第一章:散財-10
こ、これ……は……。
私はプルプルの肉を、ゆっくり咀嚼し、細かく寸断する。
弾力の程良い肉は噛み断つ気持ち良さを脳に伝え病みつきにし、次を次をと自然と歯が肉を細かくしていく。
「ど……どう……なんです?」
スキルのせい……いや、違う。これは……。
細かくなった肉を更に奥歯で擦り潰し、口内でペースト状になったそれを舌の上で味わう。
広がるのは滑らかな甘味。そこに加わるほんの僅かな塩気と、少しだけ尖ったジビエにも似た風味。
「お、おいっ!?」
「大丈夫ですか?」
「なになになにっ?」
「……」
私は息を大きく吸い込み、口内に広がる肉から溢れ出る香りを鼻から息を吐き出す事で鼻腔に伝え、僅かな生臭さや薬品臭さの向こうに存在する野性的で、けれども芳醇な甲殻類特有の香りを堪能する。
それから味わい尽くした肉をゆっくり、惜しむ様に喉奥へ送り込み、口内に残る香りを最後に楽しんで、一口が終了する。
「……はあ〜……」
「あ、あの……どうですか?」
「……ウィンチェスターさん……」
「は、はい?」
「これはアレです。下手な人物に売っちゃ駄目な奴です」
「えっ、それってどういう……」
「そうですね……。王族とかそれに近しい地位の人物……。それか日頃の感謝の証として身内に振舞う様な……」
「ま……また大袈裟な」
ウィンチェスターはそう訝しむが、私の反応と言葉を聞いて目の色と表情をガラッと変えている。
今は不安よりも味に対する好奇心が勝っているのか先程の様に手は震えてはいない。
「で……では私も……」
フォークに刺さる震える改造魔物の肉を、ウィンチェスターはゆっくり口に放り込んだ。そして意を決したかのようにそれを噛み砕くと、その表情は更に変貌していく。
「……はぁぁぁぁぁぁ……」
そこからは早かった。
止まる事なく咀嚼を繰り返しながら肉を舌の上で転がし続けその味を堪能。鼻に抜ける香りを更に味わいながら嚥下し、幸せな時間が過ぎ去った事に対する悲しみと幸福感に溜め息を吐く。
「はぁぁ……。これは……極上ですねぇ……」
「そうでしょう? 港街などで食べられる甲殻類の身の甘味がより深く凝縮された味に野性味を感じさせる風味。こんなもの、何処でだって味わえません」
「えぇ……そうでしょうそうでしょうっ……。これは最早一般に出回らせて良いものではないですね。まずは味の程をある程度周知して貰う必要はありますが、それが済んでしまえば……」
「今だけしか味わえない極上品。生のままでこの美味しさです。調理次第ではかなり化けますよ」
「そうですね……。調理師を幾人か雇い、試しに作らせてみるのもアリですね」
「献上品としての価値も去る事ながら、このポテンシャルならば多少の高値でも間違いなく売り捌けるでしょうね。ふふっ」
「素晴らしいですねぇ! ギルドとしての国の評価と純粋な商業としての価値……まさにこれらは金の鉱脈ですねっ!」
「ふふふふっ……。では商談と行きましょうか」
それから私達は白熱した。
この改造魔物の肉は巨体とはいえ決して多くはない。そんな肉を単純に確保分と金策分に分けるだけならば迷いなく金策に傾くのだが、その味を知ってしまった今、私とてこの肉を確保しておきたいと食欲が言っている。
ウィンチェスターもウィンチェスターで味を知った今、出来得る限り肉を私から買い、自分達の利益に繋げたいと考えている。
後ろで呆然と眺める三人を尻目に、トーチキングリザードの事すら忘れ、私達の商談はそこから約十分間にも及んだ。
そして──
「わ、分かりましたっ!! よ、四割っ!! 私達の取り分を四割でお願いしますっ!!」
「こちらが六割ですか……」
「お願いしますっ!! その分金額に色を付けますのでっ!! どうかっ!!」
ふむ……。悪くは無い。悪いは無いが……。もう一声欲しいなぁ……。──っ! そうだ……。
「……トーチキングリザード」
「は、はい?」
