《暴食》に委ねて……全部忘れてしまいたかったんだろう? 頭の中を食欲塗れにして、塗り潰して……。忘れたかったのだろう?」


「……もう……いや、だ……。つか、れた……。忘れ、るのも……後、悔……する、のも……。……たべ、る、のも……」


 魔王は顔を上げる。その濁った瞳を僅かに輝かせながら。何かを期待するように、自分をここまで追い込んだクラウンの目を真っ直ぐ見据えた。


「ぼ、くを……殺し……て……。殺し……て……」


「……選択肢をやろう」


 クラウンはボロボロになった魔王の腕を掴む。そして彼に……グレーテルに最後の言葉を紡ぐ。


「さあ選べ。私にお前の全てを委ね、楽に逝くか。このまま《暴食》に振り回され、後悔と苦悩を抱きながら全部を食い散らかすか……」


「ぼ、くは……」


「安心しろ。お前が抱いた後悔も苦悩も……そして大罪も。全て私が貰ってやる。もうお前に、後悔はさせない」


「ああぁぁぁ……」


 瞬間、《継承》が二人の間に魔力が繋ぐ。


 魔王から膨大な量のスキルと力が流れ込み、それが一つずつクラウンの魂に定着する。


 その力に乗って一緒にクラウンに流れ込んで来るのは、魔王のこれまでの人生の全て。


 裕福過ぎない家庭に生まれ、可愛い幼馴染と幸せな時間を過ごし、王に選ばれ無我夢中で研鑽を積み、けれども大臣達から信頼を勝ち取れず、そんな不信が多くの犠牲を生み、ひたすらに、まるで食欲で全てを塗り潰すように暴れ回った。そんな激動の数百年の歴史。


 クラウンはその余りにも膨大な量の記憶に頭が割れんばかりに激痛を発し、そこから溢れる津波の如き感情に精神が削られ、思わず倒れ込みそうになる。


 今まで不屈だった彼の心が悲鳴を上げ、何度も何度も「諦めろ」と叫び声を上げ、思わずそこに思考が傾きそうになる中、一つの声が頭に響く。


『確認しました。魔法系スキル《光魔法》を獲得しました』


(……ああ……)


『確認しました。魔法系スキル《溶岩魔法》を獲得しました』


『確認しました。魔法系スキル《霧魔法》を獲得しました』


(ああ……っ。ああっ!!)


『確認しました。魔法系スキル《幻影魔法》を獲得しました』


『確認しました。魔法系スキル《重力魔法》を獲得しました』


 最早クラウンの苦しみは全て、快楽に押し潰されていた。


『確認しました。技術系スキル《鉄球術・初》を獲得しました』


『確認しました。技術系スキル《杖術・熟》を獲得しました』


『確認しました。技術系スキル《体術・熟》を獲得しました』


『確認しました。技術系スキル《小盾術・熟》を獲得しました』


『確認しました。技術系スキル《大盾術・熟》を獲得しました』


『確認しました。技術系スキル《三斬撃トリプルスラッシュ》を獲得しました』


『確認しました。技術系スキル《背旋斬バックスラッシュ》を獲得しました』


『確認しました。技術系スキル《弱点刺突ウィークトラスト》を獲得しました』


『確認しました。技術系スキル《六連突ヘキサポーク》を獲得しました』


『確認しました。技術系スキル《地砕衝ランドクラッシュ》を獲得しました』


『確認しました。技術系スキル《地烈衝ランドパニッシュ》を獲得しました』


『確認しました。技術系スキル《地隆璧ランドウォール》を獲得しました』


『確認しました。技術系スキル《剛力化ストレングス》を獲得しました』


『確認しました。技術系スキル《鉄壁化ディフェンス》を獲得しました』


『確認しました。技術系スキル《飛躍化ハイジャンプ》を獲得しました』


『確認しました。補助系スキル《視覚強化》を獲得しました』


『確認しました。補助系スキル《味覚強化》を獲得しました』


『確認しました。補助系スキル《味覚超強化》を獲得しました』


『確認しました。補助系スキル《声帯強化》を獲得しました』


『確認しました。補助系スキル《反射神経強化》を獲得しました』


『確認しました。補助系スキル《肺活量強化》を獲得しました』


『確認しました。補助系スキル《免疫力強化》を獲得しました』


『確認しました。補助系スキル《消化力強化》を獲得しました』


『確認しました。補助系スキル《吸収力強化》を獲得しました』


『確認しました。補助系スキル《自然回復力強化》を獲得しました』


『確認しました。補助系スキル《新陳代謝強化》を獲得しました』


『確認しました。補助系スキル《視野角拡大》を獲得しました』


『確認しました。補助系スキル《可視領域拡大》を獲得しました』


『確認しました。補助系スキル《胃腸拡大》を獲得しました』


『確認しました。補助系スキル《寿命拡大》を獲得しました』


『確認しました。補助系スキル《覇気》を獲得しました』


『確認しました。補助系スキル《猛毒耐性・中》を獲得しました』


『確認しました。補助系スキル《腐食耐性・中》を獲得しました』


『確認しました。補助系スキル《痛覚耐性・中》を獲得しました』


『確認しました。補助系スキル《疲労耐性・中》を獲得しました』


『確認しました。補助系スキル《気絶耐性・中》を獲得しました』


『確認しました。補助系スキル《光魔法適性》を獲得しました』


『確認しました。補助系スキル《溶岩魔法適性》を獲得しました』


『確認しました。補助系スキル《霧魔法適性》を獲得しました』


『確認しました。補助系スキル《幻影魔法適性》を獲得しました』


『確認しました。補助系スキル《重力魔法適性》を獲得しました』


 そして……。


『確認しました。補助系ユニークスキル《暴食》を獲得しました』


 その瞬間、クラウンの魂は、新たな色に染まって行く。


『新たな大罪系スキル《暴食》の魂の定着を開始……成功しました』


『二つの大罪系スキル定着により、新たなスキルが覚醒しました』


『確認しました。補助系スキル《恐慌のオーラ》を獲得しました』


『確認しました。補助系エクストラスキル《大罪》を獲得しました』


『ユニークスキル《強欲》の熟練度が一定に達しました。これにより新たなスキルが覚醒しました』


『確認しました。補助系スキル《魔法習得補正lv2》を獲得しました』


『確認しました。補助系スキル《技術習得補正lv2》を獲得しました』


『確認しました。補助系スキル《補助習得補正lv2》を獲得しました』


『確認しました。補助系スキル《欲望の御手》を獲得しました』


『確認しました。補助系スキル《収縮結晶化》を獲得しました』


『確認しました。補助系エクストラスキル《完全継承》を獲得しました』


『確認しました。補助系エクストラスキル《貪欲》を獲得しました』


『重複したスキルを熟練度として加算しました』


「……ふ……ふふふ……。ふふふふふっ!!」


『ああ……私よっ! クラウンよっ!!』


「ああっ!! 私っ!! 強欲よっ!!」


『楽しいなぁっ!! 楽しいなぁっ!!』


「ああっ!! 楽しいっ!! 楽しいぞっ!! ふははははははっ!!」


『ふははははははっ!!』


 狂ったような嗤い声だけが、静まり返った沼地に響く。


 そんな様子を遠くから見守り続けていたガーベラ達は、クラウンが勝利したのだと安堵する一方、二人だけが、思い思いに固唾を飲んだ。


「……クラウン、様?」


「まさか……そんな……どうすれば……」


 そんな二人の呟きを、他の誰も聞いてはいなかった。

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