第三章:草むしり・前編-16

 

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(マズいッ! マズいマズいマズいッ!!)


 ハンナは大きな荷物を背負い屋敷を勢いよく飛び出すと、屋敷裏手に存在する森目掛け一心不乱に駆け出す。


(なんでっ!? なんでこんな急にっ!? つい最近までそんな気配微塵もしなかったのになんでっ!!)


 今ハンナの頭の中にあるのはまとまらずにぐちゃぐちゃと回りに回る思考。十数年の平穏が崩れた事で起きた激しい混乱であった。


(あ゛あぁもうっ!! 取り敢えず今は逃げるしかないっ!! カーラットにあんな詰め方してる時点で完全に気付いてる……。坊ちゃんに捕まる前に、今逃げて安全な場所で現状の整理を──)


 そうなんとかギリギリで頭を整頓しながら森に入ろうとした瞬間、彼女の《熱源感知》が上空から何かが来る事を察知し、彼女の足を急停止させた。


 刹那、上空から飛来したそれはおびただしい熱量を持ったままハンナの目の前に落下し、地面に突き刺さると莫大な熱を彼女に浴びせ掛ける。


 ハンナはそんな熱量に思わず目を覆い隠し、後退りしてある程度距離を取った後に薄目を開け、飛来物を確認する。


 そこにあったのは──


「け、剣? ……ってコレッ!?」


「良かった。当たらなかった」


 背後からしたその声に、ハンナの背中は一気に寒気立ち、目の前にある大量の熱量に反比例して体温が急激に下がるのを感じる。


「牽制のつもりだったんだが、思いの外逃げ足が早かったもんでな。ちょっと必死になって狙いを定めたら危うく当たりそうになってしまった。思ったより身体能力があって助かったよ。ハンナ」


「……ぼ、坊ちゃん」


 ハンナは振り向きたくないとワガママをいう首を、理性でなんとか捻じ伏せて振り返った。


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「ど、どうされたんですか? こんな夜更に……」


 振り返ったハンナの顔はいつもの優しい微笑みではあるものの、何処かぎこちなく、不自然な硬さが入り混じって見えた。


「ふふふっ。おかしな事を言うなお前は。この場にいて「どうしたのか」と聞くのはお前ではなく、私だろう?」


「……そう、ですね」


「じゃあ改めて聞くがハンナ。こんな所で一体何をしているんだ? デートの待ち合わせでもしているのか? それとも逢い引きか? 美人は大変だなぁ?」


「……」


 ふん。黙ったか。


 まあこの状況で冗談を言い合える程、ハンナに余裕がないのだろうな。私としてはカーラットの様に小気味の良い返しを期待したんだが……ま、今はいいか。


「真面目な話をするとだな、ハンナ。私はお前を、先程父上が話して聞かせた潜入しているエルフだと睨んで──いや、確信している」


「何を根拠に……。私はただ、森に野草を採ろうと……」


「苦しいぞ流石に。こんな夜更にそんな不必要な荷物を抱えお前の仕事ではない仕事をしているだと? そんなもので誤魔化せるなんて猿くらいなもんだ。……それともお前は、私が猿並みの知能だと馬鹿にしているのか?」


 そうわざとらしく怒気を発すると作られていたぎこちない微笑みが崩れ、怯えと焦燥に染まる。


「そんなまさかっ!! 坊ちゃんを馬鹿にするなど微塵も御座いませんっ!! ですが私は本当に──」


「はあ……。もういい」


 私がハンナに歩み寄る為に一歩踏み出すと、ハンナは肩をビクつかせ、整えていた体裁を崩して構えを取る。


「ふふふっ。楽で良いな。そうやって構えられるのは」


「坊ちゃんの気が治らないご様子なので、どうしたら治ってくれるかと考えた結果、こうせざるを得ないと……」


「ほう、随分と過激だな、知らなかったよ。産まれて以来の付き合いだが、そんな思想の持ち主だとは」


 会話をしながらも、その歩みは止めない。


 一歩一歩彼女に近付いて行くにつれ、ハンナの構えは精錬さを帯び始め、それが咄嗟のものではないと優に想像させる。


「私も知りませんでしたよ。坊ちゃんがこうも話を聞いて下さらない方だっただなんて……」


「今日は色々疲れているんだよ。主に精神的にな。だから私自身あれこれと考えるのは最低限にしたいんだ。それもこれも──」


 瞬間、私は地面を一気に踏み込み可能な限りの速度でもってハンナの懐に潜り込む。


「全部、お前がエルフだったせいだ」


 潜り込んだ私を目で追ったハンナだったが、その反射神経に体が付いてこなかったらしく一手反応が遅れてしまう。


 そんなハンナに私は腹部に手を添えると限りなく手加減をした《寸頸》でもって吹き飛ばし、私が投げた燈狼とうろうを通り越して向こう側にあった森の木に背中を強く打ち付ける。


