第八章:第二次人森戦争・前編-32

 


 数ヶ月前。


 魔法魔術学院自習室にて、苦悶の表情を浮かべるディズレーと、その様子をチラチラ横目で観察しながら本を読むユウナの姿があった。


『あ? な、なぁユウナ……これなんて意味だっけ?』


 少ししてディズレーが申し訳無さそうにユウナを呼び、彼の顔色を悪くさせる目の前のテキストの問題に指を指した。


 ユウナもどこか「またか」と言いた気な視線をディズレーへと送り、彼が指差す問題へと目を落とす。


『ん? ってこれ昨日教えたじゃないっ! それは「沈む・黙る」っ!! んで発音が似てる「マヌケ」と似てるから注意してねって念押したよねっ!?』


『えっ!? あ、あぁそういやそうだったな……。悪ぃ』


『もう……。そりゃね? 人族語とエルフ語は割と発音似てるからややこしくなるだろうけど、逆に言えばそこさえ理解すればリスニング程度なら戦争までに何とかなる筈なのっ!』


 二人が今マンツーマンで行っているのはエルフ語の勉強。


 クラウンが自身の部下達に今の内から勉強するよう勧めており、日時会話は既に問題無いクラウンはロリーナとヘリアーテを、実家の仕事関係である程度習得していたロセッティはグラッドとティールを、ハーフエルフでエルフ語は完璧なユウナはディズレーを教えていた。


『いやんな事言われたってよぅ……。俺勉強とか苦手なんだよっ! つうかなんで俺達がエルフ語勉強しなきゃなんねんだよっ!!』


『それもクラウンさんが散々言ってたじゃない……。戦争に勝ったらエルフとは手を取り合って行く事になるし、今後立ち上げるギルドでエルフとも仕事する事になるだろうから今の内に勉強しとけって』


 クラウンが部下達にエルフ語を習得させる理由は二つ。


 一つはユウナが語るように将来エルフ族と交流を持った際に円滑なコミュニケーションを図る為。


 そしてもう一つは、戦闘中の敵情報の獲得。


 人族を種族単位で嫌悪しているエルフ族にとって、人族の言語は理解に値しないモノと切り捨てている。


 その関係でエルフ族は人族もまたエルフ語を解しているワケがないと思い込んでいる節があり、人族に多少関わりを持っていた者でない限り彼等は敵対者である人族の前でも割と油断して自分達の内情を口にする可能性があった。


 それ故、クラウンは敵方の油断による情報の漏洩を拾えるようにする目的で可能な限りエルフ語を理解させたいと、そう考えているのだ。


 ……とは言っても、こっちはオマケ程度の認識で本命はやはり前者ではあったりする。


『んな将来の話されてもピンと来ねぇんだよぉっ! ……第一よぅ。戦争に勝てたとしてエルフと仲良くなんか出来んのかよ? こんだけ仲悪ぃのによぉ』


『ハァ……。勉強やりたくないからって変な方向に話逸らさないのっ!』


『違ぇってっ!! ……街中出るとよう。少し歩いただけでエルフの陰口ばっか聞こえてくんだよ。憂鬱になるくらいな……』


 ディズレーにとって「他種族との交流」は決して他人事ではない。


 故郷である帝都の小さな村は獣人族の国・シュターデル複獣合衆国との国境に存在し、彼等が出す産業廃棄物や汚染物質の影響により村は深刻な公害に見舞われている。


 その為彼にとって獣人族は決して許す事の出来ない怨敵であり、そんな自分の事情よりも何倍も厄介な間柄である人族とエルフ族の関係が改善される未来を、ディズレーは信じ切る事が出来ないでいるのだ。


『……知ってるよ。前にクラウンさんとティール君と外出た時にタチの悪い冒険者に絡まれたし……。今出てったらきっともっと酷い目に遭うだろうねぇ』


『っ!! 悪ぃっ! 別にお前の事とやかく言うつもりは……』


『ん? あぁ、いや別に気にしないで良いよ。あの時は二人にちゃんと守って貰ったし、なんならクラウンさんがキツめに追い払ったからちょっと清々したかな。まあ、おちおち本も買いに行けないのは変わんないけど』


『お、おう……』


『……でもそんな世の中を、クラウンさんは本気でどうにかしようとしてる。まあ勿論? 私利私欲前提なのは百も承知だけどさ? それでも……本屋の店員が私の顔を見る度に微妙な顔をする事が無くなるなら、今より百倍はマシじゃない?』


