第七章:次なる敵を見据えて-1
魔王の身体が、灰塵となって崩れ始め、風に攫われて行く。
「暴食の魔王」の呪われた身体の主導権は既にユニークスキル《暴食》に乗っ取られている状態。
身体から核である《暴食》が失われれば、当然形を保てる筈もなく。百数十年という長い年月を酷使し続けた結果、抜け殻となった魔王の肉体は脆くも崩れ去っていった。
そんな様子を興奮冷めやらぬクラウンは、ただただ静観する。
その目に映す感情は憐みでも同情でもなく、怒りでもない。そこに宿るのは──
「ああ、ありがとうグレーテル。とても楽しい時間を、ありがとう……」
最後の灰が風に吹かれ、後には魔王を拘束していた岩だけが残る。
クラウンはそこで短い時間余韻に浸り、振り返ってガーベラ達の下に戻ろうとした時、頭の中に声が響く。
『腹が……減った』
「……」
その声がした瞬間、クラウンを強烈な空腹が襲う。
クラウンが思わず立ち止まると、まるで胃袋が何かを求める赤子の様に咽び泣き、駄々をこねて暴れ散らしているようなどうしようもない感覚に苛まれる。
そんな過剰な空腹に、クラウンは。
『腹が減っ──』
「黙れ」
『……』
「私の物になったからには勝手は許さん。前の持ち主と同じだと思うなよ? お前は私に使われるんだ。異論は認めん」
『……』
すると先程までの病的なまでの空腹感は薄れていき、残ったのは単純な消耗から来る空腹感のみ。《暴食》を精神力でねじ伏せたクラウンは満足そうに、歩みを再開する。
背後からはシセラが追従し、クラウンに追い付くと猫の姿に戻ってクラウンの肩に跳び乗る。
「……疲れているなら中に戻ればいいだろう」
「私も少し余韻に浸らせて下さい。貴方様の感情が流れ込んで来て、今とても良い気分なのです」
「ふふっ、そうか。ならばそうしていろ」
「ふふっ、そうします」
一人と一匹は、笑いながら皆の下へ向かった。
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ああぁぁ……。疲れた……。本当に疲れた。
グレーテルから《疲労耐性・中》を頂いてこれだけ疲労を感じているという事は、実際にはかなり疲労が蓄積しているんだろう。
まあアレだけ動けば当然といえば当然だ。
だがその反面、実に楽しかった。未だ興奮が治らないし、身体の内側から溢れんばかりに愉悦が込み上げて来る。油断すればまた口角が上がってしまいそうだ。
ふふっ……数日前まで左腕を喰われて怒り心頭だったが、最早何処かへ吹っ飛んでしまったな。我ながら現金な性格をしている。
と、そんな事を考えている内に姉さん達の下へ帰って来た。さて、では取り敢えず──
「ただいま戻っ──」
そこまで口にし、ドンッ!! と音を立てながら私の身体に衝撃が走る。
「おおおっクラウン!! よくぞっ!! よくぞ無事に……そしてよくぞ勝利を収めたっ!!」
凄まじい速度で姉さんが私に抱き付いて来た。そのタックルばりの勢いは常人が食らえば数メートルは吹き飛ぶ威力であり、少し前の私なら全力でスキルを発動していないと耐えられないモノだっただろう。
しかし魔王グレーテルの力の殆どを貰い受けた今の私の身体能力は常人の比では当然無い。
しかしグレーテルはその能力の大半をユニークスキルである《暴食》に乗っ取られていた状態であり、そんな《暴食》を手に入れた私は《暴食》に内包されたそれら身体能力までも手に入れていた。
だが全てというわけではない。魂の定着が済んだとはいえまだ《暴食》を完全に制御出来ている感じはせず、まだまだ《暴食》に力が眠っていると感じるからだ。
先程の脳内に響いた声がその証拠だろう。私をその凄まじい食欲で迷わせようとしたらしいが、私はそこまで柔じゃない。そこは後でキッチリ分からせるとする。
兎に角、まだ《暴食》が従順でない今内包されている力の全てを獲得するは未だ時間が必要だが、それでも姉さんの強烈な抱擁を受け止めるぐらいには私の力となった。実に喜ばしい。
姉さんも姉さんでそんな私に気が付いたのか、私の頬に歓喜のキスを数発した後に顔を覗き込んで嬉しそうに微笑んでくれる。
「お前は本当に凄いな、クラウン……」
「ふふっ、まだまだ姉さんには及びませんよ」
実際今の私が姉さんと戦ったとして、勝率はどれくらいだろうか?ちょっと脳内でシュミレーションしてみるか……。
…………。うん、多分勝てない。
負けもしないだろうが、それはあくまでも《自然回復力強化》と《超速再生》によるゴリ押しによる延命。それも私の総魔力量は先程の《暴食》を手に入れた恩恵で増えてはいるがグレーテル程膨大じゃあない。
持久戦でお互いがスタミナ切れ、魔力切れを狙うという泥仕合になるだろう。不毛過ぎる。
だがまあ、剣の手合わせぐらいなら、またやりたいな。地力も測りたいし、落ち着いたらお願いしよう。
で、だ。
「姉さん。姉さんに抱き締められるのは嬉しいのですが、一旦離して頂けると……。流石に恥ずかしいので……」
「う? う、うむ……。そうだな。この場は落ち着かんし、また後でたっぷり堪能するとしようっ」
そう言って離してくれる姉さんだが、また後で私は抱き着かれるのか……。まあ、たまには良いか。私も悪い気はしないしな。
「クラウンさん」
次に声を掛けて来たのはロリーナ。
ロリーナは身体的、精神的な疲れが重なり、私がグレーテルを倒した事によって緊張の糸が切れたのか、その表情には彼女らしからぬ疲労感が滲み出ていた。