「これから狩りに行くトーチキングリザード三匹の素材にも少し色を付けて下さい。それなら四割に頷きます」
「成る程……。ご希望の上乗せの割合は?」
「一割以上ですね。それ以下は譲れません」
「一割……。うーーむ……」
腕を組み、力強く目を瞑って思考を巡らせ始めるウィンチェスター。
だが恐らくはこれで決着するだろう。借りがいくつもある私に対して向こうは強気にはなれないだろうし、ましてや売るのも売らないのも私のさじ加減なのだ。多少自分達が割りを食う事になろうとも、私の提示した条件を飲むしかない。
「うーーーん……。わ、かりました……」
「ん?」
「貴方からご提示頂いた条件を飲ませて頂きますっ!! 改造魔物の肉六割とトーチキングリザード三匹の素材上乗せ額一割……! この条件を受けますっ!」
「上乗せ額一割〝以上〟です。そこはお間違い無いように……」
「むむぅ……貴方も耳聡いですね……。分かりました。一割以上っ。宜しいですね?」
「はい、商談成立ですね」
予定よりかなり時間を食ってしまった。
私は解体に関する依頼書を書いた後、鉱山内に居座る三匹のトーチキングリザードの居場所をウィンチェスターから聞き、鉱山へ向かっている。
時刻は既に夕方を回っており、三匹全てを寝ている間に奇襲するのは恐らく不可能だろう。
こうなれば三匹共さっさと終わらせて──
「な、なぁクラウン?」
背後からの呼び掛けに視線だけを向けてみれば、ティールが何やら言い辛そうな表情で私を伺っていた。
「……なんだ? 今更帰ったりなどしないぞ?」
「ああ、いや。それはもう諦めた……。そうじゃなくてだな……」
「一体なんなんだ。ハッキリしろ」
「ああ……と……。さっきのアレ……さ」
「……アレ?」
「魔物の肉だよ。蟹の身みたいなやつ」
なんでもう済んでいる話題をわざわざ……。
……まさか。
「まさか自分も食べてみたいなんて言うんじゃないだろうな?」
「ぐっ……! ……だ、駄目ぇ、かな?」
コイツ……。私が食べると口にした時は散々嫌な顔をしていたクセしてよくもまあ、いけしゃあしゃあと……。
「アレだけ嫌がっていたクセにか? 随分と虫がいいな」
「そ、そういうなよぉ……。お前とウィンチェスターさんがスゲェ旨そうに食うもんだからよぉ……」
……まあ、アレは実際かなり美味かった。
前世で食ったどんな高級甲殻類よりも濃厚で甘味が上品な極上の逸品だ。
ちょっとした野性味があるから苦手な奴は苦手かもしれんが、そういったある種の臭みを好む奴からすれば絶品といって過言では無い。
「なあ頼むよっ! 一口だけで良いからよっ!」
「いいや駄目──」
「私も……」
私がティールの要求を突っぱねようとしたタイミングで飛んで来た言葉の主は、どことなく申し訳無さそうにするロリーナだった。
「私も……少し……」
「あ。なら私も食べてみたいです!」
そこに更にユウナまで加わり、結局は皆して私達が試食した場面を見て食べたくなったと吐露する。
……はあ、まったく。
「正直な話。別に分けてやるのは一向に構わん。だが」
「だが? なんだよ」
「……いや。なんでもない」
あんな露骨に嫌そうなリアクションを見せられたからな。ちょっと仕返ししてやらねば気が治らない。
何か良い手は無いものか……。
「なんでもないってお前……。なあ頼むってっ! トーチキングリザード頑張るからよぉっ! なあ?」
親にオモチャをせがむ子供かお前は……。
しかし、トーチキングリザードか……。
ふむ……。どうせなら……。
「ならばこうしよう」
「おっ、なんだ?」
「これから狩りに行くトーチキングリザード。そいつの相手を三分間一人でやってみろ」
「……へ?」
「私が最低限サポートはしてやるが、三分間お前一人で相手しろ。達成出来たら食わせてやる」
「……はあーーっ!?」
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