『そう、だな……』


『でしょ? だから皆んなにエルフ語を教えてやれってクラウンさんに言われた時、私は二つ返事で引き受けたの。鎧着て罵倒しながら殺し合うんじゃなくて、オシャレな服着て談笑しながら買い物出来る……。そんな人族とエルフ族の未来の為の第一歩としてね』


『……』


『って、なぁに語ってんだろうね私っ! らしくないなぁ、もう……』


『──んなこと、ねぇよ』


『え?』


『アンタはスゲェよ。ヒデェ目に遭ってたのに俺みてぇに他種族恨んだり憎んだりしねぇでちゃんと種族間の仲が変わる事を目指してる……。今の俺にゃ出来ねぇ事だ……』


『そ、そんな大袈裟なっ!! 私は、ただ前に言われたから……』


『言われた? ボスにか?』


『ううん。この国支えてるスッゴイ人……。そんな人にお世辞でも期待されちゃったら、ちょっとは考え方も変わるよ』


『……そうか』


『ほ、ほらっ! こんな話してないで続き続きっ!! 最低限簡単なリスニングぐらいは出来るようにってクラウンさんに言われてるんだからさっ!!』


『お、おうっ!!』


 この時、ディズレー自身も気付かぬ程に本当に僅かにだが、彼の中の価値観が変わる。


 それはふとした事でアッサリ消えてしまうような儚い変化ではあったが、この小さな変化が今後のディズレーのあらゆる〝道〟の指針になる事を、彼はまだ知らない……。






 そして時は戻り、ディズレーは焦りに焦る。


 目の前の理知的な雰囲気を漂わすエルフの少年──オルウェが何を言っているのか、まるで解らないからだ。


(待て待て待てっ! 俺ちゃんと勉強したぞっ!? グラッドとかヘリアーテみてぇに上手かねぇけど、ユウナのエルフ語もちゃんと何言ってるかわかるぐらいには……)


 だがどれだけ頭の中で言い訳をしようと解らないものは解らない。


 ディズレーが学んだエルフ語はあくまでも初歩の初歩のみ。


 麻薬調合に必要な知識を得る為エルフ族の書物を翻訳した事があったグラッド、貴族でありテニエルに執心していた両親によって学習能力を鍛えられていたヘリアーテは更にその先の「日常会話」を学んでいたが、ディズレーはまだその手前。


 簡単な定型文ならば兎も角、日常会話のような複雑で自然な文脈、文体を理解出来る段階ではないのだ。


(あぁもう情けねぇ……。あんだけ気合い入れて勉強してこのザマかよ……。はあ、仕方ねぇ)


 ディズレーは情けない気持ちで一杯になりながらオルウェから視線を外して振り返り、申し訳無さそうにユウナに助けを乞う。


「……な、なぁユウナ。悪ぃんだけどコイツがなんて言ったか訳してくれよ。俺まだ全然エルフ語わかんねぇんだよ……」


「う、うん……。そっか」


 勿論ユウナはその事を承知している。


 別にこれは彼が不勉強であったせいでも、ましてやユウナの教え方が悪かったわけでもない。


 どちらかと言えばたった数ヶ月で日常会話がある程度可能になったグラッドやヘリアーテの方が学習面でかなり優秀なだけであり、ディズレーの方が一般的なのだ。


 それをユウナはしっかりと理解している。しているのだが……。


「だからって情けない顔で敵から目離さないでっ!! やられちゃうでしょっ!!」


「わ、悪ぃっ!!」


「後もう解んないなら解んないで良いからっ!! 前見て前っ!!」


「お、おうっ!!」


 そう意気込んでオルウェの方を向き直るディズレー。


 だが視線を移したその先のオルウェの表情は、何とも言えない複雑な、けれども不快である事が有り有りと表れているようなものだった。


「な、なんだ?」


 倉庫で戦い始め、一度たりともその不機嫌そうな顔を崩す事が無かった彼が悪い方向に感情を表した事に疑問を浮かべるディズレーであったが、その事を考える暇もなくオルウェが言葉を発する。


「『効いてない、だと? 何故だ……。何故平気でいられるっ!?』」


「んん?」


「『詠唱に使った言語に問題は無い。《三学トリウィウム》も間違いなく発動した……。なのに何故だっ!!』」


「ん、んん?」


 オルウェは知らなかった。


 ただひたすら己の才能を追求し、部下達の助けすら雑用程度にしか頼らず、エルフ族以外との交流など以ての外な人生を送って来た。


 故に、彼は一度としてエルフ族以外に《呪怨魔法》を使った事が無く、またその真なる効果に気付いていなかったのだ。


 《呪怨魔法》は言葉の〝意味〟に重きを置く魔法……。つまり言葉の意味を解さない者に、その権能は万全に発揮しない。


「な、なんかよく分かんねぇけど……。そっちが来ねぇならこっちから行くぞっ!!」


 勝手に狼狽うろたえ叫ぶオルウェを無視し、ディズレーが先に動く。


 ディズレーはまずオルウェとの距離を詰めるべく床を蹴り込み、構えていた斧を肩口まで掲げる。


 それに不満そうに反応したオルウェは無意識に舌打ちを漏らしながら距離を取る為彼を視界に入れながら後方へと床を蹴り、自身の周囲に浮かぶ新約魔導書へと手を伸ばそうとした。