「カハッ!!?」


 強烈に背中を打ったハンナは肺の空気を無理矢理吐き出されながらそのまま木に背を預け、忙しなく咳き込みながらもなんとか倒れずに立ち上がる。


「構え方もそうだったが、手加減したとはいえこれに耐えられるお前が一般的なメイド長とはとても思えないな?」


「ゴホッ、ゴホッ……。か、カーラット様に、習いましたので……」


「カーラットにそんな暇は無いと思うんだがな。まったく……」


 私はそのまま再びハンナに歩み寄り、地面に刺さったままの燈狼をすれ違い様に引き抜くと、そのまま息を整えるハンナに燈狼とうろうの刃を喉元に突き立てる。


「な──」


「ん?」


「なんで、私だって……」


「ああ漸くそのフェーズか。そうだな、まず第一にだ」


「……」


「ハンナ。お前は容姿が昔から殆ど変わっていない。私が産まれた十五年前からも、それ以前からも、殆どな」


「それは、単純に私がそういう体質だからで……」


「まあ確かに、十数年間美容に気を遣い続けて若さを保つ者も居るだろう。お前は結構美人だからな。それも可能かもしれん」


「ならっ!」


「だがそれは十数年間を美容に費やした場合の話だ。安くはないとはいえそんな貴族夫人のような生活を、お前の給料で可能か? しかもメイド長の仕事は多忙な上に休みなんて殆どない。そんなお前に、若さを保ち続ける程の美容が、本当に可能なのか?」