「怪我はありませんか?」
私を心配してくれているロリーナだが、正直私なんかよりロリーナの方がよっぽど満身創痍に見える。
「私は大丈夫だが、そんな事より君だ。君こそ大丈夫そうに見えない」
「私は……怪我はありません。少し疲れただけです」
彼女にとって初めてのまともな戦闘がこの魔王戦。連れて来た私が言うのは何だが初陣に相応しい戦闘では絶対に無い。
今日の経験が今後に多大な影響を及ぼす財産にはなるだろうが、流石にハード過ぎるだろう。ロリーナには酷な経験をさせてしまった。
「問題ありません」
ロリーナはそう言うと私の目を見据える。
「……私はまだ何も言っていないんだがな」
「分かりますよ。それくらいなら、私にだって」
「そういうものか?」
「そういうものです」
……うむ、まあ、なんだ。ロリーナが私を理解してくれているというのは伝わって来た。私達の仲もそれなりに発展したのだと考えて良いだろう。
だが今はそれより。
「まあそれはいいとしてだ。ロリーナもそうだが、皆もう疲れている。こんな場所じゃあ落ち着かんし、一旦帰ろう」
周りを見渡せば当然のように皆疲労困憊な様子で今にも
キグナス、ラービッツ、師匠の三人はそんな私の言葉に「なんでお前が平気そうなんだ」と顔に浮かんでいるのが分かる。
私の場合はアレだ。《疲労耐性》のゴリ押しと未だ冷めない高揚感から来る脳内麻薬大量発生中だから色々麻痺しているだけで、治った段階で私は気を失うだろう。そんな予感がする。
「さあ、皆私の手を取ってくれ。転移して学院に戻る──」
そこまで私が口にすると、若干二名、挙動不審な奴が居る。
一人はアーリシア。自惚れに聞こえるかもしれないが、私が戻って来て姉さんの次に飛び掛かって来るんじゃないかと予想していたんだが、今はヤケに大人しい。
疲れているだけなのかとも考えたのだが、どうやらそれだけではないようだ。
「どうしたアーリシア。気分でも悪いのか?」
「えっ!? あ、い、いえっ!! そんな事無いですよハイっ!!」
いや、明らかにおかしいだろ。なんだその余所余所しい態度は。
「何かあるなら素直に言え。変にモヤモヤさせるな」
「えっ……とぉ……。……う〜ん……」
私が煮え切らないアーリシアにほんの少しだけイラッとすると、それをどうやってか感じ取ったアーリシアが肩をビクつかせる。
……まさか。
私はアーリシアに無遠慮に歩み寄ると、その頭を撫でてやる。
普段のアーリシアならば私が頭を撫でただけで腑抜けた表情になるのだが、今はなんとも言えない表情に固まっている。
喜びだとか怯えだとか、幸せだとか緊張だとかが
これは……。私の事を、気付いたんじゃないか?私が「強欲の魔王」である事に……。というか、
私はそこまで考えてから漸く思い出す。
私がグレーテルからスキルを獲得した際、周りを憚らずに高らかに笑いながら「強欲よっ!!」とか云々を叫んでいた事に。
正直、あの瞬間だけは何も考えていなかった。
私のスキル獲得の場面を見られるんじゃないだろうかとか、スキル発動をしてバレるんじゃないかとか、全部頭から吹っ飛んでいた。
失態は失態だが、あの距離であの叫びだけで私が「強欲の魔王」だという結論に至るのは難しいんじゃないか?
それにアーリシア以外は特にそんな感じはしないしな……。それが原因ではないだろう。ならば他に考えられるのは……。
私はアーリシアを改めて見る。アーリシアの目は泳ぎ、自分でもどうしていいか分かっていない様子だ。この反応は正に……。
アレか。相克関係の魔王と勇者の間に起こる本能的な警告。心が騒ぎ立てるような、叫びを上げるような悪寒。アーリシアは今、それを私に感じているのだろう。
私は「暴食の魔王」を倒し、その核である《暴食》を獲得した。それにより私の中の〝魔王〟としての存在感が増したのだろう。何せ単純換算で魔王二人分だ。それを勇者であるアーリシアが感じないわけがないのだ。
「……アーリシア」
「は、はいっ!!」
「……私が怖いか?」
「えっ?」
「私はなアーリシア。何一つ、変わっていないぞ」
「……」
「十年前にお前と初めて遭遇したあの噴水広場の時から、今現在の私まで。私は何一つ変わってはいない。お前が慕ってくれている、クラウン・チェーシャル・キャッツだ」
「クラウン……様」
「これでも私はお前を気に入っているんだぞ? そんなお前から怯えられるのは、それなりに悲しい」
いつもなら甘やかさない、紛らわしい事を言わないように努めてはいるが、今回のアーリシアは最大級の功労者……MVPだ。たまには素直に伝えてやってもバチは当らんだろう。
「クラウン様っ!」
アーリシアの表情が一気に明るくなる。まるでさっきまでの負の感情など何処かへ消し飛んだかの様なその表情は、見ているこっちまで元気になる。
「ふふっ。やっぱりお前には笑顔が似合うよ」
「はいっ!! ありがとうございますっ!!」
ふむ。これで一旦はアーリシアは大丈夫だろう。念の為に後で色々吹き込むつもりだが、今は置いておく。後は──
私はもう一人の挙動不審な奴に目を向けようと、視線を動かす。
その瞬間、私の腹部に衝撃が走った。
私の目の前に居るのは……。
「ハーティー……貴様……」
「……」
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