「させねぇよっ!!」


 オルウェが距離を取った事により再び空いてしまった二人の間ではあったが、駆けるディズレーは構わず掲げていた斧に目一杯の力を込め、振り下ろさんとする。


「『馬鹿が。この距離で届くわけ──』」


 そう切り捨てようとしたオルウェだったが、決して届く筈のない彼我の間で振るわれようとする斧の刃に急速に〝黒い何か〟が集結し始めたのを見て目の色を変える。


「『くっ! ただの馬鹿じゃないかっ!』」


 油断ならぬものと即断したオルウェは《屈折魔法》を発動。周囲の光を屈折で収束させ光球を作り出した。


「オォラァッ!!」


 そして振り降ろされたディズレーの斧。その刃には先程集積した〝黒い何か〟によって覆い尽くされ、延長され、本来ならば絶対に届き得なかった二人の距離を難なく埋める程に刀身が巨大化。


 新たに発生した漆黒の刃はオルウェが作り出した光と熱の集合体である光球へと真っ直ぐにぶつかり、何かが焼けるような音が辺りに響きながらもなんとかその猛威を防ぐ事に成功した。


 漆黒の刃は光球に触れた端から火花を散らしながら融解していき、その様はまるで光が闇を焼き尽くすようにも見える。


 だがしかし、防いだ筈のオルウェの表情は決して安心が滲んだものではなかった。


「『くっ……。これは……』」


 何故ならディズレーが振るった漆黒の刃は光球に融解され、散らされながらも周囲から再び新たな黒い霧のような物が集結。


 散った側から修復されていき、焼けども焼けども漆黒の刃が絶えることが無い。


「オラオラどうしたぁっ!! そんなもんかチビ魔術士ぃぃっ!!」


「『……』」


 オルウェは当然、人族の言語など解さない。


 故にディズレーが何を叫んでいるかも勿論解らず、一々敵であり下等と断じる相手に耳を傾けてやる程優しくはない。


 だが、それでも、理由無く、ただただ言葉のニュアンスとその表情の僅かな動きで、〝琴線に触れられた〟と感じる時がある。


「『……今お前』」


「あぁ?」


「『もしかしてお前、僕の事……〝チビ〟って言ったか?』」


「だから分かんね──っ!?」


 瞬間、盾となっていた光球の出力が急激に増幅。


 光球自体の大きさは膨張し、熱量は上がり、融解していた漆黒の刃はその光と熱の坩堝に包まれより一層の火花を散らす。


「ぐっ!? これは……」


「『愚物が。自然学芸リベラル・アーツ下巻が無ければ《屈折魔法》を使えないとでも思ったか?』」


 続いて漆黒の刃の左右に新たに作り出された光球からの光線が照射。漆黒の刃を形成していた黒い霧の供給が追い付かなくなり、その形を歪に崩していく。


「ち、くしょうっ……」


「『お前のそれ……《磁気魔法》だろ? で、この黒い刃は〝砂鉄〟だ。倉庫内の障害物に紛れて幾つかタルが置いてあるけど、その中に大量に砂鉄が詰まってる。それを使って磁力で砂鉄を即席の刃にしてるんだ』」