「それ、は……」


「仮にお前がエルフなら、そんな問題は簡単に片付く。エルフの容姿の変化は人族の何倍も遅いからな。十数年程度じゃあ殆ど変わらん」


「でもそれだけで……」


 まだ折れないか。なら次だ。


「第二にだ。お前は昔、母上に《品質鑑定》のスキルを見せて自身の熟練度の高さを披露したらしいな」


「な、なんでそれを……」


「質問は受け付けない。その時お前はなんと母上に説明した? 先程父上にも説明したように説明しろ」


「……私の《品質鑑定》の熟練度は昔の職場で培ったお陰でかなり高いんです。物の品質がオーラで分かって……。でも不便な所もあって、鑑定物の名前までは分からな──」


「そう、そこだ」


「え?」


「《品質鑑定》の熟練度が高いとオーラが見える? 鑑定物の名前が分からない? そいつはオカシイな」


「何、が……」


「実はな。私も持っているんだよ、《品質鑑定》を」


「──ッ!?」


「もう分かるな? 《品質鑑定》の熟練度がいくら高くともオーラなどで物は理解出来ないし、鑑定物の名前も判るんだよ」


「そ、それは坊ちゃんの熟練度が低いだけで……。名前も、私が普段見ないか、そう、勘違いを……」


「……私の持つ《解析鑑定》はな。物や生物だけではなく、他のスキルそのものを鑑定出来る。鑑定すればその性質や効果なんかも丸分かりだ。その結果……分かるな?」


「……」


 黙りか……。じゃあ次、王手を指そう。


「第三に……。なあ、ハンナ」


「……はい」


「なんでお前、逃げ出したんだ?」


「……え?」


「しかもあのタイミング──カーラットと私がバルコニーで会話している真っ最中にだ。なあ、何故だ?」


「そ、それは偶然で……」


「ああ、逃げ出したのは否定しないのか」


「いえ、そんな、事は……」


「……まあ確かに、カーラットとの事もある。その可能性も無くはない、か」


 その瞬間、ハンナの表情が何か希望を見つけたかのように微かに明るくなる。


「──っ!! そ、そうでなんですよっ!! 私もカーラット様同様に別の方の間者なだけなんですよっ!!」


「……ほう」


「それに敵でもありませんっ! ただちょっと誤解があって──」


「何故だ?」


「はい?」


「何故、知っているんだ? 私とカーラットだけの会話内容を。何故だ?」


「──っ!?」


「……極限まで追い詰められた奴っていうのはな。真っ暗な空間に見る光の様に、例えどれだけかすかで不審だろうと思わず飛び付いてしまうものなんだよ」


「……っ」


「正体がバレたという不測の事態による混乱の中。お前の目の前にわざわざ剣を投げて脅かし、突然背後から現れて驚かし、私が疑っていると告げて動揺させ、物理的な手段で強い痛みを加えて狼狽させ、剣を喉元に突き立てて緊張させ、質問責めでじわじわと追い詰めて精神的に責め立てる……」


「ぐっ……」


「そんな連続したストレスの暗闇の中、唐突に私を納得させ得るかもしれない〝情報〟という光がチラつけば、いくら熟達した潜入者だろうと食い付くだろうな? 今のお前の様に」


「そ、れは……」


「どうやって聞いたのか……。それは分からないが、恐らくは強力なスキルなんだろうな? なあ、ハンナ」


 瞬間、私は燈狼とうろうを軽く振るう。


「──っっ!?」


 ハンナの鎖骨辺りを切っ先が掠め、浅いが広い傷を付けるのと同時に傷口を焼き、飛び上がった血液以外の出血を止める。


 そして切った瞬間に燈狼のスキルである《劫掠》を《強欲》で習得率を上げ発動。ハンナのスキルを奪うのと同時に更に《貪欲》を追加発動させ更にスキルを奪い取った。


 その結果──


『確認しました。補助系スキル《遠隔視界》を獲得しました』


『重複したスキルを熟練度として加算しました』


『確認しました。補助系エクストラスキル《地獄耳》を獲得しました』


 ほう。


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 スキル名:《地獄耳》

 種別:エクストラスキル

 概要:途方も無い距離を聞き取るスキル。自身を中心に遥か彼方まで聞き耳を立てられ、聞き取る事が出来る。その距離は熟練度に応じて伸び、最大で数万キロ先まで聞き取り可能。尚、発動時はその場から動く事は出来ない

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 ほうほう。成る程。


「成る程。お前はそのままの意味で〝聞いて〟いたのだな?私達の会話を、エクストラスキル《地獄耳》を使って」


「え、え……?」


「しかも《遠隔視界》まで持っていたとはなぁ。コイツがあれば強い繋がりを持つ人物……。例えば部下のメイドや同僚のホータン。上司のカーラットの視界も覗けるわけだ。となると……。先日まで行っていた遠征も、もしかして覗いていたのか? なあ、ハンナ」


「──っ!? 使えないっ!? 私のスキルがっ!?」


「ふむ。まあいい。本当はそのまま《解析鑑定》で暴いてやるのが一番楽なんだがな。弱者相手にそこまでするのもアレだし《秘匿》なんかのスキルで改竄されて誤魔化されるのは面倒だ。そして何より奪い取る際の楽しみが減るからなぁ……」