「な、何をぐちぐちと……」


「『だけど所詮は磁力で無理矢理固めただけのなまくらの刃……。切れ味も、硬度も、重さも中途半端で、度し難い程粗末なゴミだ』」


 更に光球が二つ追加されそこからも光線が照射。合計四つの光線と光球の熱に晒された黒鉄の刃は赤熱しながら脆くも崩れ去り、床に虚しく融けた鉄として溢れ落ちた。


「『人のセンシティブな部分を軽率に触れて顰蹙ひんしゅくを買えば僕だって怒る……。もう容赦しない』」


「クソッ……」


 この結果にディズレーは《磁気魔法》による砂鉄の刃を解除。再びオルウェとの距離を詰めるべく駆け出し、斧を構え直す。


「『学ばぬ無能な猿が……。チリすら残さない』」


 無策とも取れるディズレーの疾走に、未だ展開されたままの五つの光球が彼に照準を合わせる。


「『集積せよ光輝。今五つの槍と化し、愚かな獣を焼き焦がせ……「焦滅の光耀ブランズボンズ・ストラーレン」』っ!!」


 そう唱えるのと同時、五つの光球から幾万もの屈折を繰り返し加速と収束を極限まで高めた五本の光線がディズレーへと一斉照射。


 先程の砂鉄すら融かし仰せた光線をも凌ぐ熱量を宿した全てを焼き焦がす五つの光耀の槍が、真っ直ぐにディズレーにへと降り注ぎ──


「祈り届けっ!! 「大地への嘆願クロノス・アナフォーラ」っ!!」


 その声が響いた刹那。


 先程ディズレーの《磁気魔法》によって黒鉄の剣となっていた砂鉄が融け落ち、今し方ディズレーが踏み締めた床に大きなヒビが走る。


 そのままヒビは大きな〝穴〟へと姿を変え、それを踏み抜いたディズレーは当然身体全体を下方向へと沈む。


 そして本来彼の頭部へと集中する筈だった五つの光線はその頭上で衝突。《屈折魔法》により支配されていた光線はその法則に則り互いが互いを反射させ、光線はあらぬ方向へと矛先を伸ばしてしまう。


「『なっ!? ば、馬鹿なっ!?』」


 オルウェはあらゆる事を度外視し咄嗟に彼女へと鋭く睥睨へいげいする。


 そこには旧約魔導書「賢者の極みピカトリクス」を開き、ページに羅列され微光を放つ文字列を読みながら必死に魔力を込めているユウナの姿があった。


 ユウナは戦争までの数ヶ月、ディズレーへのエルフ語の指導と最低限の自衛訓練とは別に、その殆どの時間をこの賢者の極みピカトリクスの翻訳に費やした。


 そしてクラウンの協力もあり、結果彼女は僅かではあるが賢者の極みピカトリクスの内容を理解する事に成功。


 それにより新たなスキルを自身と賢者の極みピカトリクスで覚醒させていた。


「『私だってアンタと同じハーフエルフなのよ。舐めんなガキんちょっ!!』」


 ユウナが覚醒したスキルを《占星の導き》。如何なる場所、如何なる時間、如何なる天候だろうと星を読み、理解する事が可能となるエクストラスキル。


 そして賢者の極みピカトリクスに目覚めしスキルを《星位図ホロスコープ》。現在の星の配置を映し出し、膨大な魔力を消費する事によって極々短時間ではあるが星の配置を一時的に〝組み替え〟、思い通りの配置にするマスタースキル。


 彼女はこの二つのスキルを行使しディズレーの運命を意図的に改変。彼を絶体絶命の状況から救い出したのだ。


「『この……この劣等種がぁぁ!!』」


「余所見してんじゃねぇぞチビっ!!」


 余りの出来事に目を疑い、状況判断に脳の処理が追い付いていなかったオルウェ。


 しかしその隙を突くかのように、自身の身体が突如地面に沈もうと走り抜ける事を止めなかったディズレーが彼の懐近くまで接近。


 振り被っていた斧を横薙ぎに払い、砂鉄ではない鋭く、硬く、重い本物の刃がオルウェの胴体へ滑り込もうとしていた。


「『ぐ……あ゛ぁぁっっ!!』」


 金属の嫌な冷たさが、オルウェの皮膚に寒気を伝達するのとほぼ同時。


 慟哭とも取れるオルウェの唸り声と共に彼が手に取ったのは、自然学芸リベラル・アーツ上下巻ではなく、もう一冊の新約魔導書。


 襲い来る怖気おぞけを堪えながら新約魔導書に魔力を流し込み、そして刃が臓腑へ届く寸前、オルウェは叫ぶ。


「『ワレ耳目にて触れざる形而上に進みたりッ!!』」


 その言葉が口から発せられた瞬刻。


 傷付ける筈であった臓腑はそのまま一切の抵抗なく擦り抜けていき、まるで霧にでも斧を振るったように空振りしてしまう。


「な、はぁっ!?」


 今度はディズレーがワケが分からないと戸惑い、空を切った斧と擦り抜けたオルウェを交互に見遣る。


「な、何が起こって……」


「『ま、まに、あった……』」


 息も絶え絶えなオルウェ。


 その手に握られているのは彼の周りに浮遊していた三冊目の新約魔導書であり、抽出元となった旧約魔導書から「哲学」に関する学問を写本した書物。その名を──


「『もうお前達は僕を捉えられない……この魔導書「第一哲学メタピュシカ」が僕の手の中にある限りっ!!』」

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