「わた、私の……スキル、を?」


「ああそうだ。《遠隔視界》と《地獄耳》の二つをな。いやしかし、こんな所でエクストラスキルが手に入るなんてラッキーだ。日頃の行いの結果かな?」


「……き」


「ん?」


「貴様ぁぁぁぁぁぁッッッ!!」


 突如ハンナは表情を憤怒に豹変させるとそう叫びながら懐から刃物を取り出し私に向かって勢いよく突き立てる。


 この程度の刃物、防ぐまでもなく《刺突耐性》で突き刺さる事は無いのだが……。


 ふむ。


 私は突き出される刃物を握るハンナの手を受け流し、そのまま手首を掴んで持ち上げて捻って刃物を奪い取る。


「くそっ!!」


「私もな、ちょっとは学ぶんだよ。マルガレンに使われた短剣のように傷は付かなくともスキルで何か不具合が起きるかもしれないからな。簡単には受けてやらん」


「ふ、ふざけないでよっ! 私が……私がそのスキルを習得するのにどれだけの時間を費やしたと思ってんのよっ!!」


「知るか。それを私や私の身内相手に使った時点で自業自得だ。そんな相手に私は容赦せん。それが例え……お前でもな」


「な、何よっ……」


「……」


 私はハンナの手を離し、解放してやる。


 そんな私にハンナは訝しみながらも私から距離を取り、再び刃物を構える。


「ハンナ。お前は私にとって、第二の母親も同然だった」


「……」


「お前に赤ん坊の頃から母上と共に世話をされ、英才教育を叩き込まれた。美人で優しい顔の割に怒ると豹変する様に逆に笑ってしまった事もある」


「……」


「私が屋敷の料理に不満を漏らした時なんかは、お前は「なら私が美味しい物を作りましょう」と言って代わりに作ったよな? まあ、味はお世辞にも良かったわけではないが……」


「……覚えてないわよ」


「乗馬の練習をした時もだ。私がアッサリ乗り熟してしまったのが少し不満だったのかお前は変にムキになってな。なってないから手本を見せると同じように馬に乗ろうとしたら馬が嫌がって乗れすらしなかった。本当、メイドを束ねる者とは思えない無邪気っぷりだ」


「覚えてない」


「そうそうあの時も──」


「覚えてないって言ってんでしょッ!!」


 様々な感情が混じった叫び声を、ハンナは上げる。


 その声はどこか悲痛で……。


 …………。


「……なあ、ハンナ。なんでお前なんだ?」


「……え?」


「私はな。これでも心中ではお前じゃなければ、なんて柄にもなく願っていたんだ。だが現実は違う。どれだけ考えても、お前がエルフである事実がハッキリしてくる。そんな時の私の気持ちが分かるか?」


「……そんな、の」


「……一つだ」


「──?」


「一つだけ聞く。お前は、この屋敷で過ごす間に一度でも……、自分がエルフじゃなければ、と考えた事はあったか?」


「……」


 少しの間、ハンナは何かを言うわけでもなくただ黙って俯き、たっぷり数分使ってから漸く口を動かす。


「……私は」


 ハンナは刃物を下ろし、項垂れながら力なく言葉を紡ぎ始めた。


「私は、エルフである事を誇りに思っていた。それは今も変わりないし、報告をする度に達成感で心踊った。……でも」


「……」


「ガーベラお嬢様や坊ちゃん、ミルトニアお嬢様がお産まれになる度に、そんな私の誇りにちょっとずつヒビが入るんです……。産まれる貴方達を見て喜ぶ旦那様や奥様を見る度に、知らぬ間に自問自答をしているんです……。こんなので、大丈夫なのか、って」


「……そうか」


「お嬢様方の無邪気な顔や笑い声……。坊ちゃんの小生意気でちょっと大人びた微笑みが……。私のそんなヒビの隙間に入り込んで悪化させるんです……。そんなお三方が立派になるにつれ……心が踊れば踊る程、胸の中が締め付けられるように痛くて……痛くて仕方が無くなってしまったんです……」


「……ああ」


「でもだからって止められない……。私はエルフで……。幹部方からも期待されて……。それに相応しい能力もあって……。私の本当の居場所は……ここじゃなくて向こうなんだって……。私は……」


「……行きなさい」


「……え?」


 私の言葉に、ハンナは目を丸くする。


「お前からはスキルを奪った。もう我が家を監視出来る力は持っていないならわざわざ始末する意味も薄い。お前一人生きていようと、支障はない」


「わた、しを……。見逃すんですか?」


「気が変わらん内に早くするんだな。業を煮やした父上が駆け付けるとも限らんぞ」


「……」


 ハンナは振り返ると、そのまま森の中に入って行く。


 すると見えるか見えないかという距離まで進んだハンナは一度だけ立ち止まり──


「どうかお気を付けて。坊ちゃん」


 それだけ呟いて、ハンナは森の闇に消えていった。


「……何が坊ちゃん、だ。まったく。最後までキャッツ家のメイドじゃないか」


 私も振り返り、空に浮かぶ月を眺めながらゆっくり屋敷に向かって歩き出した。











「……ムスカ」


「はい。三体、万事潜入済です」


「良くやった。こちらばかり家を覗かれるのは癪だからな。今度は私達が奴等の根城を覗く番だ」


「ええ。存分に暴いてやりましょう」


「ふふふっ。悪いなハンナ。最後にちょっと、私の役に立ってくれ」

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